第二十一話 第六魔術位階の正しくない使い方
「やっぱりこないだウォルト先輩と一緒にいた奴らだね……」
焼却炉がある校舎裏に続く連絡通路を何気なく通り過ぎるふりをしながら、ユーが【マッピング】に表示されている地点の様子を見る。
案の定と言うべきか、地図に示されている空間から近い位置に二人の上級生が並ぶようにして立っていた。
退屈そうなエルフの男子生徒は携帯電話をいじりながら一方に話しかけ、もう一方、頭部に牛の角が生えた青紫色の肌を持つ魔族と思しき少年はガムを噛みながらそれに相槌を打つ。
やり取りだけを眺める分には人気のない場所で駄弁る高校生という珍しくもない光景だが、背後で行われている事を知る者から見れば悪質な傍観に見えた。
問題はこの状況下で、彼らの後ろへどのようにして通り抜けるか。
「うっしユーちゃん、色仕掛けだ」
「いいの? 迂闊に触られたら多分斬っちゃうよ私」
「斬るな斬るな。エリカもふざけてないで、緊急時なんだし【マッピング】見せて先生呼ぶとかさ」
「呼びに行ってる間にやることやって逃げられる可能性あんだろ。色仕掛けも現実的な提案として出してんだぜ、平和的且つ迅速だ。何ならユーちゃんがあいつら斬っちまう前に奥に行ければいいんだからな」
この場合、目的地に到着することを最優先するのならエリカの提案は正しいと言えなくもない。
彼女らは障害となる相手を一人残らず殲滅せんとしているわけではなく、圭介の居所を探す過程で可能性の高いポイントに来ているに過ぎないのだ。
もちろん圭介以外が陰惨ないじめを受けていたとしてもそれはそれで見捨てるわけにいかないが、何にせよ男子生徒二人に攻撃を仕掛ける必要性は今のところない。
ただし、この理屈には効果が永続的に見込めるわけではないという穴がある。
「もしあの雑木林の奥にあの二人の仲間がいたとして、いざ平和的解決しても直後に挟撃喰らう可能性もあるでしょ。相手の得意分野もわかってないのに」
それが最大の懸念事項だった。
いかに不良生徒に見えるとしてもウォルトの取り巻きであると仮定するなら、相手はエリカ達の先輩に当たる立場である。よって、彼女らが未だ習得していない戦闘技術や応用術式を扱う可能性が極めて高い。
当然、剣術や格闘技をある程度使うミアとユーにとってただ年上というだけで特段戦闘経験も持たない相手ならば然程脅威ではない。
が、時として身体能力の差を凌駕する魔術の才というものもこの世には存在するのだ。警戒するに越したことはなかった。
微妙に最適解が出ない中で、エリカがミアににやりと笑いかける。
彼女はその笑みが含む意味を知らないが、ある程度の予測は出来た。
恐らく彼女は、この状況を力尽くにでもどうにかしてしまうのだろう。
「あんなあミアちゃん。ウチの母ちゃんが昔よく言ってたんだよ」
「何?」
半ば続きをわかっていながら促す言葉に合わせたが如く、エリカは懐からグリモアーツを取り出す。
「『引いて駄目なら押してみろ』ってな。つーわけで強行突破と洒落込もうや、二人とも鼻ァつまんどけ」
「いいこと言うなあお母さん、って鼻? 鼻!? まさかあれやるつもりかアンタ! ふざけんなよ状況が状況だったら説教してんぞ!」
エリカが何を用いて強行突破しようとしているのか察したミアは、唾を飛ばしつつ自分の鼻を塞いだ。ユーも無表情のままミアに倣うように鼻をつまみ、ミア程ではないにしろ少しだけ迷惑そうにエリカの顔を睨みつける。
「わり、明日何か奢るわ」
軽く謝りながらエリカが二人の男子生徒に近づく。不用意に警戒させないように、普段道を歩く歩幅とペースを意識して再現する。
それでも門番としての役割を持つが故か、彼ら二人もエリカの接近に敏感に反応した。
「あ? テメェ校長の姪っ子かよ、何しに来たんだ?」
牛の角の少年がガムを噛み潰す音と共に声をかける。
「ちょっくら人捜しにな。トーゴー・ケースケって言えばわかんだろ?」
その言葉を聞いた少年らは一瞬呆けたような表情で顔を見合わせた後、
「……そうかよ。見りゃわかんだろうがここには俺ら以外誰もいねぇよ」
(ああこりゃいるな)
