第十六話 蛇と鎖と弾丸と
赤銅色に輝く二十八の魔術円が巨大な岩鱗の蛇を囲み、不規則な高さと位置で停止する。
「【チェーンバインド】!」
気合いに満ちたエリカの声に応じてそれらから鎖が伸び、円同士をそれぞれ鎖で繋げた。
複雑に絡み合い交差するそれらは見ようによっては巨大な蛇を閉じ込める檻に見えなくもない。
「適性もあるかどうか怪しい第五魔術位階如き、俺に通用すると思ったか」
囲われた側のギルフィはそれを鬱陶しげな目で眺めながら手にしたジェーズル、“ラーガルフリョゥトルムリン”を振るう。
動作に合わせて彼が足場としている大蛇の全身から粘土の蛇が伸び、岩の牙によって鎖を噛み砕かんと口を開けた。
「【もう一つ上へ】【水よ来たれ】!」
そうしていざ噛みついてみた結果、鎖から溢れ出た大量の水で弾き飛ばされる。粘土の体を有する蛇もふやけて溶け始めたがギルフィに慌てた様子はない。
「第六魔術位階を第五魔術位階へと引き上げる魔道具か。確かにこうして使われてみると鬱陶しいな」
呟く彼に向けて二つの銃口から魔力弾が射出されるも、こちらは僅かに身を捩って回避した。
が、その背後に接近する影が一つ。
魔力で編まれた鎖を足場として空中を渡るユーである。
「【首刈り狐】!」
「ふんっ!」
飛来する三日月状の刃がギルフィに迫るがそれでも彼は動じず、手に持ったジェーズルを振るってユーの【首刈り狐】を中心から折った。
「んぇえ!? そういうのアリなんか!?」
「【砂利道渡り】」
驚愕するエリカに反し、努めて冷静さを維持するユーが足元から魔力の粒子を噴出しつつ濡れた鎖の上を滑走する。そのまま粘土と岩の蛇から距離を取りつつ二度の跳躍を経て元いた場所――エリカの隣りへと降り立った。
「近距離でも戦える人っぽいね。まさか【首刈り狐】を腕力だけで叩き折るなんて思わなかった」
「でけぇ図体は見せかけじゃねえってか。しかしどうするよ、逃げたり避けたりはある程度できそうだけど決め手がねぇぜ」
舌打ちとともに吐き出されるエリカの懸念は至極真っ当なものだ。
何せ巨大な蛇には何人もの犯罪者が顔を露出させる形で組み込まれている。
下手に魔力弾を射出してしまえば救助すべき相手の頭部が吹き飛びかねない。
ギルフィ本人を狙うにしても迂闊な判断は取り返しのつかない事態を招くだろう。足場である岩と粘土の大蛇は彼の一存で自在に動き回る武器でもあるため、相手の周囲全てが危険地帯とも言える状況だ。
かといってユーの斬撃は基本的に近距離戦闘用のものが多く、無策のまま踏み込めば足を粘土の蛇に絡め取られる。中距離でも届く攻撃は先の【首刈り狐】がそうなったように叩き落とされてしまう。
もちろん対策が一切できないわけではない。しかし[デクレアラーズ]の客人相手にどこまで通用するかという疑問もある以上、多少のリスクはどうしても生じる。
それでも勝機が残されているとすれば蛇の内部で騎士が抵抗しながらギルフィの全力を抑え、外部ではエリカが水に濡れた【チェーンバインド】で相手を囲っている今だけだ。
彼ら[デクレアラーズ]の目的は身も蓋もない言い方をするなら犯罪者を殺し尽くすこと。であればその殺傷対象を捕らえた今、向こうがアッサルホルトに残る意味は薄い。
ここで逃げられる可能性も考えれば本来は早く決着をつけるべきなのだろう。だからと焦って判断を誤れば犯罪者達のみならず蛇の内部に閉じ込められた騎士団まで被害を被る可能性がある。
ともあれ思いつく手段は全て実行すべきと判断したエリカがギルフィに銃口を向けた。
「ユーちゃん、とりま十秒くらい時間稼いでくれ! あいつ今はそんな大きく動けないだろうから!」
「了解!」
応じてユーが再度【砂利道渡り】によって鎖を伝い、蛇の頭部へと接近する。
そのまま跳躍してから剣の切っ先を岩の鱗に向けて叫んだ。
「【天にも地にも理在り 故に境を並べて等しきを知る】」
