第二話 病室の竜人騎士
受付での簡素なやり取りを経てリノリウムの床に記された矢印を追い、エレベーターに乗って廊下を渡り。
到着したのはそれなり広い病室だ。
薬品特有の臭いが漂う純白の部屋に、空色の塊が存在している。圭介が中に入った途端、それは静かに顔を向けてきた。
「おう、ケースケ君にセシリア……だけか。あの包帯の子はどうした?」
弱々しい声で語りかけるのはベッドに横たわる第六騎士団団長のガイ。
圭介とセシリア、そしてレオの三人を呼び出したのは重い怪我を抱えた状態で入院している彼だった。それぞれに用件があるという話で、彼にしては珍しく控えめな言葉選びで誘ってきたのである。
ガイの問いかけに応じたのは圭介の頭上にいるアズマだった。
『レオ・ボガートならワイン梱包のアルバイトに行っています。曰くユビラトリックスに遠出していた間ずっと顔を出していなかったため、休むわけにもいかないと』
「つってもしばらくしたらダアトに戻る関係で、もう何度か顔出したら契約終わるらしいですけどね」
「そうか。まあそんならしゃあねえわ。二人もわざわざ来てもらっちまってわりぃな」
「どうも。ガイさんは大丈夫ぅー、ではないですよね。すみません」
全身に施された回復術式が煌々と光り輝き、傷の位置と深さを際立たせているためか見ていて痛々しい。
薄くぼやけるそれらから強い魔力を感じられないのは、過剰回復にならないよう出力を抑えているためだろう。
「お前にしては殊勝な態度だな。日頃からそのくらいしおらしくしていれば可愛げもあろうに。何なら定期的に深手を負ってみるか?」
「オイオイよしてくれや。冗談にしたって笑えねえ」
「本気で言ったんだが」
圭介とセシリアが来たのは本来ならば騎士団が寝ているはずもない監獄病院、アッサルホルト。
先の大騒動で怪我を負った騎士や民間人はそれなりの数となり、通常の病院は既にベッドを埋められているらしい。その関係で緊急の措置という扱いではあるが、騎士団の一部はこうして監獄病院に運ばれたのだ。
特にガイは空港におけるバイロンとの戦闘で致命傷には至らないまでも重傷を負っており、通常であれば使われる機会などなかったであろう個室を充てがわれている。外的要因を極力削って治療に専念するための措置であった。
「いやしかし参ったもんだぜ。ここで出されるメシってなぁ美味いもんじゃねえわやっぱ。あんなもんじゃ怪我の治りも遅くならぁ」
「あー、僕らの世界でも評判あんまよくないんですよね病院食。健康第一に考えて予算の範疇でメニュー組んでるから仕方ないんでしょうけど」
「迂闊に同意するなケースケ。この人が普段何を食って生きているのか考えろ」
「肉と甘いもん」
「あんたが答えるのか……」
雑談から入ったはいいものの拭えない空気がある。
騎士二人はもちろん、圭介もその正体を理解していた。
だからこそ気晴らしの流れをいつまでも続けていられない。
「……で、どうして僕らを呼んだんですか」
丸い椅子に腰掛けて話を聞く体勢に入る。圭介の態度を見てガイはふっと笑みをこぼした。
「まあこれはレオ君にも言いたかったんだが、まずは謝罪だわな。今回はウチの部下が迷惑かけちまった。後でレオ君ともども何かしら詫びの品を送る」
「それは……だって、ガイさんのせいなんかじゃ」
「部下がやらかしたなら上司である俺のせいなんだよ。じゃなかったら何のための役職だ」
言って彼は陽光差し込む窓の外に顔を向ける。
「アイツが……バイロンが、“大陸洗浄”でダチ公や女を殺されたって話は俺も知ってた。知っててそれでもそういう仕事に俺らは就いてるんだって、わかってもらえてるもんだと勘違いかましてたのさ」
騎士団の副団長であるバイロン・モーティマーが起こした事件は不祥事と呼ぶことすら生ぬるい内容であり、当人が死んでしまっている今となっては全ての責任が第六騎士団に集中してしまっていた。
マスメディアからの追求はまだ続いている。しかも騎士団長であるガイまでもが療養中なのもあって、組織内部は混乱に見舞われているらしい。
ここに来る途中でセシリアがあることを教えてくれた。