あからさまに目を逸らしながら虚言を吐いた。
「いねぇかどうか確認するために来てんだよ。ほれ、これ見てみな。この奥に二人分の反応があるだろ、ほれ」
「ちょっ、は? 何それ見たことないんだけど」
「どういう魔術使ってんだ……? いや、そういう問題じゃねえ」
【マッピング】上に表示された図を見たエルフの方が、エリカに対する警戒を露わにした。
「テメェがどんな魔術使おうが、ここから奥なんざねぇんだよ。とっとと帰りやが……」
「テメェがどんな言い訳しようがあたしに関係ねぇんだよ。大人しく通せや、今なら穏便に済ませてやっからよ」
言われた男子二人は一瞬黙した後、明らかな嘲笑で応じた。
当然の反応である。人数、経験、そして性差から生じる膂力の違いもあるだろう。
これは言い換えるなら魔術の才覚による一発逆転の可能性を度外視しているということにもなるので、騎士を目指す騎士団学校の生徒としては迂闊とも言えた。
「ははっ、そりゃ怖いな。で、通さなかったとしてお前一人で俺らに何ができんだ?」
「言っとくけど騎士団学校で上級生に逆らうって相当だぜ。俺らはお前らが習ってる戦い方も習ってない戦い方も知ってるんだ、そんな相手二人を一人でどうこうしようったって……」
「【唾を飲み込め また出るぞ】」
彼らの嘲笑う姿を前に怯まずエリカが口にしたのは、そんな短い詠唱。
【マッピング】同様にエリカが習得している第六魔術位階に属する術式、術者がこれまでに経験した食物の幻覚を一時的に再現する【アペタイト】である。
魔術位階が低いとはいえ有名な魔術ではあるため、上級生二人組もその詠唱が意味するところを理解はした。ただ意図だけが読めず、エリカに奇妙な視線を向ける。
「あ? なんでいきなり【アペタイト】なんて……」
怪訝そうな表情は、次の瞬間に一変した。
「…………っぐぁあああああぃぃっぉぉぉおおおぼええぇぇぇ!?」
「くっせ! くっせええええぇぇぇぇぇぇよおおぼぼぼぼぼぼ!!」
「ギャハハハハ!! どうだスッゲェだろおげぇぇ口開くだけでこっちまでキツい!」
エリカが【アペタイト】によって再現した料理。
それは客人の世界からビーレフェルトに伝えられし北極圏の民族が誇る伝統料理、キビヤックであった。
アザラシの腹を裂いて中身を全て取り出し袋状にして、その中に日陰で丸一日冷やした海鳥の死体をこれでもかと詰め込んで土中に埋める。一定期間が経過した段階でそれを掘り起こし、中で発酵した海鳥の液状化した内臓を鳥の肛門から啜りながら肉や皮もまとめて食するのが一般的な賞味方法であるとされている。
寒冷地では貴重なビタミン源であることから特別な行事(成人式や誕生日などの祝宴)でしか食されず、その味わいはひたすら濃厚。
熟成したその内臓はただ啜られるに留まらず、調味料として肉に塗って焼くなどの調理方法も編み出されている。
しかしこのキビヤック、数多ある発酵食品の中でも特に強力な臭いを発することで有名なのだ。
それこそ不慣れな人間であれば近づくことすら出来ない程であり、至近距離に突如この料理が出現しようものなら悲鳴の一つも上がろうというもの。
加えて腹を裂かれたアザラシとドロドロになっている鳥の姿は視覚的な刺激も伴う。
いかにモンスターと戦う経験があろうと彼ら魔術の存在に慣れた者らは「【アペタイト】は食物の幻覚を作り出す魔術である」という前提を有するがために、「このアザラシと鳥の死骸は口に含んで咀嚼し飲み込むために作られた食物である」と認識してしまう。
更には魔術的な幻覚によって再現されるべたべたぬちょりとした食感が生理的嫌悪感を誘発していた。
エリカはこの料理を元冒険者の父親に「客人の文化において尚珍しいとされる料理」として紹介してもらったのだが、あまりの臭さとグロテスクさに若干の面白さを感じながら何だかんだ完食したという過去を持つ。
そしてその話を聞いたミアが怖いもの見たさで【アペタイト】を使うようエリカに頼んだ結果、一生癒えない心の傷を負う羽目になったのだがそれはまた別の話である。
