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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第九章 プロジェクト・ヤルダバオート編

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第八話 黒き酒杯

「今朝メティス南方で発生した甲虫型ホムンクルスによる大規模な襲撃事件は今もなお範囲を拡げており、また依然として第六騎士団からの定期報告も一時間前から途絶えたままです」


 アガルタ王城の内部にある広い議場は複雑な意匠を施された白樺の木材で美しく飾られている。

 外見の荘厳さに気を取られがちだが、彫り込まれた立体的な模様はあらゆる音を反響させて広い空間全体に声を届かせる拡声器としての役割も担っていた。


 だからこそ国王であるデニスと第一王女であるフィオナを前にして萎縮する宰相、アラン・ムーアクロフトの若干緊張が宿った声も問題なく全員に届く。

 だが魔術を用いない原始的な機構だけに頼るわけにもいかず、彼は空中に固定されたマイク型の魔道具を口元に添えた状態で拡声魔術を使いながらその場に並ぶ面々へと説明していた。


「現状は客人の宿泊先や客人が深く関わっているとされる建造物の損壊、または客人の負傷による人的被害が主な被害状況となっています。この対象の偏りから察するにほぼ間違いなく排斥派の犯行かと」

「あーららそれは非常によろしくないんじゃないですかぁ? メティスで客人って言ったら、ねえ」


 懸命に話す宰相を小馬鹿にするような軽薄な声が議場に響く。それを聞いてアランはびくりと身を震わせ、フィオナは眉間に皺を寄せた。


 当然だが王家の膝元である王都にて発生した大規模なテロという問題の大きさから、この場に座っているのは国王と第一王女だけではない。

 第一から第三までの騎士団団長、爵位を持つ貴族や王都に住居を構える名門貴族などが集結している。


 アランに向けて心に引っかかるような高い声を投げかけたのは、撫子色の長い髪を右側のサイドアップでまとめている十代中頃の少女。

 第二王女でありフィオナの妹でもあるマーシャ・リリィ・マクシミリアン・アガルタだ。


 見る者に勝ち気な印象を与える笑みを浮かべながら卓に肘を置いて話を聞くその姿勢は、外観だけなら王家としての品格を大きく欠くものだったろう。

 しかし漂う異質な雰囲気が品格を損なわず、年齢に見合わない艶やかさと壊滅的なまでの他者との隔たりを見る者に植え付けさせている。


「こ、攻撃を受けているのは主に南オプスキュリアの歓楽街、アドラステア山にて建設途中の遊興施設、アーヴィング国立騎士団学校の三ヶ所。第六騎士団の手が及ばない範囲に関しましては、ギルドの緊急クエストで雇用した冒険者、騎士団学校は教職員や学生による自衛によって現在守られている状況です」

「へぇーじゃあ被害はそれなり程度まで抑えられそうですねぇ。よかったよかった」

「失礼、当方から一つ質問があります。どうか許可をいただきたく」


 物怖じせずデニスとアランから許可を得ようとするのは、眼鏡をかけた神経質そうな白髪の男。

 年齢は六十を少し過ぎたように見える。着こなす黄色いスーツの襟には盾を模した木製のバッジが漆塗りの照りを宿していた。


 そのバッジに彫られた天馬の意匠こそアガルタ王国公爵家が一つ、サイラー・ミューア家の紋章。

 アガルタ王国において公爵家と呼ばれるものは四家あり、その中でもスミス大公と呼ばれるサイラー・ミューアは最も古くそれだけに発言力も認められている名家として知られていた。


 男の名はカティス・サイラー・ミューア。自他双方に対して厳格な姿勢と驚異的な思考速度で知られる秀才である。


「許す」

「ありがとうございます」


 その実績と家の名高さから生じる信頼は、ここでの唐突な発言さえ王に認められるほどだ。そしてその事実に対して同じく議場に来ている他の貴族達ももはや疑問を覚えない。


 彼が顔を向けたのは議場の反対側にある椅子、そこに座る純白の鱗を有したレプティリアンの巨漢だった。鎧を着込んだその男はヒューマンの姿を模す事なく、爬虫類じみた体を堂々と晒している。


「第三騎士団団長殿にお訊ねしたい。実行犯の特定はどこまで進んでいるのでしょうか? これほどまでに大規模な犯罪ともなれば魔力の回収も容易でしょう。であれば既に騎士団の方でグリモアーツ識別まで済ませているものと思われますが」

