第二話 幼き日の歪んだ恋
メティスでも高い人気を誇るグロウリーフ訓練場の休憩所。そこで圭介とレオは二人仲良くベンチに座ってペットボトル飲料を口にしていた。
圭介は経口補水液、レオは甘めの紅茶を選んでそれぞれ勢いよくグビグビと飲んでいる。
移動城塞都市ダアトの到着が大幅に遅れるというニュースで惜別の機を逃した彼らは、報を受けて漂い始めた微妙な空気を払拭するべく体を動かしに来たのだ。
知名度の関係もあるのだろうが周囲から注目を集めてしまっている。落ち着かなさを隠しきれず、二人は極力他の客が来ない位置に陣取っていた。
「まあ師匠は大変だろうけどレオからしてみりゃ良かったんでない? ミアと物理的な距離ができなくてさ」
「結果論っすよそんなん。サプライズでお別れのプレゼントまで用意してもらっててメッチャ気まずかったんすから」
『留まる意思を見せればオーナーも許可すると思われますが』
「……うーん、それはそうなんすけど。どうすっかなぁ~、悩むなぁ~!」
アズマの言葉に葛藤する姿は微笑ましいものがある。
(恋愛って普通はこういうもんだよな)
目を細めて歪んだ視界に藤野の姿を思い描くと、今自分と彼女の間にある隔たりも実感してしまう。
それを察知されてしまったらしい。レオは「そういえば」と小声で圭介に話しかけてきた。
「あの、大きな声で話せる内容じゃないっすけど。圭介君と彼女さんって、その、いやこれ訊いていいのかな」
「別に遠慮なんてしないでいくらでも質問しなって。話せる範囲でなら普通に話すよ。からかわれるのが嫌で黙ってただけだし、いるってバレてんなら隠す必要ないからね」
現在その話題を出しづらい状態にあるエリカとユーは、別のフロアでミアとともに疑似戦闘用のゴーレムと戦っている。しばらくは戻ってこないだろう。
『客人の世界では親しい仲だったのですか?』
「そりゃまあ彼氏と彼女つったら普通はそうなんだろうけど、ぶっちゃけ僕らはそこまでだよ。ちょっと一緒に出掛けたり、精々手ぇ繋ぐまでしかいってない」
「マジすか!? え、エロいこととか全くしてない感じすか」
「バカたれ。してないし、アレ相手にあんまそういう気にならんわ」
思春期らしくも配慮に欠ける問いかけに苦笑しながら、圭介は馴れ初めを語り始めた。
財津藤野。
彼女との出会いは小学三年生のクラス替えの時期だが、当時から普通とは大きく異なる――外れた、と形容してもいい――異様な雰囲気を持っている少女だった。
優れた容姿と人当たりの良さから同じクラスになった当時は「かわいい女の子だな」などと、その他大勢と同じ印象を持ったものだ。
聞けば両親が医療関係で大きく成功した人物だったらしく、裕福な家庭で育てられた藤野は相応の教養と気品を滲ませていたように思う。
「ただあの頃からもう怪しい感じはしてたんだよね。あ、コイツは精神攻撃するの慣れてるっぽいなみたいな」
「なんで精神攻撃がどうこうを察せたんすか」
「加害者側の心理に関しては他の子より詳しかったからね。ほら、身体攻撃なら母親から定期的に受けてたから」
「拾ったエロ本を同級生に売りつけてさえいなければ……」
一歩引いた立場から見てみると、彼女は周囲の人間を実に効率よく且つ例外なく味方につけていた。
より正しく表現すると、味方につけ過ぎていた。
人心掌握の技巧をどこで身に着けたのか。最初は憧れ程度の目で見ていた同級生達は次第にその感情を信仰の域へと昇華させ、どこまで彼女のために動くか、彼女にどこまで尽くせるかを競うようになっていく。
教師も教師で成績と授業での態度をよく褒めていたが、それだけで片づけられない程度の盲目的な評価を下していた。
『具体的にはどのような?』
「最初におかしいと感じた時はまだ大人しい方で、誰が藤野の代わりに給食を運ぶかをジャンケンで決める動きとかがあったかな。それも気の弱いタイプが悔しそうに後ろに下がるくらい、リーダー格の奴らが激しく争ってた」
「へー、キメぇ」