現在、第六騎士団は王城にて全面的な活動の自粛を促されているのだという。
トップに立つ二人が一度に不在となった今、それを阻止する者もいない。暗い未来が見えているからこそ、あの豪放磊落な男がここまで弱りきっているのだ。
「寄り添えなかった俺が食うべき割をお前さんらに押しつけちまったことに違いはねェ。……だから、すまなかった」
「……じゃあ、はい。謝られたので許しました。これでこの件は終わり! はい、もう気にしてないんで!」
パンパン、と手を叩いて無理にでも湿度の高い雰囲気を誤魔化す。今の圭介にはこれくらいしかできそうもない。
それを察してかセシリアも椅子を引いて座り込んだ。
「で、私まで呼び出されたのはどういう了見だ? そのザマで飲みの誘いというわけでもあるまい」
「ハハハ、それも悪かねえ。だがそうも言ってられねーのが現実よ」
笑い声にわざとらしいくらいの軽さを滲ませて、ガイが顔をセシリアへと向ける。
「不本意ではあるんだが、俺は騎士団を辞める」
「そうか。やはりバイロンの件が響いたか?」
「まあそうさな。とはいえ今言った通り、俺としちゃあ不本意な話さ。せめてきっちりケジメつけてからならまだしもあいつらに何も残せちゃいねェ」
あいつら、とは言うまでもなく第六騎士団の団員達を指す言葉だろう。
横で聞いている圭介としても彼の離脱は意外な話ではなかった。
副団長の手によって起きた事件の大きさと内容の悪辣さ、それらを思えば辞職に追い込まれる可能性は充分に考えられたからだ。寧ろまだ公的に発表されていないのを見るに、恐らく相応の抵抗はしたはずである。
とはいえ実力やカリスマ性を思えば、ガイは実行犯の巻き添えで失うには惜しい人材だ。
恐らく再就職先には困るまい。それでも彼が憂えているのは、自分自身とは別の問題なのだろう。
「ただ一応の後続は先に決めておいた。まだまだ根性の足りねえ野郎だが、しばらく騎士団としての活動を自粛する流れになっている今ならどうにか持たせられる」
「とはいえ各所への対応で忙しいことに変わりはないさ。……問題は第六騎士団の自粛明けだな」
「そうだ。流石に最低限の引き継ぎは済ませておいたが、逆に言やぁそれだけよ。排斥派の連中が大人しくなったとはいえ王都での犯罪は増えてきてやがる」
何せ事件が大き過ぎた。
ある程度は魔術で修復可能とはいえ、破壊の痕跡がすぐに街から消えるわけではない。そして亀裂が走る壁面や陥没した地面などは見えるだけで人の心をざわつかせる。
まだ表立って報道こそされていないものの、あれから一週間も経っていない現在の時点で王都内での犯罪率は上昇傾向にあるという話は圭介の耳にも入っていた。
「そこで、だ。別に王城騎士にご助力願おうってんじゃあねえ。最初から俺が言いたいのは一つだけよ」
ガイはベッドの下に隠していた何かのメモ書きを抜き取って、セシリアに渡した。
記載されているのは電話番号とメールアドレス。
「第六騎士団周りでなんかあったら俺に言え。冒険者として、フォローできる限りのこたぁする」
これまで見たこともない真面目な表情を浮かべて、ガイが声を絞り出す。だがそれを受けたセシリアの視線は冷ややかなものだ。
「……言っている意味がわからん。こちらで必要になればクエストを発注するのだから、冒険者になるのならばそこで依頼を受ければいいだけの話だろう。わざわざお前を特別扱いして呼び込む意味は薄い」
「わからねえはずがねえだろ。即興の司令塔になってやるって話だ」
「言うな。どうあれその紙切れもその言葉も受け取るわけにはいかん。こちらにも王城騎士としての矜持がある」
ガイの主張を端的にまとめるなら、指揮系統を失った公的組織を民間の立場から動かそうという提案であった。
当然だがこれは重大な違反行為に該当する。
ビーレフェルト大陸全土において共通することだが、騎士とは国家公務員の中でも特別な位置にある。中でも民間人との関わりについては意外と厳しく、先ほどガイが口にした圭介らに向けての謝罪も本来ならグレーゾーンだ。
セシリアとて情がないわけではなく、円満な人間関係を維持するための動きであればそういったやり取りも見逃せただろう。事実として彼女も圭介らに向けて謝る機会は幾度かあった。
