第二十二話 本当にそこに在るもの
『第三魔術位階相当防衛術式、展開』
「うおおおおおおおおお!?」
咄嗟の判断で交差する軍輝の腕に、結界を展開しながら垂直落下してきたアズマが衝突する。
言葉通り第三魔術位階に相当する結界が重力を引き連れて上空から突貫してきたのだ。回避不可能と断じた彼の判断は極めて正しかったが、精々が第四魔術位階程度の術式で強化された程度の腕では完全に防ぎきれない。
強い衝撃を受けた腕の筋繊維が破裂して節々から血飛沫が舞い、足は膝を曲げまいとしながら地面を陥没させる。
アズマによる不意打ちについて圭介はコリンに手振りによるサインで伝えただけだった。
いかに優れた感覚を持っていたとしても、離れた位置でどのように四肢が動いているかまで認識できるほどの精度ではなかったのだろう。だからこそ意表を突くことができたのだ。
それさえコリンに伝われば後は時間稼ぎをするのみ。事実クロネッカーは血液を操る軍輝にとって脅威だっただろうし、意識を圭介一人に向けさせるには充分な働きを見せてくれたと言えよう。
とはいえ、アズマの突進とて落下により発生したものでしかなかった。
位置エネルギーを運動エネルギーに変えただけのそれは、一度受け止められればそれだけで止まってしまう。振り払われてしまえば終わりだ。一瞬だけ与えたダメージなど同じく一瞬で治癒してしまうだろう。
これだけでは決定打にならない。
ならばどうするべきか。
「おらァ!」
「ぐぇぇっ!」
申し訳ないと思いつつ“アクチュアリティトレイター”を持ち上げてアズマの上から叩きつける。結界に阻まれてアズマ自身が壊れる心配はないものの、それらをまとめて受ける軍輝からしてみれば一気に負荷が増した形だ。
この形になってしまえば後は力まずとも【テレキネシス】を解除するだけで地面にめり込むほどの重量が軍輝を襲う。
まだ魔力に余裕があるのか軍輝の表情に焦燥感はないが、余裕もない。
「ふ、っざけん、なあ!」
両腕を塞がれ他の部位から血液を噴出させるだけの余裕もない彼は、どうにか腕を動かしてアズマと圭介の“アクチュアリティトレイター”を真横に受け流した。
逸らすと同時に体を反対方向に跳躍させ、機械仕掛けの猛禽と金属板による攻撃範囲から完全に離脱した軍輝が砕けた地面を見つめる。
「ハァ、ハァ……。っぶね、その鳥いつからいねーのかと思ったら真上にいやがったか」
「悟られないと踏んでたんだけどなぁ」
風が吹き荒れ温度も比較的低い空という場所は、五感の働きに依存する軍輝の索敵手段が働きづらい。アズマのように体積の小さな金属塊が頭頂部から垂直の角度で浮いている場合は特に厄介だ。
無言で圭介から離脱し軍輝の上で隙を探り始めたアズマを【サイコキネシス】で認識した時、圭介はその挙動に含まれた意図を読み取った。
結果として優れた五感であらゆる不意打ちに対応できる相手に一撃を見舞ったわけだが、それでもどうにかこうにか防がれてしまい感心するばかりである。
「いや実際すげーよ、隠し玉としちゃ上等だ。つかやっぱあの女の魔術じゃ駄目だって薄々わかってたわけだな」
「あん?」
最後の好機を逃したと見たのか、軍輝は半ば勝ち誇った態度で圭介と視線を合わせて言った。
「見せかけだけ騙す魔術じゃ俺の索敵に引っかかって通用しねえ。ぶっ壊れた車の破片に紛れ込ませるっつーやり口は確かに情報が入り混じってややこしいが、結局は俺の意識をクロネッカーに集中させるための餌だったわけだろ?」
「…………」
圭介は答えない。ただ周囲に金属部品の渦を巻き起こすばかり。
「さっきの作戦会議聞いてた限りだと、あたかもクロネッカーこそが本命みたいにあの女に聞かせてたみたいじゃねえか。けど実際の動きはこれだ。結局お前は自分を裏切ったあいつを信じきれてないのさ」
断言する声を聞き届けて、それら渦の動きが止まる。
ガラガラと車の破片が地面に落下した。
「もう見限っちまえ、あんな奴。向こうもお前を友達感覚で見てないってわかっただろ」
「………………」
圭介はそれに応じず、コリンがまだいるであろうアッサルホルトの駐車場に一旦視線を向ける。
離れた位置でコリンが壁に背中を預けながら自分達を見ているのがわかった。
「それでどうする? 俺らの仲間になるか、ここで殺されるか」
「両極端な話だな。考える期間とかくれないのかよ」
「充分くれてやった後だろうが。我らが道化からカード受け取って結構経ってるはずだぜ。俺がやってんのは首を縦に振らせるためのダメ押しだ」
