第十話 蟲喰らう甲
「っァああ!」
黒き外殻に覆われた拳が菱形の盾を殴りつける。その盾から腕へと伝わる痺れを感じながらミアは予め後方に下げておいた右足を小さく退かせ、二撃目を防ぐ準備とした。
「させっかよぉ!」
「ちっ」
が、追撃より先に横合いから飛び込んできた騎士の刺突によって太い腕の軌道がわずかに逸らされる。まっすぐに向かっていた力が分散したことで太く長い腕は結局ミアに届かない。
戦線復帰した第六騎士団の面々はいずれも弱っていたが、今はレオの回復魔術とミアの身体強化魔術によって限りなく全快に近い状態で戦っている。虫の毒もその二人が回復してくれるため大きな問題とはならない。
逆に言えば二人を庇いながらの戦闘を余儀なくされているのだが、騎士団に所属する以上はそういった条件下での戦いも慣れたものである。
とはいえ、異形の存在となったバイロンとの白兵戦は明らかに騎士団の方が不利と言えた。
虫としての特性を全身に得た彼は骨格筋と外皮が人間としてのそれを大きく上回っている。本来であれば発揮できないはずの膂力、跳躍力、防御力を獲得した肉体は純粋な暴力を振るうために最適化されたようなものだ。
シンプルな強さであるがゆえに、搦め手の類は一切通用しない。幾度もその猛攻を防いでいるせいでミアが操る【パーマネントペタル】の花弁は目に見えて減少している。
「いい加減にしろ」
「ぐふっ……」
呆れたような声とともにバイロンがミドルキックで突っ込んできた騎士を真横に吹き飛ばす。仲間達の叫びも虚しく、男の体は遠く離れた地面に叩きつけられた。
浮遊島の上にある滑走路は広く、多少投げ飛ばされてもそうそう地上に落ちるといった事態にはならない。だが同時に飛空艇の移動を妨げないよう障害物が取り除かれているためか、地形を駆使した誤魔化しが通用しないというデメリットも確実に存在する。
その条件は複数名で一人を包囲しようとするミア達にとって不利に働き、無数の甲虫を操るバイロンにとって有利に働いていた。
「このやろっ!」
食い千切らんと迫る虫達の顎を振り払い、レオは倒れた騎士に駆け寄ろうとする。だがそれも瞬間移動によって立ち塞がるバイロンによって妨害されてしまう。
そのまま無言で繰り出される爪の斬撃が少年の胸元を引き裂いた。
「ぐぉっ、おおお!」
「レオ君!」
だが一度は切断された腕を繋げたレオである。急ぎ“フリーリィバンテージ”を己に巻きつけて傷を癒やし、極力冷静さを保った状態で一歩下がった。
同時にバイロンの背後で、甲虫の群れが特に集中している場所から空色の鱗が飛び出す。
「てめぇえええええ!!」
ドラゴノイドとしてのしぶとさが功を奏したのか、セシリアより先に一度負傷していたはずのガイが“シルバーソード”片手に虫の帳を破って突撃する。
大木すら薙ぎ倒す大振りに対してバイロンが見せたのは腕から伸ばした刃での防御。既に身体能力は拮抗しており、受け止めた方もその場で剣を受け止めた。
「ぐっ、おいバイロン! 大体事情は察するが関係ねぇガキにまで当たり散らしてんじゃねえぞ!」
「そう思うのなら貴方は何もわかっていない」
地面に拡げた黒髄液を用いての瞬間移動によって受け止める体勢から脱出し、ガイの背後に回る。
「またそれか!」
だがミア達が来る前の戦いでそれを既に見ていたからか、ガイはそれまでバイロンが立っていた位置に飛び込んだ。そうして背後に剣先を突き出されたバイロンは反射的に立ち止まる。
「っ、と」
「今だあ!」
怒鳴りながらガイが跳躍し、その場から離脱した。
一瞬生じた停止。そして思考の空白。
そこを狙って詠唱を終えた二つの第四魔術位階が、別々の角度から異形の巨人を狙う。
「【ホーリーフレイム】!」
「【レイヴンエッジ】!」
ミアとセシリア、二人から飛来する灼熱の矢と風纏う刃。味方を避けながらも確実にバイロンを狙うそれらは彼の思考と判断よりも速く届く。
「ぐおおおおお!?」
双方の魔術が叩き込まれたバイロンは雄叫びを上げながら爆風に包み込まれた。風と炎が入り混じり、人外の輪郭が一瞬隠れる。
そうして一瞬の時を越えた先には、ひしゃげた左腕と欠けた右脇腹を痛々しく晒すバイロンの姿があった。他の部位にある外骨格もところどころ罅割れていて見るだに痛々しい。
