第十九話 粘土細工が崩れる時
剣とジェーズルが交差する。火花にも見える細かな魔力の光が互いを削り合い、拮抗する力が空気を揺るがす。
これまで苦戦を強いられてきた騎士が一瞬動きを止めたとはいえ、他の騎士もギルフィの背後で体勢を整えつつあった。彼からしてみればもたもたと鍔迫り合いに興じている暇などない。
全身から伸びる粘土の蛇で目の前にいる騎士を強引に押しやり、次いで自身の足元から粘土の大蛇を出現させて高い位置へと移動した。
「計算外の事態が重なったものの当初の目的を果たした今、ここでの勝敗に大した意味はないが」
見れば彼の下半身は大蛇の頭部に埋まっており、更に背中から手元にかけて伸びていく何匹もの【ストーンスネーク】は太く筋肉質な腕を象っていく。
もはや人外に等しいその姿は、彼が残り少ない魔力で行使できる最大限の戦闘形態なのだろう。
「逃げられないなら応戦するべきと判断した。せめて俺の力がどこまで通用するかを試験し、そこから得られる情報に齟齬がないか道化に確認してもらうとしよう」
「ンだその余裕はぁ!」
ギルフィと向かい合っていたリーダー格の騎士が大きく跳躍し、群れ成して太く長い左腕を構成する蛇の狭間に“シルバーソード”の先端を挿し込む。
そのまま勢いでへし折られる前に第五魔術位階【インパルス】を発動。強い衝撃が蛇の束を内側から破裂させた。
擬似的な片腕を失っても自身の肉体と直結していないためかギルフィは特段焦りもせず、駆けつけてくる他の騎士に向けて未だ健在である右腕を振るう。
先端に握られたグリモアーツ“ラーガルフリョゥトルムリン”や束ねられた岩鱗の蛇で側頭部を強打された彼らは、その威力に耐え切れず叩き飛ばされていった。
「っと、まだ立つか。流石はアガルタ王国の鎧、今の威力で昏倒に至らないとは」
「っぜぁあああ!」
叫びながらも冷静な騎士の追撃が迫るも、地面から伸びる蛇が肩や肘といった関節部分に絡みついて動きを阻む。
今までの【ストーンスネーク】と比べて重みも力も大したものではないが、その分弾丸にも匹敵するほどの速度で飛び出したためか回避できない。
「うおっ!?」
「それでもこれだけ活動を阻害されている以上、ほぼ無傷で終わらせるのは業腹だな」
そう言うとギルフィは徐々に修復されていく粘土細工の左腕でリーダー格の騎士の背中を押さえつけ、腹部に膝蹴りを見舞った。
「ガハァ!」
ギルフィとて衣服の下に硬質化された粘土を纏っている。それに加えて背中を押さえることで衝撃が逃げないよう備えた状態から打撃を入れれば、硬い鎧から内臓へと伝達するダメージは深刻なものとなるだろう。
たまらず倒れ伏した男の側頭部を踏み抜いて完全に戦闘不能へと追いやってから他の騎士へと視線を巡らせる。
先の攻撃を受けてからまだ立ち上がったばかりのようだ。そこで集団を率いていた男が気を失っている現状を認識し、次の行動を考えているのか行動にわずかな空隙が生じた。
無論、だからと容易く逃げられるわけでもない。
ないが、大人しく降伏するつもりもないギルフィは引き下がらなかった。
「お前達は何だ? 何を目的として騎士になった」
唐突に始まった問答を受けて騎士達の動きが更に鈍る。
見れば銃を向けているエリカもまだ様子見に徹しているようだ。ユーは救出した囚人を急いで施設の中へと誘導しているが、余った連中は最初から殺す予定のなかった存在なのでどうでもいい。
「国民を護るのが騎士の役割だろう。ならば罪人をどういう理屈で匿う。護るべき国民の血税でそいつらを養い、次の罪を犯させに野に放つお前達の欺瞞が俺には理解できない」
彼の言い分に反感を覚えたのか、一人の騎士が思わずといった風情で言葉を返した。
「……それはテロリストの考え方だろ。国にだって色々と事情があって今の形になってんだよ。再犯させるために釈放してるわけが……」
