第十六話 抗う者に抗う者
瓦礫がそこかしこに転がり中央には下のフロアへと繋がる大穴がある、荒れ果てたテラスの上。
下には椅子やテーブルなどもあって、動かせる対象に困ることはない。念動力魔術を使う立場からしてみれば戦いやすい状況である。
しかし現実として圭介は苦戦を強いられていた。
背中を爪で斬られた時から体が正常に動かない。念動力で無理に動かしてはいるが、その重みを支えきるための負荷は集中力と魔力を同時に奪う。
体を支え、動かし、“アクチュアリティトレイター”を軽量化させ、ダグラスの魔術を【サイコキネシス】で相殺しながら防ぐ。
元より念動力魔術を用いての戦闘はマルチタスクを強いられてきた。そこに少しでも新しい要素が加わると、忙しない思考によって頭の中にある一本の筋らしき何かが焼き切れそうになる。
ダグラスはまだどうにかなる。索敵に引っかかる以上、極論を言えば背中を向けながらでも対処可能だ。
しかしダグラスが使用する彼の母親のグリモアーツ、“カインドホロウ”が生み出す狼の幻影に限っては念動力が一切通用しない。
「くそっ!」
多少の危険も承知の上でダグラスに背を向け、背後にいた狼と向き合う。追撃を行うためか前足を振り上げているのが見えた。
半透明な爪が右斜め上から迫りくるのを受け止めようとして、直後にそれが間違いであると気付き反対の左斜め上へと飛び上がる。
振るわれた爪は圭介が立っていた瓦礫や床をすり抜けて一切の破壊をもたらさない。
その軌道を読んでいたかのようにダグラスが圭介の背中に接近して矛を薙いだ。
遠心力によって破壊力と速度を増したそれをどうにか“アクチュアリティトレイター”で受け止め、すぐさま念動力によって万物を切断する魔術【タッチチョッパー】を相殺する。
「食らいやがれ!」
そうして接触した状態を維持したまま、全力で電撃を流し込んだ。
「ぐあっづっ」
電撃を操る念動力魔術【エレクトロキネシス】。操る、とは言っても現状触れながら軽く感電させる程度しかできない体たらくである。
しかしいかに物理抵抗力に干渉できるダグラスとて電気の速度に対応はしかねたらしい。一瞬飛び跳ねてから倒れ込み、仰向けになって動かなくなった。
だからと安心していてはまた狼から一撃を受ける可能性がある。【サイコキネシス】による索敵は頼らず周囲に視線を巡らせるも半透明の狼はどこにもいない。
それ以前に三つの三角形、グリモアーツ“カインドホロウ”自体が見当たらなくなっていた。
(ダグラスが痺れて動けなくなったから【解放】状態が解除された……? いや絶対そんな生易しいもんじゃないぞありゃ)
まずダグラスが気絶しているところで回復魔術を発動したのがあのグリモアーツだ。流石に独立して動いているわけではないだろうが、何か条件を満たした瞬間に発動する術式を組み込んでいるのかもしれない。
幻影の狼と違って本体である金属製の三角形は索敵に引っかかる。それも薄さと小ささのせいでかなりわかりづらいものの、動いていればどこかで感知できるはずだ。
問題は動いてさえいないという点である。
(多分これ誘ってやがるな)
実戦経験と訓練を重ねた圭介はそういった駆け引きも多少心得つつある。
ダグラスは動けないだけで意識は残っているのだから、何か仕掛けようとしていてもおかしくない。
試しに相手の横腹目がけて、クロネッカーを【テレキネシス】で飛ばしてみる。
「【滞留せよ】!」
「っと危ねえ」
投擲したクロネッカーはあっさりと起き上がったダグラスに避けられた。地面から背中に向けられる抵抗力を調整して、自身を跳ね上げたものと思われる。
そのタイミングに合わせるようにして崩れた壁の陰から“カインドホロウ”が飛来し、各々が角の位置に止まって大きな三角を象りダグラスを囲んだ。
半透明な狼の幻影が彼の足元から現れ、麻痺していたはずのダグラスが震え一つない状態で直立する。
「痺れまでどうにかできんのかよ反則だな」
「俺の母さん舐めんな。痺れようが焼けようがすぐに対応できる」
「……確かにすげぇ人だったんだろうさ。けったいなもん使いやがって」
そこまで回復魔術に適性を持つ者のグリモアーツなら、幻影の爪牙で襲ってくるなど普通はあり得ない。それでも実際には攻撃手段まで有しているのだと背中の傷が物語る。
(まあ、大体どんなカラクリ使ってんのか見当はつく)
恐らくあの狼は回復術式の集合体であり、大気中のマナを取り込んだだけの物理的に曖昧な状態なのだ。言い換えればマナの集合体でもあると言えよう。
マナは生物の体内で魔力に変換されない限り物理的干渉を受けにくい。これでは念動力でも手出し不可能である。
触れる瞬間に術式を発動すると、衣服に触れず肉体にのみ魔術の効果を付与できる。