だが、騎士団に民間人が干渉するとなれば看過できない。
それは自分達の存在価値を崩壊させるものだ。もしも一時的に組織の動きを改善できたとして、以降あらゆる冒険者に騎士団へと働きかけるための悪しき前例となるだろう。
騒動の陰に隠れて誤魔化されてしまっているが、本来ならユビラトリックスで暴れ回った圭介達の挙動も厳罰に処されるところだった。
それが無罪放免に終わったのはあくまでも領主であるアラスターの温情に過ぎない。貴族が管理する土地において領主さえ許容してくれれば話も変わる。
一方、第六騎士団の活動範囲は王都内がメインだ。
王都となれば土地の管理はアガルタ王国王家の管轄となり、辺境の地で許されるような所業も通用しなくなってしまう。もちろん王城騎士であるセシリアもそんな行いを許すつもりはなかった。
「残された者達が頼りなく見えるか? ノウハウを教え損ねた後続の動きに不安を覚えるというお前の感情は理解できるが、足掻くにしてもそれは不格好だぞ。犯罪率の上昇とて深刻な状況ではない。何をそこまでして焦る」
「…………俺ぁ不気味で仕方がねえのよ。“黄昏の歌”がロトルアであんだけの騒ぎを起こしたっつうのに、あれから目立った動きを見せちゃいねえ」
呟くように言うガイの表情は固い。
「“大陸洗浄”で暴れてた頃を思えばいやにお行儀がいい。悪党と判断したらその日の内に殺しに行くような奴が久々に顔を見せたと思ったら、遊園地とそこの経営者を襲ってからめっきり姿を現さねえのが不自然だ」
『想定では今より多くの被害が出ているはずだったのですか?』
「そらぁな。それこそ今回の都知事が起こした騒ぎなんて、良くも悪くもあいつが出てくりゃ数分で片付いただろうよ」
あの排斥派による猛攻を数分で片付ける。
あまりにも極端な話を受けて圭介が鼻白んだ。しかし実際、[プロージットタイム]で遭遇したあの男ならやるだろう。
それほどまでに“黄昏の歌”――平峯無戒という客人は突出した力を有していたから。
グリモアーツの【解放】すらせず、指を弾いただけで任意の空間に岩をも砕く空気の炸裂を発生させる。それも一度に複数の箇所で、全く同時にだ。
戦わずして敗北した時の苦い記憶が蘇るも、ガイが言う通り違和感は確かにあった。
排斥派との戦いが起きたあの日、他の場所で無戒が暴れたという話は聞かない。つまりあれだけの騒ぎが生じていたにもかかわらず、完全に我関せずと沈黙していたことになる。
人身売買を許せず施設ごと壊滅させる計画に参入していた男の挙動として、どうにも納得いかないものだった。
「恐らくだが本格的な嵐はこれからやってくる。“黄昏の歌”だけで済めば御の字だが」
「言い分はわかった。だが何にせよお前が剣を返すというのならやはりその話は受け入れられん」
セシリアがぴしゃりとガイの言葉を遮って断ずる。
剣を返すとは武装型グリモアーツ“シルバーソード”が標準装備となっているアガルタ王国騎士団において退職を意味する言葉だ。
逆に言えば、剣を持っている間は騎士としての振る舞いを捨てるなど決して許されない。
「バイロンの一件について同情はしよう。それでも私は姫様に仕える王城騎士であり、それ以前に国防を担う国家公務員だ。禁忌を破るつもりは毛頭ない」
「……そうかい」
至極残念そうにガイがうなだれる。何か言葉をかけようかと圭介が焦っていると、不意にセシリアの顔が向きを変えた。
「ところで話は変わるが、ケースケ」
「ん、はい?」
突然声をかけられ、圭介の声が若干裏返る。
「今後何らかの依頼を受けたら私に一報よこせ。場合によっては協力してやる」
「あァん?」
今度は想定外の言葉が飛んできたものだから、変な勢いがついて思わずヤンキーめいた返答になってしまった。
「セシリア、お前……」
「王国史でも稀な若さで勲章を受け取った時点で、お前達パーティは今や国にとっても無視できない存在だ。仮に民間からの依頼を受けて、もしそれが国防に関わるような内容となると一時期ともに行動していた私が無視するのは体裁が悪い」
『その依頼内容が騎士団の活動に直接関与し得る場合はどうなりますか?』