「それが国の判断ならば王族は公の場で全ての国民に堂々と宣言し、確約するべきだ。釈放した人間が再犯に及ぶ可能性は皆無であると。それで、大陸史の中で一度でもそういった宣言をした国家が存在したのか?」
反論を試みた騎士がギルフィの言い分を受けて絶句する。
彼の言い分はまさしく極論と言えるだろう。
司法も犯罪者の再犯率を下げるために様々な手を尽くしているが、それを無とする方法など存在しない。理論上あるのは「罪を犯した時点で殺す」という究極の蛮行だけ、そしてそんな手段が倫理的に許されるはずもない。
国民を護るためには犯罪者も護らなければならず、しかしその犯罪者を護るという行為が他の国民を脅かす。この二律背反はほとんどの騎士が無意識の底に沈めて考えないようにしている、厳然たる事実だ。
ではそこを突かれた場合、どのように応じるべきか。
そんな状況に陥るなど彼らは考えもしなかった。もちろん騎士によっては明確な答えを提示できるのかもしれないが、不幸にもここにそういった人材は残されていない。
まずもって。
“民の平穏を護るために犯罪者だけを狙って殺害するテロリスト”なるものに対し、どう対処するべきかを彼らは未だよくわかっていなかった。
「我らが道化なら罪過の先を正確に読み取れる。人を見れば生い立ちと人格を看破し、街を見れば営みの構造を掌握する。大陸を見れば国々の思惑と立ち位置を理解し、社会全てを見渡せば恒久的な世界平和の実現に向けて動ける。事実、そのように動いているからこそ第二次“大陸洗浄”が始まった」
言って、足元に落ちている“シルバーソード”を拾い上げ後方に投げ捨てる。
「我々[デクレアラーズ]は世界を変えるだけの計画性と論理性、何より実行力がある。正しさを振りかざすしか能がなく、ここで国に害する者共を庇護しながらまんまと戦力を分散させられている間抜けな連中と違ってな」
騎士である彼らはそれに反論しない。
というより立場上、ここで迂闊に反論できないのだ。
思想を有する犯罪者との会話は騎士の戦場において悪手とされる。不意打ちなどの直接的な危険性ももちろんあるが、その思想にどのような対応をしたとしてもそこには否応なしに個人の思想が含まれるからだ。
そうなれば公的組織である騎士団の公平性が揺らぐため、後にメディアなどから望ましくない追求を受けるきっかけを作りかねない。
報道機関も手出しできない王城騎士などの立場ならともかく、彼らはアッサルホルト常駐の騎士に過ぎないのだ。ここは何を言われようと返答せず次の打開策を模索するべきである。
仮にここでギルフィに物申せる人間がいるとするなら、
「いやその理屈が通ったらその我らが道化とかいう変なのに世界征服されて終わるだろ。何様のつもりだよ調子乗んな」
「というか今の話を聞く限りあなた自分で何が正しいかちゃんと考えてませんよね。じゃあ大した考えもなく大勢に迷惑かけてるっていうこっちの認識は変わりませんよ。普通に止めます」
騎士団学校に通う学生くらいだろう。
「……まあ、認めよう。先ほどここで倒れている男に向けて言った通り、俺達は理想社会を実現するために正当性を捨てた身だ。わがまま勝手に振る舞っている自覚がないわけではない」
「んじゃ口喧嘩も終わったし仕切り直しだな。おいユーちゃん、そいつらあとどんくらいで助け終わりそう?」
「もう全員引っこ抜いたよ。あと一分もいらないと思う」
「だってさ」
さばさばと話を終わらせるエリカとユーに怪訝な目を向けながら、ギルフィは足元の土を揺らがせた。攻撃と防御、どちらであろうといつでも発動できるように。
「お前達はそれでいいのか。国に仕え民を護る立場を目指す学徒にとって、俺が殺した連中はどう映る」