あまりにも率直なレオの感情に圭介も心底同調するところだったが、当時のクラスメイト達は彼女に貢献する行為を名誉だと信じていたに違いない。
そして藤野本人はそんな彼らの挙動をじっくりと観察していた。
まるで実験の結果を記録するかのような目で。
「給食以外だとそうだな……。アイツ勉強も運動も得意だったからそこで誰かがサポートしたりする機会はなかったんだけど、掃除の時間は誰も藤野に箒や雑巾を持たせようとしなかった」
「あー、日本の学校って生徒が掃除するんでしたっけ」
彼女ほど素晴らしい人物に掃除などさせるのは失礼、程度の意識で皆が雑務から藤野を遠ざけていた。奇妙なのは教師すらそれを咎めず放置していた点である。
親の権力が関係していたのかどうか今となっては定かでないが、単純に相手が藤野だったからだとしても圭介は驚かない。
ただ、そこから時間が経つにつれて貢献の内容は過激化していく。
物品の献上が始まったのだ。
「例えば女子だったらアクセサリーとか、男子ならゲームソフトとか。小遣いもらってる奴は現金もあげてたな」
「うーわマジでキモい。どういう関係っすか、相手普通の同級生っすよね?」
『通常の学校施設ではそういった物品の持ち込みが許可されていないはずでは』
「いやー関係なかったんでない? それと藤野の方もテキトーにありがとうありがとう言ってたけど、多分ほとんど使わずに終わったんじゃないかな」
後に判明する性格を思えば、受け取った当日の内に破棄していても不思議ではない。
「とにかくみんな躍起になって色々渡して、誰が一番大切なものを渡せたかでマウント取り合ってさ。隣りのクラスからも来るもんだからまあ騒ぎになったよ」
何なら当時何も渡していなかった圭介の方が浮いていた。
明確に迫害やいじめの対象にされたりはしなかったものの、あの頃の教室は高校生になった今から思い返しても居心地の良い空間ではない。
非現実的な異常事態は加速していき、ついに夏の終わりに入ったところで一線を越える。
「女子の一人がさ。飼ってたハムスターを藤野にあげたんだよ」
「いよいよ来るとこまで来た感じっすね」
「んでアイツはそれをさも当然のように受け取って、とんでもねえこと口走った」
――ハムスターは小さくて保管しやすいから助かるなあ。
――最近こういうの集めるの趣味でさ。面白いよね、生き物って。
――でも飼う気ないから後で殺すね。動物は好きだけどめんどいし。
――あ、この子の名前だけ教えて。後で箱に書いておかなきゃ。
そう言われて飼い主だった女子は「ありがとう財津さん」と歓喜の涙を流していたのだ。
「………………」
『………………』
レオはよほど受け入れ難いのか絶句しており、アズマは単純に流れが理解できなかったらしくただ沈黙する。
「まあその反応になるのもわかるよ。イカレ女ここに極まれりだし、周りの奴らもどうかしてたと僕だって思うし、当時も何度か吐きそうになった」
それ以降、彼女の「動物は好きだけど飼う気はないから殺して保管する」という言葉だけが信者と化したクラスメイト達に浸透した。
ブームが到来してしばらくの数回は小鳥やら亀やらハムスターの類を藤野に渡すのが流行り始める。
ペットを飼っていない生徒はカラスやスズメを手に入れようと、石を投げたりしては近所の老人に怒鳴られたりしていたそうだ。
事件が起きたのは一週間もしない頃だったか。
「バカが一人やりやがった。飼い犬の足を一本、持ってきたんだ」
そしてそれをも藤野は笑顔で受け取り、箱にラベルを貼り付けるために名前を聞き出した。
徐々に精神が摩耗するにつれて感覚が麻痺してきていた圭介も、一気に「これ以上はまずい」と認識せざるを得ない状況に陥る。
しかし既に手遅れだった。
「他の奴らも犬だか猫だかの足やら尻尾やらどこから持ってきたのか知らんけど渡す連中が出始めて。ペット犠牲にするもんだから大きな問題にもなったよ」
『通常であればその時点で彼女の存在が問題視され、隔離されてもおかしくない気がするのですが』
