プロローグ 第一発見者
未だ顔を見せていない太陽が気配だけで街を藤色に染める、朝とも夜とも言い難い時間の境界線。
王都メティスのマゲラン通りから少し外れた場所で二人の酒臭い男が顔を赤らめながら歩いていた。
「あーもうやってらんねー。チャドの野郎、あんな可愛い彼女いるだなんて聞いてねえぞ」
「裏切りですよあれは……あれは裏切り……」
並ぶ二人の片方は無精髭を生やした長髪の男。もう片方は対照的につるりとした禿頭の男。
既に複数の飲み屋を渡り歩いている彼らは、冒険者という不安定な身分もあって懐に余裕があるわけでもない。それを踏まえた上でこうして飲み歩くのは酒の力を借りて忘れたい出来事が生じたからだろう。
しっとりと濡れた雨上がりの裏路地には人影はおろか野良スライム一匹見当たらず、ダクトなどの僅かな生活音のみが空気に滲んでいる。
ブツブツとしたアスファルトの地面が白み始めた空の光でじんわりと光沢を得ているのを見下ろしながら、彼らは自身の酩酊をそろそろ自覚し始めたのか歓楽街を外れた場所まで来ていた。
二人の住まいがある郊外を目指してカリナン川にかかる橋を渡る。ここからまたしばらく歩くが、駅から遠い分だけ家賃も安い。
左右を守る薄い緑色のフェンスの隙間から見える川は決して綺麗な水と言えず、三角コーンや旧式の携帯電話などが当たり前のように打ち捨てられていた。その退廃的な光景に萎びた心がより一層枯れていくような気さえしてくる。
「もう今日は仕事しねぇ。家で動画サイト見まくってダラダラ過ごす」
「そうですね。なんかもうやる気しませんわ今日」
「大っ体お前、アイツがいなきゃ誰が剥ぎやるって……んぁ?」
「ん?」
長髪の男が文句もそこそこに空を見上げ、途端に押し黙る。
隣りに立つ禿頭の男が訝しげにその視線を追うと、空港などの役割を果たすものとは別の小さな浮遊島があった。
普段は気にしていなかったが確かその島はいわゆる空き島で、誰も所有していない土地として売りに出されていたはずだ。粗雑に組まれた立て看板に書かれた「ご購入の際には以下の人物に連絡を」という文字が掠れてしまっている。
大きさも高度も中途半端で位置に至っては王都の外れ、近隣に他の浮遊島もないそれは恐らく永遠に誰にも手を出されないままだろう。
その島の上に、象ほどの大きさはあろう巨大な甲虫が君臨していた。
黒光りするそれは糸を引く口を開き、顎の関節に合わせて動くと思しき大鋏をゆったりと開きながら眼下に広がる工業地帯を左右合わせて六つの目で見つめている。どう考えても友好的な存在ではない。
「……なあ、ダミアン。今日って何かああいうタイプの出し物とかやるんかな」
「こんな時間にあんな場所でですか? お子様や高齢者の方々に優しくなさそうなイベントですねえ」
現実逃避にもならない軽口を叩き合う中、二人は赤らんでいた顔を蒼白に染め直す。
その異様の向こう側で、似たような虫が何匹も何匹も飛んできているのを見てしまったから。
これが後に王都襲蟲と呼ばれる大規模なテロ攻撃の幕開けであり、同時に排斥派と客人との戦いに一旦の決着を見る契機となる事件の始まり。
そして、一つの悲しみの終焉であった。




