第三話 王の札
「久しぶり、ヨーゼフ君」
「……ども」
ロトルアのとある留置所にて、少年と少女が対面していた。
片や大陸出身の現役アイドル、ナディア・リックウッド。
片や遊園地への襲撃によって逮捕されている客人、ヨーゼフ・エトホーフト。
かつては相思相愛の仲にありながらすれ違いによって引き裂かれた二人は今、再会のきっかけとなった事件が終わってから初めて顔を合わせている。
「ごめん、ホントはもっと早く来たかったんだけどさ。あれからちょっと仕事増やしたから……」
「あとお前一度スケジュールの隙間空けてまで来た時に身分証明書忘れて門前払いくらってただろ。あれ僕まで呼び出されたせいで変な緊張感と徒労感味わう羽目になったんだよ。謝れ」
「そのへんも最初のごめんに全部込めたの」
「しゃらくせ〜」
パイプ椅子に座るヨーゼフは背もたれに体重を預けながら天井を見上げた。その様子を見ながらナディアは意を決した表情で言葉を紡ぐ。
「あのさヨーゼフ君。小さい頃に嫌な思いさせちゃって、ごめん」
「おい。さっきのごめんに全部込めたんじゃなかったのかよ」
「……もらった手紙を読めなかったことは、また別。そっちはそっちでちゃんと謝りたい」
離別を目前にして書かれた少年からの言葉。
既に殺されている父親に引き裂かれたそれは、ナディアにとって決して軽視してはならない見えざる思い出だった。
今日ここに来た理由の一つは、こぼれ落ちた思い出の修正である。
「手紙の内容を聞き出そうとかは思ってない。ただ、どうしても何も言わずに済ませようって気にはなれない」
「まあ謝罪できるのは偉いと思いますよ。僕ももうそこまで気にしてないし、手打ちってことでいいじゃん」
「うん。それでここからはこれからの話」
「あ? なんですか急に」
これで終わりと断じていたのだろう。あり得ると思っていなかった先の話が始まって、ヨーゼフが怪訝そうな顔になった。
そんな彼の態度をさらりと受け流し、ナディアは話を続ける。
「ヨーゼフ君が暴れてたのって、遊園地の地下に閉じ込められてた女の人達のためだったんでしょ?」
「あー、まあ結果的には。ぼかァあくまでも仕事のつもりでしたけどね」
「じゃあ人助けに繋がって、お金を受け取れれば何でもいいのかな」
「さっきからなんの話してんだ」
気だるげな声に手応えのなさを感じ取りつつ、それでもその先を諦めない。
「ねえ。服役終わったらマネージャーとして私達のところに来ない? よければあのもう一人の女の子も一緒に」
「え、嫌ですけど」
にべもない。
即答を受けて押し黙ったところで今度はヨーゼフが疑問を投げかけた。
「前科者の男が女性アイドルのグループと一緒にいてメリットないでしょ。確実に炎上するってわかってるはずなのに、何がどうしてそんな発想に至ったんです?」
「……まあ、そう言われる気はしてたし無理にでもって話じゃないけどさ。言うだけならタダかなって」
「言ってもし僕が受けたらタダどころかお前ら全員大損害だろ。バカですか」
ヨーゼフは大袈裟なくらいの溜息を吐き出して壁にかかっている時計の針を見つめる。
面会時間はまだ少し残されているが、彼の心情としては早くこの会話を終わらせたい。
自分相手に彼女の時間を使わせるのは本意ではなかったから。
「……で、もういいですかね? 特に話すこともないでしょ」
「最後に一つだけ」
「はいはいどうぞ」
まあ一つくらいなら、と投げやりに促す。
「………………また、会いに来てもいい?」
「できればやめてほしいかな。言ってやめてくれるとは思いませんが」
「…………嫌だって言うならもう来ないよ」
「へえ、言われない限り来るつもりなんだ。なかなか根性ありますね」
「……で、嫌なの?」
「……………………」
訪れた沈黙は半分が不安、半分が困惑で構成されていた。
どうなんだ、という詰問も含む視線を受けつつヨーゼフが顔を横に逸らす。
「答えようにももう時間が足りないなあ」
「まだ数分あるでしょ」
「いやちょっとせっかく来てくれたし、どうせなら手広くアイドル活動してるあなたに元幼馴染として忠告しておきたいことがあったんですよね。それだけは伝えておきたいので、申し訳ないんですけど微妙に間に合いません」
