第二話 天舞う双刃
「やはり、貴女でしたか」
すれ違いざま“レギンレイヴ”と“ウィールドセイバー”が打ち合うと、蒼刃と紫刃の交差点で魔力の燐光が火花となって散った。
そのまま通り過ぎるジェリーに対してユーは狭い足場の上でよろけてしまう。即座に立て直すも、その時点でジェリーは次なる攻撃に出ようと空中で旋回していた。
戻ってくる一閃はまたも速い。再度剣と剣が衝突すると、今度は衝撃でユーの体がふわりと浮きかける。
「くっ!」
飛空艇の外側へと運ばれそうになった自身を留めるべく“レギンレイヴ”の先端を前方に傾けて力を移動させ、でんぐり返しの容量で何とか元の位置へと着地した。力点によほどの力を込めなければ成し得ない荒業である。
「ハッハァ! 器用な真似をする!」
強い衝撃を受けて流石に安全を優先したのか、先程以上に大きく離れるジェリーが高笑いを上げながらユーの回避を褒め称えた。
しかし嘗ての師から称賛を浴びる彼女の表情に余裕などない。
縦横無尽に空を飛び回れる魔動バイクと違い、不安定且つ狭い飛空艇の上でしか戦えないのはやはり辛いものがある。最初の時点で既に不利な戦いが強いられていたのだ。
それを自覚しながらも彼女は無理な形での着地により崩れそうになった体勢を整え、剣の切っ先を相手に向けた。
「いやあ心が躍るよ! 最初にこの役目を任された時は嬉しくて嬉しくてイッちまうかと思ったくらいさあ!」
「……どうしてこんなところで、とは思っていましたが。役目を任されたということは仕事で間違いなさそうですね」
「あぁそうそう、排斥派の集まりにちょっとな!」
あまりにも軽々しく応答するジェリーに、しかしユーは驚かない。
メティスが排斥派に襲撃されているこのタイミングで、自分達が乗っている飛空艇を襲撃された。加えてジェリーの着ている鎧は彼女以外の誰かが仕立てたものであり、あれだけのダメージを負っていたはずなのにもう戦えるようになっているのは自然回復の効果ではない。
誰か外から彼女に指示を出している者がいると考えるべきだし、状況を思えばそれが排斥派であったとしても何ら不思議ではなかった。
「では、狙いはケースケ君ですか」
「いやまあそうなるのかね。アタイとしちゃあ皆殺しにするつもりでいるんだ、がっ!」
空中で大きく旋回していたジェリーが急に方向転換して飛空艇に突っ込んでくる。
バイクによる勢いとともに放たれる横薙ぎを今度は受け止めず跳躍によって回避した。勢いがついているのはユーも同じで、一定速度で移動する飛空艇の上であれば真上へ跳んでも体が艇体についていく。
ただ、攻撃に上乗せできる力の量には大きな差があった。移動範囲の違いはどうしても出てしまう。
「せっかくだし順番に出てこいよ! 愛弟子が前菜扱いは師匠としちゃあ不本意だけどねぇ!」
向こうは一人ずつ引きずり出すつもりでいるようだ。ユーとしては冗談ではなかった。
ジェリー・ジンデルという規格外の相手と単体でぶつからなければならないこの状況自体が望ましくないというのに、更に不利な条件まであっては勝ち目などない。
しかし下手な攻撃をしても彼女は難なく防ぐだろう。何も考えず【鏃】や【首刈り狐】で間合いの外へ攻撃しても魔力の無駄遣いに終わるのが目に見えている。
(まず、あのバイクをどうにかしないと……!)
