第八話 日常は徐々に
セシリアとの昼食を終えてから数時間経った夕方頃、圭介がホームに訪れると既にパーティメンバー三人がテーブルを囲んでいた。
のみならずアルバイトを終えたと思しきレオ、定期的に顔を出すモンタギューとコリン、新学期に入ってからまだ話してすらいなかったエルマーまで来ている。圭介と交流を持つ同年代の相手はほぼ全員揃ったと見ていいだろう。
「うわっ、めっちゃいる」
「うーっすケースケ。大事な話があるとか言ってたからこれまでお前と仲良くなってた奴らテキトーに呼んどいたぜ」
「もふっ、もふ……早く話すの。もったいぶって長引くと新聞部の仕事が滞るから五分以内に」
「肉食いながら言うんじゃないよ。まあ、まずこれ見てもらいたいんだけど」
言いつつ圭介は座りながら♠の3のカードをテーブルに置く。全員の視線がその一枚に注がれるも、全ての視線に疑問符が宿っていた。
「ケースケ君、これ何? トランプのカードにしか見えないけど」
「あの、[デクレアラーズ]っていんじゃん。こないだヤバい動画流してた奴ら」
「あーはいはい、ウチの学校のいじめグループ拉致って殺したとかって話題の奴らな。何、それとこのトランプとで何か関係あんのけ?」
「これね、そこのボスからもらったんだ」
「うん。…………うん?」
「え? ケースケ君何言ってるんすか?」
一同の疑問符が更に大きくなったように思えたため、詳細な説明を済ませる。次第に呆気に取られていく表情の中でモンタギューだけは冷静な顔つきを維持していた。
「今朝の騒ぎの原因になった書き置きには♥の6とやらが関わってたな。そいつの存在も考慮するならアレか、その[デクレアラーズ]に勧誘されたってところか」
「書き置き……そっか、二人はそれ見たんだ。私達まだ確認できてないや」
「先生が何か剥がしてたのは見たけどね」
「あ、あああと僕も、他の人達がその、いなくなった人達のことで、それっぽい話してたのは、聞いたよ……」
話を聞くに他の面子が校門前に来たのは圭介達があの貼り紙を見た後だったらしい。生徒ではないレオも当然ながら見ておらず、何が起きたのかという情報はモンタギューのスマートフォンによって撮影された画像で共有された。
そのあまりにも無慈悲且つ狂気的な内容を受けてレオが小さな悲鳴を上げる。
「うぇっ、ひっでえ。やった奴も酷いけどこの中学生グループもヤバいっすね」
「言いがかりとか誤情報の可能性も考えたいところだけど、昨日の放送を見ちゃった後だと信憑性出てきちゃうね」
「んー、放火……最近確かに小等部校舎の方でそれっぽいボヤ騒ぎはあったの。新聞部でも小さく取り上げたけど、まさか中等部の仕業だったとは思ってなかったの」
ミアがレオに同調し、コリンが補足説明を付け加えた。
対してエリカとユーは圭介の方をまじまじと見つめており、画面に映された内容どころではなさそうに見える。
「なあケースケ。こんな奴らに仲間になれっつって誘われたのか?」
「うん。もちろん断ったしそれについてはカードの件も合わせてセシリアさんに報告済みだよ」
「それならよかったぁ。ケースケ君、どうするんだろうなって急に不安になっちゃったから」
「え?」
まさかあのような犯罪組織に自分が身を置くと思われていたのだろうか、と今度は圭介の方がユーの顔を見つめてしまう。その反応を受けて彼女は弁解するように両手をわたわたと振った。
「あの、こんな真似をケースケ君がするって思ったわけじゃないんだけど。……それでも客人の集まりっていうだけでちょっと心配になって」
「いくら同じ元の世界から来た人達つっても、あんな動画流してこんなんやる奴らとよろしくする気にはなれないよ。絶対にどっかのタイミングで意見食い違うわ」
「でもそういうことやる奴が集まってるのは事実なわけだろ? あたしも力任せに来られたらどうしたもんかって、ちょっち心配しちまったぜ」
ほっとした様子でエリカがスナック菓子を口に運ぶ。
[デクレアラーズ]は極端な主張と過激な行動が人々からの共感を阻んでいるものの、集団としては客人のみで構成された組織だ。
郷愁に判断を狂わされてあちら側に行ってしまう可能性も、彼女らの立場からしてみれば考えられなくもないのだろう。圭介としては少し心外な部分もあったが彼女らの懸念を理解できないわけではない。
一呼吸置いたところでモンタギューが口を開く。
「ただあの連中が今後どうケースケに絡んでくるかわかったもんじゃねえのも事実だ。確かそのアイリスとかいうのはあんたの部屋にまで来たんだろ?」
