第十七話 ♣と♥
「ぐうっ!」
吹き飛ばされてから地面に叩きつけられたギルフィは、即座に体勢を立て直して手に持った“ラーガルフリョゥトルムリン”を構える。
敵が集合している方向に向けたジェーズルと突撃してきた騎士の武装型グリモアーツ“シルバーソード”が交差した。
「舐め、るなァ!」
続いて挟撃すべく左右に分かれた他の騎士の動きを見つつ足元の土を一時的に粘土へと変質させ、それを波打たせることで足を動かさず滑るように移動。予備動作など一切ない回避を経て、騎士達に地面から生えた無数の蛇を襲いかからせる。
が、そこは現役の騎士。
足元で【エアリフト】の術式を即座に組んで発動し、地面に直接触れないよう細心の注意を払って滑らかな後退を見せた。
一方ギルフィもエリカの魔術で一時的に硬直している巨大な粘土の蛇へと移動し、自身の袖から生えた蛇を伸ばして手足の延長としながら登っていく。
「ちっ、厄介だな」
地上に残された騎士が舌打ちした。
大蛇の体にはまだ生き残っている囚人が何人も拘束されている。
国民の支えであり国の顔とも言える騎士団に属する以上、第四魔術位階【レイヴンエッジ】による遠距離攻撃を迂闊に飛ばして彼らに被害を生じさせるわけにもいかない。
どう動いたものかと思考を張り巡らせている合間にも巨漢はその身を蛇の頭部へと到達させた。
「目的は果たしたが逃げられないというのも面倒だな」
急ぎ移動したためか少し息を切らしながら言葉を紡ぎ、右手に握るジェーズルの柄でコツンと岩の鱗を叩く。
瞬間、半色の蛇の体が緩やかに崩壊を始めた。
「ユーちゃん、それから騎士団の皆さん! 一応離れた方がいいっぽいぞ!」
エリカが大声で忠告したのを受けて地上に残された面々が急ぎその場から離脱する。鱗として機能していた岩や建造物の瓦礫が地面を陥没させていく一方、囚人達を内包する粘土の部分は決して彼らを傷つけないように少しずつ地面へと近づいていくのが確認できた。
理想社会の設立を謳う[デクレアラーズ]の一員として、社会悪となる存在でなければ殺さないという方針でもあるのだろう。
とはいえこのままでは瓦礫の山で埋もれてしまうのも目に見えている。判断に迷ったユーが隣りに立つ騎士に声をかけた。
「粘土で縛られてる人達、助けても大丈夫でしょうか?」
「……騎士団としては彼らの救助を優先するしかない。しかしそればかりに集中して、あの男を逃すわけにもいかない。ようやく[デクレアラーズ]の尻尾を掴めるかもしれないんだ」
「そういうこった。面倒事を任せちまってすまねえが、勲章持ちの君らは生き残った連中の回収と撤退を頼む」
リーダー格の騎士が“シルバーソード”の先端をゆっくり降りてくるギルフィに向ける。
「俺達はあいつを捕縛しなけりゃならねえ」
「わかりました。お気をつけて」
一部が魔力で構成されていたのか、蛇の体からは半色の粒子が漏れ始めていた。建造物まで巻き込んでの魔術ともなれば相当な量の魔力を消耗したはずだ。
だというのに、ギルフィは平然とした様子で地上の動きを俯瞰している。手に持った“ラーガルフリョゥトルムリン”の先端に灯る魔力の光も未だ途切れていない。
騎士団と言えども簡単に勝てる相手ではなかろう。加えて騎士団を壊滅状態に追い詰めない限りもう逃げられないと認識させてしまっているのだ。
戦いの行く末が読めない中、ユーは現状の最優先事項となる人命救助に乗り出すべく粘土の山から這い出る囚人達へと視線を向けた。
「現役のアガルタ王国騎士が五人、そして国防勲章持ちが二人か。この顔ぶれ相手に正面衝突を余儀なくされるとは、俺のような数札からすると少々荷が重い」
もはや大蛇としての形を失った塊から跳躍してスーツ姿の大男が会話可能な程度の距離に着地する。
一気に切り込みたくなるような絶妙な距離感だが、まず間違いなく相手もそう思わせようとしているのが察せられた。もう既に足元から地面へと魔力を注ぎ込み罠の準備を瞬時に終えたところだろう。
立ち止まったところに飛来したエリカの魔力弾を、彼は衣服の下から発生した粘土の障壁で容易に遮った。
「しかし、いやはや……騎士団による第六魔術位階【マッピング】の採用が想定していたよりも早い段階で行われているようだな。やはり先の戦いで東郷圭介が生存したのは許容外の誤算だったらしい」
