第一話 焦燥の空
ユビラトリックスを急いで飛び立った飛空艇の中には張り詰めた空気が満ちていた。
何者かが巨大な虫のホムンクルスを大量に使役してメティスを襲撃しているという報は、既にこの場にいる全員で共有している。
いかなる理由による犯行か定かでないが、少なくとも騎士団の対応だけでは限界があるらしい。それほどまでに大規模な攻撃となるとアガルタ王国史においても稀有な事例なのだろう。
「水分補給は控えておけ」
「へっ?」
気を紛らわそうと水の入ったペットボトルを開けようとするレオを、セシリアが制する。
「ここから先は休憩など挟まず移動する。緊急時ということでランプを点灯させるから行きと比べてスピードは出るだろうが、トイレに寄る余裕はないぞ」
「え、えぇ……いやでもそっか、そうっすよね」
基本的にカレンという最大の抑止力が働いているダアト出身のレオは、恐らくこういった事態を経験どころか想定すらしていなかっただろう。圭介とてあの街にいればダグラスから襲われる心配などなかったに違いない。
「ミアちゃんちょっとごめん、今のうちにジャケット着ちゃうね」
「わかった。私もバベッジに術式仕込んでおくかなぁ」
逆に城壁防衛戦やトラロックでの抗争などで一定の慣れがある分、ミアやユーは落ち着いたものだ。眉間に皺を寄せていたり胸元のグリモアーツに触れたりと物々しい雰囲気はあれど、恐怖や不安といった感情はほぼ抑えきっている。
ただ、圭介の隣りの席に座るエリカは少々様子が違った。
『はいこちら――』
「伯母ちゃん無事か!?」
『ちょ、うるさい。別に大丈夫だからもうちょっとボリューム下げなさいよ』
「こっちはこれから王都に帰るからさあ! 伯母ちゃんはどっか安全な場所に避難しといてくれよなあ!」
『話を聞け。隣りに座ってる小学生にめっちゃ見られてんのよこっちは』
スマートフォンに語りかける姿からは焦燥感が漂う。
故郷に家族がいるミアやユー、客人の圭介やレオと異なり彼女にとって唯一の家族である伯母は王都にいるのだ。
かといって他の面子が不安を抱いていないかというと違う。騎士団学校の友達やたばこやのパトリシア、圭介の場合[ハチドリの宝物]の店長やジェシカも身を案じる対象となる。
「安全ならいいけどさあ……」
『本当に問題ないわよ。ただ私は二学期のイベントに関する手続きもあってね。今は都庁にいるからこっちは安全だけど、学校の方がどうなってるか心配だわ』
「いやいやそこは自分の心配してくれや。っていうかウチの学校って確か緊急避難先に指定されてたしそれこそ大丈夫なんじゃねえの」
『まあそうなんだけど。とにかくセシリアさんも一緒ってんなら戻ってくるの駅じゃなくて空港でしょ? それなら学校より都庁の方がちょっと近いでしょうし、どうせなら他の子と一緒に都庁来なさいよ』
メティス王都庁本庁舎は、確かに王都中央の浮遊島から近い位置にある。飛空艇で屋上と空港を行き来できるようにしているためだと圭介も以前授業で聞いた。
話に聞いただけでまだどの建物かすら把握していないが、この場にいるセシリア以外のメンバーは全員もれなく一般人だ。安全に避難できる場所があるならそれに越した事はない。
「セシリアさん、僕らこのまま都庁に行く感じでいいんでしょうか」
「悪いわけないだろう。私はやらなければならん仕事も多いが、お前達はもうクエストを終えているのだから身の安全を最優先しろ」
「おぉ、かっけぇ」
「何がかっこいいものか」
そもそも本来そう在るべきなのだとセシリアは語る。トラロックやユビラトリックスでの共闘も騎士の立場を思えば望ましい結果ではなかったし、エルフの森に至っては論外であると。
圭介としてはそう言ってくれる彼女の存在が頼もしい。が、その一方で思うところもあった。
(多分これからも僕は何かしら巻き込まれて戦っていくんだろうなぁ)
そもそも圭介の命を狙う連中が想定以上に強大だ。排斥派はあれだけ暴れ尽くしたダグラスやゴードンと同程度の戦力をあとどれだけ抱え込んでいるか見えないし、ただの殺人鬼にしてもジェリーのような規格外が存在する。
そして敵対するかどうかはわからないにしても、客人には“黄昏の唄”平峯無戒という怪物がいた。あんな相手と真正面からぶつかれば次の瞬間には何も知覚できないまま意識が途絶えてそれっきり、などという結果になりかねない。
どうしてもそこは戦力の差、更に言えば先手を取られる立場の限界であった。
「それとケースケ、一応覚悟を決めておけ」
「はい? 覚悟というと」
