第二十五話 客人の力
圭介が【解放】を成した、その瞬間。
ヴィンスが。
エリカが。
ミアが。
ユーが。
ウォルトが。
焼却炉からやや離れた位置にいる何人かの生徒や教師、街中の人々に至るまでが。
それまで自分を包み込んでいた『何か』が損なわれる感覚を得た。
全く原因不明の喪失感を得て、圭介の【解放】を目の当たりにした面々は今自分を取り巻く状況を一切無視してまず圭介を警戒した。それほどまでにその衝撃は生物としての根源を揺るがすものだったのだ。
対して圭介はというと、まだ自分のグリモアーツが【解放】された事への自覚が追い付いていない様子である。
輝きの中で脳裏に浮かび上がった、ドアノブを握る手のシンボル。それを構成する解読できないはずの文字を見た時、自然と固有名詞であろう言葉が導き出された。
「これが、僕の……」
“アクチュアリティトレイター”。
それが圭介が有するグリモアーツの名であった。
その外観は輪郭だけ見ると青銅色の大剣に近く、握るべき柄は圭介の両手にある。
だが近づけば刀身に当たる部分が刃ではなく巨大な板であると理解できた。
金属質のそれは鈍器としては大変優秀なのだろうが、
「おもったっ」
重量が半端ではない。
耐え切れず地面に叩きつけたその先端が土に埋まる。最早刺さっていると形容できる程であった。
「んだこれサーフボードじゃん! 金属製のサーフボードとか需要ないよだって沈むもんよ!」
異世界でようやく手にした自分だけの武器に対して、まず圭介が行ったのはいちゃもんだった。
「け、ケースケ? その、何だ、えぇと」
「ああエリカ、見てこれ酷くない? 僕のグリモアーツの癖に僕の力じゃ持ち上げられないとかやっばいわチェンジしたいんだけど」
柄の部分だけ握りながら圭介は文句を重ねる。早口なのは状況的に余裕がないと理解しているからかいないからか。
そしてビーレフェルトで様々なグリモアーツに触れる機会に恵まれているエリカの立場から見ても、圭介の“アクチュアリティトレイター”は突出して扱いにくそうに思えた。
シンプルな話、圭介自身が振り回すどころか持ち上げることすら困難な重量というのが問題だ。
ヴィンスが恐らくそうであるように腕っぷしに頼るタイプであれば相応の大きさに、力不足であれば相応の小ささになるのがグリモアーツの常識と言える。
特に圭介はエリカらビーレフェルトの住人よりも遥かに平和な世界から来た、戦いどころかスポーツにすら通じているか怪しい少年だ。
そもそも武器としての形態をとるかどうかもわからなかったというのに、現実として出現したのはそこいらの現役騎士ですら溜息を吐いて肩をすくめそうな鉄塊である。
この非常時にそんなものが飛び出してくれると思っていなかった圭介は心底微妙そうな表情になった。
「ぐ、う」
圭介らが戸惑っている間にもヴィンスが股間の激痛に耐えながら自分を騙し騙し立ち上がる。右手には“グリーフクレセント”をしっかりと握り、しかと標的の方を見据えた。
彼からしてみれば形がどうあれ殺害対象の客人が【解放】した事に間違いはない。
のみならず【解放】していない段階での立ち回り(主に金的)と先ほどの原因不明の喪失感もまた、処分を急ぐ理由となっていた。
「まれ、びとぉ……!」
両脚の遅筋に回していた身体強化術式を速筋に移し、敏捷性を上昇させる。
両腕も同様に術式を施す。その際大きく“グリーフクレセント”を振りかぶった。
純粋に戦いで勝ち残ろうとするのであれば単純な筋力増強一つで強くはなれない。敵を確実に仕留める動作、これを長期間に亘り幾度となく全力で繰り返せばその分だけ電気信号が流れ続け神経系も鍛えられる。
鍛え上げられた神経は脳から送られる命令をより早く身体に伝達させられる。そうするとただ身体強化術式を用いるだけでは到達し得ない、真の速さを発揮できるのである。
加えて脳が送る命令に忠実であるということは動作に生じる無駄も最低限にまで省かれることにも繋がる為、戦闘においては更なる加速も見込める。
