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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第九章 プロジェクト・ヤルダバオート編

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第十九話 万象の支配者

 意識が覚醒した時、体には重みも痛みもなかった。


 あるのは奇妙な浮遊感と暖かさだけ。


 まさに夢見心地と言える空虚な世界で、恐る恐る閉じたまぶたを開く。


「目が覚めたみたいですね。良かったぁ」


 さっきまで圭介がいたはずの暗い場所と異なり、そこはただただ白いばかりの世界。

 遠近感を掴むための何かなど存在しない。上下を定めるための地面すらない。


 あまりにも情報が不足している。

 さっきまでいたはずの都庁舎地下ではなく、わけのわからない真っ白な空間に放り出されて圭介としては気が狂いそうになってしまう。


「ええと、私のこと見えていますか? 見えるようにしてあるはずなんですけれど」


 ただ一人だけ、圭介の目の前で明確に存在している誰かがいた。


 腰まで届くウェーブのかかった金髪は夕暮れ時の川を想起させる美しさ。逆卵形の整った顔には旺盛な好奇心を象徴するが如くくりんとした翠色の瞳が爛々と輝いており、元より背が低い彼女に更なる幼さを加えている。


 見慣れたはずの彼女はしかし学校の制服でもこれまで見てきた私服でもなく、風景に溶け込むような純白のワンピースで身を包んでいた。


「は? エリカ?」

「そうと言えばそうなんですけどねえ。多分あなたが知っているエリカと私はまた別というか何というか、そこが少しややこしいところでして」

「何それ清楚系お嬢様のコスプレ? 顔面偏差値高いだけあって黙ってれば似合うんじゃねえの。服脱ぐまで一言も喋らない方がいいよ」

「いやそういうわけじゃ……本当にどうしてあっちはあんなことになっちゃったんだろ……」


 エリカは哀しげな表情を浮かべるも、コホンと可愛らしく咳払いして仕切り直す。

 その所作から漂う愛くるしさが、圭介の中に「コイツ本当にエリカか?」という疑念を生んだ。


「時間がないので細かい事情は話しません。とりあえず圭介さん、このままだとあなた死にます」

「あん?」

「ヴィンス・アスクウィスが操る“レインウォーカー”によって、今あなたの肉体は圧砕せんばかりの負荷をかけられ内部の酸素を押し出されています。抵抗するだけの魔力も体力も残されておらず、溺死か圧死以外の選択肢が存在しない状況です」


 冷静な口調で説明を受けて圭介はようやく思い出した。

 都庁舎の地下にある施設で死んだはずのヴィンスに攻撃を受け、水の底に沈められたはずなのだ。


 であればここはどこなのか、と考えようにも展開が唐突過ぎて思考が追いつかない。


「それでも私ならあなたに第三の選択肢を与えられる。この場所ならあの子の観測範囲外だし、危機を脱することもそう難しくはないでしょう」

「エリカ? おま、何を……」

「さっきも伝えた通り、時間は限られています」


 そう言うとエリカは左右の手の間に魔術円を構築した。


 奇妙なのは魔術円を構成する魔力に一切の色が見受けられないことだ。今まで見てきた限り、魔力には各々個人が有する特有の色が含まれていたはずである。

 しかしその魔術円は薄っすらと空間に模様を描いているだけで、特に色と言えるものが見えない。無色透明なそれはしかし、確かな魔力の気配を伴ってそこに浮かび上がっていた。