ダグラスには回復を。そして圭介には全く逆の作用を。
「僕の背中斬ったのは過剰回復か。最悪な攻撃手段だなオイ」
言いながら【テレキネシス】でクロネッカーを手元に戻す。
体が上手く動かせないのは毒などによるものではない。単純に触れれば細胞が壊死する爪で脊椎を傷つけられたからだった。
同じく回復魔術のスペシャリストが揃うこの世界の医療機関に行けばすぐにでも治療してもらえるだろう。だが今は無慈悲にも、殺されかけている真っ最中である。
「母さんは医療に関わる術式なら軒並み使えた天才ってやつでよ。だから傷も病気も治せるが、そうやって死に近づけることも簡単にできるんだわ」
「簡単にすんなそんなもん。ってかそんな人に育てられておいて人殺しに躊躇とかなかったのかよ」
「最初から不思議となかったなあ」
完全に無傷の状態にまで回復したダグラスが足を踏み鳴らす。同時に三角形が形を崩し、幻影の狼が姿を消した。
「こうして母さんと一緒になってからは気分的にも落ち着いてな。人ォ殺そうが何しようがそこまでムカついたり泣きたくなったりしねえのよ」
「それ落ち着いたって言うより感情壊れてるだけなんじゃねえの」
「そりゃねえわ。だってお前とこうして殺し合うのめっちゃ楽しいし」
「喜怒哀楽の真ん中二文字を抉り取ったようなやっちゃな……ん?」
怒りと哀しみを失い、喜びと楽しみに満たされた状態。
殺人に対して最初から忌避感を覚えなかったという事実。
それと“カインドホロウ”の間に何か嫌な繋がりがあるように思えて、圭介は思わず警戒すら解いてダグラスに質問していた。
「お前、さ」
「あ?」
「最後に魔力切れになったの、いつ?」
「はあ? 何だそりゃ。……言っとくが切らした経験自体ねえよ。んな状況になった時点で終わりだろ、こちとらプロだぜ」
その半ば挑発も交えた迷いない応答を受けた時、圭介の中にあった一つの不安が大きく膨れ上がる。
しかしダグラスの方はそんな相手の変化を考慮する様子もなく矛を構えた。
「おしゃべりはここまでとしようや、ケースケ。魔力切れ狙いで勝ち目狙える状態じゃねーだろお前」
元より客人と排斥派。それも前者は念動力魔術という希少性の高い魔術適性を有する異端者で、後者は殺人を厭わない裏社会の住人である。
最初から話し合いで終われる関係ではない。
「つーわけで……あばよォ!」
触れる空気全てを押し出しながらダグラスが突貫してきた。
迫りくる矛の先端を薄皮一枚の差でどうにか躱すも、生じた真空の刃までは避けきれない。更に発生した衝撃波で吹き飛ばされ、鉄柵に叩きつけられる。
「カハァッ!」
背中と頬の切り傷から滲む血とともに圭介の口から空気と唾が飛ぶ。
痛みそのものは慣れもあってそこまで深刻ではないものの、この状況で肺から空気が抜け出したのはまずい。息を吸い込む動作は大きな隙を生じさせる。
肺が多少痛むのも厭わず圭介は無呼吸のまま念動力で体を無理やり起こし、“アクチュアリティトレイター”とクロネッカーを両手に持ちながら右へと大きく避けた。
その場所をまたも嵐よろしく周囲の床を破壊しながらダグラスが通り過ぎる。直前まで圭介が立っていた場所は粉々に砕かれ、破片が地上へと落ちていく。
空中に飛び出したダグラスは再度旋回し、圭介に向かってきた。
(駄目だ、このまま避けててもあの狼に不意打ちくらう。それに……)
やや不格好ではあるが“アクチュアリティトレイター”の柄に腕を引っかけて体を引きずりながら移動する。滑るような動きでダグラスを避けた先には、空中に静止しながら等間隔で三角を描く“カインドホロウ”が待ち受けていた。
危機感を覚えた圭介は即座にクロネッカーから伸びる水の剣を縮めてから一気に引き伸ばし、バネの容量で直角に跳躍して今度は左に避ける。
すぐさま飛び出した狼を避ける事には成功したが、また接近しつつあるダグラスにも対応しなければならない。
(ただ倒すだけじゃコイツはまた復活する。長丁場に持ち込まれて不利なのは僕の方だ)
完全には避けきれないと判断し、迫る“エクスキューショナー”の切っ先をクロネッカーで受け流す。こうした白兵戦での技術も今ではこなれたものだ。
しかし向こうもそういった動きに対応するだけの実力はあるようで、逸らされた軌道に合わせて突き出す足で蹴りを放ってきた。
ダグラスの蹴りは動作から予測されるもの以上の威力で圭介をふっ飛ばす。今度は斜め上に蹴り上げられたからか、鉄柵に衝突せず空中に投げ出された。
(頭をフルに回転させろ。僕の体を強引にでも動かして、“アクチュアリティトレイター”の重量も支えながらあいつを倒す方法を導き出せ)
一時的にとはいえ体を支える必要性が失せた瞬間、圭介は体を念動力で動かし視線をダグラスと狼の方へ向ける。
