第二十四話 現実反逆少年
ガキン、という音が響く。
死を覚悟する暇もなく呆然としたまま殺されかけていた圭介の意識が目の前の現実に回帰すると、そこにはヴィンスの“グリーフクレセント”を“イントレランスグローリー”で受け止めるミアの背中があった。
「さっきっから聞いてれば、言いたい放題言っちゃって……っ!」
「ケースケさんは貴方のストレス発散用の玩具じゃありません!」
声と共にヴィンスへ向けて“レギンレイヴ”の切っ先を突き出すユー。
透き通った水色の刃の先端はそのまま老いた体の肩部に当たり――
「え!?」
そして、刺さらない。
まるで木の枝で岩を突いたかのような手首への反動だけが伝わる。到底人の身に許される頑強さではなかった。
部分的に即死の危険性は無くとも貫通させるつもりだったユーとしては、ヴィンスが回避行動をとらない事も含めて予想外の結果である。
同時にヴィンスの肉体に、何らかの魔術が付与されていることも認識できた。
「甘いよ」
「づっ!」
攻撃を受けて身じろぎもしないまま放つ裏拳がユーの脇腹に食い込む。
そのまま吹き飛んでも尚体を起こそうとする気概は残ったものの、攻撃が当たった場所が悪かった。激痛に邪魔されて立ち上がろうとしても崩れ落ちそうになってしまう。
「ユーちゃん!」
「この隙に詠唱するべきではなかったかな」
次いで“イントレランスグローリー”の表面に蹴りを入れて体勢を崩すと、“グリーフクレセント”の柄の部分を横たえる。
ほぼ同じタイミングでミアがヴィンスから逸らしてしまった視界を元に戻そうと顔を前方に向けた瞬間、意識が薄まって防御に隙が生じる。
そこを突いて、ほんの少し露わになった首を横に倒された状態で突き出された柄が襲った。
「え”っ」
気管に深刻なダメージが入ったことで、ミアの動きが止まってしまった。事この状況においては致命的である。
「が、っぁあ……」
「仲間の回復も出来る君には寝ていてもらおう」
宣言と共に側頭部に強烈なビンタが繰り出される。
呼吸が整う前に脳震盪を起こしたミアはそのまま倒れてしまった。ごほごほと咳き込みながらも辛うじて浅く呼吸はしているようだが、起き上がる気配はない。
「なっ……何が起きた!?」
何もできないまま一連の動きを見ていたエリカはヴィンスの圧倒的な戦闘能力に瞠目した。
まだ戦おうとしながら動きが緩慢になってしまっているユーも、生まれたての小鹿のように立ち上がろうとしては失敗しているミアも決して弱いわけではなかったはずである。それは長い期間彼女らと共にパーティを組んできたエリカが知っている。
その二人が、数秒で見事に蹴散らされた。
「君達は、なんだね。戦術に乏しい組み合わせだね」
悠然と佇むヴィンスは溜息交じりに彼女らを厳しく評した。
「まず真っ先にミア君が私の攻撃を防ぎに割り込んできたが、回復も補助もできる人材が最初に前線に出るというのが論外だ。いかに防御性能が優れていたとしても攻撃手段が格闘技術と詠唱を要する第四魔術位階では銃や弓矢で囲まれた際に生存手段がない。彼女は防ぐ役割を別に任せて後衛に務めるべき人材だと私は思うが、君達の中に壁役を担う人材がいないのは大きな欠落だよ」
「【首刈り】――」
「次に君だ、ユーフェミア君」
脇を痛めた状態での白兵戦は不利と見たのか、離れた位置から魔力の斬撃を飛ばそうとしたユーの目に“グリーフクレセント”で掘り起こした土くれを飛ばして視界を塞ぐ。
怯んだその隙に接敵し、石附で腹部を抉るように突いて叩き飛ばした。
「がはっ!?」
「エルフは種族的特徴として魔力の容量が大きい。故に肉体の鍛錬を重ねてより高い効率での身体強化と魔力による斬撃を組み合わせた戦闘技術を獲得したのは正当な判断だ。だが膂力を上げたはいいものの防御面において君は裏拳一発で沈んでしまう程度には弱過ぎる。それと精神面の鍛錬も怠らない方がいい。驚くと立ち止まる、戦いにおいて致命的でもある君の悪い癖だ」
反論どころか顔を相手に向ける余裕も残せず、ユーの膝がとうとう折れた。
