第五話 告知と懊悩
『皆さんこんにちは! 番組の途中、お忙しい中あるいはお寛ぎの中、突然ですが失礼します!』
画面の中心でポリゴンを組み合わせて作られた精巧な少女の像がウィンクしながら明るく挨拶する。
体のラインに沿うような薄手の衣服は全体的に白と黄色を基調としており、流れる長い髪はそのチカチカと眩しい印象を相殺するかのような藍鉄色。
大きく目立つ緑の瞳は画面の外、映像を眺める者の方をじっと見つめていた。
背景にあるのは半透明な水色の部屋で、殺風景なその場所には大陸の地図と思しき図形が表示されている。
『私はこの世の悪を滅ぼすべく日夜活動している革命的集団[デクレアラーズ]に所属するバーチャルタレント、ラケルと申します。本日は皆様に第二次“大陸洗浄”開幕をお報せするためご挨拶に参りました!』
ラケルと名乗ったその存在は花が咲いたような笑顔を浮かべた。
『皆さん、いきなりで恐縮ですが私から質問があります。六年前に“大陸洗浄”が終わってから今日まで平和に過ごせていますか? ご近所で犯罪行為が発生したことはありませんか? 大切なものを誰かに奪われたりしていませんか? ええわかっていますとも、あれから再び平和を脅かされていますよね!』
眉尻を上げてキリッとした表情になったラケルは人差し指を立てた状態の右手を上に振り上げる。
それを合図としたかのように、複数の四角い画面が彼女の背後に表示された。
ある画面にはいじめを受けて自殺した女子中学生の遺影が。
別の画面には高層ビルから猛然と立ち上る火の粉と噴煙が。
また別の画面には何本かの試験管に入った乳白色の液体が。
『悲しいことにあれほどの戦いを経ても悪人の跳梁跋扈は終わりませんでした。とある中学校では苛烈ないじめによって無辜なる若き命が散らされ、とある街には基準に満たない防火地域への配慮に欠けた建築が災いして大火災が発生し、とある医薬品工場では作業員の悪ふざけが原因で一人の若者が中毒症状を引き起こし絶命したのです』
それは該当する事件が起きた国、及び周辺諸国の住人であれば誰もが知っているような有名な出来事。
そして同時に主犯格の名前がついぞ公表されないまま終わった、後味が悪い事件の数々であった。
『ああ、なんて酷い話でしょう。これらの主犯格を事件が発生した国は、その国に属する権力者達は、罪人達に厳罰を与えるどころか許容し引き続き社会での安穏とした暮らしを保障しました。しかしご安心ください。我々[デクレアラーズ]はこのような悪事を絶対に許しません!』
一度落ち着いた声に明るさを取り戻したラケルが振り上げた右手を今度は勢いよく振り下ろす。それと同時に全ての画面の内容が変化した。
ある画面には森に囲まれた僻地にある児童養護施設が。
『いじめの主犯グループは全員漏れなくご自宅でご両親をグチャグチャにしておきました! 今では皆揃ってドがつくくらいの田舎にある施設で細々とした余生を過ごしています! これからの人生反省しながら頑張って生きてね! あと色々思い出すからってハンバーグ残しちゃダメだよ!』
別の画面には危険なモンスターが多数生息する山脈が。
『違法建築を強引に進めた企業の責任者と指示を飛ばした権力者ですが、こちらはまとめてモンスターの餌になってもらいました! せめて少しでも反省していただくためブラッディスライムの巣に放り込んだ結果、消化に要した時間は丸二日ほどとなります! 意識も結構残ってましたね!』
また別の画面には上空から撮影された閑静な住宅街が。
『劇薬を新人さんに無理やり嗅がせてその様子を動画にしていた青年グループは、こちらで拷問したところ無事に更生しました! 今では老人介護施設で高齢者の皆様のお役に立つため努力しています! 因みに当人達のプライベートを保護する関係でこちらの写真はあくまでもイメージとなります! ご理解ください!』
やがて全ての画面が消え去り、ラケルが笑顔を真正面に向けた状態で画面が一旦止まる。その笑顔はどこか人工的で、しかし同時に人間の意志を強く反映しているように見えた。
『とある中学校ではいじめ問題が解消されました。建築基準法を守れなかった企業は倒産して二度とあのような悲劇が起こることもありません。若い人材に不人気な業界に新たな風を呼び込むきっかけにも繋がっています。そう、我々[デクレアラーズ]はこうして世界を平和に導くために存在しているのです!』
