第二十一話 見えない力
アッサルホルト南西側出入り口前にあるスペースの面積は、車両の通行を前提として大きく作られている。
門の横幅に合わせて広く設けられた地面はその膨らみを外側まで及ぼしており、施設の敷地を出てからも一本道になるまでしばらくかかった。
空中に魔術で固定されている標識や看板を眺めながら歩く軍輝は、背後で相方や上司がいかなる活躍をしているのかはっきりと目視していない。
だが音と声が聴こえて振動を肌で感じる中、わざわざ見る必要も感じていなかった。そもそもリストに載っていた犯罪者の殺害という当初の目的はギルフィが既に果たしたのだ。このまま帰還しても構わないだろう。
全ての事象を計画に組み込むあの道化ならば、きっと現状を予想できている。
そう思いつつも念の為に圭介達の作戦会議を強化された聴覚で聞き取っていると、奇妙な音と声が届いた。
「……勝つのは厳しいたあ聞いてたが、ホントに“イエロースポイル”が負けたのか。やるじゃん異世界人」
第六騎士団による増援と挟撃、要となる部品の破損。
確かに彼らとて雑魚ではない。特にあちらの戦力には微力ながら客人もいる。回復魔術に特化した人材がいれば向こうも安定して戦線を維持できよう。
それはいい。アイリスも作戦を告げた時点で“イエロースポイル”の勝利はほぼあり得ないと言っていた。
あくまでも今回の目的は試運転。反省点を網羅し、改善すべきポイントを探るためのテストプレイに過ぎないのだから。
ただ、予想外の出来事が一つ。
「でもなあ。お前は勝つと思ってたんだぜ、俺」
相方の結末は想定していなかった。
ギルフィは極端な遠距離でもない限りおおよそ全ての射程で有利に戦いを進めることができる。
騎士団一つ程度が相手なら苦戦もしないだろう。弱点である水を浴びせられても、濡れていない身体の部位や地面から粘土を生み出して最低限の戦力は確保できたはずだ。
しかし実際には相手の声だけが残り、ギルフィの声は一発の銃声が聞こえてから吐息を漏らすのみ。間違いなく彼は敗北して騎士団に捕縛されている。
「こっちもあんなの相手に一度は足へし折られちまうし、あーあー焼きが回ったかねぇ」
「あんなのたァご挨拶だな!」
後方から飛んできた声と同時、破砕した車両の破片が雨のように降り注いだ。
それらの接近を聴覚と熱で感じ取っていた軍輝は“ヒーローマフラー”によって凝縮された血液の帯を傘のような形状に変化させ、自身に向かうそれらをいとも簡単に防ぎ切る。その様子に一抹の迷いも惑いも見受けられない。
勝負を捨てていないのはコリンとの作戦会議を進める様子からわかっていた。
「まだやるかよ♠3。まさかその散らばってるやつで俺に手傷負わせようってか?」
「ご想像におまかせします!」
「まあ、無理だろ」
再度地面から離脱して軍輝に向かう無数の破片が、尖った部分を彼の体に突き立てようと迫る。
彼はそれを避けようとすらしない。ただ皮膚の表面に当たってそのまま停止する残骸を無表情のまま受け入れるのみだ。
強化された肉体は【テレキネシス】によって撃ち放たれた弾丸を攻撃として見ていなかった。
多分これもつまらない目くらましだろう、という軍輝の予想は当たり前のように命中する。
防ごうとする動作すら見せない体に負荷がかかった。それは砂に埋められたような閉塞感と不快感を伴う、少し独特な感触。
アイリスからも聞いた、【テレキネシス】による拘束だ。
「そろそろ学べって」
「いだぁ!」
嘆息混じりに振るう腕から血液の鞭が伸び、圭介の体を打ちつけた。同時に軍輝の体に突き立てられた破片の数々も地面に落ちる。
全身に纏わせていたのだろう【サイコキネシス】を切り裂く感覚があった。赤く揺らめく一本の線は【テレキネシス】の束縛などまるで存在しないかのような振る舞いを見せる。
「あのちっこいのから俺の魔術について少し聞いたんだろ? ならそんな小細工いくら積んでも無駄だってわかるはずだぜ」
血の鞭を振るいながら軍輝が一歩後退して距離を取った。
操血魔術の真髄は体内から流体を出現させて変則的な攻撃をしかける点にない。
真に恐ろしいのは、他者の術式に干渉して魔術の構成そのものを瓦解させるというところにある。