「あんなぁおっさん。確かにあたしも豚箱から出てきてまたやらかすような犯罪者とかクソだなとは思うよ。でもそこで最初の一歩目を譲ったらなんか将来的に危ねえ気がするからさ、悪いけどあんたらにゃ同意できねーわ」
エリカが言葉を口にすると同時、周囲に浮かぶ魔術円が【チェーンバインド】によって編まれた魔力の鎖を吸い込んで回収する。
それに少し遅れる形でユーが“レギンレイヴ”片手にエリカの隣りへと移動してきた。
「私からも一つ。そういう人達を一時的にでも抑え込んでおくための施設を貴方は破壊しました。これをよりにもよって騎士団が正当化するような社会なんて私は肯定する気になれません。彼らの沈黙は当然の反応です」
「………………貴重な意見、感謝する」
言ってそれでも譲る気はないと、粘土の腕で掴んだジェーズルを構える。
「だがそれはそれとして、お前に正論を吐かれるのは薄気味悪いなエリカ・バロウズ」
「あぁん? どういう意味だテメェコラ」
「私もその気持ちはわからないでもないよ」
「ちょっとそっちからの飛び火は覚悟してなかった。後でちゃんと話そうなユーちゃん」
会話を隙と見なし、ギルフィは足元の土を弾ませて自身を射出した。
下半身の蛇ごと突進する姿は巨大な槍の刺突にも似ている。
狙いは剣を握った状態で脱力しているユー。
アイリスからの情報共有によって彼女が【静流】という第三魔術位階を持っているのは知っている。刃の表面に魔力の波を発生させ、あらゆる物質を切断する近距離特化型の攻撃術式だ。
しかし悲しきかな、アポミナリア一刀流と呼ばれるそれは肉体の運動と口頭での詠唱を並行しなければ実現できない。
(即ち詠唱する時間を与えなければいいのだ)
精々が第五魔術位階までしか使えないからとエリカを侮るつもりなどないものの、それ以上に【静流】の脅威が印象として強くある。
先に叩いておくべきという彼の判断は決して間違っていなかった。
一瞬と呼ぶにも短い時間の中、ジェーズルを突き出す。
支給された鎧を装備している騎士ならともかく、何も防具らしき防具を身に着けていない彼女はこの一撃で沈むだろう。
(悪いがしばらく眠っていてもらうぞ!)
だが、そこに誤算が一つ。
「うぐっ、結構強い!」
「――は?」
突き出した杖の先端は、咄嗟に前へと出された剣の柄で勢いを横に逸らされた。
上下を両手に握られるそれの中間部分がギルフィの一撃を受け流した結果である。
言ってしまえば彼は慢心していたのだ。少し近距離戦闘での心得もあるからと気軽にユーの間合いへと飛び込んでしまった。
稀代の殺人鬼にしてアポミナリア一刀流免許皆伝を持つジェリー・ジンデルから殺すための手段を叩き込まれ続けてきた少女を、自分もそこいらの客人よりは戦えるからと心のどこかで侮っていたのが致命的な誤り。
先ほど相手にとって不安定な足場で武器を一瞬交差させ、それだけで実力が拮抗しているなどと考えたのは甘い夢に過ぎなかった。
「なっ」
「ウチのユーちゃん舐めんな!」
結果に対する戸惑いを突いてエリカが赤青二色の銃で乱射してきた。
いかに強力な魔力弾とて第四魔術位階に匹敵するか否かくらいの威力なら、と低く見積もったのが第二の間違い。
着弾と同時に炸裂した魔力弾から溢れ出たのは水風船一つ分ほどの水だ。
「ぐうぅ!?」
第六魔術位階【インスタントリキッド】を内包した魔力弾。
一発一発は大した量でもないそれらが何発も続いて命中することで、土砂降りを浴びたようにギルフィの全身を濡らしていく。濡れた粘土の腕は溶けてまではいないもののかなり柔らかくなってしまっているようだった。
そこへ、刀身に群青色の魔力を宿したユーが迫る。
「貴様っ……」
「【静流】」
水を吸って動きが鈍くなった粘土の腕は持ち主を守ってなどくれなかった。
呆気なさすら覚える勢いで刃は束ねられた蛇達の体を滑るようにして通過し、ギルフィの体に袈裟斬りを浴びせる。