「あなたはただ想像すればいい。無から生まれる力を。有を引き込む力を」


 魔術円は圭介の方へとゆっくり移動し始め、やがて触れると同時にじんわりと浸透していく。


「大勢の人に干渉する第三魔術位階でもなく、周囲の環境を大きく変化させる第二魔術位階でもなく、規模を問わず発揮される第一魔術位階でもない」


 何もないはずのそこから、東郷圭介という存在をより純粋な状態へと変化させる何かが生じていた。


 水、火、雷、風。

 様々なものを操ってきた圭介の念動力は結局のところ枝葉に過ぎない。

【テレキネシス】や【サイコキネシス】が幹となるそこから、更に淵源。

 根に該当する場所にある、無意識に使っていたあまりにも特異な魔術。


 圭介が最初から有していた特別な念動力。


「第(れい)魔術位階【オールマイティドミネーター】。グリモアーツを初めて【解放】したあの時、あなたが使った魔術です」


 五感が鋭敏に覚醒していく感覚の中、エリカの声がより強く響いた。同時に体を急な衝撃が襲う。


「がっ!?」

「意識が戻りつつあるようですね。しかし大丈夫。あなたは、既に彼らにだって負けない力を手に入れていたのですから」


 呼吸もままならない状態で滲む視界の向こう、寂しげな笑みを浮かべるエリカが少しずつ遠のいていく。


「ま、て……」

「圭介さん。どうか生き延びて、あなたはあなたの日常を取り戻してください。そして……本来、私が言える立場ではありませんが」


 言葉を続けることに逡巡を示す様子が見えた。

 が、彼女はそのまま黙らなかった。


「あの子の哀しみを断ち切ってあげてください」


 やがて白は黒へと濁り、少女の姿は掻き消えていく。


 暗い室内、鉛のように重い池に沈んだ状態で。


 圭介はその意識と魔術を覚醒させた。



   *     *     *     *     *     *



 自身のグリモアーツから魔力の傾向を機器に読み取らせ、その方向性に合わせて元となるリリィ・アガルタのグリモアーツを変容させる。

 説明だけなら簡単に言えるが、当然容易に実現できる技術などではなかった。まず元のグリモアーツを自身に移植しなければ扱いきれないのだ。


 魔術を行使する上で最も重要な要素となるのは血肉である。

 これは別に専門的な話ではない。現代でさえ誰しもグリモアーツを獲得する際、まず国や企業に血液を提出するものだ。

 今のアガルタ王国騎士団が標準装備としている武装型グリモアーツでさえ、製造に当たって使い手の血を要する。それほどまでに本人の遺伝子情報は重い意味を持っていた。


 だからこそ肉体の一部に埋め込んで、常にその血の主こそが最適にグリモアーツを使いこなせる存在なのだと()()()()()()()()()()

 強引ながらも実績がある以上、これ以上の最適解はあるまい。


「……死にましたか」

「いえ、まだ。しかしもう助かりませんでしょう。あれだけ出血していたら、到底」


 ヴィンスが出入り口から通路の向こう側までポツポツと続く床の点を見た。それは圭介の血痕である。


 致死量には届くまいが、魔力の不足を加味するといつ失神してもおかしくない。寧ろここまでよくぞ歩いてきたものだと今更になって感心すら覚える。


「こちらは読み取りに今しばらくかかります。念のため彼を直接殺傷してもらえますか」

「……そうですね。少々油断していたかもしれません。では、確実に」


 そう言うとヴィンスが懐からとあるものを取り出した。


 瑠璃色の三日月が中に描かれている懐中時計。

 彼が元から持っているグリモアーツ。


「【解放“グリーフクレセント”】」


 現れたのは三日月を模したかのような刃が付属した大斧。

 その刃が瑠璃色に輝き、振り上げられる。


「首を断ちます。それならば絶対に起き上がれないでしょう」

「ええ、間違いなく。すみませんがお願いします」

「では」


 言うと同時、ヴィンスの斧を持つ手に力が加わる。


 一度は王族の前で見せしめとして殺害する方針も考えたものの、まあ生首を投げて寄越せばそれだけで充分なアピールにはなるだろう。

 猟奇的な絵面となるだろうが知ったことではない。彼らが迅速に対応できなかったからこそ“大陸洗浄”ではそのような憂き目に遭った人々が多くいたのだ。


 目の前に利用価値のある客人の頭部が転がるくらい何だと言うのか。


 マシューは思い出す。

 愛しい人が家族の亡骸を前に涙を堪え、残され慟哭する姪を抱きしめる瞬間を見た時の、あの胸を締めつけられるような苦しみを。


(精々見ているがいいさ。客人の活躍ありきで成立する今のふざけた国家運営が、全て白紙に戻される瞬間を)


