第十三話 岩鱗の蛇
「思ったより湧いてやがんなコイツら!」
「エリカちゃん気をつけて、天井からも来るよ!」
「だあチクショッ!」
悪態と同時、真上に放たれた魔力弾が今にも落下しようとしていた細長い異形を撃ち抜く。
常駐騎士団が先導する形で進む留置施設へと続く東側通路は、無数に蔓延る半色の蛇で埋め尽くされていた。
壁や天井を這い回るそれらはいつでもどこからでも牙を向けてくるため安全な場所などない。エリカとユーの二人を引き連れる五人の騎士が前方にいるものの、取りこぼしはどうしても発生する。
よく見れば騎士の中の一人は左腕に岩の蛇が巻きついていて、走り方を見る限り明らかに重心を傾けられていた。
第五魔術位階【ストーンスネーク】。
粘土によって構成された体を岩の鱗で包み込んだ蛇は、実在する同名のモンスターと類似した姿形をしている。
モンスターの方と異なるのは術者の意思を尊重して動くこと、そして組み込まれた術式によっては単なる硬さ以上の脅威を有することだ。
噛みつかれても毒が回るような事態にこそならないものの、絡むと同時に粘土の体が岩に変化するため一匹でも触れてしまうと機動力が落ちてしまう。部位によっては関節の駆動さえ妨げるだろう。
蛇の体を構成する鉱物や金属は粘土の如き柔軟性を付与する第四魔術位階【クレイアート】で粘土の役割を担っていただけだ。術式が解除されてしまえば元の硬さを得ると同時、魔力が抜けて重みも取り戻す。
たった一匹で現役の騎士が無視できなくなる程度の負荷となればかなりの重さだ。そんな手枷足枷となり得る存在が無数に存在しているのだから、相応に緊迫感も漂う。
前方で“シルバーソード”を振るう騎士の口から言葉が漏れた。
「くそったれ、まさかここまでやべぇとは思わねーだろ普通」
「第五とは言ってもこれだけの規模、量となると普通じゃありませんね。そこは流石客人と言ったところでしょうか」
たちが悪いのは今この状況を監視カメラで事前に確認できなかったという点である。
彼らを追い詰めている魔術の繰り手はレンズを岩の蛇で覆うように封じており、その姿を未だ見せていない。のみならず東側通路の惨状さえも隠蔽して待ち構えているのだから、一瞬の油断さえ許されない相手だ。
ガイが中距離戦闘を得意とするエリカと近接戦で本領を発揮するユーの二人に東側を任せた理由も、何が出てきたとしても幅広く対応できるようにという配慮が根本にあった。
前もって共有した施設の見取り図を思い返すに、そろそろ病棟から出て留置施設との狭間にある屋外の敷地内通路へと出る。そこにいる間だけはひとまず壁や天井にまで気を張り巡らせる労力が幾分か軽くなるだろう。
ほっと誰かが小さく息を吐き出し、同時に背後でずしんという轟音が響き渡った。
「おわっ」
「な、何の音だ?」
「あー、多分あのロボットが戦い始めた音だと思います。あたしらが城壁防衛戦で戦り合ったのとは別の機体だったんでどんな暴れ方するかわかりませんけど」
「言われてみればそうか、君ら勲章もらう前からああいう戦いに参加してたんだっけか……」
振動で天井や壁から数匹の蛇が落ちるのを避けつつ最前を走る二人の騎士が詠唱を始める。
「【剣の届かぬ場所に立ち 剣しか持たぬ私を嘲る怨敵よ】」
「【その薄ら笑いを裂いてやろう 泣いて贖おうとも手を緩めるだけの情は無し】」
詠唱が完了すると同時、“シルバーソード”の刃に颶風が纏わりついた。見えざる暴威が渦巻く状態を維持しつつ留置施設の入り口へと接近する。
開け放たれた鉄の扉は無数の蛇を吐き出しており通れそうにない。
「「【レイヴンエッジ】!」」
だからこそ群れ成す蛇の壁を二つの【レイヴンエッジ】で吹き飛ばす。
いかに頑強とはいえ一匹一匹は第四魔術位階に耐えられる強度を持たない。散らしてしまえば触れることもなく、触れさえしなければ大した脅威でもなかった。
扉の先、留置施設内部の様子は意外にも落ち着いたものだ。
吹き飛ばした【ストーンスネーク】が四散しているのは構わないとして、壁や床に誰かが暴れた痕跡などは無さそうに見える。どころか奇妙なことに、入り口からすぐ見える位置にあるエントランスホールにさえ誰もいない。
玄関窓口を経由して無人の広い空間へと足を運ぶ。
「おいおい聞いた話と違うぜ。ここに囚人達を集めておくって手筈になってたよな?」
「誰もいませんね。何か起きたのなら通信が入るはずですが」