「何、その忠告って。あと元でもなんでもなく幼馴染でしょ私達」
「ぶっちゃけおたくら相手に言う必要あるかどうか怪しいんですけど」
ナディアを遮って続く声には、相応の緊張感が滲んでいた。少なくとも伝えておきたいというのは本音であると判断し、続く言葉を待つ。
「今後はこないだの[プロージットタイム]みたいな悪人が経営してるような場所に近づかない方がいい。それと胡散臭いくらいのレベルでも怪しい相手とは仕事するべきじゃない」
「今更何言ってるの? そんなの私達だって元から避けるようにはしてるし。……まあこないだのはちょっとリサーチ不足だったかもしれないけどさ」
「そういう事態は二度と起こさない方がいいでしょうね、っていう話をしてるんだ。僕より思慮に欠けてるようなのがこれから定期的に現れるからよ」
「……何? どういう話なの、これ」
困惑を見せるナディアにヨーゼフは尚も続ける。
「風の噂で聞いたよ。あの東郷圭介が王都で排斥派のデカい勢力を叩き潰したらしいじゃん」
「それが何」
「その戦いの中で東郷圭介が生存したこと以外は全部、我らが道化の思惑通りだ」
少年の目が口以上に語る。
次なる波乱の到来を。
今まで以上の闘争を。
「排斥派の諸々が片付いた今、次の“大陸洗浄”がすぐそこまで来てる。あの遊園地の経営陣みてぇなのと関わってたらマジでメンバーの誰かしら死ぬことだってあり得るかもしれねえ」
何を、と呆れることがナディアにはできなかった。
目の前にいる幼馴染の少年はあの“黄昏の歌”平峯無戒と繋がりを持っていたのだ。彼の属する組織がもし二度目の“大陸洗浄”を目論んでいたとしても不思議ではない。
そして彼や“黄昏の歌”のような、誰かを救うために動く人員ばかりではないからこそこうして忠告をしたのだろう。
悪人相手であれば何をしても構わないと考える。
そういった輩が一定数いるのだと、“大陸洗浄”の記録は物語っていた。
「そのめちゃくちゃな話を私が信じるとして。いつ、そんなことになるの」
「さあ? でも一ヶ月以上間を空けるとは思えませんね」
ヨーゼフが首をコキリと鳴らしながら思案げに目を細める。
「僕から言えるのはこれまで以上に悪人には気をつけろってだけです。巻き添えにされる可能性は充分にあるので。……ああ、いよいよ時間になりましたか」
壁かけの時計を見れば確かにもう一分も残されていない。あくびを噛み殺しながらヨーゼフが立ち上がった。
「ちょっと、ヨーゼフ君」
「んじゃ僕はこのへんで。一応まだ時間が少し残っているので言っておきますけど」
微妙にわだかまりが残りそうなやり取りを見届けていた監視役の騎士が、戸惑いの表情を浮かべている。それを認識しながらも彼の歩みは止まらない。
ただ、残ったわずかな時間を用いて一つだけ付け足すように言った。
「ここには二度と来るな」
なかなかに勝手な言い分だけを残して、巻き毛の少年は通路へと入っていきナディアの視界から消えていく。
背中を見送るしかできなかったナディアは何とも言えない表情を浮かべるばかりだった。
「……一方的な性格になっちゃったなあ、彼」
ひとまず彼がここから出るまであと何日要するかを、スマートフォンのカレンダーアプリで数え始める。
最後まで完全な拒絶だけはされなかった。
それだけで、彼女にとっては充分だったのだ。
* * * * * *
金属に覆われた隘路は壁に組み込まれた照明によって薄く照らされ、人工的な冷たさを宿してそこに在った。
あまりに整然として道標が記されていないそこには目的意識が見えず、どこからどこまで続いているのかもわからないせいか奇妙な窮屈感を見る者に抱かせる。
常人が長時間歩き続ければ発狂しそうな程度には何も感想を抱けない、無機質で退屈な場所。
そんな通路を一人の男が歩いていた。
黒い外套を纏い足音もたてずブーツで床を蹴る、二十歳そこそこの青年。歩行という単調な動作一つにも隙を生じさせない様は人間が歩く姿としてあまりにも不自然だ。
誰あろう、“黄昏の歌”の名で通る客人――平峯無戒である。