はあ、と圭介の口から溜息が一つ。強引な勧誘を受け続けてもはや呆れを隠せない。
仲間になるかどうかを答えず、圭介は再度軍輝と目を合わせた。
「お前さ、盗聴したり温度で大まかな位置を把握したりするみたいだけどさ」
「あん?」
「細かい動きは目で見ないとわかんないんだろ?」
そう言って圭介がズボンのポケットに手を入れる。
彼が何をするつもりなのか軍輝にはわからなかった。“アクチュアリティトレイター”は地面にめり込み、クロネッカーも鞘から抜いた状態で使用済みだ。
グリモアーツとクロネッカーを最も警戒すべき脅威と見なしていたがゆえの見落とし。
強いて言うなら、それこそが致命的な誤りであった。
「……えっ、何だそりゃ」
圭介が取り出したのは黒く小さな直方体。
大きさは折り畳んだハンカチよりも小さかろう。中心に小型のレバースイッチが搭載されており、そこに圭介の親指があてがわれている。
少なくとも軍輝はこれを見たことがないはずだ。
何せ圭介もこれを目にしたのは、城壁防衛戦以来なのだから。
カチリ、と圭介がスイッチを切り替えて目の前の地面に放り投げた。
直後にすぐさま目をつぶり、耳に手を当てる。
その動作を見て軍輝が咄嗟に同じ行動に出られなかったのは、体に一瞬だけ【テレキネシス】による束縛が生じたためだ。
もちろん即座に振り払われるも、狙い通り彼の動きは今や間に合わない。
詳細不明な物体が地面にぶつかるのを相手が見届けた瞬間。
「――っっっっっっ!?」
無遠慮なまでに大きく轟く爆音と閃光が周囲に撒き散らされた。
塞がれていない耳は常人より遥かに激しい音を受け取り、閉じられていない目は常人より遥かに多くの光を受け入れる。
強化された五感は強化されていたせいでその機能を一時的に失ってしまった。仮に回復させるにしても今すぐとはいかないだろう。
圭介が目を開き耳から手を離してから軍輝の様子を見る。
首に集合させていた血液は魔力による制御を失ったのか地面にまとめて落とされ、ただの血溜まりと成り果てた。まだどうにか二本の足で直立しているものの見るからに戦える状態ではない。
「……お前、僕がコリンを見限ったみたいなこと言ってたけどよ」
どうせ聞こえていないのだろうとわかっていても、口に出さなければ気分が晴れなかった。
「逆だバカタレ。コリンに僕を信じてもらわなきゃこの作戦は回らなかった」
そう言いながらスマートフォンを取り出す。声と同じくどうせ相手が認識できていないだろう画面には圭介からコリンに向けて送られたメールが表示されていた。
『爆弾借りる。これ使うまでクロネッカーにかけた【インビジブル】は解かないで』
メールを打ち込む際の指の動きに、車の破片を集める際にコリンの懐から小型魔力爆弾を抜き取る動き。
温度探知では細かくわかりづらいそれらの動作は目視さえしていれば確認できただろう。しかし軍輝は完全に油断して圭介達に背中を向けてしまっていた。
結果、【パイロキネシス】で膨れ上がった爆発の音と光に耳と目を潰されたのだ。
「くっそ……!」
血のストックを失った軍輝がどうにか逃げようと試みるも彼に逃げる余力などない。熱と臭いでどうにか逃げ道の方向を把握しているようだが、それも細かな破片を知覚するには至らないようだった。
「ぐあっ!」
落ちている車の部品につまずき転ぶ。自身が地面に落とした血で体全体を赤く濡らしながら、軍輝の歩みは道路の方へと向かっている。
彼は知らない。
垂直落下してきたアズマと“アクチュアリティトレイター”による不意打ちを防ぐことに集中している間、圭介がクロネッカーで空中に巨大な魔術円を描いていたことを。
大気中のマナを先端に滞留させ、あらゆる術式を再現するというクロネッカーの真の用途。
頑強な鎧を身に纏った相手でさえ吹き飛ばす膨大な魔力の塊が形成された時、ようやくその熱源に向けて見えなくなった目を見開き向ける。
「あっ……あぁぁ…………!?」
見えなくとも聞こえなくともわかるのは、それがどれほどの威力を持っているか。
避けるにしても手遅れだ。防ぎきるための魔力など残っていない。
待ち受けるは敗北のみ。
「じゃあな!」
圭介が軍輝の頭上で輝く魔力弾を真下に叩き落とす。
「ああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」