 暗い復讐の意志を携えながら“グリーフクレセント”が振り下ろされるのを観察する。哀れな客人の最期を看取り、最終的な障害が取り除かれる瞬間を確かめるために。


 しかし、そうはならなかった。


「むっ?」


 ヴィンスが驚嘆の声を上げるとほぼ同時。


 東郷圭介が沈められていたその水の檻が、突然蒸発した。


 一瞬にして視界を覆う霧に圭介の姿が覆い隠され、既に二人の視点からは彼が見えなくなる。


「なっ……?」


 困惑する老人の声を耳にしながらもマシューは現状把握に集中した。


 彼が圭介の殺害を最優先事項とした理由。もしも懸念が当たっていれば、今この場において最悪の事態が発生したと考えるべきだ。


「ヴィンスさん、一度下がって!」

「っ!」


 言われて即座に大きく後退できるところは流石の一言に尽きる。恐らく筋力増強の魔術を使っているのだろう、反応が異常に速い。


 だが、逃げ切れなかった。


「ぐぉっ」


 霧の向こうから勢いをつけて飛び出したのは巨大な金属板“アクチュアリティトレイター”。それがヴィンスの体に弾丸よろしく食い込んだ。


【メタルボディ】によって防御力を底上げしているとはいえ、あの体積と質量をあの速度で突き出されれば昏倒は免れない。

 壁にまで飛ばされて叩きつけられたヴィンスはその時点で意識を手放したのか、“グリーフクレセント”と“レインウォーカー”の双方を消失させてしまう。


「……あと、もう少しというこの局面で」


 言いつつ機械を手早く操作してマシュー自身のグリモアーツを取り出す。


 彼は知っていた。

 城壁防衛戦で彼が大砲を遠隔操作したことを。

 クロネッカーの効果を触れずして発動していたことを。

【解放】した瞬間、周囲のマナを自身から遠ざけていたことを。


(本当に、最悪の事態だ)