結果を見て、ミアもセシリアも内心安堵する。流石に第四魔術位階ともなれば攻撃は通じるのだとこれでわかっただけでも大きい。
「くっ……驚いた。後ろに目でもついているんですか、貴方は」
「虫どもと視覚共有してる奴が言うセリフか? 脳味噌イカれちまうんじゃねーかと気が気でねぇよこっちゃあ」
「余計なお世話ですよ」
ぱらぱらと自身を構成する骨格の破片が崩れ落ちるのも厭わず、バイロンがガイに話しかけた。その声色からはあまり敵意を感じない。
「喧嘩慣れしてっとな、性格ごとに相手の動きってのが大体わかってくるンだわ。オメェみたいなのは安全だの確実だのってバカみてーに考えるクセがあるだろ」
「安全と確実性を常に考えられない者をこそ世間一般ではバカと評するんですよ」
「それでしてやられてんじゃそれこそ世話ねぇな。ンなんじゃお前、素手の喧嘩で場所が路地裏だったら俺どころかそこらのゴロツキにすら勝てねえぞ」
今にも倒れそうになりながらも、バイロンは一度腕が届く範囲から離れたガイに向けて日常会話のように話しかける。
死の間際に至って感傷に浸っている、という風情ではない。
本来なら致命傷であろう損傷を受けながらもそこには確かな余裕があった。
「残念だがここは路地裏ではなく空港の滑走路だし、貴方達はゴロツキなどではなく騎士と騎士団学校の生徒、そして客人だ」
空気の変化を最初に感じ取ったのは鋭敏な感覚を有するミアだ。
周囲を飛び回っていた甲虫達が一斉に浮遊島の周辺へと集合してきている。レオを襲っていた個体などとは別に、他の場所で滞空していた個体なども。
「……何?」
様子を見た限りそれらはミア達に攻撃をしかけようとしているわけではなかった。空港全体を覆い隠すかのように集まり、各々の目で無機質な複眼越しにミア達と騎士団を眺めている。
その中から数匹が飛来し、バイロンに向かっていく。
「広く障害物も少ないこの戦場で、私が負けるなどあり得ない。それを証明してみせよう」
損傷した部位に甲虫が頭から飛び込み、受け止める傷口が掴むようにそれを捉えた。肉が虫を取り込むその様は捕食にも似ている。
噛み砕くような音と飲み込むような音が鳴り響く中で、彼らは見た。
バイロンの傷がみるみる癒え、更に肉体と外骨格が膨れ上がる奇怪な光景。
甲冑にも似たそれらの奥では無数の節足と複眼が蠢いている。変化を得た異形はどこから攻められようとその動きを見切って回避できるだろうし、どの角度からでも刃を伸ばして攻撃できるだろう。
数匹の甲虫を犠牲として復活した復讐鬼は、より強固な鎧を纏い屈強な肉体を得たのだ。
「お別れです、隊長」
巨体に見合わぬ敏捷性でバイロンはガイとの距離を一瞬にして縮め、
「今までお世話になりました」
「ぐがっ……」
ゴツゴツとした太い腕が繰り出すジョルトブローで殴り飛ばした。
最初ミアはその攻撃の予備動作を見て【パーマネントペタル】を全て集中させてでも防ごうと考えていた。しかし彼女の動体視力と反射神経でさえその一撃に反応できず、ガイへの支援が間に合わなかったのである。
ドラゴノイドの屈強な肉体が彼らの立つ位置から見れば遠いはずの管制塔に叩きつけられる。攻撃の速度も威力もあまりに馬鹿げていて、第六騎士団の面子はそこが戦場であることも忘れ呆けてしまった。
「ガイさん!」
思わず叫んだレオに応える声もない。轟音とともに塔にぶつけられたガイはそのまま力なく空中へ身を放り出し、落ちていく。
吐き出される血は頭部の動きに合わせて軌跡を描き、内臓の深刻なダメージを伝えていた。
建物に隠れて見えない地面に落ちたガイがどうなったのかは誰からも見えない。
ただ、いつも頼りにしてきた男がもう戦えない状態に至ったという事実。それだけが重くのしかかる。
「……まあ、あの程度で死んでくれるほど甘くもなかろう」
溜息一つ吐いてから異形の巨人は手のひらを地面に叩きつけた。
「んなっ、何だあ!?」
その手を中心に、周囲に向けて黒髄液の水たまりを拡がる。滑走路の面をなぞるようにして円状に染み渡るそれらを即座に危険と判断し、範囲内にいた騎士達は思わず後退した。
下がったことで全体が見えて、バイロンの目的もはっきりとわかった。