「うん。ハディアみたいな装置もなしに転移魔術を使ってね」
転移魔術なるものを圭介も少し勉強して知っている。その上で言うなら、特別な機械設備を用いず個人単位で発動できる魔術ではないという共通認識がこの異世界にはあった。
例えるならエレベーターや階段を用いず己の跳躍のみで階層を移動するようなものだ。それをアイリスはやってのけたのである。
「にわかには信じ難いが、そんな真似ができる奴ならまた来てもおかしくないだろうよ。下手すりゃいつぞやみてぇに騎士団の寮で世話ンなるかもな」
「嫌だけど仕方ないのかなぁ。やたらとルール厳しいんだよあそこ」
ガイのように堂々と規律違反を犯せるほど圭介の神経は太くない。
窮屈な暮らしに対する忌避感を示しながら、心の中ではそれ以上に不安が渦巻いていた。
(正直な話、それでどうにかなる相手とも思えない。巨大ロボットのおっさんとか“黄昏の歌”とか、あんなのが来たらひとたまりもないだろうし)
客人という存在がこの異世界でどれほど恐ろしい存在なのか、それは圭介自身が己の成長速度を根拠として嫌というほど認識している。
そしてそんな怪物めいた連中が今や彼の生活圏内にて猛威を振るっているのだ。
♥の6。
いかなる相手か現段階では知りようもないが、できることなら関わりたくないと圭介の理性が訴えていた。
* * * * * *
アガルタ王国に隣接するゾネ君主国の有名大学、ジョハリ国立大学には学内保育施設が存在している。
元より技術大国であるアガルタに負けじと深い知識を広め自国の財産とすべく子供達への教育に力を割いているゾネであるが、その中で培われているのは教員養成課程における優れたカリキュラムだけではない。
託児所・保育所となる場を国が各地域に用意し、保護者に向けての手厚いサポートを完備することで出生率を安定させる。
そこで育った子供達により優れた技術者としての知識を授けようという気長な政策だが、未来を担う存在に投資するスタンスは国民からの支持にも繋がっていた。
人々が遠い日に期待しながら我が子の芽生えを促すそこは、さながら明日を耕す畑とも言えるだろう。
「はーいみんな押さないでね。お兄さんちゃんと全員分持ってきたから、順番にね」
騒がしい子らの声に応じるは甘く優しい青年の声。
年齢は二十歳になって間もない程度。秋を意識してか木の葉のように暖かな色合いの長袖シャツとチノパンツを身に纏ったその男は、アジア系の中性的で整った顔立ちをしていた。
茶色く染めたショートウルフの髪と小顔が織り成す菱形の相貌は小さな少女達のみならず、通りかかった女子大生までもが見惚れてしまう。線の細さも相まってどこか浮世離れした印象を与える容姿の美丈夫である。
そんな彼が子供達に菓子を配り終えベンチに座って一息ついていると、施設に勤務している保育士の年配女性が話しかけてきた。
「いつも付き合ってもらっちゃってごめんねぇフーちゃん。ここの子らもあんたが来てくれると喜ぶからさ、ホントはよかないんだろうけど半分バイトみたいな扱いしちゃってるけれど」
「ハハハ、そんなん今更気にしないでよ。俺も勉強させてもらってるようなものだから」
「まあ謙虚」
年上に向ける態度としてはあまりにも親しげに過ぎるが、女性はそれを気にした様子がない。交流の深さと彼が持つ独特な雰囲気によってこそ成立するやり取りである。
「いつか子供達の未来のために働きたいと思ってここ入ったわけだし、寧ろ経験させてもらえてありがたいくらいさ」
「確かあんたここの教育学部だったわね。でも毎週ここに顔出してくれるってことは何、学校の先生じゃなくて幼稚園か保育士狙ってるの?」
「いや俺は……っと、失礼」
青年が胸ポケットから通知を受けて震えるスマートフォンを取り出す。見れば一通のメールが届いており、その内容を確認した彼は頭を掻きながら立ち上がった。
「あーごめんおばちゃん。バイト先からヘルプ来た」
「おやまあ。じゃ、ささっとそっちの出口から行っちゃいなさい。ご丁寧に子供達に挨拶なんてしてたらこないだみたいに引き留められちゃうわよ」
「あんがとね。次来た時に嫌われてないといいけど」
「大丈夫よそのくらい。来週にはあの子らだってケロッと忘れてあんたに飛びついてくるだろうから」
「へへっ、マジであんがと。じゃあまた来週来るから」
「はいはい。ほら、バイト先の人が呼んでんでしょ。行ってきなさいな」
軽く手を振りながら青年は保育施設から出て、大学構内の東側へと歩いていく。
「っ……!」
