第十一話 あまりにも剣呑な街路
白兵戦の外側から攻撃できる双銃のグリモアーツ“レッドラム&ブルービアード”を持つエリカだが、その実彼女にとって遠距離戦闘というものは未知の領域にあった。
きっとやろうと思えば全くできないわけでもない。魔術円の遠隔操作である程度の調整は容易にできるし、そもそも彼女のグリモアーツの有効射程がおよそ一〇ケセル(=二〇メートル)だ。魔術円をいくつか使えばもう少し伸びる。
加えて“レッドラム&ブルービアード”は魔力弾を撃ち出すグリモアーツであるがゆえに速射性、連射性、信頼性において抜きん出た非常に優秀な銃だ。真っ向からの射撃戦で彼女に勝つのは至難の業だろう。
ただ、目視困難なほど遠距離にいる狙撃手との戦いともなると専門外である。
一応こういった場合、相手がいる方角さえわかればどう立ち回るべきかは何となく理解できる。
騎士団学校での授業や趣味でよくやるゲームなどで得た知識と経験が現実でどこまで通用するかわからないが、全く未経験のまま挑むよりは参考になる動きを取り入れるべしとエリカは判断した。
『魔力反応あり。狙われています』
「どんなエイムしてんだよさっきからよ」
急ぎ元来た道を引き返して走る。これ以上前に進むと地形が逃走を遮り、立ち止まるにせよ曲がるにせよ相手から見て狙いやすい動きになってしまうだろう。それだけは避ける必要があった。
アズマの指示と【マッピング】の存在によって相手の位置と撃たれるタイミングはある程度わかる。死と隣り合わせの緊張感には圭介と出会ってからすっかり慣れてしまった。冷静に動けば恐ろしい事など何もない。
しかし相手の射撃精度と威力に関しては全くの想定外だ。障害物の裏に隠れながら進むという方法ではその障害物ごと撃ち抜かれるだろう。足を止めれば引き金が引かれるし、引かれれば自分が避けない限り絶対に当たると思った方がいい。
とにかくまずは距離による不利をかき消すために接近するべきと彼女は判断し、市街地をジグザグに移動しながら相手がいる方へと進んでいく。
ここまで当然の如く精密に狙い撃ちできる相手から見て、前後に行き来するような動きなどしていては立ち止まっているのと同じだ。横の動きを続けなければ死あるのみである。
「うおっと!」
ほんの数秒ほど前までエリカが立っていた地面がエメラルドグリーンの輝きを伴って大きく抉れた。本来であれば遮蔽物として機能しただろう雑居ビルの壁は見事に崩壊しており、貫通という言葉さえ生温い結果を叩き出している。
ルサージュの効果で第五魔術位階相当にまで強められた第六魔術位階【アクセル】を自身に付与しておいたからか、回避に苦労はしない。ただ相手がこの速度に慣れ始めたら危険である。
挙動を先読みして撃たれる前に近づいておく必要があるものの、狙われないために横の移動が増える関係で移動そのものに時間がかかる。
さっさと接近してしまいたい心情がストレスを生むも、ここで感情的に振る舞うわけにはいかない。
『砲撃は一度射出してからしばらく猶予が生じるようです。着弾を確認して三秒以内は多少危険な動きをしても問題ないかと』
「それが敵さんの撒いた餌だったらどうすんだよ」
自分なら連射できても間隔を空ける、とエリカは断じていた。生命の危機と不利な状況が重なった時、人というものは想定の幅を大きく狭める。
「食いついた途端バラバラになるかもしれねえんだ、ここは慎重に確実にそんで何より安全に行こう」
『なるほど。同意します』
走りながら【マッピング】の地図で周囲の状況も簡単に確認する。地図上では敵だろうと味方だろうと通りすがりの赤の他人だろうと、等しく同じ記号で表示されてしまう。
そのためこの行為には付近に人がいるかいないか確認する以上の意味がない。
ただ、それでも一つわかる事実があった。
虫が浮遊島に集結している。ミア達の方で何かが起きたのだろうが、少なくともエリカの方の負担は幾分か減ったと言えよう。
「あっちはあっちで大丈夫かね……あのおっさんをそこまで追い込んだとかなら少しはマシなんだけど」
頃合いを見計らって後方に跳躍する。その瞬間、建物の隙間を縫うようにしてエリカが立っていた場所に魔力砲撃が着弾した。
相手の思考を先読みする能力はエリカの方に軍配が上がるようだ。
「お相手さん、エイムと装備がガチガチな割に頭はあんまよろしかねーな。少なくともこっちの餌にはちょいちょい引っかかってくれてる」
『相互の距離、現在およそ二七〇ケセルです』
「ツラァ見られる距離までそう遠くもなくなってきたか。罠に警戒しつつこの調子で行くぞ」
周囲に存在する物体を記号として表示できる【マッピング】だが、例えば罠に用いられる糸や空気中に充満する薬物などといった目視するのも困難なものは捕捉対象外となる。地図ばかり見ながら移動していてはそういったものへの対処が遅れてしまう恐れがあるのだ。
必然としてこういった自身の警戒心も移動の妨げとなるが、それでも既に当初開いていた距離を半分近くまで埋めている。
圭介と一旦別れてから一〇分近い時間が経過する中で脚力を強化しながら、エリカは着実に狙撃手へと接近し続けていた。
* * * * * *
(状況は非常によろしくない)
ビルの屋上から既に何度か滑空移動しているララの表情は暗い。
最初の一撃でエリカも圭介もまとめて殺害する予定だったのだが、防がれるだけに留まらず圭介の離脱を許してしまった。
