第六話 被害者、加害者
頬撫でる涼やかな風をなぞるように視線を動かせば空に広がるうろこ雲が人々の営みを見下ろしていた。
名残の熱も街から失せて久しい今、季節はすっかり秋である。
眠れない夜を過ごした圭介は朝食もろくに食べないまま、もうすぐ着られなくなるだろう夏用の制服に着替えて通学路を歩いていた。
夏休みが終わってからどことなく懐かしさを感じていた学生鞄も今日は違和感を覚えるほどに重く、気分的に誰かと会うのさえ億劫な気がして辛い。
(……一応、事が事だしセシリアさんに言った方がいいんだろうな)
そうでなくとも誰かに相談したい、という気持ちがある一方で真逆の感情も発生している。
誰に言ってどうなるものか。寧ろ元の世界に帰れる機会に恵まれたのではないか。
昨日の放送を見た限り、彼ら[デクレアラーズ]は悪と見なした相手だけを狙って攻撃すると宣言していた。戦いが激化すればわからないが、であれば少なくとも圭介の周囲にいる優しい人々は直接的に手出しされないのではないのか。
幾度もかぶりを振って考え直し、同じ回数だけ道化の選択肢に意識を向ける。この繰り返しがいつまで経っても終わらない。
頭の中で渦を巻き続ける自問自答に苦しめられ、精神的にも疲弊してしまった。
下を向いたまま念動力の索敵だけを頼りに歩いているとそこに声がかかる。
「よう、ケースケ」
「……ん、モンタ君か。おはよう」
「おはようさん。随分とくたびれてるな」
野菜スティックを齧りながら話しかけてくる黒ウサギの獣人、モンタギュー・ヘインズビー。
異世界の学校で圭介が得た友人の一人であった。
「まあわからんでもねーよ。排斥派とのゴタゴタが片付いたと思った矢先に昨日のアレじゃあなァ」
「昨日のアレ……?」
「[デクレアラーズ]とかいう連中の犯罪予告映像だよ。まさか知らねえのか? ネットでもニュースでも昨日の夜から今朝までずっとお祭り騒ぎだぜ」
言って彼は自身のスマートフォンを操作してからその画面を圭介に見せてくる。
映っているのは昨日放送をジャックして流された[デクレアラーズ]の映像。
「都知事が排斥派とズブズブなのがわかって逮捕されたと思ったら今度は客人のテロ組織、それも大陸全土の放送をいっぺんにジャックするなんつー離れ業をやってのけた連中だ。加えて放送の中で触れてた件も全部事実だったらしくてな。映像に映されてた児童養護施設に突っ込んでいった野次馬なんかもいたらしいぜ」
「……迷惑な話だなあ」
「全くだ。しかもあんたの遠方訪問先で“黄昏の歌”が遊園地のお偉いさんをぶっ殺した事例もあるもんだから、貴族も商人も後ろめたいことがある連中は急いで身辺整理してるってよ」
わからないでもない話だ。権力と年月は人を容易に腐らせる。
そんな中で清廉潔白に徹していられる者など、よほど恵まれた少数派だろう。
何より“道化の札”アイリス・アリシアは観測した対象に付随する情報を読み取る第一魔術位階を有している。
隠し事などそれを暴く手段ごと露見している状態では隠蔽工作も無価値であり、転移魔術がある限り逃走も無意味だ。彼らに何ができるかと言えば、それは純粋に更生の道を模索することだけだろう。
生粋の極悪人に関しては震え上がっていてもおかしくない。
彼らは「更生の余地がなければ殺す」と断言したのだから。
(二度目の“大陸洗浄”を、つってたっけ。聞いた話が本当なら悪いことしてのし上がってきた人らにとっちゃ恐怖でしかないよなあ)
もちろん全員がそうというわけではないだろう。しかし圭介が住んでいた日本の政界や財界の頂点も真っ当な善人などどれほどいるものか。
あらゆる業界の上層で不祥事が発生しているのはこちらもあちらも変わらない。
正直に言えばそういった連中に対して思うところがないはずもないが、だから殺すというのも短絡的に過ぎるような気がした。
「……ん?」
などと考えながら歩いていると、隣りを歩くモンタギューが何かに気づいて訝しげな表情になる。どうしたのかと彼の視線を追った先には人だかりができていた。
場所はアーヴィング国立騎士団学校の正門前。
「どうしたんだろ」
「さあな。昨日のに感化されてアホが落書きでもしやがったんじゃねえか?」
「いるかなそんなん」
ここは騎士団学校である。仮にも騎士を目指している身にありながら、犯罪行為を称賛するかのような振る舞いをするなど考えにくい。
もしそれが生徒の手によって実行されたものなら一番軽いもので厳重注意、内容が悪質であれば停学も考えられるだろう。
「ちょっと上から見てみるか」
【サイコキネシス】の索敵だけではいまいち何があるのかわかりにくい。【解放】した“アクチュアリティトレイター”の上にモンタギューと乗り、上から様子を見てみた。
見て、それが何を意味するのかすぐには理解できなかった。
「…………」
「…………」
校門横の壁には大きな貼り紙が貼られており、左半分には楽しげな表情を浮かべる複数人の少年を写した写真が付属している。
そして写真の上には何枚かの学生証がテープで固定され、それら絵的にわかりやすい物品の横、貼り紙の右半分にはアガルタ文字の文章がマジックペンで記載されていた。
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お騒がせしてしまい誠に申し訳ありません。当方[デクレアラーズ]に所属しております客人の一人です。