「あまり平和な理由は期待できない。何か想定外の事態に見舞われたと見るべきだろうな。静かだからと油断するなよ――」
エリカとユーの前を歩く騎士五人は確実に周囲を警戒していた。居住区域から離れた監獄病棟に常駐しているとはいえ、プロの騎士が持つ誇りと身につけた力は本物である。
そしてそんなものは、突如真下から現れた巨大な蛇の口に呆気なく飲み込まれてしまった。
「……………………は?」
「え、え?」
床を突き破り天井を豪快に砕きながら出現したのは、それまで見てきたものと比べても遥かに巨大な【ストーンスネーク】。
五人の騎士を嚥下したそれが室内の半分を粘土で出来た肉体によって埋め尽くすと同時、上下に発生した大穴が不可思議な力で塞がっていく。
やがてエントランスは二人が騎士に連れられて入った時と同じ状態に戻り、巨大な岩鱗の蛇はエリカとユーに視線を向けた。その瞳は粘土でも岩でもない、何か鉱石らしきものが嵌め込まれているようで薄気味悪い。
「っ、やべえのが来ちまったなオイ!」
警戒心に従うままエリカが二十六の魔術円と二つの銃口から無数の炸裂弾を射出する。
表面を削られて鐘を落としたような鳴き声を響かせ身を捩るそれはしかし、すぐに削れた部分を修復してしまった。
同時にエリカから見て奇妙な現象も生じている。
ユーが何か恐ろしいものを見たかのように動かないことだ。
確かに騎士が目の前で飲み込まれたのはショッキングと言えるが、これまでいくつもの戦いを乗り越えてきた彼女らにとって目の前で誰かが死ぬという事態は初めてではない。
そもそも丸呑みにされただけならまだ生きているかもしれないという希望さえある。
加えて巨大な岩の蛇にしても、聞いた話によれば彼女は遠方訪問でこれより遥かに巨大なサンドワームの変異種と交戦していたはずだ。油断こそすべきではないが今になって恐怖を抱く相手とも思えない。
無視できない違和感にエリカも嫌な焦燥感を抱き始めた頃、それは聞こえた。
「なるほど確かにこの二人が来たか。やはり我らが道化の予測通りになったな」
「うおっ喋ったぞコイツ!」
「落ち着いてエリカちゃん。中に誰かいるんだよ」
ゆっくりと頭部を床に置いた蛇が同じ程度の速さで顎を開く。奇抜なことにその中から大男が吐き出されるように現れ、纏うスーツについた薄い土くれの破片をパラパラと払いのけながら立ち上がった。
すぐさま双銃と剣を構える二人に鋭い目が向けられる。
「俺の名はギルフィ・ボツェク。[デクレアラーズ]において♣の5を担う客人だ」
突如不意打ちによって五人の騎士を戦場から除外した上に破壊した施設までわずか数秒で修復するという規格外の力を前に、さしもの二人もこれまで踏んできた場数と形成された自負を一瞬だけ忘れた。
加えて何気ない所作一つ一つを見ても一切の隙がない。話しかけてきたタイミングで魔力弾や斬撃を繰り出しても、きっと難なく防がれるか避けられてしまうだろう。
「……名乗りを上げるたぁ律儀な奴だな。そのクラブだとか5だとかってのはなんだ、何か意味でもあんのか?」
「数字は扱える魔術の幅や精度の指標を意味しており、記号は理想社会を形成する上での役割を示す。♣は農耕を表す記号であるため俺の魔術は主に土壌の調整や作物の保護に用いられる」
「お、おう。そこはしっかり教えてくれるのね……」
「まあな」
軽く笑みを浮かべながら一歩後ろに下がる。
ほとんど背中を蛇に預けたような状態で男の口は止まらず動く。
「わずかな数を割り振られている時点で察してもらえると思うが、俺は農耕関係の構成員の中でも下から五番目に位置する存在。言ってしまえば中の下の実力しか持たない半端者だ」
ギルフィが右手をさっと払う動作を取ると、背後にいる大蛇の胴体から一枚のカードが突き出された。
彼の自己紹介を肯定するかのような、♣の5の数札。
「させるかァ!」
それを抜き取る前にと放たれたエリカの魔力弾はしかし、床から突如出現した【ストーンスネーク】によって阻まれる。
ユーはというと彼女も予兆なく現れた蛇に腕を絡め取られそうになっており、身に纏った【鉄地蔵】を炸裂させることでそれらを打ち払っていた。
「ちょっ、ユーちゃん大丈夫か!?」
「うん、こっちは何ともないけど……この蛇、床からも壁からも出てくるよ」
見れば確かにあらゆる箇所から【ストーンスネーク】が鎌首をもたげており、屋内という条件は気づけば最悪なまでに不利となる状況を作り出していた。半色の蛇に囲まれた今、彼女らに逃げ場はない。