背後の画面が全て消えて、大きく表示された大陸の地図にラケルが寄りかかる。
『よりよい社会を構築するため、私達はこれから第二次“大陸洗浄”を開始します。更生できないと見なした悪人は例外なくさっくり殺します。更生できると見なした悪人は例外なくじっくり拷問します』
冷酷な宣言をしながらも笑顔は崩さない。明るい声もそのままで、ただ命と尊厳を奪うためだけに彼女は言葉を紡ぎ続けた。
『拷問を要さないと判断した場合、身近な人物を選び出して極力残忍な方法で殺してご自宅に飾ります。家族か友人か恋人か、当人にとってかけがえのない人をグロテスクなインテリアに加工します』
笑みを象る上で閉じていた両目がパチリと開く。
『ご家族が大事なあなた、ご自身が可愛いあなた! どうか健全な人生を! どうか理想的な社会構造を! 以上、[デクレアラーズ]のラケルがお送りしました! それでは各種放送局に全権限をお返ししますね! 失礼致しました!』
最後に『各種動画サイトにてチャンネル登録お願いします』という表示が軽快な音楽とともに十数秒ほど流れて、その放送は終わった。
* * * * * *
「え、何これ」
映像がぷつりと途絶えたところで、圭介は得体の知れない存在による物騒な宣言に対する畏怖と嫌悪を滲ませながら脂汗を浮かべる。
向かい合う位置に座る少女は愉快そうにその様子を眺めていた。
「さっきボクの口から説明したじゃないか。[デクレアラーズ]の広告も兼ねた第二次“大陸洗浄”開始の宣言だよ」
黒一色に染まる画面が鏡のように照り返し映し出す部屋の中、アイリスの唇が蠢くのをただ見ていることしかできない。
「動画でラケルが述べた通り、これから法で裁かれずにいる罪人達を処分ないし更生させるために活動を開始する。もちろん犯した罪の重みや情状酌量の余地などはこちらで考慮した上でね」
『どうやって露呈していない罪を犯したかどうか判断するのですか? また、それら判断基準の論拠となるものはどうやって用意するおつもりでしょうか』
機械だからか冷静さを保っているアズマがアイリスに問いかける。
未だ冷静になれていない圭介としてもそこは気になる点だった。
悪と断ずる理由には様々ある。そこに個人的な感情を絡ませて私刑を正当化していては、理屈のつけようによって彼女ら[デクレアラーズ]が悪と見なした者達にも正当性が生じ得るだろう。
善悪を独善的に裁定するというのであれば、それこそ彼女が悪と断じている相手と考え方は変わるまい。
簡単に答えを示せる問いかけではないと圭介は考えていたのだが、
「ボクが全て知っているから問題ない」
問いを受けたアイリスは特に迷う素振りも見せず淡々と応じた。
「言っただろう? ボクは第一魔術位階【ラストジーニアス】によって、観測した対象の詳細な情報を一瞬で読み取ることができる。これまでに犯した罪、その動機から現在反省しているかどうか、周囲の環境も同時に観測すればこの先更生するかどうかもわかるのさ」
「……そんなの、ちょっと外から予想外の要素が入ってきたらすぐに予定崩れるだろ」
「ここで君がそう指摘するのも随分前から知っていたが、残念ながら現段階で何でもかんでも話すわけにいかない。言える範囲で答えるならそこを懸念する意味は極めて薄いよ」
「なんでそう言い切れるんだよ」
ようやく真正面から向き合った圭介の口から苛立ちの混じる声が滲み出す。が、アイリスはそよ風でも受けたように微動だにしない。
「少なくとも大陸内部での出来事なら全てボクの観測圏内だ」
「は?」
「計画の変更もあって今はまだここまでしか言えない。また機会が来たらちゃんと説明するから、それまで腰を据えて待ちたまえ」
言ってアイリスが立ち上がるとそれを合図としたかのようにパイプ椅子が消失した。
彼女の身長と圭介の座高はあまり変わらない。
ちょうど目線が並んだタイミングで彼女は「ああそうだ」と思い出したかのように言葉を付け加える。
「ボクにも観測可能な情報とそうでない情報があってね。理想社会を設立するという未来に向けて先の展開を繋げる上で、無視できない懸念事項が一つある。それに備えてさっきまでとは別の話も君にしておこうかな」
「……何だよ」
「元の世界へと帰還する方法についてさ」
一瞬、何を言われたのかわからなかった。
理解が追いつくにつれて圭介の心に不安と安堵が同時に去来する。
「なっ、おまっ」