「寧ろ必ず報告してもらわないと困る。ダアトで私の連絡先をくれてやっただろう。何かあったら直接言え」
「ちょっとガイさん!? なんか民間人を巻き込む気マンマンなんですけどこの王城騎士とやら!」
「お前……ありがとうなあ」
「感動して泣いてる場合じゃないんですよあんたもう完全に僕らをセシリアさんとのパイプか何かだと思ってるでしょ!? 嫌ですからねやっとこさ落ち着いてきたのに物騒な依頼受けるの!」
案の定、受け取った勲章の存在が自分の足を引っ張り始めていることを実感する圭介であった。
と、騒ぐ声が大きかったのか病室のドアをノックする音が響く。
「ガイさーん、お客さんと盛り上がるのもいいんですけどちょっとボリューム下げてもらえませんかね。あと定期検診やりますんで失礼しますよ」
「おう、いつもすんませんねえ先生! ささどうぞ、入って入って」
憂いが晴れたのかすっかりご機嫌となったガイが入室を促すと、ガラリと引き戸が開かれた。
現れたのは白衣を着た三十代前半ほどと見える男。
その顔をいつぞや見た気がして、圭介は目を丸くする。
「あれ、もしかしてどこかで……」
「ハハハ、まあ憶えてなくても無理はないよ。遠方訪問前にアーヴィング国立騎士団学校の校長室で会って以来だね、ケースケ君」
「……あー! あのえっと、モテるくせに鈍感なお医者さん!」
「どういう憶え方?」
圭介が最後まで名前を思い出せなかったその医者は、改めてベンジャミン・デナムと名乗った。
バイロンの錬金術によって偽装されていたヴィンスの死体を検分したりもした、アッサルホルトの名医である。
「んじゃまず血圧測るんで、こっちの台に腕置いてくださいね。はい力抜いてー。はい術式作動しまーす」
ガイの腕に測定用の帯を巻きつけて、表面の術式に触れながらベンジャミンが魔力を注ぐ。圭介の知る血圧測定では帯が締まるものだったが、この血圧測定に用いられる魔道具は特に動く様子も見せず空中に魔力の文字を浮かび上がらせた。
「うん、安定してきてますね。ウチの病院食あんま美味しくないけどそこんとこの調整はバッチリなんでね」
「いやあ、実際不味いっすわ。あんな粗末なもんしか食えないなんて健康とかクソですな」
「医者に向けてそれ言っちゃうのか……」
「流石に無礼だぞお前……」
そんな具合で定期検診を終えたベンジャミンが圭介に向き直る。
彼の表情はどこか申し訳なさそうだった。
「ヴィンスさんの件については本当にすまなかった。まさかあんなに精巧な死体の姿をしたホムンクルスを作り出せるとは思っていなかったが……いや、これも言い訳にしかならないな」
「いえいえ。それよりあのナースさんとその後どうですか」
「命を扱う仕事に就く身として、誤った判断が未来ある若者の命を奪いかねない事態を引き起こしたんだ。僕はこの事実を重く受け止めるべきなのだろう」
「そんな自分を責めなくても。やっぱデートとか行ったんですか」
「だからせめてもの罪滅ぼし、というわけではないけれど。君と懇意にしているガイさんの傷は必ず完治させてみせるよ」
「ありがとうございます。チューとかしたんですか」
「じゃ、仕事もあるので僕はこれで」
「結婚とか考えて、おい逃げるな!」
圭介の言葉を聞き流しながら、ベンジャミンは言いたいだけ言って病室を出ていった。横のベッドでは血圧と体温に問題なしと下されたガイがふんふんと鼻息を鳴らしながら腕を動かしている。
どうやらセシリアが圭介に向けた言葉を聞いて安心したようだ。
圭介からしてみれば本人を無視して何を、という気分ではあるが憂いを払えたのならそれはそれで構わない。どうせ勲章を押しつけられた時点でこうなる気はしていた。
「んじゃケースケ君、今後騎士団辞めてからなんかのタイミングで依頼するかもしれねえけどそんときゃよろしくな!」
「金はきっちりもらいますからね」
「ぶわははははは!!」
「いや笑って誤魔化そうったってそうはいくか。マジで足元見まくるんで覚悟しといてくださいよ」
高笑いするガイと静かに微笑むセシリアに挟まれながら、厄介事の渦中に放り込まれた圭介は不満げな表情を浮かべていた。