背後に聞こえたのは集中力を高める第六魔術位階【コンセントレイト】の詠唱。エリカが何をしようとしているのかはわからないが、それだけ難易度の高い手段でこの状況を打破しようとしているらしい。
ならば仲間として、そして友人として彼女を信じたい。
「【鉄纏・衣拡】!」
魔力で構成された線が織り成す正方形の面により、岩の鱗と粘土の体が包み込まれる。それは組み込まれた人間を傷つけず覆い隠し、上に着地したユーへと向かい伸びようとする蛇を押さえつけていた。
通用するかどうかはある種の賭けだったものの無事足場を得てギルフィと向かい合ったユーが、“レギンレイヴ”をスーツ姿の巨漢へ向ける。
「【鏃】!」
群青色の矢が放たれるのを見てギルフィは小さく身を反らし、最小限の動きで回避した。
同時に手に持ったジェーズルのグリモアーツ“ラーガルフリョゥトルムリン”の先端から半色の魔力が迸る。
「【大地に祈れ】」
短い詠唱が術式を完成させて杖の先から粘土の塊を生成し、投擲。ただ投げつけられただけのそれをユーは爆発物でも見るかのような目で見つめつつしゃがんで避けた。
伏せた顔でエリカの位置を確かめる。
あと五秒は稼ぐ必要があるだろう。
背後に落ちた粘土が溶けるように拡がり、ユーが先ほど形成した足場の面積を侵蝕していくのが感覚で理解できる。
術式を形成する者の適性に応じて一時的に鉱物を作り出す第六魔術位階【インスタントソリッド】は、本来なら他の鉱物操作に類する術式をサポートする意図で用いられるものだ。それそのものが脅威となるケースなど多くなかろう。
しかし今この場においてギルフィが生み出す粘土は拘束具にも武器にも防具にもなり得ると、つい先程片腕を拘束されていた騎士の姿から学んでいる。
ほんの一片でも触れてはならない。
動きを鈍らせかねない緊張を意識的に削ぎ落とし、ユーは次の行動へと移る。
「【漣】!」
しゃがみ込んだ状態のまま突き出された刀身から群青色の靄が立ち上った。
魔力によって極小の刃を無数に生成し周囲に散りばめる【漣】は、索敵に使われる場合が多い一方で牽制程度の攻撃にも応用できる。
今回ユーがこの魔術を用いて行おうとしているのはそのどちらでもない。
剣を振るうと同時に雪より細かな刃がギルフィの足場へと侵入し、柔らかな粘土の表面に食い込む。このまま蛇の形へと変化させれば動きに伴ってズタズタに切り裂かれるだろう。
彼女の目的はギルフィの足元から粘土の蛇が発生するのを抑制することだ。低い姿勢になってしまった今、打撃などによる損傷は諦めるにしても拘束されるのは絶対に避ける必要がある。
やはりと言うべきか目の前の巨漢は蛇を出す素振りを見せず、手に持った杖でユーの右肩を強く打った。
「ぐっ……」
「【大地に】」
【インスタントソリッド】の詠唱が完了するより速く、足元に残っていた【砂利道渡り】を利用して伏せた状態のまま強引に後退する。
装飾が付属する先端部位で押さえつけられた部分が擦れ、肉を強く引き削がれる痛みも刹那。
「【鏃】!」
振り下ろした姿勢のままでいるギルフィに向けてまたも【鏃】を飛ばす。たった一撃の小さな刺突だが消費魔力は少なく、動作が小さい分それなり速い。近い距離で使えば咄嗟の判断で回避される心配もないだろう。
大きな隙を突いての一撃が厚い胸板に刺さり、相手は小さな呻きとともにのけ反った。
(この人、そこまで速いわけじゃない)
いくら魔力操作の訓練をしていても人間の脳で処理できる情報量には限界がある。魔術の適用範囲と規模が突出している者にはよくある事だが、至近距離での戦闘に及ぶと身体の動きが追いつかない場合があるとユーは騎士団学校で学んだ知識を思い出していた。
逆を言えば足元にいる巨大な蛇が蛇の形を保っていられなくなった瞬間、筋骨逞しい肉体による暴力が本気でユーに襲いかかるだろうと容易に予想できる。
残り一秒。自分という存在を相手に意識させなければ。
