第二十話 コリン
圭介の目の前で白髪の少女が倒れていた。
無策で軍輝に殴りかかったコリンが拳を難なく受け止められ、血の刃で鱗の隙間を切り刻まれた結果だ。
「我らが道化からの受け売りだけどさ。アガルタ王国の諜報部には騎士団学校に潜入して情報を集める部署があるんだとよ」
冷徹な声が耳朶に響く。圭介は混乱した頭でその内容を咀嚼する。
理解力が戸惑いに邪魔されず機能している点に少しだけ驚きながら。
「他の国から来た工作員を見つけて王城に報告入れたり、生徒の振る舞いを通してその親の貴族が悪さしてないか痕跡を探ったり……まあ役割は色々だな」
軍輝が説明しながらコリンを、へし折られたはずがいつの間にか元通りの姿を取り戻した足で勢いよく蹴る。
左右非対称の歪な姿が圭介に向かって飛来し、それを【サイコキネシス】で受け止めた。
思ったよりも負荷が大きい。どうやらレプティリアンは外見以上の体重を有しているようだ。
そっと彼女を地面に寝かせる圭介に向かって、まるで散歩でもしているかのような余裕すら纏って軍輝が接近してくる。
敵であるはずの彼の動きに対して頭が警報を鳴らしてくれない。何かよくわからない別の情報で埋め尽くされてしまっていた。
「んで、ソイツがそれなワケ。最近じゃ第一王女に言われて念動力魔術を使うお前を監視しながら、国にとって都合よく動かせねえかあれこれ考えてたみたいだぜ」
赤く染まる緑の地面を眺めながら圭介は考える。
思えば異世界に来て間もない頃、城壁防衛戦に参加する流れの時点で何かおかしかった。
第一王女であるフィオナ直々の依頼をコリンが持ってきた時はてっきり校長であるレイチェルから話を聞いたのかと思ったが、軍輝の指摘を前提とするのであれば可能性はそれだけじゃない。
もしかすると彼女はフィオナと定期的にやり取りしていたのではないか。
そう思い始めて動きを止めた圭介の腹部に強力な蹴りが入る。
「ごほおっ……!」
「まァ気に入らねえってだけさ。殺すほどの悪党じゃねえからここまでにしといてやるよ。今回のメインターゲットはどうやら相方がまとめて始末してくれたみたいだしな」
吹き飛ばされた圭介の目には、どこか離れた位置に視線を向ける軍輝の姿があった。
彼は一息つくとコリンの胸ぐらを掴み上げ、圭介が倒れている方向に投擲する。
まだ上半身を起こそうとしていた圭介は慌てて少女を受け止めたが、肥大化している腕が顔に当たってやや痛い。
「っぺ、いっつぁー……」
「半分陽動みてぇな役割もこれで終わった。反撃無いなら俺もう帰るわ。噂の東郷圭介がこの程度だったってんなら、わざわざ俺らが出張る必要もなかったかもしれねえな」
言うが早いか軍輝がアッサルホルトの外に向けて歩き出した。どうやら圭介達に対する興味を失ったらしく、膨大な量の血液で編み込まれたマフラーを揺らしながらその場を離れようとしている。
どうするべきなのかわからない。
それが圭介の偽らざる本音であった。
何を判断基準としたのか相手は既に目的を達成したと言う。ならば防衛という目的は既に意味を為していない。
だがそれはそれとして目の前にいるのはテロリストの仲間だ。いくら近くに騎士がいないからと言って放置してしまえば後々どうなるか。
とはいえ真っ向からぶつかって勝てる相手かというと微妙である。
今までも速い敵との戦闘は経験してきたし、身体能力を増強する相手などこの異世界に来てからすぐ出会った。対策なら一応は用意してあったのだ。
しかしそのことごとくが謎の力の干渉を受けて振り払われてしまう。念動力で相手や流れる血液の動きを止めようとしても上手くいかず、寧ろ【サイコキネシス】による防御を容易く貫かれてしまう始末。
何が彼を守っているのか。
(……操血魔術)
思い当たるのはコリンが警戒するように言い含めようとして失敗した言葉。血液を操作するという魔術の系統。
騎士団学校に在籍し授業も受けているからか、一応の定義は知っていた。ただ詳細については試験の範囲内しか学べていない。