「示し合わせたように誰も……それこそ教師でさえアイツの名前を出さなかったから、藤野が元凶だとバレることはなかった。単純に子供の間で猟奇的なブームが起きたって扱いで終わったけど、まあそりゃ僕も他の大人達も納得はできてなかったさ」
やがて藤野本人の口から「そろそろ飽きた」と言われ、その奇抜にして残虐な流行は終息した。
そこまでの話を聞いて目を丸くしたレオが、幾度か口を震わせてからようやくといった風情で言葉を吐き出す。
「……え、あの。ど、どどど、どうして圭介君はその、そんなヤバそうな人と、その、男女としてのお付き合いを?」
「ある程度他の連中はコントロールできるようになったから、唯一その対象外だった僕に向こうから声かけてきたんだよ」
ここまでの流れでわかる通り、藤野のカリスマ性は異常だった。
クラスの人気者などという陳腐な表現では当時の彼女の地位を厳密に説明できない。
神に等しい信仰心を集めていた都古にとって周囲に人がいるのは当然のことだったが、同時に一人になる時間を確保するのもまた望めば容易に実現できる事象なのだろう。
冬に入った時期のある放課後。
圭介は彼女に二人きりになるよう呼び出された。
場所は学外にある廃工場の中。立ち入り禁止の看板を無視してフェンスの一部が破れた箇所から敷地内に侵入し、建物の中に忍び込む。
崩れた建物の隙間から夕陽が入り込んでどこか神秘的な空間は、聞けば彼女が男子生徒数名に用意させた秘密基地らしい。
そこで見たのは作業員用に備え付けられたと思しき業務用ロッカー。
一つ一つは靴一足が収納できる程度の大きさしかないそれらに、一つ一つラベルが貼られていた。
タルト。
こうすけ。
キューちゃん。
ひまわり。
離れた位置からでも感じ取れる程度に漂う腐臭が、何も言わずとも中身を教えてくれる。
「あのクソ女、集めたペットの死骸まとめてそこに保管してたわ。あん時はマジで最悪な気分だった」
その時の圭介と同じように、レオは口元を押さえながら呻いていた。
「んで、そこで告白されて付き合い始めたわけだ」
「うぇっ? 順序飛んだ?」
「いや本当にその場で急に来た。僕だってビビったわ」
『しかし交際は始めたと。どちらかというとマスターが告白を受け入れた方が不自然に思えますが』
至極当然の疑問だろう。結果的に告白を了承した圭介も他人からこんな話を聞かされればそう思う。
あの日あの時あの場所で、藤野は圭介に向けてこう言い放った。
――漫画みたいな恋をしてみたいんだけど。東郷君、付き合ってくれない?
嫌だ、と応えたのを今でもはっきり記憶している。
いかなる理屈で恋愛なる要素を持ち出したのかは理解できなかったものの、恐らく彼女が圭介を近い位置に置こうとする理由は唯一媚びていなかったからだろうと予想はできた。
警戒心を働かせて避けて通ってきたせいでとんでもない状況に陥ってしまい、多少の後悔もしたものだ。
とにかくどう考えても普通ではない彼女と交際関係になるなど考えたくもなかった。
嫌悪や忌避の感情ももちろんあったが、それ以上に神のごとく慕われている異常者が相手である。
今まで何も貢献してこなかった異端者が特別な関係になってしまった場合、周囲がどう反応するか想像もしたくないというのが要因として一番大きい。
――そっか。それなら仕方ないよね。
――別の何かで退屈しのぎしないといけなくなっちゃった。
「後ろでよ。藤野の退屈しのぎで死んだ動物の死体が腐ってんだよ。僕が断ったら今度は何が、あるいは誰が犠牲になるかわかったもんじゃねえんだよ」
もううんざりだった。
残酷な流行も、それで生じる殺伐とした雰囲気も、その中で絶対に害されることのない藤野の微笑みを視界の端に捉えるのも。
でもここで自分が彼女と付き合えば、酷い目に遭う動物も嬉々として動物を生贄に捧げる友人も見なくて済む。
限りなく自己犠牲に近い精神で、圭介は泣く泣く裕福な家庭で育った聡明な美少女という恋人を得てしまったのだ。
「それもう恋人じゃねーじゃん! こっわ、何その変な関係!」
レオが耐え切れず叫ぶ。心からの叫びに離れた場所から複数の視線が集まるも、叫ぶ気持ちに共感してしまって咎める気になれない。
