第十四話 血も涙もなく
アッサルホルトの南西側には食品や生活雑貨などの物品を運び入れるための車両用出入り口がある。
その関係で車両や飛空艇を停めておくため駐車場兼駐艇場が存在しており、新たな囚人となる犯罪者を運ぶための装甲車両も置かれている関係で面積は広い。
滑り止めの意図を持って緑色の塗装が為されたコンクリートの地面には、蜘蛛の巣めいた大きな罅割れが生じていた。
「来たか東郷圭介。待ってたぜ」
既に“アクチュアリティトレイター”の【解放】を済ませた圭介の前に立つのは、晒す肌に蘇芳色の術式を浮かべるアジア系の美青年。
首周りに赤い液体をマフラーの如く纏わりつかせ、余った分を後方に流すようにして伸ばしている。
一目見て只者ではないとこれまでの経験から培われた勘が告げていたが、圭介とて退くわけにはいかない。
「またよくわからないのが来たなあ。一応訊くけどオタク[デクレアラーズ]だったりします?」
「ああ。♥の6、馮軍輝だ。よろしく」
『アズマです。よろしくお願いします』
「いやお前が返事するんかい」
馴れ馴れしくすら感じる緊張感の欠けた自己紹介は、圭介にとって聞き逃がせない言葉を含む。
「……ん? ♥の6? ってお前まさか、こないだウチの騎士団学校で何人か殺した奴か!?」
想起するのはアーヴィング国立騎士団学校の正門前に貼られていた書き置き。
四人の不良学生は未だ発見されておらず、ただ彼らの実家に人間の皮膚と骨を加工して作られたらしい万年筆や小皿が届けられたという真偽不明の噂話だけが生徒達の間に蔓延している状態だ。
もし彼がその実行犯なのだとしたら、今後も類似した語ることすらおぞましい事件が頻発すると見て間違いあるまい。
「あー、あのクソガキどもな。いや一応こっちもちゃんと反省してるのか確認したんだけどさ、悪いことしてるって自覚した上でやめるつもり毛頭なかったみたいだから。そんなん生きてても社会にとって迷惑なだけじゃん? だから早めに殺したんよね」
あっけらかんと認める軍輝の顔には一切の罪悪感が見えない。まるで害虫駆除の流れを説明するかのような態度は、真実当人の認識として害虫駆除の流れを淡々と話しているだけなのだろう。
「おまっ……そいつらがクソ野郎だったってのは僕も聞いた話から察してるけど、殺すのはやり過ぎだろ。悪いことしたからってすぐ殺されるんじゃ反省する暇もないじゃんか」
「平和ボケしてんなあ。あのね、我らが道化が観測すれば反省してるかどうか、再犯するかどうかまでわかるの。んで再犯するようだったら次の被害が出るからその前に殺すの。つか究極言えば反省とか別にいらねーの、大人しくしてりゃ悪人だって生きてていいの」
聞き分けの悪い子供に言い聞かせるような物言いはどこか断定的だ。恐らく“観測した対象の情報を読み取る”というアイリスの第一魔術位階、【ラストジーニアス】の性能を後ろ盾としたものに違いない。
魔術の効果として表れた情報が蛮行の前提となっているため、説得によって制止するのはほぼ不可能だ。
「悪人を悪いことする前に皆殺しにすれば被害者は発生しないだろ? 当たり前の話だぜ」
そして今提示された彼の発言こそが[デクレアラーズ]という組織の主だった活動方針なのだと、圭介は嫌悪感とともに理解した。
「ま、命を大事にし過ぎて平均寿命伸ばしまくってる日本人にはちょっと刺激的な内容だったかね。けどそうでもしなきゃ理想社会なんて実現できねーのよこれマジで。実際ビーレフェルト大陸全体で“大陸洗浄”前と後とで犯罪率全然ちげぇし」
「それで、今日は犯罪者皆殺しに来たってのか」
「全員ってわけじゃねーな。事前に我らが道化からもらったリストに載ってるヤツだけ選んで殺してく感じ」
ひらりと懐から抜き出されたのは簡素なメモ書き。
遠目に見た限り、どうやらアガルタ文字で数人分の人名と何かしらの番号が記載されているらしい。襲撃した施設の規模に反してその数は二十人にも満たないだろう。
