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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第九章 プロジェクト・ヤルダバオート編

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第十五話 翠翼、黒翼に没す

 エリカが慎重に慎重を重ね走り続けていくと【マッピング】で表示された地図の上に通行困難な道が見えてくる。事前に何かが壊れ崩れる音を聴いていたのもあり、それが人為的なものであるとすぐに理解できた。


 しかし、彼女の心境はそれどころではない。


(都庁どうなってんだありゃ)


 中層階から下と比べて幾分細い上層階が、ガラガラと崩壊している。おまけに一度空中で静止したそれらは結局落ちてテラスを殴りつけていく。

 仲間である圭介のことも家族であるレイチェルのことも心配でならなかった。


(いやまあ、あたしも他人の方ばっか見てられたもんじゃねえんだが)


 気を抜けば自分が殺されるかもしれない、という状況を再認識してスイッチを切り替える。


 足元の魔術円で魔力を炸裂させ、ビルの壁面から突き出されるプログラミング教室の看板に向けて跳躍。その上に乗ったエリカの眼下でエメラルドグリーンの魔力砲撃が地面を抉った。


 敵も速さに慣れてきたのかそろそろ【アクセル】による加速のみでは砲撃を避けづらくなってきている。

 こうして立体的な移動による回避が求められるようになってからは地図だけでなく、頭上にある窓の窪み一つ一つにまで気を配らなければならなかった。


 だが同時に、高い場所まで登ったからこそ得られた成果もある。


「そろそろ見えてきたな。あの翼は“ブラスフェミー”……ってこたぁ撃ってきてんのララちゃんかよ。でっけぇ銃なんざ持ちやがって物騒極まりねーぜ」

『お知り合いですか?』

「ダチになろうとしたけどなり損ねたやつだよ。これ終わってから仲良くなれりゃ御の字なんだけど、なっ!」


 看板が取り付けられているビルと反対の方向に飛び出し、空中に浮かぶ標識を蹴って角度を調整したエリカは再び地上に戻った。足に【アクセル】を付与し直してまたもジグザグに走り狙いを逸らす。

 同時に【マッピング】を解除して二十六の魔術円を自身の周囲へと一気に集中させた。


「まあそいつぁ難しそうかあ! おいアズマ、撃たれそうになったら声かけてくれ!」

『了解しました』

「飛びながら精密砲撃ぶちかましやがって、ちょっとは手加減しやがれってんだ!」


 恐らく位置が露見したと向こうも察しただろう。となればそのまま同じ場所に浮かび続けている可能性は極めて低い。

 空中を縦横無尽に動ける彼女がどこに移動するかなどわからないが、移動範囲は絞り込める。


 まず先にも触れたが元々浮いていた場所にだけは絶対に留まっていない。狙撃手の心理を考えるならエリカの視界から外れようとするはずだ。

 それを加味するとエリカがいる方へ前進する可能性については論外。真後ろに下がるという動きも恐らくしないものと考えられた。


 そうなると考えられるのは左右どちらか斜め後方への移動。高層建築物の位置関係によってはそのまま姿を隠しながら旋回して、エリカの背中を取ろうとしてくるかもしれない。


 エリカにも土地勘はある。しかしララも空中を移動できる狙撃手である以上、メティスの地形を把握している可能性の方が高かった。

 ターゲットに姿を見られた狙撃手がすぐに移動するとしたらその経路はどうなるか、複数のパターンを脳内に思い描く。加えて自由に空を飛べるわけでもないエリカが容易に到達できない、あるいは相手を狙いづらい場所とはどこか。