影のように拡がったそれらがポータルの役割を果たし、そこからまたも夥しい数の甲虫型ホムンクルスが飛び出し這い回る。その数は元より浮遊島周囲を覆うように飛んでいるそれらとほぼ変わりない。
「最っ悪……」
ミアが思わず率直な感想を口にする。
当然と言えば当然の反応だ。先の急激な変化を見た以上、この状況で甲虫の数を増やすという行為は単純な戦力の増強を意味しない。
傷を癒やすばかりでなく身体強化にも繋がる栄養補給源。それらは術式に魔力を注ぎ込んでいるバイロンがいる限り増え続けるのだ。
術者を傷つけずして途絶えさせることもできず、しかして術者を傷つければ即座に癒やし強化する。最悪の堂々巡りがここに完成してしまった。
勝機を見い出せるのは精々バイロンの魔力切れくらいだが、それまで耐え抜くには厳しい戦力差である。増してやこれらの虫には人を倒れさせるだけの毒が含まれている可能性も高い。
絶望的なまでの戦局の悪化を見て、それでもセシリアが前に出て剣を構える。
「……よもや“黒き酒杯”のグリモアーツを逃亡ではなくこのような形で使いこなすとは驚いたぞ」
「元より汎用性の高い代物だ。当の所有者であるブライアンが使いこなせていなかっただけに過ぎん」
「そこまで頭が回る割にいまいち行動が賢くないな。何故、王都を襲撃するなどと馬鹿げた真似に出た」
舌打ちしながら剣先をバイロンに向けつつ彼女は問うた。というのも単純な話、王都で大規模な事件を起こすメリットが本来あり得ないのだ。
アガルタ王家の膝元たるメティスでここまで大規模な襲撃を敢行してしまえば、公的な判断に至るまでの時間こそかかるもののいずれは王城組から精鋭部隊が差し向けられる。そうなれば目的が何であれほぼ確実に最終的な目的は失敗に終わるはずだ。
仮に成功する程度の小規模な目的だった場合、逆に今度はこれだけの騒ぎにする意味がない。例えば東郷圭介の殺害を目論んでいるとして、これでは寧ろ計画を阻害する要因ばかり増やす結果に繋がってしまう。
まともな応答など望めないと知りながら、セシリアはどうしても気になってしまった。
騎士団に属しているバイロンがそれを弁えていないはずもない。それも聞く限り彼自身の判断ではなく、裏に潜む誰かしらの指示によるものであるようだ。
それは即ち、その誰かが彼を凶行に走らせるだけの何かを有している証左と言える。
「お前の後ろにいるのが誰であれこのままでは極刑も避けられまい。命を投げ捨ててでも成し遂げたい何かが排斥派にあるとでも言うのか」
「命など今更惜しくもないがこれで死ぬとも思っていない」
重厚な鎧に似た外骨格で全身を包まれているせいもあってか、どことなく不遜な態度でバイロンは応じた。
「肝要なのは王族をはじめとした権力者達の目を集めることだ。あの人が成す全てをこの国に認めさせるため、手段を選んでいる暇も必要もなかった」
「それで注目を集めてどうなる。大陸全土の客人を皆殺しにでもするつもりか?」
「そうとも」
その返事を聞いてさしものセシリアも瞠目を禁じ得ない。当たり前のように答えたが、バイロンの発言は子供が聞いても嘲り笑うであろう無謀なものだったからだ。
カレン・アヴァロンや“黄昏の歌”などが代表的だが、客人の中でも突出して強大な力を有する者は何人かいる。いかにバイロンが他者のグリモアーツを駆使しようと、以前城壁を襲撃した“インディゴトゥレイト”にさえ勝ち目がないはずだ。
しかし当人もそう思われて然るべき発言と自覚しているのか、フッと息を吐いた。覆われた相貌を確かめる術はないものの笑ったのだと雰囲気で伝わる。
「確かに常識の範疇で考えればあり得ん妄想だろうよ。だが我々はその常識を覆す技術を得ている。そして」
ぶちゅり、とバイロンの肉を裂いて鋭利な爪を有する節足が全身のあらゆる箇所から生えた。背中や脇腹、関節部分に果ては頭部からさえも。
どこか不格好ながらそれら刃がどれほど恐ろしい用途で生み出されたものかを察して、騎士団全体に戦慄が走る。
「とある第一魔術位階の存在が、不可能を可能とするのだ」
「――何っ!?」
聞き捨てならない言葉にセシリアが反応すると同時。
彼女の視界内からバイロンの姿が消え、全身に鋭い斬撃が叩き込まれた。