「でもそれからは何も起きなかったんだ。アイツがクラスメイトから何か受け取ることもなくなって、一旦は平和になった」
『マスターが恋人になってそこまで変わるものでしょうか』
「実際変わったよ。クラスの雰囲気もどんどん普通に戻っていったし、藤野自身もあんま特別扱いされなくなっていった」
恐らくそうなるよう周囲をコントロールしたのだろうが、ひとまず最悪な状況から脱却はできた。
「周りに付き合ってること隠してもらってたから直接嫌がらせされたりもしなかったし、間違ったこたぁしてないと今でも思う。まあ、一部の女子とかは微妙に察してたっぽいけど」
「……圭介君はその、彼女のこと好きなんすか?」
レオの何気ない問いかけに、圭介は即答できなかった。
それでも自身の心境の変化が全くなかったわけでもない。
「あー、まあ、そうね。すっかり落ち着いたからかな? 昔ほど嫌いってわけでもなくなったのは確かだよ。それにどうにもアイツ、僕に対する好意は本物らしいし」
「そりゃ告白してきたのあっちっすもんね。でも圭介君の方から向こうを恋人として好きってはっきり言えるわけでもないんすか」
「正直に言う。恋愛とかそういう気持ちに一切なれねえんだ。別れた時が怖いから付き合ってたってのがデカい」
不誠実なのはわかっている。それでも彼女の暴挙を見てきた圭介としては、元に戻る可能性を徹底して潰す方向に思考を傾けるしかなかった。
またあんな地獄を自分の友達がいる場所で再現されるのは嫌だったから。
そしてそれを阻止するためというのが、元の世界に戻る上でのモチベーションになっていた面もある。
「でも散々そうやって気ぃ遣ってきたのに、アイツは結局どこまでも最悪な女でしかなかったんだなぁ。犯罪者だからって人を殺しちまうような集団に入って、しかも幹部になっててさ」
藤野が異世界に来ていると知った時は驚くだけで済んだが、[デクレアラーズ]に属していると告げられてからは絶望しかしなかった。
どう足掻いても言い訳の余地がない。元の世界でさえ及ばなかった蛮行に手をつけた今、圭介が彼女を許容する道は完全に閉ざされたこととなる。
「だから僕はアイツをぶっ飛ばしてでも止めるよ。まだ別れちゃいない以上、彼氏として放っておけない」
「……彼氏として、か。今の話聞いちゃうと違和感あるなあ」
「ぶっ飛ばしたら別れるけどね。そこは藤野の方にもケジメつけさせなきゃいけないから」
半ば脅迫めいた形だったとはいえ彼女と一緒に過ごすと決めた身だ。
許されない行為に手を染めたなら、離別の前にそれを正すくらいはしておきたいというのが圭介の気持ちだった。
「ま、言うて圭介君が先にしなきゃいけないのはパーティメンバーとの話し合いっすけどね」
『現状を放置したまま実戦に入るのは危険かと判断します。連携に支障が生じる前に問題を解決するべきです』
「言われんでもわかってるよ。……もしかすっとエリカかユーが僕に惚れてて、それで気まずくなってたりとかワンチャンねーかな」
「アッハッハッハッハッハ!」
あったら嬉しいけど怖いな、という想いを込めて口にした冗談をレオは爆笑で受け止める。
「いやそりゃないでしょ! 片方は明らか色恋沙汰に無縁そうな頭ん中が男子小学生の女の子だし、もう片方は生粋の武人だし」
「ないかあ。異世界転移していよいよモテ期来たんじゃねくらいに思ってたかったけど」
「もしそうだったら修羅場っすよ今。いや考えたくね~、俺そんなんだったら気まずくて今日このまま帰るわ」
『我々で答えを出せるとも思えません。後で女性の意見も聞くのが無難かと』
「っすね。俺後でミアさんにちょっとこの話してみるっす」
雑談を交わしている内に汗も引いてきた。
次はどんな訓練をしようかと話し合っていく中で、少年二人は徐々に眼前にある藤野関連の話題を“いつか解決する問題”として処理していく。
殴ってでも蛮行を止めて藤野を改心させる。
それが到底不可能な真似であると圭介が知るのは、まだ先の話であった。