『右側、来ます』

「っしゃらあ危ねえ!」


 アズマの警告を受けて急ぎ反対の左側に下がる。付近の民家を貫通して着弾した砲撃は、エリカが立っていた場所からやや後方の地面を砕く。

 大体の予測通りの結果だったため、回避も充分間に合った。


 こうした読み合いではエリカに多少の分があったし、アズマの言葉から自身の予測が大体現実に即したものである保障もできる。

 相手に接近する前に魔力と体力が尽きる可能性も考慮すると、そろそろ急ぐべきだろう。目視可能な距離まで来たのならここからは力の温存が最優先事項だ。


 ただ、そう上手く事は運ばないものだと曲がり角に顔を向けて実感させられた。


「だっ、クソ、めんどくせぇ!」


 次のポイントを予測してそちらに向かうも、陥没した地面が破裂した水道管から出た水に沈んでもはや下半身を沈めなければ通れない状態になっている。

 当然そんな走ろうにも走れない場所で呑気に歩いていては、咄嗟の回避行動に移れない。数秒後にはあのエメラルドグリーンの砲弾を受けて粉々にされてしまうだろう。


 一旦戻るかと身を翻すも、地響きとともに次なる絶望がエリカを襲う。


「うおっ、何だおい」

『ビルが沈んでいきますね』

「は!? どゆこと!?」

『言葉通りの意味ですが』


 淡々と言うアズマの視線を追って上を見れば、確かに近所の雑居ビルが傾きながら背を低くしていくのが見えた。


 外れた魔力砲撃は着弾して地面を砕いて終わりではない。しばらく突き進んで地中に大きな空隙を生じさせるのだ。それが何発も同じ箇所を貫き続ければ、特定の建造物を自重で沈めることも可能である。

 支える力が弱まった地面に建造物が自重で沈没し地形を変化させる。高い威力を有する魔動兵器と地下構造への理解、そして高度な計算処理を可能とする機器ないし頭脳があればこそ再現できる御業であった。


 その向こう側には地形の変化を待ち構えていたのか、翠玉の双翼が広がっている。


 狙われている、と気づいて咄嗟に後退したのがまずかった。


 砲撃ではなく立っていられないほどの暴風が退路にあった道を襲い、大型トラックや引き抜かれた街路樹を飛ばし積み上げていく。

 これで大通りへの接続は断たれた。


「うっわぁ。何つー事してくれてんだよ引くわ」


 左右は建築物に挟まれ、前後は水と積み重なった障害物に挟まれる。

 ならばと上を見上げると建物の屋上にララが着地する様子が見えた。狙撃とはもはや言えない距離感だが、既に状況の有利不利は覆らないと判断したのだろう。


 前後左右、そして空。

 もはやどこにも逃げ場はない。


「……久しぶり、ララちゃん。えらく物騒なもん持ってんじゃねえか」

「お久しぶりです、エリカさん。そちらも変わったものを肩に乗せていますね」

『アズマです。以後お見知りおきください』

「ご丁寧にどうも。ララ・サリスと申します。――まあ、それもまた仮の名の一つに過ぎませんが」


 半透明な逆三角形の向こう側からララの瞳がエリカを見つめている。


 彼女の発言から大体の立ち位置は察せられた。いくつもの名前と立場を抱えて行動する習慣があるのだろう。


 全ては、社会の暗部で生きるために。


「そんなにいくつも名前があると自分の名前忘れちまわねえか?」

「本来の名など忘れました。あったかどうかすらあやふやです」

「マジで?」

「最初から私に“人間”は求められていません。ただ与えられた役割をこなす“機械”として育てられた身です」

「親御さんの教育方針クソだな」

「それでも、そう在るのが私の仕事ですから」

「あっそう」


 嫌な仕事に就いてるなあ、とエリカは若干ララを憐れんだ。


「だからこそ、無駄は可能な限り省くべきと判断しました」


 そんな哀しみに気付く様子もなくララが淡々と告げる。寧ろ感情的な理由に縛られて危険な場所に来てしまったエリカの方をこそ憐れんでいるかのように。


「エリカさん。私は客人以外について特に注文を受けていません。このままトーゴー・ケースケとレオ・ボガートの二名を無視して避難所まで引き返してくれるのならば、これ以上貴女に対しては何もしないと約束できるのですが」