 そこから推測されるのは、あのカレン・アヴァロンでさえ使ったことのない念動力魔術。大気中に散ったマナを操り自身に取り込む規格外の術式。




 即ち、魔力の再利用。




 東郷圭介が魔力切れを起こすという現象は、たった今から絶対に生じなくなってしまった。


「【解放“ストレングスグレイブ”】」


 マシューが【解放】したことにより、手に持ったグリモアーツが本来の姿に変化する。


 それは、全身を覆う鎧。ぱっと見ると甲冑にも類似しているが、よく観察すると金属板ではなく無数の墓石が折り重なって構成されていた。

 顔面と角をも墓石に埋没させ、その隙間から目を覗かせて彼は両手に魔力を込める。


 左右の手から臙脂色に輝く魔力の鞭が現れた。


「いかに魔力が無尽蔵とはいえ、出血の量は誤魔化しがきかない」


 やがて霧が晴れる。

 その奥に立つ圭介が、倒れ伏すヴィンスの隣りに落ちている“アクチュアリティトレイター”を【テレキネシス】で手元に回収しているのが見えた。


「君はここで確実に殺す。騒ぎを聞きつけて騎士団がいつ乗り込んでくるかもわからない以上、時間をかけて相手しているわけにもいかないのでね」

「そうはさせない」


 ようやく圭介が口を開く。その声は驚くほど平坦だった。


「殺されるのもごめんだし、あんたにこれ以上殺させるのも嫌だ。この騒動を終わらせて僕は僕の日常に戻る」

「……そうか」


 両手に持った鞭を体の前後に位置づけ、攻防兼ね備えた構えへと体勢を変える。

 対する圭介も“アクチュアリティトレイター”を右手に持ち、左手を腰から下げたクロネッカーの柄に触れさせていた。


 互いに覚悟は決めているらしい。


「戦う前に一つ訊いてもいいかな」

「何すか」

「僕らの復讐を、君はどう思う?」


 その問いかけに対して、圭介は特に反応を示さなかった。

 当然と言えば当然である。命を何度も狙われてきた少年に、その正当性を問うなど馬鹿げた話だ。


 しかしマシューはどちらがどうなっても構わないから、彼の答えを聞きたかった。

 異世界に突如飛ばされてあれよあれよと言う間に王族に目をつけられ、命すら狙われるようになってしまった彼がいかなる答えを示すのか。


 他のあらゆる客人と比べても恵まれた環境であり、同時にだからこそ望ましくない影響も受けてしまう彼はある意味この世界で最も客人らしい客人と言えよう。

 自分達のような排斥派を客観的に観測できる立ち位置にいる少年。そんな彼が、一時期は親しくさえしてきた排斥派筆頭格たる自分にどんな言葉を投げかけるものか。


 言ってしまえば圭介を殺してから知ることのできない情報に向けた、ただの好奇心でしかない。

 答えを得られないならそれはそれで、程度に捉えていた。


「さあ?」


 だから圭介の応答を聞いた瞬間、まずはぐらかされたのかと疑ってしまった。

 その反応は予測できていなかったから。


「普通に敵だと思ってた時期もありましたけど。今になって思うと、こいつら何なんだろうって気持ちが一番デカいですね」

「それは……」

「だって意味わかんないでしょ。客人が特別優れてるみたいに思ってて、だから弱い自分達にとって邪魔だー、とか言われてもこっちからすりゃそれ戦う理由にならんし」


 何となく彼の声が平坦な理由を察することができた。

 きっと彼自身もどのような感情を向けるべきか、はっきりとさせていないのだろう。


「こっちゃあんたらの生活を邪魔した覚えねーし。まあ色々迷惑かけたり世話になったりましたけど、その分取り返そうと思って頑張ってるんですよ。なんでそれの邪魔すんの? とは思いますよね、そりゃあね」

「なる、ほど」


 それはそうだろうな、という思いがマシューの中にもあった。


 排斥派が社会的に疎んじられる最大の理由はそこである。客人が率先してこちらの世界に来ているならともかく、彼らは望まずして流れてきた立場でしかない。

 結果としてその存在が社会にとって有益となるか損害となるかは客人の判断によるところで、そこにつけ込んで理不尽な扱いをした結果が“大陸洗浄”だったのだ。


 だが、それは己の感情を無視する理由にならない。


「君の言い分はわかった。正しいとも思う。自分達が幼稚な集まりなのだとも、自覚はある」

「でも止まれないんですよね」

「ああ。正しさを飲み込もうにも、正しくない出来事が多すぎた」


 心に灯った黒い炎。

 復讐心と呼ばれるそれは理屈によって消すことができないまま、客人と和解の道を選んだ社会全体に対する不満として溢れ返った。


 家族の死によって生じた憎悪を、笑顔の中で忘れていいのか。

 恋人の死によって生じた憤激を、平和の中に捨てていいのか。

 親友の死によって生じた悲哀を、日常の中へ帰していいのか。


 生じる疑問を解決できず燻る中で、大切な何かを奪った立場の人々が世界に認められていく。その結果に至る過程で失ったものを取り戻せないまま、終わりきっていない戦争の傷を指先でなぞるばかりの日々を生きてきた。


 言うなれば自分達は。


 どうしても大人になれなかったのだ。


「だから僕は変わらない。君達を殺し、この社会にあの時の古傷を思い出させる」

「させませんよ。あんたを止めて、この世界での心残りをまとめて処理してやる」


 最後の言葉のやり取りを終えて二つの影が薄暗い空間でぶつかり合う。

 王都を巻き込んだ大規模な事件における、最後の戦いが始まった。

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