第五話 凶の羽撃き
「ユーちゃん、もう寝たか?」
「みたいだね。……無理ないよ、あんな相手と真っ向からぶつかったんだから」
飛空艇の中に戻ったユーは今、何も言わず座席に腰を下ろして深い眠りについている。
疲れの要因には第三魔術位階の発動に伴う魔力の大量消費もあったろう。しかしそれ以上に人を殺した事による精神的なダメージが深刻とセシリアが判断し、静かに寝かせておく方針で全員の意見が一致した。
アポミナリア一刀流免許皆伝を持つ殺人鬼、ジェリー・ジンデル。
彼女はユーの師という立場にあり、同時に多くの同胞を殺して回る指名手配犯であった。
そして、短い時間だがユーと彼女の父親を擬似的に再会させた相手でもある。
(ただでさえ人を殺すなんて一大事なのに……相手はお世話になった師匠、それに使われてた武器も亡くなられたお父さんのものだもんな)
圭介の視線がユーの寝顔から飛空艇の天井に移る。【雪崩】の影響で少し薄くなったのか日光が透けていて、真ん中には“レギンレイヴ”が突き刺さっていたであろう穴も見えた。
心優しい仲間の彼女がその手を汚したというショッキングな出来事に、それでも他の方法などなかったと頭を切り替える。
今は続けて何者かが接近してこないかどうかを【サイコキネシス】の索敵で確認し続けるしかない。
それに、圭介としては気になる点もあった。
(ジェリーが排斥派組織と繋がってるのはそこまで驚くような話でもない。ただ、こんな早いタイミングで他人のグリモアーツ引っさげてリベンジに来るのはヤバい。危険過ぎる)
圭介達がユビラトリックスに来ているという情報をいかにして手に入れたか。そこまでは考えても仕方がないと切り捨てられる。元よりダグラスが未知の方法で王都からルンディアまで移動してきているのだから、強引にでも勢力の大きさとして受け入れられた。
ただ問題は、ジェリーが死者のグリモアーツを持って再来したという事実。
つい先日、彼方に見える山へと叩きつけたジェリーが高笑いしながら戦闘を仕掛けてくるほどに回復してしかも“オブシディアンカルテット”などという土産まで持って出向いた。つまり敵対勢力は相当優れた回復魔術の使い手か、それに近い存在を抱えているのだろう。
プロジェクト・ヤルダバオートが排斥派組織の中で確立した技術となっているのはユビラトリックスで既に知った。
そこも加味するなら、彼らとの戦いは。
(殺さずに済ませるなんてできるんだろうか)
憂鬱そうに頭を抱える圭介の傍らで、エリカがスマートフォンを取り出す。手に持ったそれはブルブルと振動していた。ユーを寝かせておくためにマナーモードにしておいたらしい。
「……電話だ。伯母ちゃんから」
短い報告は通話の申請に近いニュアンスを持っており、その場にいる全員が沈黙を以て承諾した。
うし、と呟いてエリカが通話ボタンを押す。
「あー、はい。さっきは急に切っちまって悪いな」
『別にいいわよ』
通話しながらちらりとユーの寝顔を見てから小声で応答する。
通話が突然切れて間が空いた割に、向こうから聞こえてくる声も冷静そのものだった。
『エリカ、あんた今どこにいんの』
「いやちょっと待て、えー……セシリアさん、今どこまで来てましたっけ?」
「今は……ビーグルライン街道に沿って飛行中だな」
「あざっす。ビーグルライン街道だってよ」
『そう』
少し素っ気なくも思える応答が聞こえてきて、隣りに座る圭介と猫の獣人であるミアは同時に怪訝そうな表情になった。
何か様子がおかしい。
『エリカ、さっき私あんたに都庁に来るよう言ったわよね』
「んお? ああ、だな」
『予定変更よ。今こっちに来ちゃ駄目。学校の方に行ってみんなと一緒に待機してなさい』
「は?」
突然何を言っているのかと戸惑うエリカに、続く言葉が降りかかる。