少なくとも全員例外なく殺傷しようという意図はないようだった。
『なるほど。無差別殺人を目的としているわけではないと。法的な問題はともかく、大衆の心理として貴方達を悪として扱うのは難しいのかもしれませんね』
「そゆことよ。いいねぇお前、アズマだっけ? 機械のくせに見込みあるわ」
とはいえ圭介とて、彼らに選ばれた更正する見込みのない囚人を見殺しにするつもりもない。
「やめときなって勧善懲悪とか今の時代流行らないから」
言って“アクチュアリティトレイター”に念動力を纏わせる。
大気中の塵や踏み砕かれた地面の欠片が渦巻くそれに巻き込まれて、巨大な金属板の周りをくるくると回った。
「正義のヒーローでも気取ってるなら現実教えてやるよ。お前らがやってるそれは世間一般の感覚で言ってもテロ扱いされる犯罪行為でしかない」
「んなもん[デクレアラーズ]にいる連中は全員わかってるから安心しな。正義振りかざしても悪人は悪事をやめないし、法律は路地裏で襲われてる弱者を助けない。だから俺らは犯罪者をぶっ殺すために犯罪者側に立ったんだ」
圭介が戦闘態勢に入ったのを見て応じるように、軍輝も両足の位置を調整する。
しかしこちらはファイティングポーズと呼べる体勢になっていない。余裕の表れかと疑いたくなるも圭介は即座にその可能性を捨てた。
相手は[デクレアラーズ]。世にその存在を知らしめてから今日まで未だ構成員が欠けていない、強力な客人達の犯罪組織である。
一切の油断は許されない。
「人助けしたいって気持ちが殺人に繋がるのが意味わかんねーって話をしてんだよこっちは」
「さっすが世間一般で悪の排斥派をぶっ潰した正義のヒーロー扱いされてる東郷圭介君だ。縁遠いから裏で食い物にされてる弱者の気持ちなんざ理解したくもありませんってか。でもお前が何を言ったところで」
言葉と同時。
マフラーのように宙に浮いていた血液の集積が一度持ち上げられたかと思うと、
「俺は俺にできる限りを尽くすだけだよ」
圭介が立っている前方とは真逆の方向、背後に向けて横薙ぎに大きく振るわれた。
「ぎゃぶっ!?」
誰もいないと思われていた空間から悲鳴が飛び出し、そこから白い鱗に覆われ肥大化した右腕とともにコリンが現れ吹き飛ばされていく。
光を操り相手の視界から消える魔術【インビジブル】で姿を隠しながらの不意打ちは、いとも容易く見抜かれていたのだ。
コリンは一撃を受けたものの空中で体勢を立て直し、つま先で数回地面を蹴りながら着地した。
「あれっ、バレた!? ちょっとコリン大丈夫!?」
「だ、大丈夫なの。……にしても攻撃に迷いがなかったの。索敵魔術でも使ってるの?」
「索敵なんて言われるほど大袈裟なもんじゃないさ。ヒントはいくらでもあった」
言いながら軍輝は自身の体を彩る蘇芳色の術式を指先でなぞる。
露出した胸元、鼻先、耳と。
「体温、体臭、空気の振動。足音はきっちり抑えてたけど、それもこんだけボロボロの地面じゃあ完全な無音ってわけにいかなかったな」
ガイによって提案された作戦――圭介に意識を集中させた状態でのコリンによる奇襲は、その汎用性に満ちた身体強化術式によって打ち破られたのだ。
「向こうじゃ“カエサルの座”に作られたデカブツどもが暴れてるみたいだし、俺もそろそろやるかあ」
言って軍輝が腰を低く落とす。
来るか、と圭介が構えたその瞬間。
「おっせ」
軍輝の姿が消えると同時、背中に衝撃が走った。
「んがぁっ!?」
「ケースケ君!」
コリンの叫びに応じる暇もなく吹き飛ぶ中で圭介は自らの心中に生じた混乱を抑えつける。
周囲に張り巡らせた【サイコキネシス】の索敵網に残る、引っかき傷のような感触の残滓。つい一瞬前まで軍輝が立っていた位置から圭介の真後ろへと続くそれが意味するところは、転移魔術ではなく純粋な加速による移動だろう。
以前ユビラトリックスで見たフェルディナントのそれには至らないものの目視で動きを追うのは難しい相手だ。
(間に合うか……!?)