正直に言って水流操作と何が違うのか圭介の中でいまいち答えが出ていない状態である。
「コリン……」
「うぐっ、うぅ」
声をかけて、先ほど聞いた話が思い起こされた。
彼女が王城の諜報部員であるという話。何を言っているのかと笑い飛ばせればよかったのだが、即座に軍輝の口を塞ごうとした彼女の挙動がある意味決定打となってしまっている。
きっと真相は自分が察している通りの内容なのだろうと不思議な諦観に見舞われた。
「さっきの話、さ」
「………………」
暫しの沈黙を経て。
「ごめん」
答え合わせが終わる。
状況と情報がぐちゃぐちゃに入り乱れる中、一本の筋が通った気がした。
「マジなんだ」
「マジ。学校や外で集めたケースケ君の情報を姫様に提供したり、姫様が望む形でちょこちょこそっちの動きに介入したりしてた。言い訳できないよ全部アイツの言う通りだし」
未だダメージが体に蓄積しているのか、震える手で彼女は自身のカメラを持ち上げる。
グリモアーツ“カレイドウォッチャー”のレンズが日光を反射して一瞬輝いた。
普段の語尾を捨て去った彼女の言葉は続く。
「中等部から入学して高等部卒業までの六年間、私達は国内のあらゆる騎士団学校で情報を集める。王族にとって有益な人材はちょっと点数に加算が入って騎士団に入りやすくなることもあるし、逆もまた然り」
「そっか。じゃあ、僕に近づいてきたのもその関係?」
「グリモアーツを【解放】できるようになったら声をかけるよう言われてたからその通りにした。そこから先は言わなくてもわかるっしょ? 城壁防衛戦もトラロックの戦いも、ケースケ君が参加するきっかけは私だったじゃん」
力なく微笑む少女に圭介は笑い返せない。
「……やっぱ仕事だってのはあるんだろうけどさ。どうしても僕らには言えなかったか」
「そりゃそうよ。はっきり言ってこんな仕事、とてもじゃないけど表沙汰にできない。特に校内の人間からしてみれば、普段の振る舞いがそのまま騎士になれるかどうかに関わってきたりするしね」
恐らくコリンは騎士団学校に通う生徒がプライベートの時間をどう過ごすか、ずっと見てきたのだろう。普段の素行を評価の対象としているその役割はさながら監視カメラのそれである。
確かに間違っても公表できる事実ではない。
もしそんな情報が漏れれば全ての騎士団学校に通う生徒はお互いに誰が諜報部員なのかと疑心暗鬼に囚われてしまうだろう。そうでなくとも私生活まで束縛されるような感覚は強いストレスを齎す。
「それにね。私達はあくまでも情報を記録して、必要に応じていじるだけの存在なんだ」
そしてコリンの言い分はそれだけで済みそうになかった。
「裏で悪いことしてる生徒がいたとしても、わかってすぐに取り締まるような真似はできない。基本は報告してその生徒の評価がどうなるかを後になってからなんかの形で知るだけ」
「……何となく言いたいことはわかったよ。そりゃウォルト先輩みたいなのが野放しになってたわけだ」
軍輝に殺されたといういじめ実行犯数名も同様だろう。
彼女は学校の中でどれほど陰惨な事件が起きていたとしても、見逃すしかできない立場だったのだ。
畢竟、裏方に徹しなければならない影の存在。その手で揃えられた証拠品は国にとって公表されてはならない事実に該当する。
「きったねー女でしょ。本性知ったら誰も友達なんてやってられないよ。私だって嫌だわ」
そう言ってコリンは自嘲するように鼻息を漏らし、震える手で“カレイドウォッチャー”を持ちながらゆっくりと立ち上がった。
打ち明ける覚悟など決めていなかったに違いない。
声がずっと震えていたから。
「それももうケースケ君にバレた時点でおしまいだけどね。だから私らの関係もここまで」
「……で、どうすんの。あの腐れイケメンもうどっか行こうとしちゃってっけど」
これからどうするのかという意図も込めての質問。
それに対する彼女の返答は淡々とした言葉だった。