反撃の機があるとするならジェリーが近接戦闘をしかけに飛び込んできた瞬間。そこでジェリーではなくバイクの方を斬るという手があるにはあった。
しかしリスクも大きい。単純な威力の問題もあるが、ジェリーがその隙を自覚していないはずがないのだ。
好機は同時に危機へと繋がる。
(考えなきゃ。他にも方法がないかどうか)
再度接近してきたジェリーの飛空艇そのものに対して振るわれる刃を、“ウィールドセイバー”の刀身の腹を蹴り飛ばして大きくずらす。徹底してジェリーの懐には潜り込まない。
可能性があるとするならエリカの魔術円を重複させた魔力弾だろうか。“インディゴトゥレイト”を貫通したあの力であれば、ジェリーと言えども無事では済むまい。
ただ残念な事に、直線的過ぎるのでまず当たらない。そも機動力と行動範囲でアドバンテージを取られている今、優先すべきは命中するか否かだ。
ならば屈折を続ける刃を相手に向けて放つ【乱れ大蛇】、と一瞬だけ思って却下した。それこそ威力不足で防がれる未来しか見えない。
圭介の【テレキネシス】で拘束してもらうか。無理がある。【漣】で振り払われるのがオチだ。何よりジェリーはそれを一度突破した過去がある。
ミアの【パーマネントペタル】はどうか。【雪崩】か【噴泉】を撒き散らされれば影すら残るまい。それこそ貴重な支援役の魔力を無駄遣いするだけだろう。
「【鏃】」
結論が出ないまま次の攻撃が繰り出される。真正面から飛んでくる腕ほどの大きさがあろう魔力の矢を、ユーは下から上へと振り上げる剣で弾き飛ばした。
苦肉の策として可能な限り関節を捻りながら運動量を生み出し、少しでも高い威力を発揮するくらいしかできない。
だがこのままではジリ貧であり、それは目の前にいる相手に対して絶対にしてはならない愚行である。
(……となるともう、アレしかないか)
結局ユーは思いついたものの博打の要素が強く、あまり気乗りしなかった案を採用する事とした。
ほんの少し間違えれば死ぬかもしれない一手。しかし成功してさえくれればこの一方的に不利な状態から脱却できる。
「ハハッハハハハハ! どうしたユーフェミア、あの時あんだけアタイに数の強さがどうたら言ってた割に今は一人ぼっちじゃあないか!」
愉快そうにジェリーが再度ユーに突進してくる。
言動を見るにこの状況を作り出したのは嘗ての意趣返しも含むのかもしれない。結局は一人の力に頼らなくてはならなくなった時、お前は自分に勝てないのだと声高らかに謳うために。
繰り出されるのは魔力も何もない斬撃。しかしそれに対抗してバイクを破壊する手段など限られており、思いつく限り全ての手にジェリーは対抗策を張り巡らせているのだろう。
アポミナリア一刀流の魔術にせよ純粋な白兵戦にせよ、ユーよりもジェリーの方に分がある。このまま戦いを長引かせるのは不利だ。
「テメェ一人で何かできるってンなら見せてみなぁ!」
それをユーも理解して、その上で賭けに出る事とした。
攻撃は変わらず右腕による横薙ぎ。飛空艇の上に立つユーから見て右側から来るその一閃を避けるには、また跳躍するか深く伏せるかの二択だ。
跳べば一度はやり過ごせるかもしれないが体力を消耗し、伏せれば続く魔力の斬撃を避けきれず死ぬだけ。そして避けきれたとしても不利が覆るわけではないので、バイクを潰しにかかる以外に選択肢はない。
「【螺旋】」
だからユーは跳躍を選んだ。
「おっ、とォ!?」
ただし真上ではなく、真横。
ジェリーから見て左側に広がる何もない空中へと、魔力のバネで勢いをつけて。
宙を舞うユーが腕を伸ばしてバイクのバックミラーを掴み取り、腕をピンと張るように伸ばした。そのまま自身でつけた勢いからバイクの勢いに乗り換えると、発生した遠心力に任せて後部座席に見事な着地を果たす。
落下する可能性もある危険極まりない移動手段。しかし実現させてさえしまえば、これより安全な場所もない。
結果として獲得したのは、ただ剣を振るうだけでは斬れないであろうあまりにも近い距離。しかしユーは寝かせた刀身に手のひらを添えながら先端をジェリーに突きつけ、その条件を克服した。
青く透き通った刃が、革鎧の隙間に挿入される。
「お前っ、やるなあ!」
「【穿】」
“レギンレイヴ”の先端部分が青く輝いたかと思うと、バスン、という音とともに強烈な衝撃が炸裂した。
「げはっ」
インナーにも耐刃素材を用いた防具を使っているのか、皮を突き破った感触も肉に突き刺さった感触もない。それでも抉られるような痛みならあるはずだ。
だがジェリーの相貌には笑みが宿る。狂気に染まった連続殺人鬼はこの局面にあって、相手に一撃入れられた事実を悦んでいた。
とはいえ平時のジェリーであればこのような接近を容易に許さなかっただろう。寧ろ眼帯で覆われた視界を補うため、左側に展開される【漣】の範囲と精度は以前より増しているはずだ。
だというのに接近できたのは、結局のところ移動範囲と機動力で有利に立っていた彼女もまた足場が悪かったからに他ならない。