若かりし頃、喧嘩と討伐クエストに明け暮れた日々の賜物であった。
「シッ!」
そうして圭介に向けて放たれた横薙ぎの一撃は、
「かかったな馬鹿め!」
「!?」
何故か当たり前のように圭介によって持ち上げられた“アクチュアリティトレイター”で受け止め――
「あ思ったより強ぉおおお!?」
られず、一応は防いだ圭介を押しのけた。
しかし重みが上手く作用したのだろうか。彼の体は吹っ飛ばされるような事態には陥らず、再び両足を地面につけて踏ん張る。
その際にさして筋肉質にも見えない少年は、自身のグリモアーツをあろう事か片手で持っていた。
「づぁあ、強いなヴィンス先生。これは正攻法じゃ勝てないや」
受け止めた攻撃の威力が想定外に高かったらしく、右腕を左手で擦る余裕すら見せつける。それがヴィンスには異様に見えた。
しかし少し考えれば、目の前の光景は当然の事なのだ。
「……【テレキネシス】、か?」
「そうですよ。持てないなら浮かせればいい、それが出来るのが僕の魔術だってこれまで学んできたんですから。居酒屋のアルバイトの経験が活きました」
どんな怪力の持ち主であろうと両腕で振るう事を余儀なくされる巨大な武器を、まるで匙か何かのように持ち上げて振り回すという理不尽な力。
それを目の前の少年は獲得したのだ。
「…………危険だ。君の存在は、余りにも危険だ!」
それは考えようによっては、いかなる重量の兵器とて持ち上げられるのと同義である。防衛戦では戦車だろうが放り投げ、攻城戦では城壁を剥がすように破壊出来てしまう。
「その力、いよいよ看過できん! 今ここで死ね!」
「重いもん持つくらいアンタだってやってるでしょうが!」
両者、怒鳴るが早いかほぼ同時に衝突する。
双方のグリモアーツが鍔迫り合いを始めた事に、その様子を見ていた全ての者が、誰よりもヴィンスが瞠目した。
本来であれば鍔迫り合いになどなるはずがないのだから。
いかに重量で勝る“アクチュアリティトレイター”でぶつかり合おうとしても、まずヴィンスの方が圭介より速く動ける。つまりぶつかろうとした瞬間に圭介は斬り捨てられてしまいかねない。
そして仮に真っ向からぶつかれたとしても所詮圭介は自分の武器を【テレキネシス】で浮かせているに過ぎない。純粋な力と力の衝突ともなれば、膂力で上回るヴィンス相手に敵うはずもなく今度こそ吹き飛ばされるはずだった。
しかし現実には、どちらも退かず前のめりになりながら譲らない。
「何が……何が起こっている!?」
「言ったでしょ、正攻法をやめたんですよ!」
あろう事か圭介はその体勢から一歩踏み出し、ヴィンスを圧倒してさえ見せる。
押し返されつつある現実を受け入れられないまま、その競り合いを続けてしまったのは失策だったと言えよう。
「ふんっ! ふんっ!! ふぅんん!!」
一歩。一歩。また一歩。
気付けばヴィンスは、雑木林が織り成す木の幹の壁にまで押し付けられていた。
「何なんだ!? 貴様、何をした!?」
少々の悲鳴すら含み始めたその叫びに応じられるより先に、ここに至ってようやく彼は自分を取り巻く異常に気付いた。
「体が、思ったように動かせん……っ! 貴様の、仕業、か…………!」
「体が頑丈なのがご自慢なんでしたっけねえ!? そんだけ鍛えているんだったらさぞかし重たい体だろうとお察ししますよ、んで全身【テレキネシス】で動き阻まれた気分はどうですたまんないでしょう!!」
それが突如襲い掛かった不自由の正体。
体をより動かそうとする身体強化に対抗する、体の動きを阻害する念動力による束縛。
満足に動けない体は背後の木に縛り付けられたように動かず、“グリーフクレセント”を手に持つのがやっとという所まで身体強化を相殺してしまっていた。
そうなってしまえば純粋な力比べ、嘘のように軽く冗談のように重い武器とヴィンスにはない若さを持つ圭介が劣る要因は存在しない。
首から下を砂場に埋められたかのような感覚。悪質な風邪を引いたとしてもここまでの不調には繋がるまい。
長い生涯の中でも味わった覚えのない不愉快が今、鋼の肉体を侵していた。