「…………あー」

「通りませんか」

「うん。いやな、ここで嘘ついてから引き返そうとするララちゃんの背中撃つのも考えたんだけどよ」

「私もその可能性が一番高いと思っていました」

「でもアレだな。嘘でも言えないことって世の中あんだな」


 二十六の魔術円を全てララに向け、エリカは“レッドラム&ブルービアード”を構える。


「あいつらンことは心配だし、伯母ちゃんの安否も早く確認してぇんだ。どっちかっつーとララちゃんの方に退いてもらえるとあたしとしちゃあ嬉しいんだがね。そこんとこどうよ?」

「そうですね。そちらが武装解除してくれれば考える余地もあるのですが」

「嘘つきめ」

「考える必要などないと確信を持って言っているんですよ。そこまで言葉にした以上、貴女は銃を下ろさない」


 どこまでも冷徹に、しかしどこか人間的にララは言う。

 エリカの矜持はここで折れないと。


「私の仕事は騒動に乗じての客人の抹殺、及び計画遂行の障害となる人物の排除です。そしてエリカさん。貴女はここまで私に接近し、未だに大きな怪我を負っていない。そしてこの局面にあってまだ妨害に及ぼうとしているのなら、流石に放置できません」

「ほーん。つまりララちゃん的にあたしは急いで殺さなきゃならない相手だっつーわけか。そりゃ光栄だ」

「しかし」


 フワリ、とララの体が浮かび上がった。その銃口はエリカの方を向いている。


「今回の依頼内容については個人的に不自然な点もあります。どうして貴女を殺さないように言われなかったのか」

「あ?」

「……忘れてください。失言でした」


 言うと同時、涜神の双翼が振るわれた。生じた颶風は体重の軽いエリカを吹き飛ばし、近くに置かれた喫茶店の立て看板へと叩きつける。


「あでぇっ!」

「あまり貴女一人に弾を使うわけにもいきません。次の一発を確実に当てるため、動けない程度に衰弱してもらいます」

「んにゃろっ……上等だゴラァ!」


 怒号とともに、エリカが展開した魔術円から赤銅色の魔力弾が射出された。隙間なく撃ち放たれたそれらは、しかしララを中心として渦巻く風の障壁に散らされる。

 断続的な炸裂音が響いた直後、エメラルドグリーンの魔力弾が複数飛来する。


(銃の方じゃねえ……!)


 それは双翼から生じた魔術円によって射出されたもの。急ぎ地面を転がりながら避けると、背中を叩きつけられた看板にララの魔力弾が当たる。

 着弾した途端、信じ難い勢いで看板が店内へとふっ飛ばされた。


『あの魔力弾には圧縮された空気を解放して対象を弾き飛ばす術式が組み込まれているようです』

「見たらわかるわいそんなもん!」


 素早く起き上がって空を見上げるもララの姿は消えている。また隠れて狙撃でもするつもりかと警戒したエリカだったが即座に考えを改め、背後に向けて蹴りを放った。


 繰り出した踵の一撃は、大仰な狙撃銃に受け止められている。


「やっぱそう来るわなあ!」

「チィッ……」


 残弾数に気を配りながら確実に銃での一撃を当てるという前提を考えれば、当たり前の話だがまず相手の動きを止める必要がある。


 となると最も効率的なのは運動能力を支える小脳に近い後頭部への物理的な一撃だ。

 ララは長大な銃に取り付けられた取っ手を掴んでエリカの背後に回っていた。何となればそのまま撲殺できてしまった方がコスト面でも助かったろうが、エリカ・バロウズはそんなに甘い女ではない。


