エピローグ 次の場所に立つ者
「あ、ヤバい」
「? どうかされましたか?」
ふとあることに気付いた圭介が気まずげな声を出すと、レイチェルが横から顔を覗き込んできた。
「いやまあ、都知事は騎士団に身柄渡せば終わりなんですけど……あの、あっち、どうしたものかなって」
指差す先にあるのは円柱状のカプセル。
アガルタ王国初代王妃の遺体という客人の圭介でなくとも扱いに困るであろう存在である。
それを見たレイチェルが何とも言えない表情になった。
「あー……。まあ、騎士団の判断に任せるのが無難でしょう。下手に動かすのも怖いのであちらの方から来てもらうべきかなと」
「今、外ではヴィンスさんが騎士団の足止めをしているはずだ」
宙に浮かびながらマシューが呟く。流石にこの件に関しては倫理的な負い目が大きいためか、努めて感情を見せまいとしているのがわかる声色だった。
「別に僕だけなら、このままここに放置してくれても、構わない。ただ彼には一声かけなければ、いけないんだ。これ以上、僕のために無理させるのも、よくないから」
「そう思うなら最初からすんなっての。しかしコイツを一旦置いておくという判断はしても問題ないかと思いますよ。圭介さんには天井に開いた穴から外に出てもらって、外部にいる騎士団と接触してもらえれば話は通じるでしょう」
「ええ、まあ。ただ【サイコキネシス】で索敵してみた感じ、どうにも……」
索敵で居場所を捉えた限り、ヴィンスは今も“レインウォーカー”によって駆けつけた騎士団を牽制しているようだった。確かに足止めという点ではあれほど扱いやすいグリモアーツもないだろう。
「めっちゃ戦ってますね。アレこっちの話聞いてくれるかな……」
「何だったら、僕を連れ出してくれれば、こちらから釈明はする。どうせもう騎士団の前に姿を見せたところで、早いか遅いかの違いしかないだろうからね」
「それもアリかなぁ」
「ったく、大の大人が集まって物騒なもの振り回して。やってる内容は子供以下じゃないの」
レイチェルの言い分にぐうの音も出ないらしく、疲弊しているのもあってマシューは何も言い返さず黙りこくった。
「今朝私がエリカに電話した時、隣りに座ってた小学生くらいの女の子なんて立派なものだったわよ。この非常事態に落ち着き払っててね」
「ああ、エリカが騒いでた時にめっちゃ校長先生を見てきたっていう」
「あの時は恥ずかしかった……」
「…………待って、レイチェルちゃん。それは、おかしいよ」
と、マシューがレイチェルに声をかける。状況のせいで居心地悪そうにしていた彼は、今回初めて自分から幼馴染に話しかけた。
それを意外に思ったのか、少し驚いたような表情でレイチェルが応じる。
「あん? 何、なんかウチの姪っ子に今更文句でもあんの?」
「いや、そうじゃなくて。小学生くらいの女の子が、いたって言ったよね」
「そうだけど」
「それはやっぱり、おかしい。今日は児童の見学予定はなかったはずだし、あったとしても僕が、許してない。保護者同伴でも、別途何らかの申請があるはずで、それは今日に限って僕も把握するように、している。何より子供一人で入るにしても、守衛の人が、止めてなきゃおかしい」
その言葉に嘘は感じられなかった。そもそもここで虚言を吐く意味もない。
話の流れが不穏な方向に変わったのを受けて、レイチェルが目を丸くした。
「えっと……それってどういう」
「今日の都庁舎に、小学生なんているはずが、ないんだ」
苦しげに、しかし強くマシューは断言する。
レイチェルが見た子供の存在など本来ならあり得ないのだと。
何か噛み合わない話に圭介が違和感を抱くと同時。
外で戦っていたヴィンスの体が、急に動きを止めた。
「ん?」
戦いにおいて彼が動きを止めたというのは、少々気になるところでもある。
実戦において立ち止まるのは致命的な行いだと、以前彼は戦いの中でユーに言っていたはずだ。そんな彼が急に止まる理由などあるだろうか。
不可解な現象は続く。
ヴィンスが動きを止めたのは都庁舎前の広場だったはずだ。立っていたのは六階ほどの高さで、恐らく指の筋肉を局所的に強化して壁面を移動していたのだろう。
少なくとも建物を俯瞰して見れば端の方にいた。索敵した限り、恐らくそこが最も人員を投入される場所だろうことが窺える。互いの動きを弁えて彼もそこに移動したものと思われた。
だがヴィンスの体は次の瞬間、都庁舎中央の上空へと瞬間移動したのだ。
それは丁度、圭介達がいる地下から外へと続く天井の穴に重なる位置。
「は?」
「え?」
唐突な出来事に圭介が間抜けな声を出し、それにレイチェルが反応してからほんの数秒後。
三人の目の前――天井に開いた穴からわずかな夕映えが届く空間に、全身を黒く焦がしたヴィンスが落ちてきた。
「……っ!?」
「ヴィンス、さん……?」
呆気にとられたのはマシューも同じだったようで、嘗て同じ志を抱いた同士の成れの果てを見て硬直してしまっている。
黒い煙を全身から昇らせる老爺の死体に遅れて、また別のものが落下してきた。
砕けた斧。
刻まれた魚。
どちらも彼のグリモアーツだ。しかし酷く損傷していて、“グリーフクレセント”の方はすぐにカードに戻ってしまった。“レインウォーカー”に至ってはその場で溶けるように消滅していく。
「何だよ、これ……!」
無造作とさえ言えるほど唐突に投げ込まれたそれらに気を取られ、圭介は索敵網を展開していながら近い位置で発生した別の存在に意識を向けられなかった。