余談だが大陸の中央にある、即ち内陸部に位置するアガルタ王国において海産物を用いた寒冷地の食品であるキビヤックは大変な珍味であると同時に高級食材としても扱われる。
つまり尋常ならざる刺激に悶える彼らは、金銭的な面のみの話をするならば結構な得をしていた。
「うわぁ、この世の地獄だね……」
鼻をつまんだ状態のまま、ミアとユーの二人が後方から現れる。
ユーの言う通り、微量に嘔吐さえしながらのた打ち回る先輩男子生徒二名の姿には誰しもが同情してしまうほどの哀れさが滲み出ていた。
余程耐え難かったのか吐瀉物がまだ残っている口からは嗚咽らしき声まで漏れている。
因みに猫としての嗅覚が災いしてか、ここまでの流れの中でミアは涙目で口まで引き結んでいる状態だった。身体能力が軒並み優れていることが多い獣人ならではの弱点である。
「そいやっ」
「グヘエッ!」
「……」
「ぎゃはっ!」
倒れ込んで必死に口から空気を取り入れるエルフにはユーが、気管にガムが入りかけたのか激しく咽こむ牛角の魔族にはミアがそれぞれ後頭部と鳩尾に一撃を叩き込んで黙らせた。僅かな気遣いからか、ミアは喉につかえていたガムもついでとばかりに吐き出させる。
「へっほえ、へっほえ……ど、どうもお二人さんお元気そうでいっづァ!?」
変な声で咳き込みながら呑気な挨拶をかましたエリカに、ミアが無言の手刀を繰り出した。その顔は怒りと窒息で紅潮している。
「良いから早く【アペタイト】解除してあげて。ミアちゃんさっきから息出来てないんだから」
「おっとすまんね。ほれ」
ふい、とエリカがグリモアーツを振ると同時に周囲を包み込んでいた異臭が掻き消えた。
恐る恐る小さな呼吸で様子見するミアに軽く謝りつつ、エリカは隠し通路の入り口の位置を地図上に探る。
「さて急ぐぞ、ここから入れるみたいだ」
生い茂る草を掻き分けるとなるほど、確かにある程度踏まれて獣道となった通路モドキが見える。先が暗く見えないのは開けた空間までに距離があるからだろうが、それほど遠いというわけでもなさそうだった。
何故なら少し遠いものの、圭介らしき声が聴こえたからである。
「行くぞ!」
居ても立ってもいられず、三人がほぼ同時に狭い道に突貫した。
走るには向かない悪路も足元を隠す長く伸びた草も、景色を鈍らせる曇天の暗がりも全てが邪魔になったが、遂にその道の奥に辿り着く。
そこで彼女らが見たものは。
「何で! 何でそんなに平気そうなんだよお前はあ!」
「いや痛いっつってんでしょ聞いてねえのかアダダダダ! こんにゃろやったなフゴォッ」
困惑した様子で戸惑う、のっぺらぼうな仮面を装着したウォルトらしき男子生徒と。
複数の真っ黒な人型の存在に囲まれて暴力を受けている圭介の姿だった。
「色々とどうしたお前ら!?」
「あ、やっべエリカだ!」
「おうケースケ、その『やっべ』の真意はまた後で聞くとしてどしたんお前ちょっと見てて楽しい状態だけども!」
「楽しくはない! この人、何でか知らないけどさっきからビクついてて逆にこっちがこえぇいった! だから痛くないわけじゃないっつの!」
腹部を蹴り飛ばされながらも冷静に話す圭介の姿は、三人の焦燥を打ち消すには充分な判断材料だった。
そしてその周囲に存在する黒い影。状況から判断するに、これらは全てウォルトのグリモアーツから発現している魔術の生成物なのだろう。
明らかに発狂しているウォルトに向けて、今度はユーが声をかけてみた。
「あの、ウォルト先輩? 状況がわからないのですが、とりあえず一旦グリモアーツをしまって話を聞いてくれませんか」
「なんだよぉ、お前らまで何しに来たんだよぉお!」
悲痛な叫びと共にウォルトの足元から更なる黒い人型が三体出現し、ユーに襲い掛かる。
しかし襲われる側のユーは冷静に低く屈んで、
「【解放“レギンレイヴ”】」
グリモアーツの【解放】と同時に横薙ぎの一閃で三体同時に吹っ飛ばした。
「ヒィッ」という怯えた声を上げてウォルトは数歩後退するが、対する吹っ飛ばした側は首を傾げる。
「……?」
“レギンレイヴ”の透き通った刃をまじまじと見つめてから、構え直す。