「王都内にてダグラス・ホーキーと思われる青年の姿が複数箇所で目撃されている。恐らく今回の件、排斥派の手によるものだ」
それを聞いていよいよ圭介はげんなりしてしまう。
何者かによる大規模な襲撃とダグラスの影。この二つの要素を前にして何事もなく避難完了する未来が見えない。ともすればまたぞろあの凶悪な男と真っ向から殺し合う羽目になる可能性が高いのだ。
どんな奥の手を持っているのかもわからないような相手と衝突するのは避けたいが、恐らく隠れるのも逃げ切るのも難しいだろう。どうやってか王都の包囲網を抜けてアスプルンドまで来るような相手なのだから。
「んじゃあたしら都庁行くから、伯母ちゃんも――あ? おい、ちょっと?」
しばらく話しているとエリカの様子がおかしい事に気づく。
「どしたんすか?」
「なんか急に繋がらなくなった。おいおい大丈夫かよ伯母ちゃん」
「流石にいるのが都庁ならホムンクルスに突破されるような防備ではないはずだが……」
「あんたがスマホの充電サボってたとかってオチじゃないでしょうね」
戸惑いが伝達する中、圭介とユーの二人だけが沈黙を保っていた。
が、二人の焦燥と疑問に彩られた表情を見れば冷静でいるというわけではないとわかるだろう。ただならぬ気配をいち早く察知したのは、周囲をよく見ているミアだった。
「……どうしたの二人とも。揃って凄い顔になってるけど」
「お? なんだなんだ、腹でも減ったんか。朝飯抜いてきちまったからなぁ」
茶化しているのか真剣に心配しているのかいまいちわからないエリカの発言は横に置いて、まずユーが口を開く。
「ねえケースケ君。わかった?」
「ああ、間違いない。嘘だろなんでこんな……」
冷や汗を流しながら圭介が口元を手で覆った。
この中で二人は普段から周囲に索敵網を展開している。だからこそエリカの通話が途切れた要因をある程度把握できた。
把握して、それこそが恐怖の始まりだった。
「セシリアさん、ちょっと失礼します」
「何? ってオイオイ、ユーフェミアお前何をしてっ!?」
「ちょちょちょちょちょユーちゃん何してんだ!? え、何コレ夢?」
言いながらユーがセシリアの返事も待たず飛空艇の扉を力任せにこじ開ける。めぎゃ、という嫌な音から察するに恐らくスライド部分は確実に壊れただろう。
「【鉄纏・拡】」
彼女は魔力で艇体の表面にはしごを作り、それを掴んで上部へと移動してしまった。その奇行を前にしてさしもの仲間達も口を開いたまま沈黙する。
「あ、あのぅケースケさん。どういうことっすか?」
この中ではユーとの付き合いが一番浅いレオが、かろうじて圭介に質問を飛ばす。
それに対し、圭介は緊張感を携えて応じた。
「エリカのスマホが繋がらなくなった原因、それが何なのかわかったんだよ。だからユーは外に飛び出した」
「その原因って……」
窓の外に見える青空は一見して何もなく広がるばかり。
しかし【サイコキネシス】の索敵網には、確かにざらりとした感触が伝わってきていた。
* * * * * *
「【解放“レギンレイヴ”】」
飛空艇の上は傾斜や凹凸がある関係で不安定だ。加えて前後に移動する分にはまだしも、左右の幅が狭い。
ある程度は足場の不利を体幹で補えるし間合いの外に向けての攻撃もできるとはいえ、白兵戦を主とするユーにとって望ましくない場所と言えた。
(……今回ばかりは本当に死ぬかもしれない)
透き通った刀身のブロードソードを構えてユーは覚悟を決める。
これから決死の思いで戦う相手は、そんじょそこらにいるような生易しい犯罪者ではない。
それでも状況が違えばユーとて遠慮せず仲間達を頼れたが、場所が場所だ。狭く常に移動している足場を誰かと共有する気にはなれなかった。
【漣】が何かに飲み込まれて消える感覚。
雲の狭間から見える薄紫色の魔力。
そして、どこか懐かしい殺気。
「【首刈り狐・双牙】」
「【弦月・拡】」
光が見える方へ二つの斬撃を魔力とともに射出するも、地平をなぞるが如く広い横薙ぎでどちらも斬り捨てられる。
アポミナリア一刀流においてここまでできる相手は限られており、そして段々と近づく姿を見ればもはや答え合わせにしかならない。
「よぉユーフェミアァ! ついこないだ振りじゃあないか!」
滑空する魔動バイクに跨って現れたその人物は全身を革鎧で、左目を分厚い眼帯で覆い隠している。
ジェリー・ジンデル。
エルフの森の戦いにて頭数の不利を単体戦力で覆した、正真正銘の化け物が飛空艇の後ろから飛んできた。