ひとまず索敵に回していた分の【サイコキネシス】も引き寄せて全身への防御に充てるべく自身に向けて引っ張り込む。しかしその速度では間に合わず、それより先に軍輝が圭介の眼前に到達する。
神速の拳が後方に獰猛な笑みを携えて圭介の腹部に突き刺さった。
「ゴガハァッ!」
「オラオラオラァ! ご自慢の念動力魔術はどしたあ!」
顔、胴、庇うために前方へと出した腕や足にも衝撃が走る。近接戦闘のいろははユーから教わったものの、力と速度に圧倒的な差があると技巧では完全に防ぎきれない。
かろうじて己の体を包み込み致命傷から一撃一撃を逸らしている念動力が【テレキネシス】なのか【サイコキネシス】なのか、既に圭介には判断できなくなっていた。
「ぶっ飛びやがれぇ!」
「づぉぉおおお!」
一段と強い威力による蹴りで飛ばされた体が付近に停められている車両に激突し、無意識のまま背中にまで巡らせていた念動力でバンパーが陥没する。
尻餅をついた姿勢のまま追撃を恐れ呼吸の乱れも無視して“アクチュアリティトレイター”を突き出したが、どうやら軍輝はゆっくりと歩きながら近づいてきているらしい。
「っかー、♠に選ばれたっつっても所詮は3かぁ。にしたって残念だなオイ」
ある程度接近したところで巨大な金属板を手で横に払いのけ、触れる指と手首に【サイコキネシス】を絡みつかせようとするより先に反対側の手が圭介の胸ぐらを掴み上げた。
「うぁっぐ」
「念動力魔術なんて珍しいもん使えるってだけでもすげえのにさァ。排斥派のクソ野郎どもと戦ってアホみたいに強くなっていってるって聞いた時にゃあ結構憧れたりもしたんだぜ? それが何だよこのザマはよ」
男の圭介から見ても整った顔立ちには明確な落胆の表情が浮かんでいる。どうやら彼は圭介が持つ魔術やこれまでの戦歴をある程度知っているらしい。
「言っとくが俺これでもまだ実力の半分すら出してねえからな。こんなんで勝てるなら【解放】もいらなかったわ、ったく」
「【水よ来たれ】【焦熱を此処に】」
「あ?」
であれば警戒すべきだったが、そこは軍輝の若さと実戦経験の少なさからくる油断もあったのだろう。
皺の寄せられた眉間に、圭介の手から熱湯が浴びせられた。
「うぉおだああ!?」
「ヘレン・ケラーかお前は!」
たまらず離れた軍輝と反対方向にある、自分の後頭部と念動力で凹ませてしまった車を【テレキネシス】で持ち上げる。
宙に浮いたそれは地上を走る時よりやや控えめな速度で仰向けになった圭介の上を飛び、のけぞった青年の顔面に正面衝突した。
「ぶごっ……」
そこいらの鈍器など比較にならない質量の物体を真正面からぶつけられ、鼻血を吹き出しながら軍輝の体が後方に吹き飛ぶ。危険な角度で頭から落着し、頭皮を削りながらなおもザリザリと地面を擦り滑っていく。
通常なら死んでいない方がおかしい状態だが、そんな道理が通じるほど甘い相手ではないと圭介も弁えていた。
再度“アクチュアリティトレイター”を構えて吠える。
「好き放題殴りやがってイケメンが! 今までさぞかしおモテになられてきたんだろうけどこれで顔面崩壊だざまーみろバーカ! ついでにハゲちまえ!」
「うっわ容赦ねえの。私だったらあんなん死んでるの……」
言葉を吐き出すと同時に周囲の車という車を浮かせ、まとめて倒れた軍輝に投擲していく。
集積していく車は重なる過程でひしゃげたり潰れたりしていたが、もはやそこに配慮していられるだけの余裕もない。相手は素早く力強い難敵なのだ。
車の山と化したそれらにこれ以上積めるだけの車両がないとわかり、圭介の手が止まった。
「っふぅー」
「いやあお見事なの。ていうか相変わらず念動力魔術ハンパねぇの」
パチパチと拍手しながら笑顔のコリンが歩み寄る。両腕は既に人間のそれと同じ状態になっており、つい先ほどまで五倍近く膨れ上がっていたとは到底思えない。
彼女からの称賛を受けて、しかしそれでも圭介は浮かれた気分になれなかった。
どころか急いで周辺のマナを【オールマイティドミネーター】によって吸収し、自身の魔力を回復させていく。
「まだだ」
「ん?」