「なぁに一人でブツブツ言ってやがる」
騎士がギルフィから隠すように後ろに回した左手で何らかのハンドサインを送る。
それを見た他の騎士四人は応じず、それでも見えていたと示すが如く静かに二人一組で左右に分かれた。
ユーも騎士団学校に通う立場としてその配置は見たことがある。犯罪者が上下左右いずれかに逃げようとしても動きを阻害するための陣形だ。
本来の役割を果たすには少し人数が足りないものの、今打てる手として精一杯の策ではあった。
「こんだけ大暴れしてくれた以上覚悟はできてんだろうな。余計な怪我したくなけりゃこのままとっ捕まっとけ」
「既に殺すべき相手を殺し終えたのだから特段それで困る要素もない。だが今後の動きを考えるならば捕まえるなどと生温いことは言わず、今ここで俺を仕留めた方が無難だろうよ」
「あぁん?」
不敵な発言に伴い、ギルフィの両腕と背中から溢れ出した粘土の怒涛が無数の蛇へと姿を変えていく。
その中の一匹が彼の手に握られている“ラーガルフリョゥトルムリン”の柄を咥え込み、さながら鞭のように体を振るった。
「っとぉ!」
騎士が予想外の挙動を前に慌てて剣で一撃を防ぐも、受け止めきれず大きく吹き飛ばされてしまった。
長柄の武器ほど手元から末端へと加わる力の伝達が遅く、また当てるべき箇所が相手に到達するまでにほんの僅かなタイムラグも生じる。
白兵戦のいろはと言えるその要素は人間の腕で振るわれる際に適用されるものだ。魔力と粘土で構築された【ストーンスネーク】に関節や筋肉の緊張といった阻害は介在せず、均等な力を一つの動作に万遍なく巡らせて高速且つ高威力の攻撃が可能となったのである。
無論それはグリモアーツを用いての攻撃に限られた話ではない。
リーダーとしての役割を担う騎士が空中で【エアリフト】を発動し、エリカによって作られた鎖の上に着地した。
そこに追撃すべく身を伸ばした複数の蛇が牙を剥く。一つ一つが力を分散させないまま直進するため、正面から見て複数の点となったそれらの速度に彼の反応は間に合わない。
「ぐううっ!?」
今度こそ完全に防ぎきれず、鎧の隙間を縫って侵入した蛇が腕や脇腹に牙を突き立てた。
間隔が開いている上に仲間達が挟撃しようと動いているのもあり、すぐ攻撃が向かってくるような事態を想定できていなかった。
確かに彼にも油断はあっただろう。それでも身に走る痛みを耐えながら現状を見れば、全身と足元から無数の蛇を伸ばして他の騎士やユーの動きを牽制する客人の脅威が見て取れる。
「ここから俺が逆転勝利を収めるのは至難の業だろう。だが数札の、それも大して強いわけではない俺一人にさえお前達はこの有様だ。これでは[十三絵札]の面々に遠く及ばん」
「何言ってやがるクソ野郎が……」
「本当はお前もわかっているのだろう。現状を見てみろ。襲撃を受けて無様を晒しているここは留置施設だぞ」
他の騎士により別々の角度から繰り出される【レイヴンエッジ】は絡み合う岩鱗の蛇によって築かれた障壁が地中から飛び出して防いだ。
会話しながら第四魔術位階の嵐をやり過ごす姿には疲労の色が未だ見えない。
「俺を捕縛しようものならより強力な札が俺を逃がすために来る。極端な例を出すがね。あちらで暴れているマティアス殿ならばこの程度の施設、容易に破壊して仲間を連れ出せるだろう」
きらびやかなジェーズルの先端部分が半色の魔力を帯びて地面に叩きつけられた。
瞬間、牙のように鋭い岩の突起が地中から無数に生える。彼を囲む騎士達は鎧、囚人を救出しようとするユーは【鉄地蔵・金剛】で防ぐも絶え間なく続けていた各々の役割、行動を強制的に止められてしまう。
「つまるところ最低でも彼を退けるほどの戦力を全ての施設に常駐させなければならないわけだが、そんな芸当ここで苦戦しているような騎士団風情にできるはずもない」
遅れて勢いよく飛び出した突起の先端に足を乗せ、ギルフィが他の騎士を率いてきたリーダー格の男へと一気に接近した。
右手にはジェーズルが握られていて今にも大きく振り下ろされようとしているのがわかる。
「だからもう――」
* * * * * *
「――諦めちまえよ。そんなんじゃ勝てねえって」
破砕された車両の欠片が散らばり地面もところどころ陥没している南西側駐車場に、軍輝の冷徹な声が響き渡った。