今後の活動を円滑に進めるべく、堂々と名乗れぬ無礼をどうかお許しください。
本日は当学校中等部にて生じておりました悪辣ないじめ問題の解決に向けて活動し、その結果が出ましたためこうした形で報告させていただきました次第です。
中等部三年二組にて教師陣や被害者以外の一般生徒から見えない場所で苛烈ないじめを実行してきた少年グループですが、流石に目に余る蛮行であったことと本人達の態度から更生の余地が見受けられなかったため我々の方で殺処分しておきました。
いじめ加害者生徒の氏名とその蛮行の内容は以下の通りです。
◎バリー・テニエル(享年一五歳)
活動内容:暴行、強姦、自殺教唆、放火
◎ヴァージル・アンダーウッド(享年一四歳)
活動内容:恐喝、暴行、器物破損、自殺教唆
◎ザカライア・モリスン(享年一四歳)
活動内容:暴行、器物破損、強姦、自殺教唆
◎スペンサー・マクラーレン(享年一五歳)
活動内容:暴行、自殺教唆、放火
なお、彼らの死体はこちらで有効活用するべく丁重に扱わせていただいております。その旨につきましてはご遺族の皆様にも既にお手紙を差し上げました。
ちゃんと諦めがつくよう加工段階のお写真も添えておきましたので、ご子息の命が失われた事実につきましても納得いただけたかと思います。ですので彼ら彼女らに対し学校側やご友人から改めて報告を入れる必要はありません。
彼らの体から余分に残った部位が出ましたら、最後の思い出として腐敗しないよう入念に加工したものをご自宅にお届けする所存です。
もし彼らと懇意にされていたご友人等に同じく余分な部位の提供をご希望される方がおりましたら、今後開示する予定でいます[デクレアラーズ]への連絡手段を用いてご一報ください。確約は致しかねますが可能な限り対応させていただきます。
このような悲劇が二度と起こらないよう、私どもとしましては理想社会がいち早く実現される日を願うばかりです。
乱文乱筆のほど大変失礼致しました。
皆様は学生としての健全な、実りある日々をお送りください。
[デクレアラーズ]所属
♥の6より
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モンタギューが望遠鏡のような機能を有するアプリでスマートフォンの画面に映した文章の内容、それがこれである。
「なあケースケ」
「何、モンタ君」
「あー、何だその。うーん……」
驚いたような表情で目を見開きながら声をかけてきたモンタギューだったが、彼の言葉はそこから続かない。
無理もないだろう。
あまりにも人道を外れた内容であるためか咀嚼がうまくできず、反応に困る。それは圭介も同じだった。
書かれている内容が事実であれば死んだのは犯罪行為に手を染めていた少年達だ。放置していれば被害は拡大しただろうし、被害に遭っていた誰かはこの貼り紙を見て安堵していることだろう。
だからこの結果で救われた人間がいるのかもしれない。だがそれは同時に、加害者側の関係者に対する冒涜的な行為にも繋がっていた。
♥の6。
まだ出会ってもいない相手ではあるが、確実に真っ当な人間ではなさそうである。
「――皆さん、落ち着いてくださーい! 緊急事態ということで、今日はもうお休みです!」
頼りない女性の声が聞こえる。何かと思い目を向ければ、集う学生達に向けて必死に手を振り説得を行う教師の姿が見えた。
ヴィンスの後続として圭介達のクラス担任となった女性、バーバラ・ネルソンである。
彼女はおっとりとした性格ながらもこの状況に危機感を抱き、生徒達に解散するよう声を上げているようだった。しかし身近な場所で起こった刺激的な事件に触れた彼らはその場をなかなか離れない。
圭介もその気持ちは理解できたがなかなか難しいだろうと見ていた。
「あんな映像が大陸中に流されてその翌日にこれだ。後ろめたいことがあれば怯えるだろうし、そうじゃなければ怖くも何ともないから笑って話のネタにする」
「僕も同感だよモンタ君。あのさ、“大陸洗浄”ってマジでこんなんだったの?」
「まさか。ありゃあ権力者相手に客人がゲリラ戦しかけるところから始まって、そっからはただ戦える連中同士がぶつかり合うだけってのがほとんどだった」
こうも局所的で逃げようのない犯罪行為は恐らく大陸史全体を見ても珍しいだろう、とモンタギューは語る。
これが[デクレアラーズ]。悪人を殺して回る集団の活動。
特徴的なのは残虐非道な面を強調している一方で、悪事を犯していない人間にとっては脅威になり得ないという点だ。
善良な人間はその悪辣さに辟易するかもしれないが、どちらとも言えない凡俗な人々にとっては彼らの活躍を否定する材料もない。場合によっては応援する流れさえ生み出されるだろう。
しかし何よりも圭介にとって、心のどこかでこの結果に納得してしまっているのが恐ろしい。
あの貼り紙を見て圭介はほんの一瞬、このまま彼らを放置した方がいいのではないかと思ってしまった。
「理想社会の実現……」
「ケースケ?」
訝しむモンタギューに応じず、圭介は財布が入ったズボンのポケットに手を添える。
中にはアイリスに寄越されたカードが一枚。
「事あるごとにこうして引っ掻いてくるつもりなのか、くそったれ」
笑顔を浮かべる道化に、遥か遠くから見られている気がした。