「ミアちゃん、エリカちゃん。この黒い影だけど思ったよりも頑丈だよ。今も両断するつもりで振り抜いたのに鉄の棒で木の幹を叩くような感触しかしなかった」
「マジで? おいケースケ聞いたか、ソイツ頑丈だってよ」
「知っとるわ! 現在進行形でそのかったい体の連中に殴る蹴るされてんだもんよ!」
見かねたユーの刃によって圭介に暴力を振るっていた影は先ほどと同様に吹き飛ばされ、全身に痣をつけた状態の圭介がようやくといった表情で痛がりながらも立ち上がる。
だがその間にも更なる影が多数出現する。それらは滑るように地面の上をスライドして、複数体で四人を取り囲んだ。
「て、てめぇら何なんだよぉ。ふざけんなよ、どうして俺が」
「あの、ウォルト先輩。あんたが僕をここに呼んだんじゃないんですか」
言いつつ幾ばくかの余裕を取り戻した圭介が懐から便箋を取り出す。
「今朝コレが僕の下駄箱に入ってたんですよ。先輩が書いたものじゃないとするなら、事情は知りませんけど先輩と僕を同時に嵌めようとした誰かが……」
「お前が書いたんだろぉ!? それも、これも!!」
叫んでウォルトが見せつけてきたのは、圭介が持っているものと同じ紙を用いたと思しき便箋。
「俺の、俺の家の事が書かれてた! 昨日の夜だ、俺達のホームにこれが送られてきて、お、お前が校長の弱みを握って俺の家を調べたって! それで!」
震える手で握られる紙がくしゃりと歪む。
「今日、放課後に焼却炉裏にある隠れた広場で、そこの校長の姪っ子を勧誘した件について話があるって! 来なければ俺達一家はお終いだって! お、お前らは、お前ら客人はいつまで俺達一家を……っ!!」
言葉が嵩むにつれて仮面の淵、更には広場全体が徐々に暗くなっていく。そうして弱まる光に反比例して、周囲に佇む影の存在感が増している。
その様子を見て全員が悟った。この影達は暗ければ暗いほどに強い力を得るのだと。
「ちょっと、先輩」
「テメェにっ!!」
怒鳴るが早いかウォルトは右手を上に掲げた。
「これ以上好き勝手やられてたまるかああああ!!」
その号令を受けて、影の軍団は一斉に飛びかかる。
つい数十秒前まで暴力を受けていた圭介にはより深く理解できる。速度も威圧感も、先ほどとは比較にならない。
四方八方から同時に襲い来るそれらはミアの“イントレランスグローリー”では防ぎ切れない。ではどうすべきか。
「【鳥籠】!」
ユーが“レギンレイヴ”をタクトのように振るうことで、魔力の刃で編み込まれた円蓋状の籠が四人を包むように展開された。この時圭介は知らなかったが、これは彼女が持つ数少ない防御用の術式である。
触れればその先から賽の目状に肉を裂かれる凶悪な剣の防壁だが、影達は構わずその籠を殴り続ける。その力は相当なものらしく、網目が少しずつ歪んでいくのが内部にいるとよくわかった。
「【解放“イントレランスグローリー”】!」
急いでミアがグリモアーツを【解放】し、
「【ささやかな支えが欲しい あとほんの少し寄りかかるだけで倒れる柱を 転ばせずに済ませられるよう】」
すぐさま詠唱に入る。どうやら既存の術式に防御性能を付与あるいは強化するための術式のようである。
「【フォートメイソン】!」
詠唱完了と同時に歪んだ【鳥籠】が光を帯びて、ひしゃげる速度を幾分か緩めた。
しかし根本的な解決に至っていない。未だ影達は圭介達に向かって前進し続け、頼みの綱である全方位への防御を成す【鳥籠】もいずれは破壊されるだろう。
暗がりを意図して作り出し、強化した影の眷属で一斉に相手を蹂躙する。単体にして軍勢の強みを持つウォルト・ジェレマイアのグリモアーツ“アナマルザレア”。
当の本人の人間性や知能はともかくとして、大変に強力な魔術を使うことに間違いはない。圭介自身、これまでに強さばかり見てきた彼女らがこうもあっさりとジリ貧の防戦一方となる展開は予測していなかった。
(くそったれ、数と質でごり押しされちゃあお手上げだ)
場合によっては自分がスケープゴートとしてウォルトの気を引き付けようか、と考え始めた頃合いで、
「【解放】」
これまで沈黙していたエリカのグリモアーツが、
「【“レッドラム&ブルービアード”】
牙を剥いた。