「やあ、久しぶりに顔を見た」
声が聞こえたのはリリィ・アガルタの遺体が保管されている円柱、その近く。
急ぎそちらに顔を向けると、見知らぬ少女が立っていた。
「最後に直接顔を見たのはマクシミリアンと添い遂げる決意を固めてボクらの元を離れたあの時だったね。いやはやその結果がこれとは何とも君らしい終わり方だ」
歳は十代前半だろうか。
長く真っ青な髪の毛をクラウンブレイドでまとめ上げ、光の中に浮かぶ痩躯を眺めている目は横から見た限り薄い緑色。無垢と言えば無垢、老獪と言えば老獪に映るだろう不思議ながらも整った顔立ちをしている。
純白の半袖ブラウスとプリーツスカートを着ているためカッチリとした印象もあれど、焦げ茶色のケープを羽織っているからかどちらかと言えば落ち着いた印象が強い。
「しかし、わざわざあんな見つけにくい場所に自分を隠すなんてねえ。そうまでしてボクに発見されるのが嫌だったのかい?」
奇妙なのは混沌極まるこの状況にあって、平然とリリィ・アガルタの遺体に向けて話しかけていることである。
殺し合いの痕跡がある中、怪我を負った客人と満身創痍の都知事、更には老人の死体までもが転がっている中でそれらを認識していないかのような振る舞い。しかも遠い昔の時代に生きてきた人物に対して、あまりにも気安い口調と内容である。
どう考えても普通の存在とは思えなかった。
「ハハハそうだ死ねば応答できなくなるんだった。観測できない事象に対する理解はどうしても深められなくてね、全く困ったものだよ」
「あ、あのぅ……」
いかに修羅場をくぐり抜けてきた圭介とはいえ、ここまで異様な存在には関わりたくない。ないが、このまま放置するわけにもいかず声をかける。
ぐりん、と少女の顔が圭介達の方を向いた。
「……っ」
「そちらからしてみれば初めましてになるのだろうね。念動力魔術を操る客人にしてアーヴィング国立騎士団学校に身を置く東郷圭介君。それとその学校で校長を務めるレイチェル・オルグレン君に、ああ君には非常に活躍してもらったねアガルタ王国王都メティスの都知事マシュー・モーガンズ君。予定より早く彼女を見つけられたのは君の功績だ。誇りたまえ」
少女はにこりと笑いかけながら、矢継ぎ早に自分達の名前と社会的立ち位置を並べる。それも全員を小馬鹿にするような態度で。
そして相手の不快感に対する配慮を欠如させたまま、彼女は名乗った。
「ボクの名前はアイリス・アリシア。少し特殊な生まれだが客人だよ」
そう言って一礼する少女、アイリスは三人に向けて非常に簡素な自己紹介を終えた。
「……えっと、アイリス、ちゃん?」
「答えよう。そこに転がっているヴィンス・アスクウィスを殺害したのはボクだ」
圭介の声かけを意にも介さず。
アイリスは誰も口にしていない、しかし誰もが思ったであろう疑問に先んじて答え始める。
「は?」
「方法については聞いても無意味だろうから言わないとして。次にボクがどういう目的でここにいるかについてだが、これに答えると簡単に言えばリリィの奪取さ。彼女の聖骸はまだ利用価値があるからね」
発言内容の倫理的問題もあるが、それ以前の話だ。
彼女はぶつけられるであろう質問を彼女自身で勝手に取り上げ、解答している。
どう努力しても会話が成立しない、極めて一方的な形でのコミュニケーションであった。
「ちょ、ちょっと待て」
「これを使って何をするのかについては答えないこととしよう。最後にボクの正体について、まあ所属と立場を明確にすれば君達は概ね満足するからそれだけ言っておくこととする」
圭介の制止も無視して話が進む。しかも内容が本当に問おうとしていたものばかりだからか、遮るわけにもいかない。
相手のペースだとかそういう次元ですらない、ただ聞く側の立場に押し込められていく状態であった。
「こちらとあちら双方の変革を目指す客人の集会[デクレアラーズ]幹部、[十三絵札]が一枚“道化の座”」
言って、彼女は懐から一枚のカードを取り出す。
カードゲームにおける最強の一枚。
道化の札。
「仲間内では“我らが道化”と呼ばれているよ。それでは、ボクはこれにて失礼」
言うが同時。
アイリス、そしてリリィ・アガルタが保管されている円柱は一瞬で展開された空色の魔術円に包み込まれて、一瞬にしてその場から消失した。
「…………え? えっ!? なん、何だったんだ今の!? いや、ていうかさっきの、消えた!?」
「転移魔術、だと。馬鹿な……」
慌てふためく圭介の隣りで、マシューが驚きの声を漏らす。
転移魔術。ハディアという魔道具によって実現されるそれは、しかし個人で使用できるような簡単な術式ではない。
複雑な機器を揃え、土地の条件を揃え、膨大な魔力の供給源を揃えて初めて機械で再現できるもののはずだ。
しかしアイリスは今、それをハディアなど存在しない空間で容易く使ってみせた。
これだけの事があった以上、明らかにただの子供ではない。どころか客人としても異質な何かとしか思えない。
並々ならぬ異常性に飲み込まれそうになる圭介の耳朶に、レイチェルの声が届く。
「……あの子、だ」
声はか細く、震えている。
「私が今朝、エリカと電話で話していた時……隣りで、見つめてきた女の子。あの子だ……」
やがて崩壊した天井から注がれる光は途絶えて。
時刻は夕方から夜に変わったのだと、訪れた暗がりが教えてくれた。