結果としてギルフィの【解放】は滞りなく実行されることとなる。
「【解放“ラーガルフリョゥトルムリン”】」
握られたカードが発光し、その姿を本来のものへと変えていく。
現れたのは一本の豪奢な杖。
ジェーズルと呼ばれる類のそれは先端に絡み合う二匹の蛇の意匠が施されており、二つの頭部に挟まれる形で存在する石から半色に輝く魔力が漏れている。
杖の末端で床を軽く叩くと同時、大蛇の体表がボコボコと隆起し始めた。
「先ほどは随分と遠慮なく撃ってくれたが、これを見てもまだ続けるつもりか?」
粘土の中から鱗をずらす形で浮き出たそれらは、目を背けたくなるほど醜悪な人間の顔。
苦しげな表情で嗚咽と涙とよだれを漏らす様はあまりにもおぞましく、エリカの意識は戦闘中であるという事実から離れてしまう。
「おっわ……」
「【弦月】!」
広い範囲に届く横薙ぎの斬撃が三日月を描くようにして繰り出され、二人に群がろうとしてきた【ストーンスネーク】の一部を斬り捨てた。
同時に小さな体を抱え込んだユーによって一時的な安全を得たそこにエリカの矮躯が運ばれる。
「っ……」
「戸惑うのはわかる、けどまずは外に逃げるよ! 建物の中じゃあの人には勝てない!」
「す、まねえ!」
走る間にも足元に突如発生する裂け目を飛び越え、上下左右から襲いかかる蛇を“レギンレイヴ”で振り払う。正気に戻ったエリカも多少の衝撃を引きずりながら魔力弾でそれらを弾き飛ばした。
入ってきたばかりの出入り口を弾丸と斬撃で破壊しながら外へと飛び出すと、ユーの腕から力が抜ける。
「よし、ここからは自力で走って!」
「あいよ! 何となくわかった、こっちに逃げるぞユーちゃん!」
言って二人が急ぎ駆け込んだのは建造物の内部ではなく、アッサルホルト敷地外にある雑木林だ。
【ストーンスネーク】などの物体操作を主軸とした魔術に共通する弱点は、鉱物や金属を支配下に置ける一方で動植物などの有機的な存在に深く干渉できないところである。
長い期間管理されてきた木々の根は土の中で複雑に入り組んでおり、立ち並ぶ幹も障害物として申し分ない。ギルフィの魔術を持ってしても足元や側面からの不意打ちは難しいだろう。
適当な位置に生えている木の後ろに隠れる形で彼女達はアッサルホルト留置施設を見下ろせる位置に陣取る。
「しっかしよぉ、ンだありゃ。人があのデケェ蛇ん中に閉じ込められてんのか?」
「私も【漣】を展開してなければわからなかったけど、最初に出てきた時点で呼吸用の穴が鱗の下にいくつもあったっぽいよ。多分こっちに攻撃させないための人質だね」
「マジか。[デクレアラーズ]の奴ら正義ヅラしときながら卑怯な真似しやがる」
言う間にも留置施設は目の前で崩壊し、中からは半色の鱗を有する巨大な【ストーンスネーク】が躍り出た。
破砕された壁や天井はすぐさま長大な粘土の肉に吸い込まれ、蛇の外装を強化していく。
持ち上げられた頭部の上で仁王立ちするギルフィは、瓦礫の雨を浴びながらかすり傷一つ負っていない。
同時に非人道的な真似をしながら眉根の一つも歪んでいない。
「さてどうしたもんか。人質つったところで相手は犯罪者だし遠慮せず魔力弾ぶっ放すっつー選択肢もアリっちゃアリだが」
「エリカちゃん」
「まぁそりゃユーちゃんが許してくれねえわな。提案しときながら言うこっちゃねえがあたしだって嫌だね、目覚め悪くなりそうだし。そもそも中には罪のない騎士サマが五人もいんだからこの作戦は論外なんだよな」
赤と青、二色の双銃をガチリと鳴らして交差させる。
「逆に言えばその騎士団の人らまで飲み込んだ今、向こうも内側からの抵抗を抑えつけるために力と意識を割いてるはずだぜ。絶体絶命に見えて今こそチャンスってわけだ」
「だよね。現役の騎士なら中で大暴れしててもおかしくない。……で、作戦はどうする? 私じゃ力押しくらいしか思い浮かばないから、こういう時はエリカちゃんに頼りたいんだけど」
「んなもん決まってらあ」
ユーの言葉が半笑いの状態で紡がれたものだと声色から感じ取り、エリカも大きく笑みを浮かべた。
「あのでっかい蛇を避けつつ本体ぶっ叩く!」
「うーん結局力押しになっちゃうか」
二人が構えると同時、少し離れた距離にいるギルフィもグリモアーツ“ラーガルフリョゥトルムリン”の先端を林に向ける。
巨大な蛇の蛇らしからぬ鐘を落としたような咆哮が、土を覆う枝葉の端まで震わせた。