おまけに自身に向かってエリカが疾走してきている。迷いが見えない挙動を見る限り方角まで看破されているのは明白だ。
位置を嗅ぎつけられる可能性については【マッピング】の存在があるため少しは覚悟していたものの、五〇〇ケセルという距離まで範囲に含められるとは想定していなかったのが痛い。
(恐らく、狙撃を事前に察知する手段が向こうにはある)
空中からまたも一発、ドルトンの魔力砲撃を放つ。エリカの進行方向と速度を計算し、確実に当たるはずの軌道を描いてエメラルドグリーンの線が伸びた。
だが彼女は直前で身を翻しそれを避ける。結果、何もない地面を不必要に抉るだけの結果に終わってしまう。
演算処理の代行をしてくれる“ヘカテイア”も対人戦における駆け引きまではしてくれない。
せめて二発続けて射出することができればララの判断次第で状況も違ったかもしれないが、そんな真似をしてしまうと銃身が耐えきれず砕け散るだろう。
この銃は強力な魔力砲撃を実現する上で相応の運動量を受け止めていて、その負荷がかかるのを百も承知しているからこそ第六魔術位階【ユニオン:メタル】が組み込まれている。一発撃つ度にこれが作動し、自己修復を成すよう設計されているのだ。
そもそも超長距離砲撃に連射性など通常は求めない。“ヘカテイア”さえあれば空中に留まりながら地上を撃っても命中精度に変化が無いのだから、一発の威力を上げるだけで充分と見なされても自然である。
ただ、想定外の事態が起こっているだけ。
だからここからはいかに冷静に適切に対処できるかの勝負だ。
少なくとも事前にバイロンから知らされていたアズマという切り札は使わせた。そう思えば後々東郷圭介を殺せる可能性は結果的に上がったわけで、一発目を防がれたという先の失敗も無駄ではない。
必要となるのは次なる一手。超長距離砲撃に慣れつつある相手の意表を突く何かだ。
エリカの現在位置はマゲラン通りの南西方面にある大きな三叉路。分かれた道路の片方から分岐点に辿り着いた形となる。
付近の地形を把握している彼女であれば、恐らくここは曲がらず道なりに沿って移動するだろう。曲がったその先に進むとララが浮いている座標から大きく外れてしまう。
(本命はあくまでもドルトンによる砲撃。他の全ての攻撃手段は牽制、撹乱、誘導に使えばいい)
エメラルドグリーンに輝く結晶の双翼が魔力を帯びる。同時に無風状態だった周囲の空気がふわりと動き始めた。
「【残酷な鳥よ 慈悲捨てし羽根よ 手に入らぬ美しいあの女を射抜いておくれ】」
やがて“ブラスフェミー”の周囲に翼と同じ色に輝く球体がいくつも生成されていく。林檎ほどの大きさのそれはここまで彼女が行ってきた砲撃と比べてやや頼りない。
「【隣りにいない恋人に意味はなく 永劫交わらぬ恋路に価値はない】」
しかしその球体一つ一つは少しずつ楕円形に変化していき、最終的に針のような形状を成す。
それと並行してララは“ヘカテイア”越しに周囲の建造物やそれらと繋がっている各種ライフラインの位置と材質、経年劣化の度合いなどを正確に計測していく。
手段を選ぶ必要がない場合、常識に拘束されていては行動選択の幅が狭まる。
今回のミッションにおいて最も重要なのは客人の殺害ではなく注目を集めることだ。客人以外の人命や財産に手出しするのを今回の依頼主兼上司は嫌っていたようだが、闇社会に生きる以上いつまでも綺麗ではいられまい。
「【フェザーソング】」
ララが紡いだ詠唱により発動したのは気流操作の性質を持つ魔力因子変質系統。つまるところエリカの魔力弾と同じ、自身の魔力を射出する魔術である。
当然だが射程はドルトンのそれと比較してあまりにも短い。加えて魔力の消費が発生するという点においては、空中で動く関係上どうしても消耗の激しいララにとって極力使用を避けるべき攻撃手段だ。
それでも彼女にとって意味はあった。
輝きながら四方八方に降り注ぐ魔力の矢は、それぞれがそれぞれの結果を生み出す。
ある場所ではコンクリートの地面を穿って中にある水道管を破裂させ、また別の場所では宙に浮く複数の標識を同時に掠めて浮遊術式を削り取り地面に落とした。
それらあらゆる小さな結果が積み重なり、浸水や障害物の設置といった結果を生み出す。完全な閉鎖とはいかないまでも砲撃を避けづらい状況なら作れたはずだ。
(【マッピング】は便利だけど動く記号が一番目立つようにできている。もし二〇〇ケセル付近まで接近されたとしても、これで大体の行動を先読みできる)
もちろん楽観視するつもりなどララにはない。魔術を発動するタイミングも現在位置も、相手が注意深ければ周囲の状況すら把握されてしまっている恐れはある。
だからこの行為はあくまでも撒き餌としての役割しか期待できまい。
(それでも構わない。必要なのはドルトンによる砲撃を命中させるというその一点だけだから)
当たるとは思わないままエリカに向けて精密な砲撃をまた一発射出する。案の定避けられてしまったが、今は相手に“今この状況”に対する警戒心を持続させるだけで良い。ストレスを与える手を休ませてはならない。
この状態の維持こそが、浸水していたり標識がばら撒かれた地面を歩く際にかかる精神的負荷を増幅させる。そうすれば心の疲弊が肉体に及び、肉体に及んだ疲弊は魔力を削る。
これも嘗ての師から教わったやり方であった。
(彼女が動きを僅かにでも鈍らせたその瞬間に勝機がある)
次の妨害工作を実行するため、ララは翼を広げて別の場所へと移動する。
狩人の銃口は常にエリカの眉間に向けられていた。