『事情が変わったの。ここも決して安全とは言えなくなってきたから、あんた達は都庁に来るんじゃなくて迂回しながら学校を目指しなさい』
「いやっ、どういうこっちゃ? そっち大丈夫なんだろうな」
『こっちは大丈夫だからあんたは自分の心配して――』
そんな明らかに彼女の意志によるものではないタイミングで、通話がプツリと途絶えた。
「……おい、伯母ちゃん?」
断続的に響く無機質な音だけが会話の終わりを告げている。
その静けさに顔面蒼白となったエリカが目を見開いて怒鳴った。
「セシリアさんすんません、もうちょっと速度出せねっすか!?」
「無茶を言うな。騎士団で使っている機体ならともかくこれは私物だぞ。ユーフェミアを乗せてからここまで維持しているこれが最高速だ」
操縦席に座るセシリアへと詰め寄ったエリカは、悪態をつきながらスマートフォンを胸ポケットに入れる。その不安げな表情にいつもの活発さはない。
一応空中でも移動速度に法的制限が設けられているのだが、緊急時に騎士団が所有する飛空艇を飛ばしている場合はその速度制限を無視できる。
ただ個人所有の機体ではそもそも機体のスペックが制限を越えられないようにできており、操縦士が騎士であろうと一定の速度を逸脱する事はできないのだ。
ただ、通常ではない何事かが王都で起きている。
それだけは確かなのだと認識して、圭介は迷いを振り払った。
「セシリアさん、確認なんですけど」
「何だ? すまんがトイレならさっきも少し言ったが行くタイミングなんて無いからどうにか耐えてくれ。どうしても間に合わないようなら後部座席の後ろにペットボトルの水があるからそれを空にして使え」
「あのセシリアさん、私ら女子もいるんでそれはちょっと」
「そんなえぐい話、綺麗な女性の口から聞きたくなかったっす……」
「いや違くて。もし良かったら僕が念動力でスピードの後押ししますよ。飛空艇を【サイコキネシス】で包み込むこともできますし」
その言葉を受けてセシリアは一度黙り込んだ。
騎士として民間人を巻き込むのは、という話なら既に手遅れだ。それに今の圭介の提案は戦闘行為に該当するものでもない。動かしてもらう、この一点に関して言えば問題は無いだろう。
加えて大きいとはいえ前進している物体の後押しなら消費魔力の量も知れている。それに途中でまた襲撃を受ける可能性を考えれば、加速しないに越したことはない。
ただ一つ懸念事項があった。
「……先の戦いで予定していた進路を大きく外れている。ナビゲート機能で正確に飛んではいるが、ここで加速などしてしまえば正直言って私も安全に到着できる自信がない。この時点で正しいルートから外れてしまうと場合によっては現状の速度で移動するより遥かに遅くなるぞ」
ユビラトリックスとメティスは遠い。単純に距離的な問題を解決できたとしても、その途中には迂回しなければならない危険な山岳地帯や他の都市もある。
結局は飛空艇を操縦しているセシリア次第で飛び方が決まる以上、それらを避けつつ最適な経路でメティスを目指せなければ加速の利点は薄いのだ。
「一応言っておくと今も充分に速く飛べているんだ。気が急いてしまうのもわかるが厄介事に巻き込まれれば余計に時間を――」
「じゃあどう移動すりゃいいのかさえハッキリしてりゃ問題ねぇってわけだ」
「は?」
言いつつエリカがグリモアーツ、そして胸元のルサージュを取り出した。
「【もう一つ上へ】【案内人に告ぐ 導を示せ】」
詠唱を終えた途端、赤銅色の光が周囲に拡散する。それが映像の巻き戻しよろしくエリカの手元に集合すると、あらゆる図形を用いて再現された周辺一帯の地図が形成された。
ルサージュの効果で魔術位階が上がったからか、規模だけが大きくなったわけでもない。アガルタ文字で地名なども記載されている。
その地図には王都メティスの名前もあった。