「こんなんで決着つく相手ならそもそも僕と真っ向からぶつかろうなんて思うはずがない。そんな単純な相手じゃないはずなんだ、[デクレアラーズ]は」
『魔力反応は途絶えていません。引き続き警戒する必要があります』
言いながら腰に下げている鞘からクロネッカーを引き抜き、水を纏わせながら見つめる先は変わらず車の集積。
コリンも遅れてその視線を追った。
瞬間、金属の山の内側で赤く細い何かが迸り閃く。
「んん!?」
「危ない!」
短剣の先端に集められた水の形状を刃ではなく碁石のような楕円形に変えた。念動力によって圧迫され凝縮されたそれは透き通った盾となる。
その盾に車両の切れ端が容赦なく次々と突き刺さっていき、鋭利な先端を内へ内へと沈み込ませていく。
「やっぱあんなもんじゃ倒せねえか!」
「あれをあんなもんとか言わないでもらいたいんだけど! インフレについていけねっつのこちとら基本は戦闘員ですらないのにさあ!」
『口調が変わっているようですが大丈夫ですか?』
「なの!」
「雑な上に手遅れなんだよなあ」
突き刺さったそれら破片を一箇所にまとめた水ごと地面に落とし、その向こう側に立つ軍輝と向かい合う。
彼の全身からは赤い刃が飛び出ていた。
「ようやっと本気出せる程度にはあったまってきたじゃねえの。そうそう、我らが道化があんだけ認める相手なんだからこのくらいはやってもらわねえとな」
無数の車両によって潰されていた人間とは思えないほどの余裕を見せる彼は、真実無傷であると主張するかのように軽口を叩く。
「お元気そうで何よりだわ。つーかあちこち痛そうだけど、出血多量で死んだりしないのそれ」
「俺一人だけの血ってわけでもねえさ。これまでぶっ殺してきた悪党どもの中から何人か選んで抜き取った分もある」
「ほーん? なるほどね」
軽口を交えてでも魔術の正体を平然と明かすのはそれだけ自信があってこそか。少なくとも今更この局面でブラフに頼る可能性はあるまい。
「操血魔術……!」
隣りに立つコリンが戦慄の表情で右足を一歩後退させる。
「ケースケ君、気をつけるの。あれは」
「おっとぉそこまでだ!」
引き下がろうとしたコリンに向けて軍輝は目視困難な速度で接近、掌底を当てるべく手を突き出した。
第五魔術位階【メタルボディ】で鋼の如く強化されたそれが、同じく筋肉の伸縮をより柔軟にする第五魔術位階【スプリング】によって勢いをつけ放たれる。いかに客人やヒューマンと比べて頑丈な体を持つレプティリアンと言えど受ければただでは済むまい。
が、響き渡った衝突音は人体から聴こえる類のものではなかった。
「あっぶねえ!」
当たる寸前、圭介が“アクチュアリティトレイター”で防いで最悪の事態を逃れたのだ。
先ほどよりも速い動きを想定して事前に【テレキネシス】を使い、軍輝の動きを前もって阻害していなければ今頃コリンの頭部は胴体から離れていただろう。
当然圭介とて、防げたからと油断したりはしていなかった。
だというのに気づけば脇腹に鋭い痛みが走る。
「……ん?」
「甘いなあ♠の3。いや、まだ正式には加入してなかったんだっけか」
槍の穂先よろしく突き出される足は確かに受け止めているものの、圭介の体を貫いている血の刃は伸び切ったふくらはぎから伸びていた。
大きく湾曲するそれは“アクチュアリティトレイター”を避けていて、仮にその存在に気づけたとして蹴りと同時には防げそうもない。
そこでようやく圭介も認識を改める。
自分は格闘家と戦っているわけではない。
血を操るということは、全身どの部位どの角度からでも、どんな形状の刃でも即座に出せるということ。
「ごはっ」
「ケースケ君!」
『マスター!』
刺された部分を抱え込もうとすると軍輝から伸びているそれが引き抜かれ、たたらを踏むように不安定な挙動を見せてから横向きに倒れ込んだ。
落とした“アクチュアリティトレイター”の重みが地面に新たな亀裂を走らせる。
「いくら魔力が無限にあろうとこれじゃ関係ねえな。まともな動きしかできねえ以上、一生かけても俺には勝てねえよ」
蔑むような声は、どこか遠く聞こえた。