足元にある魔力の粒子で自身を流すように移動させ、体勢を整えながら接敵する。
向けていた切っ先を右斜め上へと振り上げて。
「【弦月】!」
弧を描く群青色の斬撃が巨漢の体を断たんと繰り出された。
当然黙って受け入れるギルフィではない。握りしめた“ラーガルフリョゥトルムリン”と強靭な両腕に加わる力でユーの【弦月】をどうにか防ぐ。
多少の後退はあれど蛇の頭部から落下するほどではなかったようで、彼はユーの【漣】に侵蝕された部分からやや外れた位置で停止した。
(でもこれでいい)
これで時間稼ぎは充分だろう。
エリカの方を見れば、悪童じみた笑みを浮かべて銃口を濡れそぼった岩の大蛇へと向けている。
「助かったぜユーちゃん。こっちも第六とはいえ慣れねえ分野の魔術なんでな、発動に時間食っちまった」
呟くと同時に彼女は首から下げたペンダント、ルサージュを握りしめた。
「【もう一つ上へ】」
短い言葉に続いて赤き拳銃“レッドラム”から数発の魔力弾が撃ち放たれる。赤銅色に輝くそれが蛇の体、囚人の顔などが見えない鱗の狭間数ヶ所に着弾するも水滴が落ちたような頼りない音しか響かない。
命中した部分が弾け飛ぶわけでも貫かれて穴が開くわけでもない、何とも不気味な結果に終わった攻撃を見てギルフィが訝しむ。
「……何をした?」
「【螺旋】」
念の為にとユーは足元に螺旋状の魔力の刃を生成し、それによって大きく跳躍。岩鱗に覆われた足場から一気にエリカの隣りへと移動した。
一旦離れたとはいえ完全に攻撃が届かないわけでもあるまい。最悪蛇の頭部で突撃される可能性も考慮し、片腕をエリカの腰に回しながらユーの両足に力が入る。
直後。
「……ぬうっ!?」
巨大な蛇の体を形成する粘土の部分がカチコチと硬直し始め、徐々に動きを封じ込めていった。握り潰されてから広げられた紙のように角張った表面は粘土としての柔らかさを明らかに損なっている。
「ぬわははは! 見たかよあたしの新魔術!」
「エリカちゃん、何したの?」
不敵に微笑む小さな姿へ、ユーもギルフィと同じ問いかけを投げかけた。
「第六魔術位階【オルタネイション】と【リザルト】を使ってあの蛇の材質をコンクリに変えて固めてやった。あたしの魔力弾はいつも二つの魔術を仕込んで撃ってるからな、こういう芸当もできるのよ」
一時的に対象となる無機物の構造を変質させる【オルタネイション】と、発酵や化学反応などといった限定的な事象の速度を少し早める【リザルト】。
エリカはこの二つを同時に第五魔術位階相当の魔術へと変化させ、弾丸として撃ち込んだのだ。
事前に【インスタントリキッド】で染み込ませておいた魔力の水がコンクリートに変質した蛇の体と水和反応を引き起こし、【リザルト】の効果で即座に水和化合物へと変化した外殻が彼の蛇の動きを大きく制限している。
それが意味するところは単なる停止ではない。柔軟性を損なった外殻に相応の衝撃が加われば容易に砕くことができる。
例えばそれを齎すのは、内側で暴れる騎士達の攻撃だったりするのだろう。
「おらァァァ!!」
怒号とともに蛇の腹を砕いて銀色の姿がいくつか飛び出す。彼らは第五魔術位階【エアリフト】によって空気の足場を形成し、安全に地上へと降り立った。
「くっ、バカな!? こんな事態が起きるなど……!」
ここに至ってギルフィが焦った表情で“ラーガルフリョゥトルムリン”に魔力を帯びさせるが、蛇の外殻にはエリカの魔力が混入しておりまだコントロールが利かないらしい。おまけに地上との距離が空いてしまっているため着地した騎士達への攻撃も大幅に遅れてしまう。
そして彼の逡巡と遅延が生んだ隙は、騎士団での日々を過ごしてきた騎士に慣れた詠唱を唱えさせるに充分な時間を用意してしまっていた。
「「「【レイヴンエッジ】!」」」
三人分の颶風を伴う第四魔術位階が罪人を捕らえていない蛇の首筋部分を破壊し、
「「【インパルス】!」」