そもそもグリモアーツを作成する際に必要となる事実からもわかるが、血液は魔力を操作する上で非常に重要な存在だ。魔術の適性を決定づける要素でもあり、マナの性質を変化させる時に簡易的な触媒となってくれる。
そして操血魔術とはそういった生理現象としての魔術の行使に深く関わる魔術系統として知られていた。
「体を縛りつける魔術を食い千切ればすぐ自由の身になれるし、攻撃を阻む魔術から魔力を吸収すれば防御を突破できる。まあ誰にでもできる芸当じゃねえけどな。俺もそれなりきちんと訓練したからよ」
理論を実証するかのように幾度も鮮血の猛撃を振るう。それらは全て念動力の防御を無視するかの如く圭介の体を刻んでいく。
「うぐえぇっ、ちょまっ、っだだだ……!」
「そのエスパーじみた魔術、相当珍しいもんなんだろう。だけどなぁ、俺の相手するにはちょっと実力が足りてねえわ」
規格外の重量を持つ“アクチュアリティトレイター”を浮遊させていた【テレキネシス】までもが力を途切れさせているためか、圭介の手に握られていた金属板がだんだんと地面を陥没させていった。
「えぇい鬱陶しい!」
「おっと?」
圭介の怒号に応じて周囲に落ちていた車両の破片が再度浮かび上がり、一斉に軍輝を取り囲む。
それを見て軍輝は少しだけ圭介を再評価すべきかと考えた。
(体内の血を使って攻撃してる最中なら、血も集中力も抜けてる分だけ防御面でさっきより脆いと見たか。だとしたら思ったより冷静だな。……だとしても、だ)
この程度の事態に対処できなければ[デクレアラーズ]の一員になどなれない。
首を覆う血のマフラーを勢いよく振り回し、無数の鏃を一回転で根こそぎ振り払う。
彼が装着している首輪型ののグリモアーツ“ヒーローマフラー”は、収納術式が組み込まれた注射器を内蔵している。中に保存されているのはこれまで殺してきた犯罪者から抜き取った血液だ。
通常なら自身の魔術の触媒として使いづらいはずのそれらは、注射針によって一度軍輝の体内に注入される。そこから循環してまた首に戻ってきた血液を別の角度から突き刺さった注射針が吸い取り、体外に押し出す。
この一連の流れを経て他人の血は“軍輝の血”のストックとなる。もちろん血液型の不一致などに留意する必要もあれど、膨大な量の血を用意できるというのは操血魔術を使う者としてこの上なく心強い。
つまり彼の攻撃は防御を突くための隙になり得ないのだ。
「……だとしても、だ!」
弾かれたそれらは軍輝を中心として旋回する。いくつもの部品が高速回転する様はまるで小規模な鋼鉄の台風であった。
「まーだこんなもんで俺に勝てるつもりかよ。つっても本命はこれじゃなくて」
「【滞留せよ】!」
「こっちだよなぁ!」
圭介が急ぎ口にした言葉を聞き取り、即座に軍輝の右手が虚空を掴む。
否、そこには確かに物体が存在している。
目には見えないものの、軍輝の手が握りしめるそれを圭介が悔しげに見つめていた。
「飛び交う破片の中にクロネッカーを紛れ込ませたわけだ。わざわざあの女に見えないようにしてもらった上で!」
肉体に掠り傷すらつけられない車の欠片など恐くない。だが血流を一箇所に留める魔道具、クロネッカーは操血魔術の使い手にとって何よりも怖い武器である。
もしも先ほど伸ばしていた鞭にこの刃が命中していれば、循環する血流が滞留していただろう。そうなれば最終的に見えてくるのは心臓麻痺と同じ状態、事によれば死に直結しかねないのだ。
「目に見えないよう細工して、破片の中からいきなり飛び出させて血流止めてやろうってよ! あいつとあそこで話してたようだが残念だったな、俺の強化された聴覚がばっちりテメェらの作戦聞いてたぜ!」
だからこそ見えない刃を何よりも警戒できる。
「何度か攻撃を受けて弱ったふりをした上で当てる」というところまで圭介の作戦を聞き出し掌握していた軍輝は、彼に攻撃を加えながらその実必死に全身の神経を集中させて飛来する短剣を感知すべく備えていた。
後ろに放り投げたクロネッカーが空中で動きを一旦止める。
「……っ、【滞留せよ】!」
「もうおせぇよ! 目に見えねえだけならただの不意打ちと大差ねえ、簡単に避けられるわ!」
動きこそ不規則な軌道を描いているようだが、大雑把な位置さえわかれば反射で対応できるという確信が軍輝にはあった。