狼の姿は既に消え、ダグラスとともに三つの三角形が風を纏って飛来するところだった。
本気で殺しに来ているのだろう。矛の先端から狼の頭部が出現し、幻影の牙を剥いて颶風と一緒に圭介の上半身を挽き肉にしようとしているのがわかる。
(もう綺麗であろうとするのはやめだ。腹を決めなきゃ死んじまう。手段選べる相手じゃないんだ、コイツは)
去来するのは恐怖を打ち消すほどの諦観。
殺される怖さ以上に圭介を押し留めていた殺人への忌避を、この状況が許さない。
(生きるためなら、手くらいなんぼでも汚してやる)
汗に濡れた肌を撫でる風の感触。
疲れた臓腑に伝わる落下の感触。
手に伝わるグリモアーツの感触。
それら微細な情報を脳に刻み込む。今この瞬間を忘れられないように。
これから先、圭介の人生は“普通の人生”から大きく形を変えてしまうかもしれないから。
(水は体を支えるのに力不足。火は熱で先にこっちの意識を飛ばしかねない。電気はまだ使いこなせていない)
眼前にまで到達した死の具現化たる爪牙と矛先。
圭介はそんなものに意識を割かず、今動かすべき対象に魔力を注ぐ。
「――見つけた」
そうして得た一つの答えは。
皮肉にも、ダグラスがいなければ辿り着けない場所にあった。
* * * * * *
「ああ!?」
確信していた未来――圭介の死が実現されなかった事に、ダグラスが大きく動揺を示す。
必殺の一撃を叩き込んだはずの圭介が一瞬で姿を消していたのだ。
空中で一度静止してからダグラスは急ぎ周囲の状況を確認する。物陰に潜んでいる可能性も考慮して、“カインドホロウ”から現れた狼をテラスの真下へと移動させた。
(野郎、どこに隠れやがった)
脊椎に損傷を負った今の圭介がそう遠くまで一瞬で移動するとは考えにくい。瓦礫の裏にでも隠れているのか、と崩壊したテラスの方へ跳躍する。
次の瞬間。
頭上から何者かが飛来して背中を勢いよく蹴っ飛ばした。
「んがァっ……!?」
まるで先ほど圭介を追跡した時の様子を真逆に繰り返したかのように、ダグラスの体が先ほどまで立っていた位置へと叩きつけられた。
幸いにも【リジェクト】の効果があるため肉体的ダメージは背中の痛みだけだ。それも“カインドホロウ”で囲めば瞬時に痛みごと消え去る。
ただ、振り向いた先にいたそれを見て硬直は免れなかった。
「……なんっだ、お前…………!」
逆さまな円錐の形を維持して回転し続ける、複数の気流の足場。それが今、消耗した体と“アクチュアリティトレイター”を同時に支えている。
触れればその瞬間に弾かれるだろう風の塊は動き続けながらも止まった状態で彼を守っているのがわかった。
それは目に見えざる動きにして【サイコキネシス】とは異なる魔術。
常時止まらず激しく動き、触れれば容赦なく敵に牙を剥く大気の刃。
圭介とグリモアーツを支えながら、同時に守り抜くための新たな力。
第四魔術位階【エアロキネシス】。
風を押し出して全てを吹き飛ばすダグラスの必勝戦術が完全に奪われた形となった。
それを知ってか知らずか、宙に浮かぶ圭介が怜悧な無表情を向けて口を開く。
「おい、ダグラス」
声色からわかることがある。
目の前の客人は、ようやくスイッチが入ったのだ。
思わず口元を歪ませながら、ダグラスは応じた。
「おう、どうしたよ」
「決めたわ。お前がまだ戦うつもりでいるんだったら」
振り上げた“アクチュアリティトレイター”の周囲に新たな空気の流れが生じる。
そこから繰り出される一撃は、間違いなく【リジェクト】でも防ぎきれまい。
「殺す」
「……ハッ」
わざわざ教えてくれるとは。やはり表の世界の住人だ。
そういった意味も含んで鼻で笑ったダグラスだが、嬉しくないわけでもない。
ようやく。
ようやく目の前の相手は、自分を殺す覚悟を決めてくれた。
珍しく本気を出しても戦いが成立する客人。
“カインドホロウ”を使う機会自体が滅多になかったが、その上で戦闘が成立する相手。
年齢は近く、今や対等な立場で命の奪い合いに興じられる。
その感覚は遊ぶ約束を決めていた友人と顔を合わせた時の高揚感に似ていたが、残念なことにダグラスは経験不足からそれを親愛に近い感情であると認識できない。
ただ、やっと殺し合えるという事実があるだけ。
「ほざいてる暇あんなら黙って来いや。わざわざお上品にご挨拶なんざしやがって、初対面で俺がかました不意打ち忘れちまったかあ?」
「憶えてるよ。それでも殺したいわけじゃねーから確認くらいしたかっただけだ」
「そうかいそうかい。お優しいこって!」
瞬間、ダグラスを包み込むようにしてまたも巨大な狼の幻影が浮かび上がる。
「そんならお互い遠慮なくなったことだし、仲良くしようやァ!」
風と風がぶつかり合う。
三度に及ぶ彼らの戦いは、ここにようやく拮抗の様を見せた。