その様子を見て、今度はエリカの方へ向き直る。
「……っ!」
未だ動揺から復帰しきれていない彼女の銃口は、一応はヴィンスに向けられているものの標準がぶれていた。
「君もだ、エリカ君。君の弱点は至極単純、攻撃力と手数に頼っているせいで敵味方入り混じる乱戦に対応しきれない。今、撃とうとした瞬間に私がユーフェミア君に近づいた事で引き金から指を放しただろう。確かにそれでよかった。君の腕では私も彼女も同時に巻き込んでいたに違いない。そして私は君の魔力弾を受けても耐え抜くだけの耐久性を持っているが、ユーフェミア君に関しては一発でも当たれば危険なところだったからね」
あの【シャドウナイツ】を蹂躙し尽くしたエリカの弾丸を耐え抜くと目の前の老いた体は言う。
馬鹿な、とは思ったが現に防具も着けないままの状態で“レギンレイヴ”による刺突が通用していないのである。信じるしかなかった。
「君の魔力弾に仕組まれている術式は少々特殊だ。恐らく意図的に相反する性質の術式を二つ同時に弾丸に込めている。対象と接触する事を条件に術式同士を隔てる役割も担っていた魔力弾の存在が消失して反作用を引き起こし、強力な炸裂を起こすという仕掛けがあるのではないかね。君の性格及び選択科目とご両親から聞いた君の話を総合するにそれも第六魔術位階と見るが、魔力弾程度の光で充分弱体化してしまうウォルト君の【シャドウナイツ】ならまだしも私の体に傷をつけるには些か厳しい」
「はっ、ご教示どーも。流石は先生だ。あたしの手札までお見通しかよ」
悪態を吐きながらも二つの銃口と二十六の魔術円は逸らさない。
が、その虚勢は確実に見抜かれている。仮に引き金を引いた所でヴィンスは全ての弾丸を受け切り、これまでと同様に近距離戦に持ち込んでエリカを無力化するのだろう。
事実上、彼女らとヴィンスとの勝敗はこの短時間で既に決まっていた。
「……てこたぁ、アンタはどんな攻撃も耐えられるってか」
「流石に『どんな攻撃でも』は言い過ぎだよ。ただ、所詮は学生である君達がこの距離まで私に接近を許した状態で逆転するのは容易なことではない。……わかったら邪魔をしてくれるな。二人を殺したら君達は全員解放するし、私自身きちんと自首もすると約束しよう。私は復讐すべき相手にしか刃を向けたくないんだよ」
言うとヴィンスはエリカに向けていた目線を圭介の方へと戻す。
相変わらずその眼に感情は見受けられない。
「時間がかかってしまってすまないね。焦らされたせいでさぞかし怖かっただろうが、それももうすぐ終わる」
「おい、待て……っ!」
「さようならケースケ君。この理不尽な殺人鬼を恨みたければ恨めよ」
手向けの言葉を皮切りにヴィンスが戦斧を上段に構えて突撃してくる。エリカの叫びがそれを追う形で鳴り渡った。
「やめろ先生!!」
エリカが魔力弾をヴィンスの背中に乱発するが、間に合わない。そもそも当たったとしていかほどの威力を見込めるものか。
が、動いたのは圭介も同様である。
* * * * * *
学生同士の喧嘩程度の覚悟しか決めていなかった。
本気で殺しに来る相手と対峙しなければならないという状況は想像すらしていなかった。
目の前にいる復讐鬼は感情も倫理もかなぐり捨てて殺人計画を決行しようとしている。それが本気であるということは、ウォルトの足首を容赦なく踏み潰した時点でわかっていた。
ならば今自分に必要なのはいかに逃げ延びるか、あるいはいかに相手を先に行動不能にするかである。
本来なら生存を最優先すべきこの場面で死への恐怖と同時に圭介の胸に去来するのは、一人の男に対する畏敬と憐憫。
ヴィンスの話を聞いた圭介は、「殺されたくない」と同時に「殺させたくない」というわがままも抱いた。
「ふんぐっ!」
「むっ!?」
膝を曲げてしゃがみ込み、つむじをヴィンスに向ける。何を、と一瞬生じた硬直を見逃さず圭介の背中から【テレキネシス】によって鉄棒が飛び出した。焼却炉の横に置かれていた灰かき棒である。
不意打ちのようなタイミングで眼前に突き出された鉄棒に怯んだ事で、二十八発もの魔力弾が背中にぶつかっては弾け続けた。さしものヴィンスも思わず顔に迫る脅威を回避してしまう。