「……いつかはやるだろうと覚悟していたものの、現物を見ると実に凶悪な組み合わせだな。いや今は助かるんだが」
「うっしケースケ後は頼んだ。これ見て飛べやオラ」
「ありがたいんだけどめっちゃ引っかかる物言いするなコイツ」
だが彼女も彼女なりに必死なのだ。唯一の家族が危機に晒されているのを思えばその焦燥感も理解できる。
滑空する飛空艇全体を【サイコキネシス】で覆い、前進する動きを掌握。次いで地図を見た。
避けるべきはアンノン岳という小高い山一つ。先ほどのセシリアの話で少し触れた都市の存在はメティスまでの経路に見当たらない。
『アンノン岳はもう少し高度を上げれば直進しても差し支えないでしょう』
「よっしゃ! 一気に加速するから、みんなどっかに掴まって!」
「えっとケースケ君、それだとユーちゃんが……」
「じゃあ僕が抱え込むから!」
「あん!?」
隣りに座るエリカが何か過剰に反応しているも気にせず、寝ているユーの体を【テレキネシス】で優しく持ち上げ自身の膝の上に乗せる。「んっ」と少し身を捩られて気まずくなりそうになるが緊急性の高い状況であると気を持ち直し、【マッピング】で表示された地図を再度見た。
経路を確認し、仲間達がどこかしらに掴まっているのを確認し、念動力の流れを確認する。天井に空いた穴から外部に【サイコキネシス】を流出させて機体を覆えば準備完了だ。
「そんじゃあ改めて、行ったるぞぉ!」
前進する飛空艇の勢いに便乗するように力の流れを生じさせた、その次の瞬間。
身体を押し潰さんばかりにかかる負荷で呼吸が止まった。
「いぎぃ、ここまでとは思っとらんかったぁ……」
『先程までの威勢の良さはどうしましたか』
頭上から聞こえる平然としたアズマの声に反論する余裕もない。
だがスピードは出せているようで、窓の外に見える景色が線上に伸びて流れていく。その中でも障害物となるアンノン山を真上に避けて滑空していくと、少しずつ索敵網に覚えのあるものが引っかかってきた。
(この看板にこの標識、この木にあのバス停の位置……!)
以前ミアとレッドキャップの戦闘を見た第三メノウ街道。
爆走を始めてから一分足らずで、彼らはメティス付近にまで近づいていたのだ。
「っ、づぁああ!」
突然念動力を解除するだけではブレーキが効かず、浮遊島辺りに衝突しかねない。早い段階で圭介は【サイコキネシス】を使って飛空艇を緩やかに減速させた。
「あ、あーもう、思ったよりキッツ。みんな大丈夫?」
「いいからユーちゃん元の席に戻せやドスケベ野郎」
「俺はだいじょぶっす。絶叫マシーンとか平気な方なんで」
「私も問題なし」
「ならいいけ、ど……!?」
各々の安否を確認したところで魔術の地図をエリカに返そうとして、瞠目する。
アガルタ王国の部分に注目してみると、見落としそうなほど微細な記号が無数に蠢いているのがわかった。ルサージュの効果で規模を拡幅された【マッピング】の上ではわかりづらいがどうやら大型車両程度の大きさはありそうである。
加えて飛空艇の外部に流出した【サイコキネシス】の索敵網にも相応の感触があった。
何かが飛空艇の周囲を飛び回りながら逃がすまいと包囲している。
「えっ、これって……」
「全員まだ掴まっていろ、動くぞ!」
操縦席からセシリアの切迫した声が響くと同時に艇体が急上昇し始めた。前からかかってきた負荷が今度は頭上から襲ってくるものだからたまったものではない。
そんななりふり構わない回避も一拍間に合わなかったのか、足元から脳天へと突き上げるような衝撃が内部に走った。
「おわぁ!?」
「きゃああ!」
全身に衝撃が伝わった状態で尚も圭介は念動力を巡らせた。すぐに理解が及ばない状況下ではまず理解を最優先しなければならないとこれまでの経験が告げてくる。