「……僕はね、ラノベ作家目指してるんですよ」
「えっ」
そんな中で唐突に始まる自分語りにさしものヴィンスも動揺を隠せなくなった。
「だからこういう、バトルものっぽい能力を手に入れたらああしてやろうこうしてやろうって妄想してたんです。火を出せるなら、水を操るなら、とにかく色々です」
「何が言いたい!!」
「念動力があるんだったら――こうしてやるとか考えてたって事だ!!」
ボリボリ、という奇妙な音が聴こえる。
それはヴィンスの両隣り、雑木林を構成する木々から。
「……おい、待て貴様」
自身の最大の強みが失われた事実も衝撃的だが、更なる狂気がヴィンスを襲う。
両隣りだけではない、他の木々も圭介の【テレキネシス】によって引っこ抜かれているのだ。
「待て、まさか木を一本一本ぶつけるつもりか? 無駄だ、いくらぶつけたとしても」
「そんなんで先生を倒せないのは百も承知ですって! まぁ命を奪おうとした罰とでも思ってて下さいよぉ!」
木々は一本一本がぶつけられるわけではなく、ヴィンスを圭介ごと囲んで封じ込めるように束ねられていく。
頑丈さを謳い文句としてきたその肉体に凄絶と形容できる窮屈が降りかかった。
「ぐぅっ……!」
声が漏れるまでに締め上げられると、今度はヴィンスの足元からまたもやボリボリという音が鳴る。
とうとう彼が最初に背中を接触させた木が引っこ抜かれたのだ。つまり現在、彼らを囲む木々の束は浮遊し始めたという事を意味する。
「んじゃ先生、十秒後にまた会いましょう」
そう言うと圭介は樹木の束の隙間を開けて、するりと脱出してしまう。
いい笑顔だった。
「きさ、ま、トーゴー・ケースケェェェェェッ!!」
手を伸ばそうとするもそれより早く木々が外の景色を閉ざし、再び木々が動いてヴィンスを押し潰す勢いで迫り来る。
常人なら圧死する可能性すら生じる所まで締め付けられると、今度は上から負荷がかかってヴィンスを苛んだ。
まるで人体に降り注ぐ重力を考慮しないエレベーターが中身に構わず急上昇するかのように。
否、もうヴィンスは察していた。
彼を取り囲む木の束は、彼を捕らえたまま空中に打ち上げられたのだと。
「……………………」
上昇を始めて八秒ほど経過した頃合い。
頭と肩にかかる負荷が、一瞬だけ緩んだ。
この状況が意味するのは。
「ひっっさああああぁぁぁぁつ!!“デンジャラスフリーフォール”!!」
稚拙なネーミングの必殺技宣言が終わりを告げる。
ぎゅうぎゅうとヴィンスの体に八方から密着する木の束は、重力ではなく【テレキネシス】による加速を伴った落下を始めた。
このまま周囲の木と共に地面に叩きつけられるのは明白である。実際に遊園地に配備されているフリーフォールのように安全な位置で停止するなどと、殺されかけている圭介が生易しい真似に及ぶはずもない。
着弾時の衝撃は木々を伝わってヴィンスの全身を駆け巡るのだろう。
そしてその衝撃は、これほどまでに密着した状態では外に逃げてもくれない。
筋肉が頑丈だとしても、それ以外は――内臓や骨は無事では済まない。
「……私、は。大陸を……奪われた、彼らの未来を…………」
余りにも冷酷に。
余りにも無慈悲に。
余りにも近所迷惑に。
鋼の如き硬さの体をそれより脆い木々で束ねた即席フリーフォールを、圭介は盛大に地面に叩きつけた。
束ねられた木々は地面に突き立てられながら衝撃に耐えきれず、ずんずんと砕けながら倒れていく。
最終的には中のヴィンスも姿を現したが、
「うわあああぁぁぁごめんなさい先生やり過ぎたあああああぁぁぁぁぁぁ!!」
全身のあちらこちらがひしゃげ、目と鼻と口と耳から泡立つ血を吹き出して気絶していた。
「先生ェ――ッ!! おまケースケ馬鹿お前、先生死んじゃうううう!!」
「やばいやばいやばいやばい、えこういう時って何呼ぶんだっけ? 屋台?」
「救急車に決まってんだろ! 屋台呼んでどうすんだ先生を鍋の具にでもすんのか!」
規格外のやらかしを目の当たりにして、珍しくエリカが真っ当なツッコミを入れた。