「それについてですが、実は未だに識別が終わっていません」

「識別が終わっていない?」


 不手際を示す言葉を受けてカティスの声が怪訝そうな色を帯びた。しかし第三騎士団団長は怯まない。


「避難誘導の際に多くの都民が移動した関係で、大気中の残留魔力は混沌としており個人の特定に適した条件下とは到底言えません。また甲虫の死骸を急ぎ本部に持ち帰り調べたところ、高純度の黒髄液と普遍的な生体組織しか採取できませんでした。せめていかなる術式によって情報が隠匿されているのか、そこを明らかにするための調査を現在進めています」

「なるほど、黒髄液。つまりあの蟲は全て錬金術によって生み出されたホムンクルスだと」

「それは間違いありません」


 慇懃ながらもこういった場で「間違いない」と断言できるのは調査能力に自負があるからだろう。それを誇るわけでもなく、彼は淡々と話を進める。


「現在は第六騎士団が機能していない状況ですので、こちらも充分な解答ができず申し訳なく思います。ホムンクルスの除去が進んで手の空いた冒険者などが出始めた場合は、目撃証言を集め犯人の特定を急ぐ所存です。結果的に対応がひどく遅れてしまう結果となりますが、これについては逃げ遅れた一般市民の捜索なども並行する必要がありますので。何卒ご理解いただきたく存じます」

「……いえ、こちらこそ結論を急ぎ過ぎたようで申し訳ない」


 質問を終えたカティスが着席する。

 この場で答えが出ないため誰も触れずに終わったが、今度は「そこまでして隠蔽工作を徹底する相手がどうしてここまで目立つ動きをしているのか」という新たな疑問が生じてしまった。

 それを苦々しく思うところもあるのか、納得できていない表情を浮かべている者も多い。


 そんな中、国王であるデニスが口を開いた。


「ともあれ建造物の破損は痛手となるが、今は都民の安全が最優先だ。先の第三騎士団団長が示した方針に強く同意すると同時に、相手が排斥派以外であった場合も想定して動くべきと判断する。今後また変化が生じた場合、即時報告できるよう我々も準備しておこう」


 国王の言葉に反論はない。元よりできないと考えている者も多いため当然の結果ではある。

 王族も交えた王都襲撃事件の対策議会はここに一旦落ち着きを見せた。前代未聞の規模となる犯行、加えて第六騎士団の機能不全という想定外の事態もあったものの被害は決して大きくないのだ。


 死者も出ていないのなら、と気楽に構える者も中にはいたがフィオナの表情は暗い。


(少し早計だったかしら)


 圭介達が戦力に加わる事も期待してセシリアに即刻帰投するよう連絡を入れたものの、相手の狙いが見えない中で彼を王都に呼び戻すのは最善の選択とは言えなかった。


 この襲撃のタイミングもユビラトリックスでの騒ぎが一段落ついた直後という、狙ったのか偶然なのか判断に困るものである。ダグラスらしき人影を見たという証言もちらほら出てきている以上、排斥派が圭介を迎え撃たんとしている可能性もあるにはあった。

 加えてメティスの治安維持の一角を担う第六騎士団が動けない状態にあるのであれば、万が一に圭介を見捨てる形でダグラスという不穏分子を排除しようにも兵力が足りない。


(だとしても私の判断は変わらなかった)


 王族としての行動指針は国営と自己防衛だ。間違ってもそれ以外を優先させてはならない。


 東郷圭介という客人の存在は間違いなく自分達にとって利益となる存在ではある。接していてそれなり話せる相手だと思うし、根底にある力にはいっそ恐怖を抱いてしまうほどだ。

 騎士団に自ら志願してくれるようであれば、半ば無駄だと断じてはいるものの元の世界に戻るための手がかりを探すくらいは手伝っても構わないとさえ思う。


 だがここで切るのを惜しむカードなら彼以外にいくらでも持っている。父であり国王であるデニスが抱えている第一騎士団、通称“銀翼”などが代表的だ。

 ならば多少排斥派の想定に沿う形となってでも早期決着に努めるのは、最善手ではないものの妥当な判断だった。


(先に打たねば意味をなさない一手を打っただけ。後悔する必要などない。今から私にできるのは、結果が出るより先に過程を洗う事)