主もろとも落下してきた岩の頭部を、二方向から同時に放たれた衝撃波が破砕した。
余波を受けて少し浮いた巨漢の体を待ち受けるは都合五本の“シルバーソード”。
「ちぃっ!」
舌打ちしながらギルフィが右腕を横に突き出すと、袖から伸びた粘土の蛇が騎士達の集合する地点より少し離れた位置の地面に牙を立てる。
それを縮めることによって彼は自らを大きく横へと移動させ、胴に刺さろうとしていた刃を全て回避した。
互いに地に足つけたところで、施設の守り人と襲撃者が睨み合う。
「いきなり閉じ込められた時には身動き取りづれえわ外の状況わからんわでどうなるかと思ったぜ。けどこうして出られたことだし、中で暴れ続けてきた甲斐もあったってもんだ。……んで今更の確認になるが、テメェ[デクレアラーズ]の構成員か」
リーダー格の騎士が声をかけ、ギルフィがそれに首肯する。
その間にユーも高所から跳躍して彼らの近くに並び立った。遠距離攻撃に優れたエリカはともかく、彼女は武器と魔術の関係もあって敵から離れているべきではない。
「そうとも。今日は更生の余地がないものとされる罪人を殺し、残りを有効利用すべく攫いに来た。世間的にはテロルと呼ばれる類の活動だな」
「社会を変える的な世迷い言抜かしてる割に自分が何しでかしてるかわかってるじゃねえのよ。なら交渉の余地もねェわな?」
「当然だ。……しかしこれ以上無理に戦う意味も薄いか。多少想定外の事態は生じたが、最優先事項となる仕事は済ませてある」
言って親指で背後の大蛇を指す。
既にエリカの魔術が解けつつあるそれの中から、まるで排泄でもするかのように数人の人間がこぼれ落ちてきた。
「お前っ」
「我らが道化によってこの先また罪を重ねるであろう連中は既に殺した。肺と気管を粘土で満たすという方法だけに時間はかかってしまったがな」
買い物を済ませたかのように感情の揺らぎを見せないまま、ギルフィが杖を両手で握り構えをとる。
「残された人材に関してはどうでもいい。我々の方で活用できればこちらとしては助かるものの、このまま残して将来的な社会貢献を為すならば異論もなし」
そのまま足元の土が波打ち始め、ギルフィ自身を飲み込まんとする蛇の頭部へと形を変えた。
「最良の結果は得られなかったが、まあ俺の落ち度として今回は学びを得たと納得しよう。さらばだ」
言いたいだけ言った彼を飲み込んだ粘土の蛇は半色の頭部を地中に沈め、痕跡すら残さず姿を消す。
走って追いかけようにも相手は地中にいるのだ。向かう方角がわからなければ追跡もできまい。
「あの……」
だからこそユーの中に疑問が生じる。
騎士の誰一人としてギルフィの逃亡を制止しようとせず、また逃げられた今も特に焦った様子が見受けられないのは何故か。
答えはすぐに発覚した。
「【案内人に告ぐ 標を示せ】」
「あ、あ〜……。それ正式に騎士団に採用されちゃったんですね。そんな話をいつか第一王女様がされてましたけど……」
「姫様のご意向でな。これの術式公開してたサイト運営者にも国から声かけて使用制限に協力してもらってるってよ」
魔力で周辺の地図を作成する第六魔術位階【マッピング】。
最近になって開発されたそれはまだ広く知られる前にエリカが活用していたが、どうやらそれを見たフィオナの判断により今や騎士団全員が会得しているらしい。騎士の発言が事実ならもう既に一般人が会得できるものでもなくなっているのだろう。
記号の集合によって形成されたそれは複数集まる丸い図形から離脱していく別の図形を感知していた。
「おっしゃあそこだァ!」
「「「「【レイヴンエッジ】!!」」」」
四つ重なった【レイヴンエッジ】が少し離れた地点の土を大きく抉ると、轟音とともに生じた炸裂で大量の土くれが飛散する。
その中に交じって、スーツ姿の巨漢も。
「ぐおおぉぉぉぉ!?」
空中で戸惑い叫ぶ姿がユーの目には少し哀れに映った。




