第七話 篤き騎士
朝から脱したもののまだ昼とも言い難い時間帯、圭介が住んでいる部屋の中。
早い時間に帰宅を促された彼は椅子に座ってとある人物の来訪を待っていた。
(これでいいんだよな)
頭と胸の間を往復する問いかけと解答から意識を逸らし、正答のような言葉を心の中で形にする。
それだけでも幾分か気分が安らいだものの根本的な解決はこれからだ。
やがて、インターホンの音が室内に響く。
『マスター』
「わかってる。……うひぃ、なんも悪いことしてないのに緊張してきた」
立ち上がり玄関のドアノブを捻って、同時に向こう側にいる人へかけるべき声を出す。
「どうも、セシリアさん」
「ああ。珍しいな、ケースケから私に声をかけるとは」
戸を開けた先に立っていたのはすっかり馴染みとなった王城騎士、セシリアだった。
肩を晒すデザインのハイネックニットに膝上までの短いタイトスカート。普段ならまとめている髪はさらりと解かれている。
いつもは美しくもどこか物々しい鎧を着込んでいる彼女だが、今日はプライベートな日なのか全体的に女性らしい出で立ちをしていた。
「せっかくのお休みに呼びだしちゃって、なんかすんませんね」
「構わんさ。勲章持ちの客人に呼ばれたとあっては断れん」
薄く笑みを浮かべて茶化すような態度をとるのは圭介の精神的な不調を読んでのものか。そこに彼女の配意が見える。
つい最近、排斥派との戦いを乗り越え事実上無限の魔力などというふざけた力を手に入れた身として少し情けない。
部屋の中に案内して飲み物を用意し、向かい合う形でテーブルを挟み座る。双方話し合いの姿勢を整えたところでまず圭介から切り出した。
「あの、今日はちょっと聞いてほしい話があって」
「うん。聞こう」
セシリアもセシリアで相手を落ち着かせるという目的を最優先としながら、背筋に抜くことのできない力が入っているようである。
考えてみれば客観的に見て圭介が他の仲間達ではなく、好意的に見ていない王女の側近である彼女を頼ったという時点で不穏な話だ。明らかに軽い内容の相談事ではない。
一呼吸ついてからズボンのポケットに手を入れて、一枚のカードを取り出した。
[デクレアラーズ]において道化を名乗る少女、アイリスから受け取った最悪の優待券――♠の3。
「これ、見てください」
「……? なんだそれは」
「以前話したアイリスっていうやつが……」
一連の流れをかいつまんで説明した結果、当たり前な話だが彼女は頭を抱え込んでしまった。
「…………話してくれたのは嬉しい。そうしてもらわなければ困っていたのも事実だ。しかし、これは」
「わかります。僕も頭ァ痛いんですよこの問題」
「近いうちにダアトがメティス付近に滞在するというこのタイミングで何とも折りの悪い話だ。いやすまない、薄々察しているにしてもお前に話すべき内容ではなかった」
王族とダアトのパワーゲームに関する発言は圭介も聞かなかったことにして、この案件の扱いについて考える。
過激且つ危険な排斥派組織を壊滅させ勲章を得た客人が、同じく客人によって構成された犯罪組織からスカウトを受けた。
出てくる答えは圭介からしてもセシリアから見ても「受けない」一択である。非常にシンプルな結論しか出ないものの、厄介なのは相手の戦力だ。
「仮に連中がお前を手元に置くため、強硬手段に出たとしよう。マティアスと“黄昏の歌”が同時に攻め込んで来ようものなら王都とて壊滅的な被害は免れんぞ」
「あの巨大ロボットとまた戦うのは嫌だ……。でもあの真っ黒なやつとまた向き合うのはその三百倍くらい嫌だ……」
「………………まあ、なんだ。いずれにせよ私一人の一存でどうこうできる規模の問題ではない」
優しさを端に滲ませた声が圭介の心に浸透した。
「上にも詳しく報告して今後の動きを決めねばならんし、今日この話について深く考えるのはここまでとしよう。お前に過剰な負荷をかけるのは誰にとっても望ましくないしな」
ぽんとセシリアが圭介の肩を優しく叩く。
これ以上考えなくていい、という言葉は今の圭介にとって何よりもありがたかった。王城騎士として戦ってきた立場ある大人の口から出たという事実も意味合いとして大きい。
「せっかくこうして顔を合わせて、こんな話で切り上げるのも味気ない。何か美味いものでも食べに行くか。時間も時間だし恐らく昼食もまだだろうからな、奢ってやる」
「なんかもうすみませんねマジで……」
『お供します』