 父にはこの知りたがりな性分を何度も咎められたが、事ここに至って王族にできる努力などそう多くはない。

 アランの口から一時間ほどの休憩が言い渡され幾分か空気が弛緩した議場から去る時、フィオナの足は資料室の方へと向かっていた。



   *     *     *     *     *     *



 大陸中に名を轟かせた連続少女誘拐殺人の実行犯、“黒き酒杯”ブライアン・マクナマラ。

 その男の何よりも厄介な点は戦闘能力ではなく鮮やかなまでの逃げ足の速さであった。


 巨大な醸造設備の形態を有するグリモアーツ“イディアルソーマ”。それは錬金術に必要となる基本的な素材、髄液の純度を高めるという効果を持っている。

 そこから得られる高純度の黒髄液に独自の術式を組み込み黄金の酒杯に注ぐことで、ブライアンは自身が移動するためのポータルとしていたのだ。


 人一人を一瞬で移動させるそれは規模や効果を見れば第三魔術位階の中でも高位の魔術として扱われるだろう。当然、相応に魔力を消費するし連続しての使用も容易ではない。


 だがその問題は移動させる対象の体積を縮小するだけで改善できた。

 物体を小さくして見えざる部屋に収納する第四魔術位階【ポケットルーム】を操るバイロン・モーティマーにとって、巨大な甲虫のホムンクルスを指先に乗る程度の大きさに変えるなど児戯に等しい。


 複眼とその数に応じた【ポケットルーム】が組み込まれている内蔵端末型のグリモアーツ“キュリオスグレープ”を義眼として左眼窩に仕込んでいる彼は、そこから涙のように溢れ出る黒髄液を出入り口として無数の蟲を引きずり出し使役できる。


「はァァァアア!」


 襲い来る刃の如き節足と鏃の如き突起を掻い潜り、足首を捻ってからの跳躍を経てミアの右掌底がバイロンの胴を打つ。

 鍛え抜かれた獣人の一撃を非武装のヒューマンが受けたともなれば、砕けた胸骨が肺や心臓に突き刺さってもおかしくない。


 はずなのだが。


「無駄だ。肉弾戦で私に手傷を負わせようなどと考えるな」


 ミアの手のひらへと伝わる感触が人体のそれではない。

 ごわごわとした柔らかさが衝撃を受け止め、四方八方に逃がしているのがわかる。纏う黒髄液によって甲虫の群れが実質的にバイロンと一体化しているのだ。


 単体であれば高い身体能力による攻撃で砕けない相手でもないが、密集してクッションの役割を果たすそれらは一撃の重みに頼る剛の格闘技術と相性が悪い。


 一歩後退しようとするも気付けば両足に無数のムカデが絡みついていた。一見して黒い水たまりにも見えるそれは、確実に足首を拘束して膝上まで昇ろうとしている。


「下がれ、ミア!」


 圧力の足場で移動する魔術【エアリフト】で二人の頭上まで上昇していたセシリアがバイロンとミアの中間に向けて落下し、着地するとともに“シルバーソード”を地面に突き立てた。

 刀身やセシリアの足にも帯状の蟲が絡みつくがそれを彼女は厭わない。


 漆黒に覆われた剣の先端で術式が燐光を放ち、周囲に風が吹き始める。


「【インパルス】!」


 叫びと同時、空気の破裂によって地面ごとムカデの群れが吹き飛んだ。ミアやセシリアの足元が綺麗に片付き、足を拘束していた側のバイロンは押されるように後退する。


 第五魔術位階【インパルス】は圧力の爆発を引き起こす魔術で、本来は盾や簡易防壁の突破を想定して使われるものだ。もちろんセシリアがやったように地面を介した拘束を振り払うという用途も想定して騎士団では習得を推奨されていた。