と、鉄棒を避けたその視界が突然暗黒に染まった。
「な、何だ!?」
「義務教育時代を共に乗り越えた大切な相棒だ!」
その正体は木の枝に引っかけられていた折り畳み傘の布切れ。それを外してヴィンスの目隠しに用いたのである。曇天の、それも周囲を木々に覆われた場所で暗色の布を目元に当てられてはたまらない。
「頑丈ってんなら、こうしても大丈夫だろ!」
屈んだ姿勢のまま駆け出した圭介は【テレキネシス】で落ちていた石ころを右手に引き寄せ、
「はぅんっ!!?」
その石を握った手で目前の股間に渾身のストレートをかました。
明かしてしまうと、ヴィンスの扱う魔術は主に身体強化が基本となる。
その中でも彼は筋肉を鋼鉄にまで及ぶ段階へと硬質化させる第五魔術位階【メタルボディ】という魔術を、グリモアーツの【解放】と同時に常時発動していた。
元来彼は他人よりも筋肉量が少ないため、単なる筋力増強だけでは早い段階で自身の限界に至ってしまったのである。
【メタルボディ】はそんな彼の可能性を拡幅するために習得された数ある魔術の中でも最も適性の高かった術式だった。戦闘態勢に入った彼の肉体は例え削岩機を用いても損傷を与えられないだろう。
そうして筋肉量の少なさを克服した彼は結果として、無自覚に筋肉に依存した魔術ばかり扱うようになっていった。
この傾向はコンプレックスも絡むため必然と言えば必然だが、その結果生じる免れ得ない弱点が今この瞬間に圭介によって暴かれたのだ。
つまるところ情けない話。
どんなに体を鍛え抜いたとしても。
皮膚で包まれただけの内臓たる男の弱点には、最初から鍛えるべき筋肉などついていないのである。
「ぐ、ぅおおおおおおお」
「おぉう……」
つい先ほどまで追い詰められた表情を浮かべていたエリカまでもが引く勢いでの殴打だった。
何となれば、倒れ伏しているミアの方から「うっわ」という小さな声が聴こえたり、土に突き立てた“レギンレイヴ”を支えにいつの間にか立ち上がっていたユーが口をぽかんと開けていたりもした。
「聞いてくれ、ヴィンス先生!」
「せめてそういうのは話聞くだけの余裕を残してから言え!」
流石に同情してしまったのか、エリカの声に先ほどまでとは別種の悲痛さが混じる。
「先生が僕を、というか客人を恨む気持ちはよくわかった! 復讐の為なら仲のよかったエリカのご両親との思い出だって利用しようとするくらいに追い詰められてるってんなら僕にはもう止められないんだろう! でも!」
心からの叫びと共に、圭介の胸ポケットから燐光が放たれる。
輝く鶸色の光の中心には、解読不能な文字が織り成す奇怪な紋様。
グリモアーツが圭介の魔力を受け続けた結果、適した魔力の流れを浮かび上がらせた証左――シンボル。
そのシンボルは、ドアノブを握る人間の手を描いていた。
「え、おいちょっと待て、このタイミングで……」
「く、【解放】だと!?」
動揺するエリカと股間を抑えて蹲るヴィンスを置いてけぼりにして、圭介は懐のグリモアーツを取り出す。
「ゴメン先生、僕先生には殺されたくねえ! 元の世界に帰って、叶えたい夢叶えて、『もう生きるの飽きたマジで死にてー』ってとこまで生きたとしても先生に殺されるのは無理!」
馬鹿みたいだった。
幼稚で、身勝手で、理論も哲学も道徳もありはしない圭介の言葉。
そんな馬鹿みたいな言い分に、しかしヴィンスは何も言い返せない。
それはきっと、この土壇場で殺すべき相手が【解放】を会得したからではなく。
「だって先生、そんな風に人を殺したら僕らもアンタも揃って可哀想じゃないか! 目覚めぇ悪いだろそんなん!」
未熟な人間から年老いた人間に送られる、純粋な優しさに触れてしまったから。
「【解放“アクチュアリティトレイター”】!」
――嗚呼、誰が想像できるものか。誰が理解できるものか。
今この瞬間、ビーレフェルト大陸は。そこに住まう遍く生命は。
自分達の未来へと続く、たった一つの希望を得たのである。