炸裂する鶸色の魔力とともに、赤く染まった青年が悲鳴を上げて宙を舞った。
* * * * * *
意識を失った軍輝を担いでアッサルホルトに戻ると、既に決着をつけたのか他のパーティメンバーや医療関係者も集まっていた。どうやら全員勝ってきたらしい。
「うーっす。そいつ血まみれだけど生きてんの?」
「他人から抜き取った血らしいから問題ないよ。意識失う程度にはぶっ飛ばしといたけど」
気安いエリカの言葉を受け流しつつ軍輝を担架に預ける。病院のスタッフが彼を運ぶのを見届けていると、疲れた様子のベンジャミンが話しかけてきた。
「今回は僕らのために苦労をかけて申し訳なかった。報酬はちゃんと振り込んでおく」
「あー、まあまあ。先生には一度ダグラスの件でお世話になってますし、僕ら二人に関してはこれでお互い様って感じでよろしくです」
「謙虚だねえ。こっちとしてはあんなので相殺できるレベルの恩じゃないと思ってるんだけど。……でも実際、どうなるかと思ったよ」
彼は運ばれていく軍輝を見ながら小さく息を吐く。
「ぶっちゃけて言うとね、今回の騒動で死んだ囚人はここじゃ珍しい問題児ばかりだった。ウチの病院って僕と茶飲み仲間の奴とかもいるくらいには模範囚多いからさ」
「それは……まあ、そういうもんですか」
「だから君達みたいな若い人は、ああいう悪人に容赦ないタイプの奴らについていっちゃうんじゃないかと内心気が気でなかったんだ。でもいらない心配だったね」
圭介としてはその言葉に苦笑するしかできない。勧誘されたのは事実だ。
もしかすると自分のように突っぱねられず[デクレアラーズ]に加入してしまうケースなどもあるのだろうか、などと考えてしまう。
「僕も色々見てきましたから。世の中そう簡単じゃないってくらいは何となく理解してるつもりですよ」
「なぁにそれっぽいセリフ吐いてんだ気色悪い」
「んだこら、っぐほぉ!」
エリカに脇腹を肘で突かれて応戦すると、今度は反対側の肩をガイの大きな手に叩かれた。水色の鱗を有する腕から結構な力が加わり思わずつんのめる。
「何はともあれ、今回は間違いなくお前さんらに助けられた! 誇っていいぜ、こんだけ活躍してくれた以上王国側もしっかり評価してくれるだろうからな!」
「……つってもなあ。僕、騎士団学校に在籍してるだけで騎士団志望じゃねーし」
悪意なきガイの言葉にコリンの肩がびくりと上下するのを見て、意識的に温和な声で応じた。
誰にも言わないからそう不安そうにしないでくれ、と言外に滲ませながら。
「それよりも、みんなは怪我とかしてない? ここ病院だしせっかくなら世話になっといた方がいいんじゃないの」
「ケースケ君がそれ言うかな。あちこち怪我だらけじゃん」
「まあそうだけどさ」
「私達は平気だし、無理しない方がいいよ。はいコレ」
「あ、ありがとう」
言ってユーが懐から取り出したハリオットを手渡してきた。気持ちは非常にありがたいが、鍛錬の中で今以上の怪我を平然と負わせてきた相手に気遣われるのはなかなか複雑な心境である。
「俺らは騎士団の人達がいてくれたから平気だったんすけど、圭介君はコリンさんと二人だけだったもんなあ。大変っすよね」
「最初の不意打ちも見抜かれてたしね。あんなのがぞろぞろいるとかきっついわ。[デクレアラーズ]の相手はしばらくしたくない」
レオにはそう言ったものの、恐らくまた近いうちに衝突するだろう。根拠はないがそんな気がしてならない。
どうしてもあの道化を名乗る少女に見逃してもらえる未来が見えないのだ。
次はどんな厄介な相手とぶつかるのか、考えたくないのに考えてしまう。
「ともかく疲れた。帰って寝よう、うんそうしよう」
「だねぇ。私もお腹空いたし」
「うん、そうだな。ユーちゃんが発狂してあたしの頭に齧りつく前にとっとと帰ろう」
「なんでか知らないけどエリカちゃん美味しそうな時あるから」
「こわぁ……」
何にせよこの場での決着はついた。今回暴れた彼らの処遇は大人達に任せて帰宅し、ベッドの中で深い眠りについてしまいたい。
自分で自分の肩を軽く揉んで、正面玄関がある方に向かう。
「さっきはありがとう。助かったよ」
「えっ? ど、どういたしまして……」
小声でコリンに感謝を示し、どぎまぎする彼女を微笑ましく思いながら。
焼き菓子か蜜のような、甘い香り。
「だーれだっ♪」
圭介の視界が黒く染まる。
柔らかな手の感触を引き連れて闇を齎したその声は、おぞましいくらいに懐かしかった。