 だから当然、同じ騎士であるバイロンがそれを読んでいないはずもない。


「その体勢では」


 言って少し離れた位置で右腕から巨大な虫の刃を突き出し、セシリアに一瞬で接敵する。

 先程から使われている瞬間移動だ。


「避けられまい!」


 斜めに振るわれる腕は明らかに首を刈り取らんと迫っており、まだ剣を構えきれていないセシリアの隙を突いていた。

 反射神経と身体能力に恵まれているミアも魔術的な瞬間移動には即座に対応できず、増して現役騎士であるバイロンの斬撃を見切るのは至難の業だ。


「させるかぁ!」

「っちぃ!」


 あわや頭と胴が離れるかと思われたが、彼女達の背後から伸びる無数の包帯がバイロンに巻きついて締め上げる。

 生じた隙に乗じて前衛二人が後退するとバイロンは瞬間移動せず、全身から小型犬ほどの大きさの甲虫を怒涛とばかりに迸らせて“フリーリィバンテージ”の束縛から脱出した。


「忌々しい客人が、邪魔をするなァ!」


 そのまま怒声とともに排出した蟲を三人にけしかける。いっそ嫌悪感すら吹き飛ぶほどの壮観と言えたが、呑気に眺めている時間はない。


「【枯れて萎れる花はいらない 枯れず萎れない花が欲しい】」


 詠唱しつつミアが甲虫の軍勢に突貫した。


「【水などいらず土も欲さず 唯々どうか身勝手に咲き続けてくれ】」


 カサルティリオの真骨頂である、詠唱しながらの格闘戦。拳や脚で次々と光沢照り返す蟲を砕いていく。

 それらを構成する黒髄液を身に浴びつつ、彼女の詠唱は完成した。


「【パーマネントペタル】!」


 山吹色の花弁が“イントレランスグローリー”から舞い散り、白兵戦では捌ききれなかった甲虫の進行を阻む。


「その魔術は既に知っている!」


 だが展開された美しき盾の数々を無視するように、バイロンがまたも一瞬で接近する。まるで地中に潜って移動するかのような変則的挙動は予測が難しい。

 それでもただ追いつめられるばかりの彼女ではなかった。


「だぁぁ!」


 ノコギリよろしくギザギザとした刃がついた左腕の横薙ぎを右手の盾で受け止め、左の掌底を再度バイロンの腹部に叩き込む。

 またも柔らかい感触によって衝撃が分散された。


 が、露骨な動きに見えたのだろう。流石は現役の騎士と言ったところか、先の繰り返しになるなどと油断してくれるような相手ではない。


 即座に伸ばした左手をバイロンの内側から発生した太い節足によって払われ、瞬間移動することでその姿をミアの視界から外す。


 向かう先はミアとセシリアの向こう側にいるレオ。

 周囲に漂う【パーマネントペタル】では防ごうにも間に合わない。


「レオ君!」

「う、おわあああああ!?」


 叫ぶレオと沈黙しながら前進するバイロンがすれ違う。瞬間、虫の刃を携えた両腕が振り抜かれていた。


 ブチリ、と嫌な音が聴こえる。


「あ、ぁああ」


 避けようとした努力は無駄に終わらなかったのだろう。レオは刹那の間に振るわれる刃のうち、片方を避けていた。

 そして、もう片方は避けきれなかった。


 硬いアスファルトの上に肉が落ちる。

 色白な皮膚とまだ桜色の爪、そして滴る血液。




 切断されたそれはレオの右腕だ。




「があああァァァ!!」

「レオ!」


 悲鳴を上げるレオに向かってセシリアとミアが全速力で駆け寄る。


 回復魔術が存在しない客人の世界において、腕や脚の欠損は単なる重傷以上の意味を持つ。動揺している間に回復不可能な状態まで細胞が死んでしまっては戻るものも戻らない。

 恐らくバイロンはそれを弁えた上で腕を切断した。そうして狼狽えている内に離脱した部位を甲虫に食わせ、戦力と戦意を同時に削ぎ落としてから殺害する腹積もりなのだろう。


 第六騎士団の面々が倒れ伏しているこの状況で回復魔術に特化した彼を失うわけにはいかない。

 横一文字に振るわれる“シルバーソード”が虫の刃を弾いて、勢いよく突き出される蹴りがバイロンをレオから遠ざけるように押し出す。相変わらず感触が柔らかくダメージを与えられた気がしなかった。