対面するは炎を纏う“アクチュアリティトレイター”を地面に突き立てながら肩で息する圭介と、その隣りで異形化した右腕を前方に構え防御態勢に入っているコリン。両者ともに全身を生傷で彩られている。
滲む血で衣服を染める二人は未だに軍輝の猛攻を止めきれずにいた。
「のやろっ!」
圭介が“アクチュアリティトレイター”を振るって炎の波を浴びせようとするも、軍輝は人間離れした跳躍で軽々と攻撃範囲外である空中に離脱。その際両足から伸びた血液の槍が圭介達に襲いかかる。
二人とも急所に突き刺さるという最悪の結果だけはどうにか免れた。
しかし、横に振るわれる血の鞭によって体を強く打たれてしまう。
「ぐへっ」
「あだぁっ!」
完全に避けきれないまま左右に吹き飛ぶ二人の中間へと軍輝が着地する。
その際、相当な衝撃が走ったのだろう。彼が足をつけた地面から亀裂が走り周辺一帯がずしりと揺れた。
それぞれ【サイコキネシス】と鱗で防御しているため致命的なダメージは避けられたものの、常識的に見れば攻撃に不向きな体勢から繰り出される血の刃で刻まれてしまう。
先ほどから二人の体を少しずつ削り落としていく外傷の原因がそれだ。一見して大した脅威に見えない小さな刃だが、どういうわけか魔術で防ぎきれない。
(やっべーどうすんだコイツ。倒そうにも道筋が見えねえ)
特に圭介の焦燥は深刻だった。
何せ【パイロキネシス】による熱で強化されたはずの念動力ですら動きを止めきれない攻撃である。ここまで素早いとアズマの結界も間に合うかどうか微妙だし、何より近接戦闘での判断速度で勝てそうもない以上確実に先手を取られてしまうのだ。
決して今までの戦いで工夫を行わなかったわけではない。
一応【エレクトロキネシス】での感電を試みたものの電気が“アクチュアリティトレイター”に通る前に素早く回避されてしまうし、【エアロキネシス】を用いた高速戦闘に挑んでみるも身体能力一つで圭介のスピードに追いつかれる。
まるで手の内を読まれているようだ、という考えが過ぎったところで納得した。
(そらそうか。アイリスが僕を見て使える魔術やこれまでの戦いを把握したんだとしたら、先に対策できててもおかしくないんだ)
彼ら[デクレアラーズ]の首魁と思しきアイリス・アリシア。
彼女の使う第一魔術位階【ラストジーニアス】は、観測した対象の情報を読み取り把握するというものである。
であれば今ある攻撃手段全てに対策されていてもおかしくなかろう。
さて、それではどうすべきか。
頼りなくも唯一の勝ち筋として見えるのは先ほど熱湯を浴びせた時。
あの不意打ちに軍輝は対応しきれず、真正面から攻撃を受けた。
土壇場での思いつきだったがそれは同時にこれまで使ってこなかった攻撃手段でもあったということ。
即ち、未だ試したことのない魔術の使い方をしなければ軍輝に届かない。
(つっても試せるだけの隙もないんだよな……)
考えている間にも凝固された血液の手甲を纏って軍輝の右拳が圭介に迫る。
念動力の壁でどうにか防ごうとしても上手くできないのはここまでの流れで知っていた。なので足元に【サイコキネシス】を発生させ、ふわりと浮かび上がって真横へと滑空する。
ついでにコリンも捕まえて抱えた状態のまま一旦施設の方角へと移動した。
瞬間、今まで圭介が立っていた地面が殴打を受けて大きく陥没する。
「っとぉ、まだ結構避けるなお前!」
「避けずに当たったら死ぬだろそんなの!」
「うわあ、あんなんと真正面からぶつかれないの……」
言いながらクロネッカーを【テレキネシス】により軍輝の眉間めがけて投擲するも、当然のように避けられた。続けて背中から伸びる血液の触手で地面を抉られ続く振動に圭介の足がほんの短い間だけ止まってしまう。
迎撃や防御よりも優先して抱えたコリンを“アクチュアリティトレイター”の上に担架よろしく寝かせ、横へと低空飛行させる。
仲間を守るための動きは、結果として致命的な隙を生んだ。
いくら【エアロキネシス】や【サイコキネシス】を組み合わせて加速している圭介とて、それだけの行動に出てしまえば自身と同程度の速さで繰り出される追撃を避けきれない。
地面に刺さった触手をうねらせ軍輝が圭介の目前まで自らの体を運ぶ。
「オラァ!」