彼がしばらく退屈な道を進むと、これまた金属板の壁で囲まれた広い空間に出た。
一戸建ての民家なら収まりそうな面積を有するドーム状の部屋には中央に空色の光を携えたハディアが設置されており、その周辺を様々な用途不明の機械が埋め尽くしている。
無戒が数歩前に進んでから立ち止まり、口を開いた。
「……ロザリア。まさか俺を待っていたのか?」
「もちろん」
声に応じて機械の陰から顔を出したのは、ロザリアと呼ばれた一人の少女。
年齢は十代半ばほどだろうか。低い背丈と童顔に騙されかけた認識を、豊満な胸部が改める。
頭髪、瞳、睫毛から爪まで大半の部位は赤く輝き、陶器のように滑らかな肌だけは新雪よろしく白い。纏うドレスも赤を基調としつつフリルの末端は白く映え、紅白のコントラストは否応なしに視線を誘導する鮮やかさを主張していた。
美しく可愛らしいはずの容姿。
しかしそれはどこかグロテスクな、骨と肉の集積を想起させる。
「わざわざここまで来る必要もなかっただろうに。何か俺に特別な用でもあったか」
「別に何もないわよ。やっと退屈な日々が終わろうとしてるみたいだから、最後の暇を使ってテキトーな相手に話しかけてるだけ」
「……ちっ」
ロザリアへの明確な嫌悪感を漂わせながら、無戒がハディアに向かって歩く。舌打ちの対象となった彼女も何食わぬ顔でその隣りに並んだ。
「これからお互い忙しくなるわね」
「東郷圭介があの戦いの中で生存したのは青天の霹靂だった。我らが道化も当初の予定を大幅に変更しなければならず、内心さぞや困惑しているだろうよ」
「とはいえ止まる理由にはならないわ」
「無論だ」
ハディアの上に乗った二人は目前に出現した魔力の画面に指先で触れて、次の場所へと移動する。
転移した先にあったのは無機質な金属の部屋などではなく蒼穹が見える外、深い青色の石版が織り成す広場。
面積は先の部屋など比較にならないほど広く、端から端まで移動するのに徒歩で約一〇分は要するだろう。
この場所で理解できるのはここが高所であるという事実だけ。柵の類が設置されていないその向こう側には雲海が広がるばかりで、この場所がどこにあるのか、どの程度の高さなのかを伝える要素など一切ない。
その広大な空間の一画には石版と同じ材質と思しき青い円卓が設置されている。
見れば無戒達二人よりも先に座っている何者かがいた。
席につきながら静かに何らかの書類をまとめている人物に対して、無戒が声をかける。
「どうも、ご無沙汰しています」
「ん? ああ、無戒君にロザリアさん。お久しぶりです」
「こんにちわヘイス牧師。相変わらず勤勉なのは結構だけれど、周りをもう少し見た方がいいわ」
「ははは、これはこれは申し訳ない」
ヘイス牧師と呼ばれた男は三十に届くか否かといった風情の年齢で、茶色い短髪と一重まぶたがより温厚な人格を表していた。穏やかに笑う顔からは一切の害意と脅威を感じさせない。
身につけている祭服は装飾を最低限に抑えており、緑色の比率が高く見えた。衣服に隠された体がどのような状態かは定かでないものの、座っている姿を見る限りだと足がすらりと長く伸びていることだけ理解できる。
「何分ほら、先日こちらに新しく労働力が提供されましたでしょう。彼らに簡単な作業を教えたところ随分と飲み込みが早いもので、次は何をしてもらおうかなどと夢中になって考えてしまっていたのですよ」
「羨ましい限りだわ。こっちなんて“大陸洗浄”が終わってから今までほとんど何もしてこなかったのに」
「いやいや、ゴグマゴーグ……でしたね。あれは素晴らしいものだったじゃないですか」
ヘイスの言葉を受けてロザリアが鼻息を大きく吹き出しながら席につく。その顔はどこか誇らしげだ。
続くように無戒も近くの椅子に腰を下ろした。
「ネーミングはお姫様の考案らしいけどね。客人の世界のおとぎ話に出てくる巨人の名前なんて、どこで聞いたのかしら」
「大方我らが道化がどこかしらで仕込んだのだろうよ。しかし全く、あのような偏食をよくもまあ生み出したものだ。飢えて弱体化するのは目に見えていただろうに」