立ち上がるセシリアに付き合う形で圭介も腰を持ち上げ、二人で外に出る。
涼やかな空気が露出した肌に触れて気持ちいい。しかしその風は同時に衣替えの時期が近づいてきているのだと告げていた。
空に散りばめられた鱗雲が見下ろす街中を進むと、葉が赤茶けた街路樹の立ち並ぶマゲラン通りに出る。
考えるのをやめてしまえば、季節の移り変わりとはこんなにも心地よい。
排斥派との決着をつけてからも続々と悩みの種が増え続ける中、秋になったことで食欲が増えた。
何をご馳走してもらえるものだろうかと半ば自身を励ますよう意識的に期待を募らせていると、目の前の騎士がとある店の前で足を止める。
「ここにしよう」
「……ああ、この店は」
看板に書かれた文字はアガルタ文字ではなく、アルファベット。客人が異世界に持ち込んだ文化を主軸とした料理店だ。
日本食ではないものの、米を主食の一つに取り入れたジャマイカ料理が振る舞われる珍しい場所でもあった。圭介もこの店には何度か来ており、日本の白米とは異なるものの飯に飢えた時は世話になっている。
「お前がこちらの世界に来たのとほぼ同じ時期、メティスの中では客人向けの施設や店舗が各所に建設されてな。それ自体は一過性の流行りに過ぎなかったのだがこの店は時代の流れに負けじとしがみついて、今も人々に愛されている」
『飲食店としての性能が高いのでしょうね』
「もちろんそうだろうな。単純な味の良さもあるが店員の対応や内装にもこだわりを持っているようだ」
二人の会話を聞きながら最初にこの世界で排斥派と接触した時のことを思い出す。
アドラステア山でウォルト・ジェレマイア率いる[羅針盤の集い]なる排斥派の集会と出会ったあの日、確か彼らは圭介のみならず客人向けの宿泊施設が建てられることに対しても異議を申し立てようとしていた。
思えばそちらの方はまだ見に行っていない。どのような場所なのか一度は確かめてみてもいい気がする。
「それでな、ケースケ。私はこの店の存在を認知していただけで入店したのは今日が初めてなんだ」
「へえ。まあ王城騎士って忙しそうですもんね」
「ああ、とてもじゃないが知らない店で昼食を済ませるなどという冒険は休日でもなければできない。だからお前さえよければどの料理を選ぶべきか、初心者向けのメニューを教えてくれないか」
「そりゃ僕の意見なんぞでいいならいくらでも。あ、その前にセシリアさん何か苦手な食べ物ってありましたっけ」
何でもない会話を交わす中で少しずつ、圭介の精神に活気が戻ってきた。彼自身セシリアがそれを狙って話しかけてきているのだと理解しながら、感謝の念を胸に注文を済ませる。
やがて料理が運ばれてきた。
「アズマ、僕今から食べるから降りな」
『はい』
「なんで毎回ちょっと声が不服そうなんだよ。本当は中に人いんじゃないのお前」
圭介が頼んだのはオーソドックスなカレーチキンとライスアンドピース。日本のカレーと異なり、飯に豆や各種調味料が入り混じったものだ。
セシリアに勧めたのはジャークポークという香辛料をふんだんに使用して焼かれた豚肉と、ダンプリングが入ったスープ。以前人懐っこい店員から聞いた話では口臭予防にもなるようスパイスの配分を調整しているらしい。
「ここの料理、僕の故郷でよく使われる醤油っていう調味料が使われてるんですよ。多分そっちのスープにも入ってると思います」
『豆を発酵させて作る調味料でしたか。ダアトでもよく使われていましたが』
「醤油自体は私も何度か口にした経験がある。何せこちらの世界でもあの調味料は人気が高くてな」
「確かに今アズマも言ってましたけど、使ってる店ちょいちょいありますもんね。校長先生もこっちで醤油が出回った時には泣き出した料理人がいたっつってたなぁ」
懐かしい思い出を追いながらカレーを口にする。日本のカレーともインドカレーとも微妙に異なる風味は汁だけが持つものではなく、ライスアンドピースに施された味付けの強さも深く関わっているのだろう。
飯には深みある味が浸透しており、具の肉も一切の臭みを持っていない。全体に行き渡ったまろやかな旨味を支えている要素として、店長直筆のメニューには自家製ヨーグルトを多めに入れているという情報が記載されている。
(安定してウメェな……)
異世界特有の野菜やスパイスも用いられているため元の世界でのジャマイカンカレーはもう少し違う風味なのかもしれない。ただ今食べているこのカレーは確実に圭介の口に合っていた。