「おっしゃテメェこのままぶん殴って、へぶっ」

『上に逃げましたね。あと早く立ち上がるべきでは』


 ララ・サリスもそこまで甘くなかった。


「クソァ! 敵も味方もイライラさせやがる!」


 苦し紛れと言わんばかり飛んだララに向けて魔力弾を撃つも、今度は防がず避けられる。機動力と移動範囲が違い過ぎるのだ。

 加えてエリカの移動速度を支える【アクセル】もそろそろ切れつつあった。このままではどう足掻いても勝ち目などない。


 再度エメラルドグリーンの魔力弾が上から狭いスペースへと降り注ぐ。エリカも魔力弾を撃って応じるが、空中で衝突して弾け飛ぶ魔力の光で視界が遮られた。

 光と風が目に沁みるも、閉じた瞬間また背後に回り込まれるわけにはいかない。


「アズマ、あたしの後ろに来たらすぐ言えよ!」

『了解しました』


 目の乾きを必死に耐えながら前を見据えつつ、複数の魔術円を重ねて筒状にまとめる。城壁防衛戦でも使った強力な一撃を放つための事前準備だ。


 直後、アズマが静かに声を上げた。


『空中、その銃口の延長線上にて魔力の収束を感知しました』

「そこにいんのか!」


 言ってエリカが楕円形の魔力弾を重複した強化術式で更に強め、双銃の引き金を同時に引く。




 瞬間。

 赤銅色とエメラルドグリーンの砲撃が正面から衝突した。




 金属のような鉱石のような、二色の光芒がメティスの一画を鮮やかに照らす。だが膨大な魔力の炸裂は美しいだけに留まらず、周囲の壁面や窓ガラスを蹂躙していく。


 そして、肝心の二人はというと。


「まさか――!」


 光の向こう側で驚愕するララの声が聞こえた。エリカも笑みを浮かべながらその結果を内心意外に思う。


 魔力砲撃と収束した魔力弾は、拮抗している。

 そうして数秒ほどせめぎ合った後には光同士が破裂し、より強い衝撃を周囲に撒き散らす。


 後には飛ばされないよう膝を折ってしゃがみ込んだ状態のエリカと、瞠目しながら浮遊するララが見つめ合うばかりであった。


「馬鹿な。ドルトンの魔力砲撃が、客人でもエルフでもない個人の魔術と相殺されるなんて……」

「意外かい? ぶっちゃけあたしもさ」


 息を切らして左手をだらりとぶら下げながらもエリカは不敵に笑う。空いた右手で尚も銃口を向けているのは、なけなしの戦意を失っていない証拠と言えよう。


「久々にこれ使ったけどよ、やっぱしんどいな。魔力の消費量もキツいし神経使うし。できりゃあ二度とやりたくなかったんだが」


 ただそれでも相当無茶をしたからか、砲門として機能する魔術円は全て消失していた。著しい戦力の減少は否めないがそれはララも同じだろう。


 事実、彼女は焦燥感を露わにして銃口を一旦エリカから逸らしている。

 あと一撃でと決めていたのが結果として仕留めきれなかったのだから、もう撃てる状態ではないのだろう。


「……しかし、貴女はこれ以上戦えない」


 双翼のグリモアーツ“ブラスフェミー”の周囲に、エメラルドグリーンの魔力弾が複数生成される。その様子をエリカは他人事のように呆然と眺めていた。


「私のグリモアーツ“ヘカテイア”はあらゆる情報を分析、予測できます。その様子では残った魔力もそう多くないでしょう」

「嫌なもん持ってやがらぁ。だがま、違いねぇ」


 逆三角の中に浮かぶ複数の数字を反対方向から見るエリカは、自身に残された魔力すら計測されているのだと何とはなしに察する。


「こちとらすっかりヘトヘトだよ。とっとと帰って寝ちまいたいや」


 第五魔術位階と第六魔術位階がそれぞれ一度ずつ。

 大方それが今の彼女の限界だろう。


「けどな。まだ勝負はわからねえ。知ってるかララちゃん?」


 仮にルサージュで第六魔術位階を強化するにしても、ララの機動力を削いだ上で風の障壁を打ち破る必要があった。更に言えばその一回で決着をつけられなければエリカの負けだ。