事実何度も不可視の剣が彼に向かって飛来するのを難なく回避できている。対して圭介の方はというと、変幻自在に形状を変える血の武器にまともな抵抗を見せていない。
「【滞留せよ】っ」
カツコツと車の破片が軍輝に無痛の攻撃を加えていく中、いよいよ“アクチュアリティトレイター”を持つ手が柄から離れた。握るだけの力も残されていないのだろう。
それでも諦めずクロネッカーを動かし続け、合言葉を口にする圭介に向けて軍輝の中の苛立ちが募る。
「【滞留せよ】!」
「しつけえ」
まだ折れない少年の腹部に鋭い掌底が突き刺さった。
「がへぇっ」
「タフネスだけは人間離れしてるっつー前評判はマジだったんだな。そこそこ痛めつけてるはずなんだが」
「ふっ、ぅう……【滞留、せよ】……」
またも自身を狙うクロネッカーを上半身の動きだけで回避し、それ以外の破片による攻撃を無視しつつ軍輝が圭介の前髪を掴んで持ち上げる。
「ぐっ……」
「なあ。どうしてまだあの女の力を借りてんだお前」
苛立ちの根源とも言える純粋な疑問。
友を裏切り陰ながらその情報を流していたコリンと、裏切られた側である圭介の会話は彼にとって不可解極まる内容だった。
「まだ信じたいってのか。ダチだったんだろ、あいつとお前。でも実際にはお前を体よく利用しようとしてる連中の仲間だったんだぞ」
声色には怒りと同情、それからほんの少しの困惑が滲む。
「日本人がどういう感覚なのか知らねえが、俺の故郷でダチ裏切るっつったら普通は簡単に許せないクソみてぇな行為だった。どうしてそんな相手に自分の命預けるような真似ができる。あの女、別に納得できるような弁解もしてなかったじゃねえか」
言って髪を掴む方と逆の手が圭介の首に触れた。
これで軍輝は圭介をいつでも殺せるだろう。手に力を込めれば簡単に人間の首などへし折れるだけの力が彼にはあるのだから。
「なんでそんなまっすぐなんだよ。こういう時って濁った目ぇしてるもんだろ、フツーは」
見つめ返してくる圭介の目は充血し、首を少し絞められているため息も荒い。
それでもその奥にあるのは絶望ではなく、別の何か。
――軍輝にとって、それは狂気と紙一重の友愛に見えた。
「お前、そのままじゃ駄目だ。やっぱ俺らんトコ来いって。友達になろうぜ」
断れば殺す、と手に入る力が告げる。
「俺達は裏切らない。いつも我らが道化が真実を知っているから、誰かが誰かを裏切るなんてあり得ない。知ってるだろ? あの人は見ただけでそいつがどんな人間かわかっちまうんだ。だからあそこに悪いやつなんていねぇ」
東郷圭介という本来なら死んでいるはずだった客人をアイリスが懐柔しようとしている理由など、軍輝はこれまで考えもしなかった。
何となく組織全体に大きな影響があるのだと、またそれだけとんでもない相手なのだという漠然とした印象があるばかり。そこに実感どころか簡単な予想すらない。
「お前さぁ、多分ちょっとお人好し過ぎるんだよ。聞いた話じゃアレだろ、自分を殺しに来た犯罪者相手に殺す覚悟決めたのだってそれが一番相手にとって楽だったからなんだろ? 我らが道化から聞いた」
しかし実物と出会って何度かやり取りする中で大体の本質が見えた。
強大な力を持っている反面、中身が脆い。悪意に対する耐性が不充分なように感じられる。
このまま彼を俗世の下らない連中と付き合わせて腐らせるのは酷というものだ。加害者にはならないだろうものの、いつ被害者になってしまうかわかったものではない。
判断してしまえば後は早かった。気づけば苛立ちは焦りに変わり、このまま放置するわけにはいかないという感情が胸中を支配する。
軍輝は知らない。というより理解できない。
それがいかに傲慢な考えであるかなど。
「ああ、悪い悪い。痛かったな」
手を放すと圭介がゴホゴホと咳き込んで仰向けに倒れた。
「それじゃあ予定変更だ。お前には俺らのセーフティハウスに来てもらおう。安心しろって、そこでなら治療も飯も世話してやれるから」
「あ、あっ……」
「ん? 何?」
喘ぐ声が何を伝えようとしているのかを確かめようとして。
「アズマァァァァ!!」
優れた全身の感覚が、真上から自身めがけて落ちてくる何かを認識した。




