エピローグ 王都へ
「起きたか。案外早かったな」
目が覚めて最初に視界に入ってきたのは、暖色の天井と吊り下がる照明器具。上半身を起こして声がする方へ顔を向ければセシリアが安心したような笑顔で座っている。
「……あー、おはようございます」
「おはよう。今は朝の四時半だ。起きる前の出来事についてだが、どこまで憶えている?」
ちらりと窓の外を見れば確かに、薄く日の光が空を明るく照らし始めている頃合いだった。
問いかけは特に糾弾するような声色ではなかったものの、探り当てた記憶の内容に思わず気まずさが湧き出る。
「セシリアさんや領主さんがブチ切れそうなやらかしをフェルディナントと一緒にしたところまでは憶えてますよ。確かあのでっかい樹をぶった斬ったりしたっけかな」
「そうだ。全く、好き勝手してくれたよお前達は」
ふん、と鼻息を吐き出す表情はしかしそこまで憤りを感じさせない。
あれから何があったのか、圭介は意識を手放してからの話を彼女から聞いた。
まずフェルディナントだが、魔力切れによって気絶した圭介とマントで無理にくるまれた鎧やら剣やらをまとめて引きずりながら屋敷跡地に戻ってきたらしい。騎士団から追われている立場だろうに、随分と豪胆な動きを見せたものだ。
一応強奪された鎧や兜、“シルバーソード”を返却された騎士団も立場上無視できず拘束しようと包囲。しかしそれを難なく突破し、彼は高笑いを街中に残して逃げ去っていった。ああ怪盗っぽいなあ、と圭介も妙に感心してしまう。
「それと奴からケースケに向けての伝言を預かったんだが」
「はあ。なんでしょ?」
「それがよくわからん。“件の論文は近いうちに公表されるからそれまで待て”とだけ言っていた。何か心当たりはあるか?」
「……あー、まあ個人的にちょっと」
恐らく“客人再転移手続き”の話だろう。まさか公表するとまで豪語するとは思わなかったが、何にせよどこまで信じていいものかわからない怪盗の発言だ。書いた本人ですらない以上そこまで期待しない事にした。
訝しげながらも追求はしないまま、セシリアの話は続く。
街に無理やり作った線路については、対応する前に元の形へと戻っていったという。領主であるアラスターは「カイル君の屋敷の修繕を遅らせずに済んだ」と胸を撫で下ろしていたそうだ。
どうやらレッドキャップ三人組については事実を知る他のメンバーも口を閉ざしているらしく、フェルディナントが何らかの魔術を用いたのではないかという曖昧な形で決着をつけたようである。
圭介もそこで真相を話す気にはあまりなれず、見咎められずに済んだと小さな安堵を覚える。とりあえず元通りにしてくれた彼ら三人に感謝の念を抱くばかりだ。
ただ、プロジェクト・ヤルダバオートに関する資料は既にレオからセシリアへと渡っていたようだ。
一応あのフレッシュゴーレムの由来を示す証拠であることに変わりはない。加えてダアト側に立つレオもこれに関しては排斥派への反撃の準備として、騎士団とも情報を共有しておくべきと判断したのだろう。圭介を守るという点で彼とセシリアの利害は一致している。
「カレン殿がレオを寄越した理由が何となくわかってきたよ。今回のようなケースの場合、私ではあまり身勝手に動けない」
自嘲気味の笑みを浮かべながら、今後の動きについての説明が入る。
「街の姿も元に戻り結局何が盗まれたのかも判然としないまま逃げられたのであれば、このままカイル殿のアフターケアに努めたいとアラスター殿も仰られていた。まあお前がフェルディナントと組んで行動した件についても緊急事態での対応として見逃すおつもりのようだったよ」
「何かと申し訳ないなぁ」
「……お前と奴が暴れた結果、マスタートレントの活動が弱まったらしい。アレの完全な除去のために見積もっていた期間が大幅に短縮されたのだから、結果的に見れば損より益の方が勝ったというのも大きいな」
いかに人格者とはいえ、アラスターとて領主という責任ある立場だ。人情だけで圭介達の行動を許したわけではないだろう。
幹の上半分を引き裂かれ黒く焦がされたマスタートレントは、自身の力で鎮火しフレッシュゴーレムを捕食したとはいえかなり激しく消耗したらしい。このまま作業を進めれば三年後には討伐する判断も下せるとの話を聞いて奇妙な達成感が圭介の胸に去来する。