「成績優秀な騎士団学校の学生ってのはな」



 手元に残されたのは片手に持った赤い銃一つ。これで戦わなければならない。



 片手に持った、銃一つ。



 銃、一つ。



「――?」



 ララがそれを確認して、何かに気付いた様子を見せる。

 エリカはその顔を見てニヤリと笑った。


「こんな魔術も使えるのさ!【チェーンバインド】ォ!」


 喜悦の入り交じる声と同時、()()()()()()()赤銅色の鎖が伸びた。


「くっ!?」


 振り向けばそこには二丁目の拳銃“ブルービアード”を持って浮遊するアズマがいる。鎖はその青い銃口から伸びており、ララを螺旋状に囲むように展開されていた。

 暴風の障壁を生じさせようとするも、一旦は魔力弾の展開に集中させてしまった以上グリモアーツそのものが術式の切り替えに追いつけない。対応が間に合わないままララの体に魔力の鎖が巻きつく。


 現役の騎士なら、そして充分に優秀な騎士団学校の生徒ならおおよそ誰もが使える第五魔術位階【チェーンバインド】。ルンディアでダグラスも苦しめられたそれが今、エリカによって再現されララに猛威を振るう。


 アズマが握る“ブルービアード”の弾倉部分は“ブラスフェミー”の付け根に引っかかり、もう風を起こしたところで離れそうもない。そして反対に伸びていく鎖の先端はその果てに地上でエリカが握っている“レッドラム”の銃口へと接続された。


「うっしゃ繋がったァ! そんじゃ覚悟決めろよララちゃん!」

「このっ!」


 冷静な判断よりも危機感が勝り、ララが展開した魔力弾をエリカに向けて射出する。しかしエリカは当たれば吹き飛ばされるであろうそれら脅威を完全に無視し、魔力の鎖を収縮させた。


 それによりエリカの矮躯がララの方へと引っ張られていく。

 途中で数発当たるも鎖の収縮による移動は止まらない。術者であるエリカを傷つけながら強引に前へと進み続ける。


「ならば……」


 傷だらけになってでも密着しようとするエリカに、ドルトンを振り下ろすべく上段に構える。近距離戦闘においては鈍器としての役割を持つこの銃は人の頭部なら容易に砕けるだろう。


 だが、エリカはララの想定より下の位置で止まった。

 正確には、足の辺りで。


「…………は?」

「そぉい!」


 かけ声一発叫ぶと同時、空いた左手をララのスカートの中に突っ込んだ。


「ひゃああああああ!?」

「続けてそぉい!」


 そしてパンツを引きずり下ろした。


「きゃああああああ!?」

「機械気取ってんならノーパンくらいで恥じらってんじゃねえ! あと黒のレースは解釈違いだから次からは白くてシンプルなデザインのやつ履けよ!」


 ただでさえ充分に冷静さを保てていないところに暴挙と暴論を同時に受けてしまい、ララの思考が一瞬とはいえフリーズしてしまう。


 そして事態は彼女が覚えているであろう恥ずかしさ以上に先へと進んでいた。

 結果的にだが両足を拘束されてしまった状態のララは、足で振り払うという動作が制限されてしまう。そしてどうにか振りほどこうとする頃には、既にエリカがララの背中にしがみついていた。