「がぁあっ!」
冷たい感触がするりと体内を移動する感触。これをそのまま放置してしまえば、一拍遅れてから血飛沫が舞うだろう。
が、ギルフィもそのまま倒れるつもりは毛頭ない。
斬られた部分に服の下で未だ濡れず残っている粘土を集合させて即座に止血し、精神力一つで倒れようとする肉体を制す。
第三魔術位階【静流】は確かに規格外の威力を持つが、切れ味の鋭さからすぐには出血しない。であれば傷口を即座に塞いでしまうことで大量出血を防げるということをも意味していた。
目的は既に達成しているのだ。ここで倒れても大局に支障はない。
それでも、諦めるわけにはいかなかった。
あの底知れぬ道化が企てた計画なら、まだ勝てる可能性は残っている。
全てを見通す神か悪魔のような魔術を持っているアイリスがこの場をギルフィに任せた以上。
ここで倒れるということは。
彼女が自身の敗北を計画に組み込んでいたということと同義である。
「ま、だだ! まだ、俺は終わらなっ、ぁぁあ!」
下半身を包む蛇が崩れ、巨漢が地面に倒れ込んだ。その衝撃に傷口を塞ぐ粘土もやや圧迫されてしまい苦悶の声が漏れる。
エリカの魔力で構成された水に侵されている土は、ギルフィの魔力を普段通りに受けつけてくれない。
しかし諦めきれず上半身を起こし、土に半色の光を注ぎ込み続ける彼にエリカが接近する。
「おう、お疲れ」
「っ……」
銃口を眉間に押しつけられながら、それでも魔力の注入を止めない。
少女の矮躯が相手である以上、大柄な体を持つ彼が本気で振り払えば魔術など不要だろう。
それをできない理由は一つ。
深い傷を抑え込むだけで集中力も魔力も限界なのだ。そこに他者の魔力が入り混じった地面への魔術的干渉などという行為に及んでいる今、体を大きく動かすだけの余裕などありはしなかった。
ここで腕を激しく動かせば、直後に傷が開いて倒れてしまうから。
「じゃあな」
そしてきっとどちらにせよ変わらなかったであろう未来が訪れる。
顔面にエリカの魔力弾を受け、ギルフィが大きくのけ反って倒れた。
わずかに残る意識が残存する魔力すら放出したのか、背中に触れている地面からはしばらく【ストーンスネーク】が出ては引っ込んでを繰り返す。まるで主の敗北を受けて困惑しているかのようなその動きも数秒で止んだ。
「……し、死んだのか」
ギルフィの言葉で動きを止められていた騎士が近づいてくる。緊張した様子の声に、エリカは溜息を吐きながら応じた。
「いや手加減したんで、殺してねっす。騎士団の人達もコイツから事情聞き出さなきゃでしょ」
「そう、そうか。まあそうだな」
言いながらギルフィの意識の有無、脈拍の確認などを進める傍らで騎士は言う。
「全く自分で自分が不甲斐ないよ。実力だけなら既に俺達より君達の方が強いかもしれない。まさかこれだけの力を持った客人相手に全く臆さず立ち向かうとはね」
「いえいえ、皆さんがいなければ私達だけでは勝てませんでしたよ。フォローとかじゃなしに、真面目に」
「そう言ってもらえると多少なりとも救われる。いやしかし……騎士団学校の生徒にこう言うのもなんだが、それだけ強ければ賞金稼ぎの方が向いているんじゃないか?」
「まあ他に道がなけりゃそういう生き方もあるんすかね。将来のこととかイマイチよくわかんねーけど」
隣りに立つ友人へと向き直って。
「いずれにせよあたしらが見なきゃならないのは今だ」
エリカが左手に持った“ブルービアード”をユーに向けてかざす。
その意味を理解したユーが、右手に握った“レギンレイヴ”の鍔を銃口の高さに合わせた。
「お疲れユーちゃん。今回も見事だったぜ」
「お疲れエリカちゃん。相変わらず頼りになるね」
二人のグリモアーツがカツンと軽くぶつかって。
どういうわけか、少し離れた場所から花火の音が聴こえた気がした。