「玉砕覚悟で突っ込む。最終手段が無いわけじゃない」
言って指先に真珠色の燐光を纏わせながら空間をなぞり、手元のカメラに複数の術式を展開していく。
そこに組み込まれた術式が何なのかを圭介は知らない。知らないながらも、恐らくそれがコリンの身に一切配慮していない何かであるという理解は得た。
「まあ最悪の場合でも死にはしないから。ちょっとボカンとふっ飛ばしてくるだけだし、安心して見てて――」
「ふざけんなやめろバカ。てかさっきから何自分の話だけしてんだ、こっちの話も聞けアホ」
思わず異形の腕を掴んで引き寄せる。
ぐつぐつと煮立つ体に冷えた針を突き刺されたような気分だった。彼女の処遇をどうするにせよ、このまま放っておくわけにはいかない。
流れがどうであれ圭介の中での方針を定めたのはコリンの覚悟だ。
ならば自分は何を為すべきか。
「こっちも頭ん中そこそこぐちゃってるけどそれどころじゃないんだよ。とにかく今はアイツを倒さないと」
「でも」
「裏で何やってたのかは後で尋問したるからそこは覚悟決めとけ。逃げんな」
クロネッカーの柄を左手で握り、軍輝の背中に目を向けて。
蓄積したダメージに震える両脚を手で叩いて叱咤し、立ち上がった。
「最優先でやんなきゃなんないのはあのイケメン野郎をこのまま帰さないことだ。こっちで捕まえるか、最悪でも遠くまで逃げ切れない程度に体力削っておきたい」
「……できるの? さっきボコボコにされてたじゃん。ちょっとやり返してたけどそんなダメージ通ってないっぽいし」
「できる。ほら、これ見てみ」
言って圭介は頭上を指し示す。
その意味を理解したらしいコリンが怪訝そうな表情を少し和らげた。が、まだ難しそうな顔つきは完全に拭えない。
「それで? それだけ?」
「一応作戦だけなら用意できたけど、それを実現するにはコリンの協力も要るね。もうひと踏ん張りしてもらうよ。……んで、魔力あとどんだけ残ってる?」
「私の魔術は見せかけ変えるだけだからそこまで魔力使わないよ。余裕余裕」
「んじゃ大丈夫だな。これが通用しなければもうお手上げだ、その時こそ諦めよう」
少なくとも圭介の頭に浮かんだ作戦ならコリンの身に危険はないだろう。
多少の安堵を得て作戦を手短に伝えようと口を開いたところで、先にコリンの声が届く。
「ねえ。なんで平気なの」
「あん?」
「私、ケースケ君達を裏切ってたってわかったよね。さっきまで私のこと、腫れ物見るような目で見てたし。なのにすぐ平気な顔して話しかけて、この緊急事態に協力までさせようとしてるっしょ。なんで?」
その疑問に対する答えがはっきりと圭介の中にあるわけでもない。
異形の腕を持つ華奢な少女が自らを犠牲にしようとする姿に心打たれた、という可能性が一瞬脳裏を通過するもきっと違うと思えた。エリカを通じて可憐な美少女の醜態を見飽きるほど見てきたからだろうか。
友達だから、などと何かの主人公めいた理由も想起されたもののそれとてしっくり来ない。恐らく今のコリンと同程度の裏切りなら赤の他人相手でも余裕を持って許せると断言できた。
同程度の裏切り。
浮かんだその言葉に答えが秘められている気がする。
「あのね。こっちはこれまで担任の先生とか都知事とかに裏切られてきてんの。んでそいつら僕の情報集めて何したと思うよ? 殺しに来たんだぜ」
殴打と斬撃の痕跡に軋む肉体をそれでも倒れさせまいと足掻きながら、圭介は思ったままを口にした。
「別にあのおっかない姫様が僕を利用しようとしてて、コリンがその手伝いしてるくらい今更どうとも思わないよそれで死ぬわけじゃないし。何ならこないだ八つ当たり気味に石詰め込んだポーチで殴られた時の方がムカついたわ」
「判断基準、殺されるかどうかだけかよ」
「大事でしょ。命の話だぞ」
「……そっか」
呟いて、彼女の手に包み込まれた“カレイドウォッチャー”が魔力の光を一旦途絶させる。
黄金色の瞳は先と異なる類の覚悟を携えて圭介を見つめていた。
「で、私は何をすればいいの?」