「マティアスの資料――“客人再転移手続き”を序論だけでも読んだのだろう? ボクらの活動は大陸、即ちこの世界を平和にして終わるものではない。あちらの世界にも影響を及ぼして双方に理想社会を設立しなければ意味がないからね」
確かにあの崩壊した都庁舎地下で初めて出会った時、彼女は言っていた。
こちらとあちら双方の変革を目指すと。
「先に言っておくがこの帰還するための術式を組み立てる上で、どうしても強力な念動力魔術の適性を持つ者が必要となってしまう。そこで君に与えられた選択肢は二つだ」
言って少女の指先が圭介の鼻先に突きつけられる。
刃の切っ先か銃口にも似たそれがひどく物々しい。
「な、んだよ」
「ボクらに協力するか、ボクらに殺されるか」
言葉と並行して目の前で空色の魔術円が展開され、一枚のカードが出現した。
テーブルの上にポトリと落ちたそれは♠の3。
「片道切符はくれてやる。指定の席も空けておく。どうすれば元の世界に帰ることができるのか、気になるならいつでもボクを呼びたまえ。“我らが道化”とね」
用は済んだとばかりにアイリスが背中を向ける。翻った焦げ茶色のケープの隙間には変わらず不敵な笑みが浮かぶ。
気づけば足元には空色の術式が燐光を漂わせつつ浮かび上がっていた。
「おい、ちょっと!」
「考えるんだ。君にとって何が最良なのか、そのために何ができるのか」
【サイコキネシス】で相手の動きを止めようとするも、不可視の未知なる力に阻まれてしまう。
無限に等しい魔力があるから何だと言うのか。今目の前にいる相手には到底届かない。
果てしない無力感が圭介に覆い被さり、それも承知してか“道化の札”は声色に挑発的な態度を滲ませる。
「まあこの先どうなるかもボクは大体知っているんだけれど」
そんな言葉を残してアイリスは消えた。
専用の設備が置かれているわけでもないただの部屋で、転移魔術を使用して。
残されたのは一方的な開戦の合図と勧誘及び脅迫を受けた圭介、そして特にアイリスの挙動について何も言わず見つめていたアズマ。
それと、残された一枚のカードのみ。
「……仲間になれってか。あんなヤバい連中と一緒に、悪人を殺して回れって」
『それでマスターはどうされるおつもりですか?』
アズマが特に躊躇う様子も見せず問いかけてきた。
機械なのだからそういった感情の機微に疎いのはわかっていても、ここまでの流れを受けて淡々と突きつけられる質問にどうしても苛立ってしまう。
「っだぁあ、知るかよ!」
その怒鳴り声をただの八つ当たりとわかっていて、それでも頭の中には自己嫌悪以外の感情と考えが巡る。
第二次“大陸洗浄”という、自分にとって未知なる時代が再来しようとしている。
それがどれほどの意味を持つのか。どういった基準で誰が殺されてしまうのか。
(前の戦いでエリカのご両親が殺されてんだぞ。悪人だけ死ぬなんて都合のいい話があるかよ)
また自分が戦わなければならないのか。それとも黙って見ていなければならない場面に出くわすのか。
仲間達は、友人達は、知人達は無事でいられるだろうか。他の誰かもできれば死んでほしくない。
勲章の存在もある。国から依頼を持ち込まれる機会がこれから先あるかもしれない。その時にどうすべきなのか。
(もうやめてくれ。念動力魔術が希少だからっていちいち頼らないでくれ。国とか世界とか言われても僕みたいなガキには荷が重い)
本当に元の世界に戻れるのか。自分を仲間に引き込むための虚偽ではないのか。
先の戦いで殺す覚悟を一度は決めたものの、こんな流れに沿う形で他者の命を奪っていいのか。
悪人を殺す分には構わないのか。自分は殺して構わないなら殺せてしまうような人間なのか。
そもそも本当にアイリスが言う悪人は悪人なのか。[デクレアラーズ]は悪人と言えないのか。
(知るかっつーの勝手に犯罪者と人殺しで戦ってろよ。そこに僕を巻き込もうとすんな)
というよりも、悪人を殺す行為を自己正当化の理由にしていないか。本当は帰りたいだけではないのか。
帰りたいという欲のために他者の都合を利用して他者の命を奪おうとしていないか。
いや、それ以前に手を貸そうと少しでも考えてはいけない相手なのではないか。
(……本当に? 本当に元の世界に戻れるのか? 父さんや母さん、兄ちゃんにまた会えるのか?)
いやしかし。いやでも。
一度に投げ込まれた情報の量があまりに多く、圭介の思考は乱れに乱れてしまう。
結局この日、彼はほとんど眠れずに一夜を過ごした。