「あ、貴女、なんてことを!」

「あー、ララちゃんごめんな」

「ごめんの一言で済むとでも思っているのですか!?」

「いやそっちじゃなくて」


“レッドラム”だけでなく引っかかっていた“ブルービアード”も回収したエリカが、極めて申し訳無さそうに謝罪する。


「今から地獄見ると思うけどよ。ま、アレだ。強く生きてくれよな」

「何を言って……」

「【もう一つ上へ】【唾を飲み込め また出るぞ】」


 短い詠唱とともに、カチリとエリカが双銃の引き金を引く。魔力弾が撃ち放たれた様子はないまま、彼女は先ほどララが積み上げた障害物の壁の上へと跳躍し着地した。

 そのままどっかりと座り込んでそれ以上動く気配はない。どうやらいよいよ魔力切れ寸前まで追い込まれ、本格的に疲れ果ててしまったようである。


「【アペタイト】……? 一体、それに何の意味が」


 ララとしてはわけがわからない。

 ルサージュの効果は事前にバイロンから聞いていた。だが飲食物の風味と外見を他者に幻覚として認識させる第六魔術位階など、強化したところでどうなるものか。


 ともあれ彼女はもう使える魔術を使い切った。今や街にある様々なものを集め堆積させた小さな山の上でうなだれている。


 今度こそトドメを、とパンツの位置を上げようとするララの視界に奇妙なものがちらりと見えた。


「……羽根?」


 一つ、二つ。ちらちらと落ちてくるそれは黒い羽根である。


 まさか【アペタイト】によって再現された食事の匂いが何かを引き寄せたのかと周囲を見渡すも、見えるのは黒い羽根ばかり。鳥の姿など見えはしない。


 そう、それこそが最大の違和感。


 バイロンの虫を恐れて鳥など一羽も飛んでいない空に、黒い羽根ばかりが無数に舞っている。


「えっ」


 あまりにも不気味な光景を目の当たりにして、ララはエリカの存在や自身が任されている仕事のことを忘れてしまった。

 そんな“違和感を覚える”などという余裕すらすぐに剥奪される。


 空を見ていたはずの視界は、刹那の間を置いて腐肉に満たされた。


「――ッ!!?」


 否、視界だけの問題ではない。


 衣服の存在を無視して腐肉の感触が全身に伝わる。まるで全裸にひん剥かれたかのような感触は恥じらいよりも遥かに強い嫌悪感を伝えてきた。

 そして耐え難い悪臭が鼻腔を満たし、口中には泥のような粘液が満たされる。


 そんな不快感の極みにも似た地獄の中で、たった一つだけ感じる鮮烈な快楽。

 これまで効率を重視して薬品や簡素な栄養食品ばかり口にしてきたララにとって、完全に未知なる喜び。


 吐きそうなまでに濃厚で、飲み物と錯覚するほどにとろりとした。




 発酵した内臓の旨味。




「ぶごぉっ」


 口から漏れた吐瀉物さえも鳥の一部に見えてしまう。化粧さえいらないほどに整っていた彼女の顔は今、涙と唾液と胃液に汚れていた。


 耐え切れず嘔吐した彼女は双翼に魔力を供給することすら忘れ、地面に落下した。凄絶な体験によるショックの影響か、パンツがずり下がったままの股間は失禁で濡れていく。


 裏社会に産み落とされ機械としての生涯を送ろうとしていた少女は、いかなる皮肉か人間としての機能を突かれて敗北した。


「……いや、ホントこれ人間相手に使おうとか思っちゃいなかったんだけどな」


 くたびれた様子のエリカはグリモアーツをカードの形態に戻して、罪悪感を誤魔化すように言葉を紡ぐ。


 彼女が無事なのは卓越した魔力操作の技巧によるものだ。魔力弾の炸裂を前方へと集中させる技術の応用で、【アペタイト】の効果範囲をララ個人の規模にまで狭めた。

 結果として術式の密度が圧縮されたことでより強い効果を発揮してしまった件については、それなり反省している。


『お疲れ様でした。何をしたのですか?』

「むかーし食ったゲテモノ料理でキビヤックってのがあってな。それを強化した【アペタイト】で強めに再現しただけよ」

『料理で彼女は倒れたのですか。少々理解できかねます』

「……お前は機械だからそらそういう感想にならぁな。いやーそれにしたってかわいそうな真似しちまった」


 深い溜め息を吐き出して、エリカは王都都庁舎に顔を向けた。


 もうここまで消耗してしまった以上、戦いは継続できまい。


「悔しいがあたしはここまでだ。すまねえがケースケ、本当に伯母ちゃんのこと頼んだぞ」


 エリカが仰ぐ空には、鳥も虫も黒い羽根も見当たらなかった。

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