対面に座るセシリアも静かにジャークポークを食している。ナイフやフォーク、スプーンの使い方から根底にある彼女の品が見え隠れしていた。恐らくテーブルマナーや食事における見栄えも王城騎士に求められる要素なのだろう。
容姿の美しさも王城騎士として採用される基準だったりするのだろうか、などと詮無きことを考えつつ互いに黙々と食事を続ける。変に気遣って話しかけることもないまま食事を続けてくれているのが今の圭介にとってはありがたい。
やがて互いに食事を終えて休憩していると、窓の外を忙しない様子で走る装甲車が通過した。
「今のは?」
「第五騎士団専用の装甲車両だ。大方どこかで犯罪者がおおっぴらに暴れているのだろう。王都の治安を思えばそう日常的に見るものでもないはずだが」
『第五騎士団なる組織はああいった車両での活動が主となるのですか?』
「ああ。護送と事件現場の封鎖が主な役割だからな、規定ルート以外を走っている時は何かしら物騒な揉め事が起きていると思っていい」
犯罪者が暴れている、と聞いて少し気になってしまう。野次馬根性が多少働いたのもあるが、反則じみた力を得たせいか「自分が出れば」という考えがどうしても湧いて出る。
「行かなくていい」
そこにセシリアは釘を刺した。
「今のお前は精神的に不安定だ。加えてどこからも依頼を受けていない状態で騎士団の仕事を横から掻っ攫うような真似をしてみろ、勲章持ちが公務に横槍を入れたなどと三文記事のタネにされるぞ」
「……っすよねぇ〜」
「現状では私しかこういう話をできないからな。ここで止めたとしても次いつこういう機会が訪れるかわからん」
だから、と彼女は一度紅茶を口に運ぶ。
「無闇に暴れる口実を作れないようお前の仲間達にもさっきの話をしておけ。姫様には私から話を通しておくから」
「わかりました。後でホームに集合できないかみんなにメール送っときます」
押さえつけられる形とはいえ落ち着いたことで自分を少し見つめ直す機会を得られた気がする。
考えてみればアイリスからカードを受け取って以降、圭介は暴れて胸中のわだかまりを払拭したいと心のどこかで思い続けてきたのかもしれない。
加えてこれまでに積み上げてきた数々の実績、手に入れた強大な力によって自覚できないまま驕り高ぶっていたのだろう。恐らくセシリアがこの場にいなければすぐにでも現場に急行し、第五騎士団の仕事に介入していた。
装甲車両の音が遠ざかっていく。周囲の客達は一瞬だけ窓の外を見たりしていたものの、それ以上の反応は示さず食事や会話を続けている。
それが普通の人間として当然の在り方なのだと、今更のように圭介は自覚した。
「さて、会計を済ませるか。先に出ていいぞ」
「あざっす。ごちそうさまでした」
『失礼します。マスター、頭へ』
「どんどん厚かましくなってない? いいけどさもう慣れたし」
言われた通りアズマを頭に載せてから先に店を出る。
自然と目は車の音が消えていった方向へと向けられた。しかし既にそれらしい車両は見当たらず、離れた位置から響く音もない。
もう関係ないか、とあくびを漏らして息を吐き、吸う。
「――?」
吸った瞬間。
一瞬だけ、甘い匂いがした。
花のように自然なものではない。焼き菓子かあるいは蜜を焦がしたような、香水とは異なる甘味の気配。
近くにスイーツの専門店でもあったかと周囲を見渡すも特にそういったものはなかった。
『どうされましたか』
「いや、なんかそれっぽい店もないのに甘い匂いしてさ。誰か【アペタイト】でも使ったのかな。なんか魔力の反応とかあった?」
『これだけ発展した都市の中では至る場所で断続的に魔力反応が検出されます。【アペタイト】のような第六魔術位階となると私の演算処理能力では識別不可能です』
そういうものか、と納得しつつ首を傾げていると店からセシリアが出てきた。
「待たせたな」
「いえいえ、今日はホントありがとうございました。奢ってもらったのもそうですけど色々とスッキリしたんで」
「気にする必要は……いや、せっかくだ。これは一つ貸しとしよう」
そう言って彼女は薄く笑いながら「またな」とだけ言って去っていく。思えば彼女も初対面の頃と比べて親しみやすい存在となったものだ。
しかし彼女だけを頼りにしているわけにもいかない。話を聞いてもらうべき相手は他にもいるのだから。
スマートフォンでパーティメンバーに連絡を入れるその時点で、圭介の表情からは懊悩と昏惑が失せていた。