そうして現状を把握するのと、飛空艇がよろめくように降下し始めるのはほぼ同時だった。
「何かが機体にびっしり貼り付いてる!」
『甲虫の類のようですね』
事ここに至って冷静さを欠かないアズマの視線は、飛空艇内部の床に向けられている。
見ればその床からは左右に揺れながら黒光りする突起が生えていた。
「でぇえ!? でっかいカブトムシか何かっすか!?」
「ってかそんなのに囲まれてるって、わぁあ!」
またも機内が大きく揺れる。今度は天井の穴と付近の窓から、茶色い棘つきの刃。
メキメキと金属の壁や天井を挟み込んでいく様から察するところ、クワガタの鋏に相違ない。
「セシリアさん、浮遊島はもうすぐそこなんで着地お願いします!」
「わかっている! だが、これは……!」
言う間にも次々と甲虫の突撃を受けて、飛行そのものが危うい状態になっていく。
それでも圭介の【サイコキネシス】に助けられながら浮遊島の上まで漕ぎ着けたが、綺麗な着地とはいかず滑走路にそっと載せるような形となった。床を貫通していたであろう甲虫が飛空艇の重量でぶちぶちと押し潰される音が聴こえる。
その合間にも窓の外に張り付く無数の虫が、機体を破壊して中に侵入しようと試みていた。
「【水よ来たれ】【滞留せよ】!」
緊急時だから仕方がないと覚悟を決めて、圭介がクロネッカーによる水の剣をぐるりと回すように振るう。
天井や窓を突き破ろうとしていた甲虫は張り付いていた機体ごと断ち切られ、その断面が大きくずれて外へと通じる出口となった。
着地していながら開くように少しずつ裂け目が拡がっていくのは、恐らく何体か虫を潰しているせいで地面と平行に着地できていないがゆえだろう。
「あ、あああいやしかし今は言っている場合ではないな! 全員外に出ろ、中にいる方が危険だ!」
私物である飛空艇の現状を全て認識したらしいセシリアが嘆きつつシートベルトを外す。他の面子も急いで席を離れ、外へと脱出した。
多少狭い隙間を抜けて空港に降り立つと、より鮮明に周囲の絶望的な光景が見える。
青空を舞って鳥を捕食している無数の虫。
建築物や浮遊島に止まっている無数の虫。
空港に近づいてくる虫。
空港から離れていく虫。
虫、虫、虫。
「なんっだ、こりゃ……」
【サイコキネシス】の索敵網が忙しないほど、数え切れない数の虫がそこかしこを飛び回っていた。
まだ位置的に見えないが下に広がっているであろう街からは怒号と悲鳴、そして戦闘の音が聴こえてくる。物騒な事に、何かが裂ける音や液体が飛び散る音も。
「セシリアさん、これって」
「原因などの調査は後回しだ」
既に彼女は腰から下げた“シルバーソード”を鞘から抜いて構えている。
だがその頬を一筋の汗が伝う。王城騎士として第一王女に仕えている彼女も、王都がこの規模の攻撃を受けているのは流石に初めて見たようだ。漂う緊張感は初対面の頃を思い出させた。
「まずここを突破して、空港のハディアが正常に機能しているかどうかを確認しに行く。その次にユーフェミアを安全な場所に匿わなければならん」
「そ、そっか。ハディアが動いてなかったら飛んで降りるしかないんだ……」
この夥しい数の虫による襲撃がいかなる意図によるものか見えないが、明確に敵意を持って動く虫に囲まれたこの状況で気絶しているユーを抱えながらゆっくりと降下するとなるとなかなか難しい。ここには圭介以外に単体で空を飛べる者がいないのだ。
どうしたものかと危機感に胸を掻き毟られていると、
「早い到着だ。あの狂犬め、足止めさえ務まらんか」
そんな、落ち着き払った声が聞こえる。
「……バイロン殿?」
セシリアが呆けたように名を呼んだその男が、相変わらずの仏頂面に殺意を宿して空港に立っていた。
無数の小さな虫を全身に纏い、空色の鱗を持つ大柄なドラゴノイドを引きずりながら。