「レオ君、急いで腕を繋げて! まだこの場でくっつければ間に合うはずだから!」

「う、ぁぁあ」


 言葉で応じるだけの余力はないらしい。

 それでも呻きながらレオが落ちた右腕を伸びる包帯で急ぎ回収し、断面同士を繋げると締め上げることで固定する。添え木などないので自身の魔力で代用するしかない。

 加えて敗血症などを未然に防ぐ意味も込めて余分に回復魔術を重複させなければならなかった。


「無様だな。そうして腕を繋いだところでここから助かる(すべ)もあるまいに」


 挑発するようなバイロンの言葉に反論する余裕すらなくレオがうなだれ、ミアとセシリアは現状の厳しさに歯噛みする。


 死を免れたとはいえここでレオが欠損を伴う重傷を負ったのは痛かった。


 魔力とは肉体に宿るものだ。ゆえに肉体の一部を失う事は魔術を行使する以上の激しい消耗を齎してしまう。

 いかに豊富な魔力を有する客人とはいえ、この局面で戦意喪失に繋がりかねない大怪我を負ったのはあまりにも重い。


「まあ既にこちらの狙いは半ば達成されているようなものだ。いくらか時間も稼げた今、敵の生死にこだわる必要性も薄いが」


 悠然と歩み寄るバイロンの全身から、肉を突き破るかのように黒髄液で濡れた刃が飛び出てくる。


「目の前にいる客人がまだ死んでおらず、生かそうとする者が道を阻む。この状況は私にとって少なからず不愉快だ」


 刃だけではない。

 節足が、甲殻が、無数の牙と複眼が激しい憎悪を具現化するが如く喪服を破って噴き出す。その様はどこか荘厳でどこまでもおぞましい。


「無闇に殺すなとは言われていない。だが同じ騎士と騎士を目指す若人に向けて、せめてもの慈悲を見せてやろう」


 わずか数秒でバイロンの肉体は激しく変化していた。身体は膨張して見上げるほどの大きさとなり、虫によって組織を構成された四肢と胴体が赤黒い魔力を帯びている。

 頭部も黒光りする兜のような外骨格に覆われて表情が見えない。ただ、内部で小さく蠢くいくつもの輝きが眼球の役割を持っているのだと窺えた。


「そこをどけ。そうすればお前達の仲間はその客人とトーゴー・ケースケしか死なずに済む」


 くぐもった声とそこに込められた濃密な殺意に、しかしミアとセシリアは退かない。


 恐怖で動けない、というわけではなかった。かといって確実に勝てる自信があるわけでもなかった。

 寧ろ勝てるかどうかなど考えられないほど力の差が伝わってくる。


 それでも、いやだからこそ退けないのだ。


「……ここで引き下がってたら、私は明日には自主退学しなきゃいけないんだ」

「何?」

「絶対に立派な騎士になるって何度も家族と約束して、高い学費払ってもらってここにいる。そんな私が、勝てそうにないから逃げてたら約束なんて果たせない」


 右腕に装備した“イントレランスグローリー”のエッジ部分をバイロンに向けて、彼女は告げる。

 どくつもりなど毛頭ないのだと。


「その通りだミア。勝てる戦い以外に挑まないなどと弱音を吐いているような輩では、そも騎士など務まらん」


 既に構えていた“シルバーソード”の先端を巨大化したバイロンの頭部がある位置に合わせながら、セシリアも続く。


「我らが命は国とともにあり。そして貴様の行いを国の法は罪と断じている。……その理念を捨てておきながら散った者達を蛮行の理由とされ不愉快極まるのはこちらの方だ。第六騎士団副団長、バイロン・モーティマー!!」

「いいぞお前ら、その調子だあ!」

「ぐっ……!?」


 突如横から轟く胴間声と同時、赤黒い魔力を帯びる巨体に水色の巨体が突撃してきた。間一髪といったところでバイロンはそれを回避したが、一瞬聞こえた声色には驚愕が滲む。


 それは彼が既に戦闘不能にまで追いやったはずの相手。

 第六騎士団団長、ガイ・ワーズワースだった。


「もう回復していたか……! やはり急いで始末すべきだった!」

「今更気づいてもおせぇぜバイロン。ほれあっち見ろ、他の連中も少しずつだが起き上がってきて……」

「それ言っちゃダメなやつでは!?」

「あぁ!? 不意打ちとかズルいだろうがよ!」


 見れば確かに数名の騎士が起き上がり、再度剣を構えて近づいているのが見える。ミア達三人の立ち位置とは反対に位置する場所に包囲陣を展開しているようだ。


 異形の存在となったバイロンは至極面倒臭そうに大きな溜息を吐き出す。


「全く。あなたという人はいつもいつも、本当に変わらない。少しは成長してみてはどうですか」

「ところがどっこい、最近ちょっと体重増えたぞ。この歳になっても筋肉がついちまう辺りやっぱ鍛え方がちげぇんだなあうん」

「いや太ったんでしょ? 隠れて甘い飲み物を溜め込んでいるのを私が知らないとでも思いましたか」

「は? え、何あれバレてたの?」

「逆に箱ごと階段の裏に置いていながらどうしてバレてないと思ったんですか……」


 今は敵対関係にあるなどと思えないほど呑気な会話が交わされる。その間にも騎士の一人がバイロンの顔の向きとは反対の位置から、剣を掲げて飛びかかった。

 声も物音も出さずに行った不意打ちはしかし、後方に向けて振るわれたバイロンの大木が如き脚によって文字通り一蹴される。予期せぬ反撃を受けた彼は放り投げたリンゴのように吹っ飛んで地面に叩きつけられた。


「ぐっ……!」

「まあ何はともあれ、今は敵同士です」

「おう、そうだな。んじゃあ」


 騎士団の方でも交渉の余地がない事と不意打ちの無意味さを再確認したのか、話はそこで終わった。

 言ってガイもミアやセシリアと同じく、武器となる“シルバーソード”を構えて姿勢を低くする。


「やるぞオメェら! コイツ放置してたら俺ら全員クビになっちまわぁ!」


 いまいち締まらないセリフと同時。

 バイロンを囲む全ての戦力が、中心に向けて走り出した。

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