「あの大きさで人間の体を用いた寄生樹しか食べないとなると、はっきり言って餌の供給が間に合いませんからね。僕の方で何人か逃走中の犯罪者を使って作っておいたからある程度は持ちましたけど」
「だって最初から砂漠で殺させる予定のやつだったでしょ。仕事は果たしたんだからいいじゃない」
頬を膨らませるロザリアに無戒が嘆息し、ヘイスは苦笑する。
と、その苦笑を引っ込めて彼は周囲を見渡した。
「ところで、マティアス君がまだ来ていないようですね。約束の時間まであと少しのはずですが……」
「あいつならもうすぐここに着きますよ」
「ええ。下から登ってきているわね」
「……やれやれ。やはりこういった点で私はお二人に及ばない」
感心したようにヘイスが呟いて数秒後、ガチャガチャという音が聴こえてくる。同時に三人が座る円卓から見て反対側の末端、無人の縁に奇妙な物体が現れた。
巨大な鉱物の塊であるそれは中央部分から前面にかけて陥没しており、更に結果突き出た両側の部位にもそれぞれ別に陥没が生じている。そして全体的に彫像を始めとした装飾が為されていて、複雑な形をした意匠は見ていて飽きない。
俯瞰すれば漢字の“凹”にも似た形状のそれには、どういったセンスによるものか両側から伸びるゴムの表皮に包み込まれた六本の長大な足が付属していた。
端的に言えば、それは両側部から蜘蛛のような脚が生えたエトワール凱旋門である。
「いやーどうもどうもおっひさー♪」
真ん中の窪みに設置された座席でふんぞり返りながら挨拶を飛ばすのは白衣を着た痩躯の男――アガルタ王国城壁にて大暴れした客人、マティアスであった。
「本日は遅れてしまって申し訳ない! ワタクシとしましても誠に遺憾であります! 今後ゲームは一日一時間を徹底していこうかと思うのでどうぞシクヨロ!」
賑やかな足音を響かせて円卓に近寄る不気味な物体を見つめながら、無戒が頭を抱えて溜息を吐く。
「パリ市民に対して申し訳ない気持ちになってきた」
「開幕からご挨拶ですねえ無戒さん! このシャンゼリゼ・スパイダーに何か文句でも!? 壁登れるんだぜすごくない!?」
「いや、もういい。もうわかった。とりあえず席につけマティアス」
「あっははははははは何それ!」
見ればロザリアは爆笑しており、ヘイスは静かに微笑んだまま硬直している。
各々の反応を見て「誰もカッコよさをわかってくれない……」とぼやきながらマティアスも席についた。
四人がそれぞれ四方に座った途端、円卓の真ん中が光り輝いて一つの絵が浮かび上がる。
空色の燐光で構成されたそれは道化の絵。
『集まったね、“王の札”の諸君』
四人に届くどこか遠いその声は、彼らが知る道化のもの。
アイリス・アリシアによる通信だった。
最初に反応を示したのは、冷静さを取り戻したらしいヘイスだ。
「“イスカンダルの座”ヘイス・レーメル、席につきました」
「“シャルルの座”ロザリア・シルヴェストリ、席についたわよ」
「“カエサルの座”マティアス・カルリエ、座ってまーす!」
「……“ダビデの座”平峯無戒。席についたぞ」
『よろしい。では鳩首を始めようか』
瞬間、広場全体に空色に輝く術式が張り巡らされる。
それに反応を示さず、円卓につく四人は浮かぶ道化の札を見つめていた。
『東郷圭介の生存によって計画にいくつかの修正が必要となった。しかしボクらの初動は何も変わらない。当初の予定通りに作戦を実行して、その後どう動くべきかは今後の流れを見て決定しよう』
周囲に浮かび上がるのは魔術によって具現化される記号の数々で、それらは各々が集合して複数の地図となる。
複数箇所にて第六魔術位階【マッピング】を同時に広域展開したものだ。
それぞれの地図が組み合わさり、文章すら再現しながら作戦の概要までもを表現し始める。その合計数はおよそ五〇に届くだろう。
計画の目的はいずれも同じく、裁かれぬままのうのうと生きている罪人への私刑を目的としたもの。
全ては彼らが追い求める目的のため。
改革によって齎される理想社会のため。
『これより第二次“大陸洗浄”の開始を宣言する』
誰の目にも留まらない場所で、四人の王が道化とともに動き出そうとしていた。