「おっと」
途中、口元を押さえて泣きながら走る同年代の痩せぎすな青年とすれ違った。
肩がぶつかりそうになりながらもどうにか避けた彼は一瞬だけ青年の顔を見て、またすぐに足を動かす。割れ目の入った眼鏡や顔の擦り傷などが痛々しいものの、きっと最悪の事態は避けられたのだろうと彼は確信した。
ふう、と溜息を吐いてからまた歩く。
雑木林に入って幅が狭い石造りの階段を降りると郊外の団地に出るための道が広がっている。この近辺は人通りが少なく、また背の高い木が並んでいる関係で陽光もあまり届かない。
アスファルトで舗装されている以外に人の手が加わった形跡が見えない景色の中で、彼は呻き声を耳にした。
「た、助けて……」
「ずびばぜんでじだ…………僕らが悪かっだでず……」
位置は道から外れた草むらの向こう。
情けないほど弱りきったそれを頼りに歩を進め草をかき分けると、大体予想していた通りの光景が広がっていた。
五人の男子大学生が土に倒れ伏している。全員もれなく体を岩で構成された太い紐のようなものに縛られ、身動きが取れない状態のようだ。
じっくりと観察すれば表面に鱗が見えるし、先端には爬虫類の頭部が付属していた。しかしズルズルと少しずつ動いている様子を見ても彫像のようなそれは生き物としての条件があまりにも欠落している。
もちろん青年はそれが魔術によって精巧に作られた岩石の蛇であると知っていたし、倒れている男達を睥睨している大柄な壮年の男性にも見覚えがあった。
「ちっす、ギルフィ」
「相変わらず呼べばすぐに来るんだな軍輝。またあの施設に顔を出していたのか?」
ギルフィと呼ばれたスーツ姿の大男は青年――軍輝に低く轟くような声で応じる。
「まあね。ところでさっきいじめられてたっぽい男の人とすれ違ったんだけど」
「間に合わず完全には止められなかった。己の鈍足を呪うばかりだ」
「傷ついたのは事実だろうけど、まあいいっしょ。これからこいつらに殴られることは二度とないんだから」
呟いてから軍輝の足が転がっている男の一人を勢いよく踏みつけた。それも胴体ではなく頭部に、まるで頭蓋を砕かんとしているかのような勢いで。
短い悲鳴が漏れるのを見て、彼の表情が歪んだ。
「で、なんでまだ殺してねえの? こんなもんとっとと片付けて埋めちゃえばいーじゃん」
「我らが道化より仕事を寄越された。少々規模の大きな戦いになるようでな、次に備えてお前のために素材を用意しておくべきかと考えたまでよ」
「素材。あー、そゆことね。ならありがたく新鮮な状態で使わせてもらおうかな」
「だ、だずげで!」
踏まれた状態のまま男が叫ぶ。
どう考えても助けてくれそうもない相手に、すがりつくしかできないまま。
「俺、まだじにだぐ――」
言葉の途中で悲壮感と恐怖に歪んだ顔が今度は他の感情など介在しないであろう純粋な苦痛、そして刻み込まれる何らかの術式に彩られた。
声が途切れて数秒もした頃には顔全体に蘇芳色の術式が浮かび上がり、その線の端々から血液が漏れ出ていく。
漏れた血は全て重力に逆らって軍輝の足へと収束していき、裾の奥まで吸い込まれてから先は見えない。
そうして血を抜かれ続けた男は頭を踏みにじられながら緩やかに失血死し、更に死体からも生命の残滓を奪われ続ける。
ほとんど骨と皮だけの凄惨な姿に変わり果てたそれを蹴り飛ばし、軍輝は他の四人にも目を向けた。
「残りカスはいつも通り防腐加工してご家族にお届けしとくから、悪いんだけど時間もらうわ」
「構わんさ。どうせお前のことだ、手紙も書くんだろう?」
「理解ある相方に恵まれて嬉しいよ。んじゃま、準備に入りましょっか」
一歩踏み出す。
それだけで生き残った他の男達はどうにか動ける限りを尽くそうともがくも、絡みついた灰色の絶望が逃亡を許さない。
「あ、そういや次の仕事って現場どこなん?」
「アガルタの王都メティスだ」
「えーマジかよメティスこないだ行ったよ俺。また行くのめんどいなぁ」
雑談を交わしながら淡々と次なる獲物の頭を掴み上げて術式を組み込んだ。相当な痛みを伴うのか張り裂けるような声も聴こえたが、彼らにとって悪と断じた相手の悲鳴など耳障りなだけの雑音に過ぎない。
決して届かない助けを虚空に求める声が絶えていく中、彼らは次の仕事に向けて思いを馳せる。
♥の6、馮軍輝。
♣の5、ギルフィ・ボツェク。
[デクレアラーズ]に属する客人の二人が目指す先は王都メティスにある監獄病院。
アッサルホルト。
第六騎士団元団長のガイが入院している場所であった。