「それはそれとして謝っておけよ。幸い被害者も出なかったが、お前達の行動は結果を伴わなければ大規模な破壊工作と見られても反論できないんだ」
「そうですね。あの時は自分もかなり焦ってたなと今になって思います。ところで、僕以外はどこにいるんですか?」
「あいつらもかなり魔力を使ったようだし、まだ寝ているんじゃないか? ユーフェミア辺りは空腹で起き始めているかもしれないが」
「うぇー、出くわしたくねー……」
「ああいや、コイツだけ別だったか」
言ってセシリアが床に視線を落とす。角度的に見づらくはあったが、圭介も体勢を崩してその先を追った。
目に入ってきたのは床に転がってぐーすかと寝ている金髪の小柄な少女。
「エリカ?」
「一人だけ魔力に余裕を持った状態で歩いてきてな。何かと無理をしていたお前の容態を心配して、ついさっきまでこの部屋の中を右往左往していたぞ」
「それで起きた頃には床で寝てるとかお前……らしいっちゃらしいけども……」
ただ、心配されるだけの無茶をした自覚はある。圭介自身も腕や足を軽く動かして調子を確認してみた。
恐らく魔力はほぼ全快しているに違いない。あとは食事と水分補給か。
「しばらくはこのまま寝かせてやれ」
「いや床で寝てるんですけど。鬼畜っすか」
「下手に触って起こすのも何だかかわいそうに思えてきた。それに寝苦しい場所でも眠れるようでなければいざという時に動けんからな。騎士団学校に通う生徒ならそういった訓練も受けるだろうし、今この程度の扱いをしたところで問題にならん」
「もう僕ぜってー騎士団に入りたくないんですけど」
「ハッハッハ……ん?」
そう言われて呵々と笑うセシリアの懐から何かの振動音が聴こえた。取り出すと着信を受けたスマートフォンが振動している。
「……これは」
単なる業務連絡をするには不自然な時間帯だ。一変して張り詰めた空気に支配される空間の中で、彼女は画面に触れて通話を始めた。
「はい、セシリアです。……ええ、ケースケも無事です。今は領主邸の一室にて休養を摂っているところで……え?」
何を聞いたのか、セシリアの顔色が突如悪くなった。
「それは……。えぇ、もちろん。はい。はい、直ちに。……必ず」
シンプルなやり取りを終えて通話を切る。不穏な雰囲気を纏った彼女は、無言でエリカの体を一度脇に抱え込んで半ば強引に立ち上がらせた。
「んだゔぁっ、ぇえ? あれ、あたしどうした」
「ちょっ、セシリアさん?」
「すまんが二人とも、他の連中を起こしてきてくれ。私はアラスター殿に事情を説明して飛空艇の出発準備に入るから、集まったら即刻こっちに来るように」
依頼主であるアラスターに報酬の話どころか挨拶もせず飛空艇へと来るよう指示を出す。
普段の様子からは考えられない挙動に戸惑いながら、圭介は疑問を口にした。
「あの、何かあったんですか」
「時間がないので簡潔に説明するが」
初対面の時のように真剣な表情のセシリアが、密度の高い緊張感を伴って言う。
「王都が、何者かによって襲撃を受けている。史上類を見ない規模でな」
* * * * * *
早朝、人影も見えないユビラトリックスの貧民街。寂れたなどという表現では生温いほどに過疎化した商店街を、フェルディナントと三体のレッドキャップが歩いている。
全ての店舗がシャッターを下ろし、使われなくなったと思しき傷だらけの立て看板や裸のマネキンが墓標のように並ぶ。路地裏や空き家の中から刺さる視線は浮浪者や孤児から飛ばされているものだろう。
そこには人の営みの末路があるばかり。未来などどこにも見当たらない。
マスタートレントの影響で機能を停止している、壊死した土地であった。
「既にモンスターまで出入りしているか。領主や騎士団の管理も完璧とは言えんな」
歩く彼らの後ろには、ゴブリンやワームの類らしきモンスター達の死体が散らばっている。
あるものは【ロックランス】で串刺しにされ、あるものは【ロックウォール】に挟まれ潰れ、またあるものは【クレイアート】で壁や地面に埋め込まれ窒息していた。
そしてあるものは、