無駄と感じつつ【サイコキネシス】の防壁を彼との間に展開しようとするも間に合わず、強力な蹴りが鳩尾に叩き込まれる。
彼でさえ視界が一瞬白く染まるような激痛と止まる呼吸でまた動きが鈍くなってしまう。が、そこは全身に念動力を巡らせて強引に反撃に出た。
「づっぁあああ!!」
「おお?」
右手に螺旋状の【サイコキネシス】を巻きつけてから胸元に密着している足を掴む。
圭介の痛みに対する耐性を計算から外してしまったらしい軍輝は、目を丸くしつつもその脚部から数本の触手を伸ばした。
脇腹や首筋を掠めるそれらに目もくれず、圭介は手首から先へと魔力の流れを発生させる。
「くたばりゃあ!!」
繰り出されるのは圭介が考案した必殺技、“スパイラルピック”。
渦を巻くような形に整えた【サイコキネシス】を一点に集中させ、莫大な運動量を生み出す破壊の力。
「ぎぁっああぁあああ!!」
それをまともに受けた軍輝の足がボギリと嫌な音を立てて折れ曲がり、虚空を蹴るかのような激しい動きを伴ってあらぬ方向に吹き飛ぶ。
相当な痛みによるものか、折れた足に手を伸ばしながら無様に地面へと落ちゆく相手の袖をまた掴む。
今度は左手。手に念動力は巻きついていない。
ただ、宙に浮いている真っ最中である軍輝はこれでほんの少しだけ逃げられなくなった。
「【滞留せよ】!」
ついさっき投擲したクロネッカーが再度飛来する。
圭介の手元に向かうそれは順調に進めば体勢を大きく崩している軍輝の胴体に突き刺さるだろう。
だがそこで素直に刺されてくれるはずもない。
肩から触手を伸ばしたかと思うと駐車場の出入り口付近に設置されている受付用の発券機に巻きつかせ、圭介ごと体を大きく引っ張って回避した。
「くたばれ!」
「ぶべっ!」
しかもただ避けるだけでなく、発券機の機体に圭介を叩きつけるというおまけまでつけてくる。
圭介は真っ向から顔面を硬い機械にぶつけられ、鼻血を漏らしつつ【エアロキネシス】で大きく後退した。
「くっそ、これじゃイケメンが台無しじゃないか!」
「言うほどイケメンでもないだろお前……」
コリンを地面に降ろした感覚を得て急ぎ“アクチュアリティトレイター”を手元に戻すも、武器を手にしたからと安心できる状況でも相手でもない。
彼女には申し訳ないが視覚情報に訴えかける魔術に特化していては軍輝の相手にならないだろう。相性の面でも今は圭介一人で対処するしかなかった。
だから体の半分を異形のそれに変えている少女を庇うが如く、軍輝の前に立ちはだかる。
そんな様子を見て端正な顔つきの青年は鼻息を浅く漏らした。
「随分としっかり守ってあげてるじゃねえか。何、付き合ってんのお前ら?」
「違うよ。でも学校で同級生なんだからそら守ったりすることもあるだろ」
「学校、同級生ねえ。俺も最近そういうの知ったけどまあ確かに良いもんだよな」
言ってわざとらしく肩をすくめる。
「俺がこっち来る前はさ。親父もお袋も一番上の兄貴の学費しか出す気なかったから、末っ子の俺なんて受験すらさせてもらえなかった」
「はあ。そういうご家庭だったのね」
「つーかそういう国出身なんだよ。だから異世界に来て戸籍もらって、我らが道化が色々手続きしてくれたおかげで学校通えたのは嬉しかったねえ。憧れだった勉強に熱中できたし、仲のいいダチも結構な数いる」
「見た目通りのリア充かよ妬ましい奴だな」
「ああ本当に充実してたよ。だからさ」
言葉を続ける軍輝の目がコリンに向かった。
そこに宿る光は刃と見紛うほどに鋭い。
「同じ学校の友達を裏切るようなやつって、どうしても好きになれないんだよ」
視線を向けられたコリンが無言のままびくりと震えるのを見て、更に鋭利さが増す。
「あ? なんのこっちゃ」
「例えばダチが普段どう過ごしてるのかを偉い人に告げ口してたり、自分達に好都合な行動をするよう根回ししたり。それでいて表向きは仲良しごっこしてたりする奴がいたら気持ち悪いだろ?」
「趣旨が見えてこないから同意もしづれぇわ。さっきからどういう話を……コリン?」
そこでようやく圭介もコリンの様子がおかしいと気づいた。
が、既に遅い。
「なあ、お前もそう思うよな。――アガルタ王国王城諜報部、コリン・ダウダル」
瞬間、背後から白髪の少女が拳を振り上げて軍輝に襲いかかった。