バイクに搭乗したまま刃の大きい“ウィールドセイバー”を片腕で振るおうとするならば、どうしても一撃を放つ際に重心が振るう腕の方へと傾く。その傾いた方向の範疇でなら、腕力と技量で無理にでもユーの動きに対処できただろう。
しかしこの際、ハンドルを握る反対方向の手は動かせず両足はバイクのステップ部分以外に着地できる場所を持たない。
シートに跨っているせいで柔軟な足の動きも望めない以上、実のところジェリーは体の動き一つを見ればユーより自由度が低い立場にあった。
「バイクに乗りながら剣を振るうなら、こういう弱点があると弁えていて然るべきでしょう」
「……わかってて身投げするのも、簡単じゃあ、ないだろうさ」
震える声に悔しさはない。
ただ強敵を前にした歓喜があるばかり。
「いいねぇ。度胸は合格だ」
背中に剣を挿し込まれたまま体勢を傾ける。
そのままハンドルもステップも突き放すように、ジェリーが飛び降りた。
「ってなわけで」
近くには少し離れた位置にある飛空艇以外に足場となるものがない。空中に固定された標識も街中というわけでなければそうそうあるものでもない。
あるのは無窮に広がる青空と晩夏の太陽、そして地面を覆い隠す雲海だけ。
「なっ……」
「第二関門だ! あんたはこっからどう生き延びる!?」
完全に足場を失った状態で戸惑うユーを置き去りに、裏拳で彼女を吹き飛ばすというあまりに粗雑な方法で鎧の隙間から剣を抜く。常識外れな手段で得た絶対的な有利は、常識外れな形で覆された。
「【首刈り狐】ェ!!」
踏みしめる地面が無い空中では避けようもない。自身に向かって飛来する魔力の刃を、ユーは剣の腹で一旦受けてから上半身を捻って受け流す。支えが無いというだけでその慣れた動きにも相当な集中力を要した。
「【鏃・五月雨】!」
「っ、【鉄地蔵】!」
無数に降り注ぐ【鏃】には防御力を向上させる【鉄地蔵】で応じる。全身を強く打たれる衝撃はまだ耐えきれる程度のものだが、それによって体が一瞬対空する事で落下するジェリーとの距離が開いた。
(ああ、もう。こんなに遠いだなんて)
そんな一瞬さえ終われば、体は自由落下を始めるだろう。
その結果は本来、先程の賭けに負けた場合生じるはずのものだ。彼女の空中戦への対策不足を迂闊と呼ぶのは少々酷である。
アポミナリアにも滞空するための魔術はあるし、それをアレンジして自由に飛行する者も世の中にはいる。
ただユーに関して言えば空中での戦闘は視野に入れていなかった。地上での戦闘を前提とした訓練を積み上げ、その成果として今まであらゆる激戦を生き延びてきた。
それがこの師弟対決で生死を分かとうとしているのはどういった皮肉か。
(飛空艇、遠い、着地は不可能。【漣】で着地、無理、この高さから落ちれば受けきれない)
刹那の思考に選択肢が浮かんでは消え、絶望が色濃くなっていく。
結論として、彼女自身にこの状況から生還する手段がないと察した。
(こんな――こんな形で、終わってたまるか)
剣に殺されるならまだわかる。モンスターに、あるいはオカルトによって命を落とす場合も可能性としてあっただろう。
しかしよりにもよって師匠である彼女との戦いに臨みながら、己の修練不足で転落死するなど。
(せめて最後に一撃くらい)
ジェリーが沈んでいく雲を睨みつける。
その視界の外側から、ちらりと何かが飛来した。
「……?」
ジェリーの攻撃ではない。それは雲の向こう側ではなく、ユーの足元から現れた。
何かと確認する前に奇妙な浮遊感に気づく。
足に伝わる確かな足場の感触。
その正体は、サーフボードのように大きな金属板。
「ユー! 戻れ!」
するすると後方にスライドしていくそれは圭介のグリモアーツ、“アクチュアリティトレイター”に相違ない。
飛空艇のこじ開けられた出入り口から顔を覗かせる彼は、【サイコキネシス】で仲間の落下を察知し足場を用意してくれたのだ。
「……っ」
理解した瞬間に恐怖と安堵、そして別の何かが遅れて去来する。
しかし感情に没入している暇はない。落ちて見えなくなったから、と安心できる相手ではないのだから。
「ありがとう、ケースケ君!」
「いや良いんだけど、っておぉい!? また戻んの!?」
「どうせまだ終わらないから!」
彼が用意してくれた足場から跳躍して、再度飛空艇の真上へと移動する。少なくともこの場所以外に戦える場所は存在しない。
さて落下したまま戻ってこないなどあり得えないと決めつけたが、結果はどうかと不安を抱きつつも【漣】を展開しようとする。
やはり展開できない。栓を塞がれているように濃密な魔力が邪魔をする。
(まだいる。それはそうか、あの人だもんね)
人格が変わる前の話とはいえ大陸中を飛び回ってきた過去を持つ相手だ。この程度で大人しく死んでくれるなどと、期待したところで無意味でしかない。
バイクを捨てた今、どのような手段でこちらを追跡してくるか。
『すぐに旋回移動を。直下80m地点にて魔力反応を検知しました』
「へ?」
アズマの警告と圭介の気の抜けたような声から一拍置いて。
飛空艇の真下に漂う雲が払われ、薄紫の輝きが迸った。