「とはいえここも遠くない未来に再開発されるだろうが」
フェルディナントに飛びかかった瞬間、空中でなます切りにされていく。
サーベルによる斬撃は剣閃どころか動作までもが不可視の領域にあり、傍から見ていると近づいた瞬間バラバラになっているようにしか映らない。
「しかし吾輩に着いてくるという選択をしてくれたのは嬉しいものだ。例え元よりその予定であったとしても」
「私達は私達の生きる意味について考える必要があると判断しました」
「今、私達はその模索にこそ意味があると認識しています」
「その認識の名をとある人から教わったのです。“生きがい”、と呼ぶそうですね」
「やれやれ随分と変わってくれたよお前達は。無為に壁ばかりを作り壊し直しと繰り返し続けていた時期を思えば、非常に喜ばしい変化と言えような」
苦笑混じりに溜息を吐きつつ、フェルディナントは近くの店のシャッターをサーベルで斬りつける。
留め具も何もかも切断されたそれが崩れ落ちると、中には無数のブラウン管テレビが積み重なった状態で置かれていた。
ビーレフェルト大陸においても骨董品扱いを受けるそれらに電気も魔力も当然通っていない。
いないはずだが、唐突にそれら全ての画面が点いた。
『お疲れ様。そこの三人も無事に回収できたし、ボクとしては特に言うこともないかな』
一つ一つの箱に宿るそれは、ピエロの笑い顔。
そこから漏れ出す複数の男女の声が重複したような声がフェルディナントを労っている。
「当然だとも我らが道化よ。何せ渓谷の底に眠りし骸さえ懐の金貨を庇わずにいられなくなるであろう稀代の大怪盗、フェルディナント・グルントマンが盗むと決めたのだからな!」
『さて、それで君からボクに質問、というより確認したい事項があるだろう。彼らの行き場所についてだ』
問うより前に問いかけがあると定められ、更に内容まで決めつけられるという奇妙な流れ。
だが、特にそれに疑問を呈する声もない。
「ふむ。予定では農場に送られる手筈だったが」
『心配いらないさ。特に変更もなく、その三人は“イスカンダルの座”に預けるから』
「それならば良し。あのお方に任せる以上、何かと安心できるからな」
『……一応“シャルルの座”も人員を常に欲しがっているんだけどねぇ』
「あちらには適切な人材を送れば良かろう。それでは、そこな三人は頼んだぞ」
画面に映る道化とフェルディナントのやり取りをぼうっと眺めていたレッドキャップ三体の足元に、空色の魔術円が展開される。
「これ、は――」
薄く驚きの反応を見せる彼らが何か言う前に、その姿は寂れた商店街から消えてしまった。
しかし消滅したわけではないと知っている関係で、フェルディナントは特に戸惑いを見せず見送る。
「何も聞かせず行かせたな。大丈夫か?」
『大丈夫だとも。彼らには彼らの充実した余生を過ごしてもらうとしようじゃないか』
「そうか……。まあ、我らが道化を信じよう。それとこれはついでの話だが」
サーベルを鞘に納め、腕を組んで壁に寄りかかる。ちょうど道化の絵柄と向かい合う位置だ。
『東郷圭介の件だね』
「そうだ。今回で二度目となるが、そちらの感触としてはどうかと気になった」
『誤差の範疇だったよ。大局的に影響は無い』
「なるほど」
シンプルな回答に納得したのか、それ以上の問いかけは発生しなかった。
「であればこちらも特にない。時が来るまであとわずか、なればまたそちらから声もかかろう」
『もちろんだとも。そして』
道化は一拍おいて言う。
『その時には頼りにしているよ、“ヘクトルの座”フェルディナント・グルントマン。ボク達の理想の為にもね』
「任せておけ我らが道化。全ては我輩達の理想の為にも」
言うと同時に全ての画面がプツリと消えて、黒衣の怪盗も足元に舞う塵だけ残して去った。
後にはバラバラにされたシャッターの残骸とモンスターの死体のみ。後にここに住まうストリートチルドレン達が破片を用いて死体を解体し、一時的にとはいえ収入を得る。
そのちょっとした臨時収入こそが彼らの命を繋ぎ、一年後の再開発の際には要となる若き人材として地域に貢献するのだ。
まるで最初からそうなるよう定められていたかのように。




