第二十話 小さな激戦
オカルト研究部が存在する部室棟に続く渡り廊下付近の空き教室で、モンタギューは圭介の身に起きた出来事を三人に向けて簡潔に説明した。
登校時に下駄箱を開けたら一枚の便箋が入っていたこと。
その内容がエリカの過去に深く関わる脅迫文だったこと。
適切な対応を相談するために圭介が校長室に行ったこと。
即ち校長室に行けば圭介がいる可能性は高いということ。
説明が進むごとにエリカの表情はみるみる暗くなっていき、ミアとユーはその様子を心配げに見ていた。
それらを伝えた後にモンタギューは「後は知らん」と部室棟に歩いて行ってしまった。彼自身冷たい性格で過干渉を嫌う性分だったが、エリカの両隣にいる彼女の仲間が冷静に構えていたことへの信頼もある。
ともあれ話を聞いたエリカ、ミア、ユーの三人は詳細を聞くために校長室を訪れたのだが、
「外出中……?」
運の悪いことに校長室は無人だった。
ある意味で当然のことでもある。多少習慣化したとはいえ客人の来訪は多くの場合においてビーレフェルトでもイレギュラーな案件に違いない。
それが学校の敷地内、それも生徒らの目が集まりやすく倫理的に問題のある場所に転移してきたのだから校長という位置にいるレイチェルが負う作業量は圭介本人よりも膨大だ。
まだ圭介の転移から一ヶ月も経過していないこの時期、彼のメンタルケアと排斥派である学生や保護者への対応、更には期末テストの存在までもが加わり彼女のスケジュールは他人が想定する以上にハードであった。
その事情を知らないエリカ達が揃って首を傾げる。
「運が悪いね、今日に限っていないなんて」
「あとケースケ君が行きそうな場所ってどこがあったっけ?」
「ケースケの部屋かパトリシアばーちゃんち、もしくは女子更衣室かね」
「そろそろ忘れてやんなよその件はさあ」
「ネタ抜きで考えると……ネタ抜きで考えたらこれが一番手っ取り早かったわ」
言いつつエリカがグリモアーツを取り出す。その様子を見た二人が怪訝そうに眉を顰める。
「え、え? 何するつもりなのエリカちゃん」
「またどっかのマイナーな第六魔術位階の術式引っ張ってきたんじゃないでしょうね」
「バッカおめぇ、あたしが覚えてるのはどれもこれも優秀なのばっかだろぉ」
一分間だけコップの中身がこぼれなくなる魔術や鼻血を自在に吹き出せるようになる魔術を優秀と呼ぶのなら、確かに間違いなく彼女は優秀な魔術を取り揃えていることとなる。
「【案内人に告ぐ 導を示せ】」
詠唱するエリカの周囲を燐光の川が流れる。その光が収束すると彼女の指先にあるグリモアーツを包み込んで、やがて弾けると同時に光で描かれた地図を表示した。
周囲の地形や障害物を探知し的確な魔力の地図を編む術式、【マッピング】である。
「これでアイツがいそうな場所を見て誰もいない場所を候補から外していけば、消去法でいずれ見つかるだろ」
「うわ、個人の特定が出来ないとはいえ犯罪チック」
「うるせえ、今日はあたしが法を作る日だ」
「そんな日は永遠に来ないと思う」
ユーの正論を聞き流し、エリカは【マッピング】によって作られた学校敷地内及び近辺の地図を確認する。
「帰った」という情報を信頼するなら第一候補となる自室……不在。つまり彼は嘘を吐いたことになる。
少し地図情報をずらしてパトリシアの『たばこや』も見てみる……一人分の反応のみ。恐らくはパトリシア本人だろう、彼女が外出していて圭介だけが店内に残るとは考えにくい。
もしやと念のために校長室にも誰かいないか確かめる……案の定、無人。
多少ふざけて女子更衣室……何故か誰も使うはずのない時間帯に二人分の反応があり、更に両方とも僅かに揺れている様子が見られる。流石にこれはエリカもスルーした。
「いねぇな……トイレだとするとどこに誰がいるか推測もできないし」
「学校の中で人気のない場所とかは? ウォルト先輩にまた喧嘩売られてるとかだとしたらそこにいる可能性も高いよね」
「でも不良学生の溜まり場も随所にあるみたいだし、どれがどの集まりかなんてわからないよ。全員斬ったり焼いたりして回るわけにもいかないし」
「もうちょっとユーちゃんは平和的な手段を講じる癖をつけた方がいいと思うな、私」
「最悪あたしが屋上からまとめて処理すっから大丈夫だ」
「あんたはもう色々とダメだよ! 普通に校舎裏とか見てってから決めれば……あれ? 何これ」
地図の一部分、今まさに話題に挙げた校舎裏の部分を見たミアが不意に声を漏らす。エリカとユーもその視線の先を追って、三人の目が焼却炉付近に集中した。
「んだこりゃ。焼却炉前に二人いんのはまぁ、いいとして」
「焼却炉の後ろに二人分の点があるね。ここって木が生えてて人が入れる空間なかったと思うんだけど」
「ってなると木の上か土の下かのどっちかだな。そうでなければここだけ広場になってるか」
「…………ねえ、この二つの点の動きってさ」
ユーの声に不穏な色が混ざり始める。
「片方がいじめられてない?」
* * * * * *
一方圭介は、全力で走り回っていた。
「ちょちょちょちょちょあっふん! 待とうか先輩、話せばわかるうひゃああ! いや先輩の理解力だと会話もダメか、八方塞がりだゲェェ!」
「テメェェェエエエエエぶっ殺してやるぁああ!!」
「何だアイツこないだはニヤニヤしてたくせにぐぼァっ! さっきから普通に痛い!」
現在圭介に襲い掛かっているのは、影のように輪郭が曖昧でメロンほどの大きさを持った漆黒の塊。
大まかには球状に類するであろう薄ぼんやりとした形状のそれが、圭介に衝突しては忠犬のようにウォルトの右手に握られたカード型グリモアーツの下に戻って再び投擲されていた。
「ウォラアァァァァ!!」
「ぐっはあぁぁ!」
「だっりゃあああああ!!」
「ぎゃああああ!」
「ぐおおああああぁぁぁ!!」
「イッテェェェ!」
「何かお前余裕あるような気がするんだけど気のせいか!?」
「あ、お気になさらずぅっはあっ」
言ったそばから腹部のど真ん中に喰らわされたが、両足の爪先を支えに全身を後ろへ運びつつ腹筋をピストン運動させることで衝撃を分散させる。
感触があるのかすら疑わしい外観にそぐわずしっかりとした硬さを有するその塊は確かに脅威ではあるのだろう。
しかし圭介が長年母親で積み重ねてきた暴力への対抗策は、致命傷を完全に避けながらも相手が「当てた」と誤認するように攻撃を受け流すという形で日の目を見ていた。
(にゃろめ、調子に乗りやがって!)
一方的に攻撃を受け続ける中で圭介の反骨精神も燃え上がる。
幸運なことに、ウォルトは油断しているのか警戒しているのか必死そうな表情の割に未だグリモアーツを【解放】していない。
どの程度の実力を持っているのか不明瞭だが、この状態ならば圭介も同じ条件で戦える。
(正直喧嘩とかしたことない、けど!)
上体を右に逸らして左頬に伝わる衝撃の威力を弱めつつ、傾いた体に隠れた右手をポケットに入れて探る指先で一円玉を識別した。
他にも百円玉や五百円玉があるにはあったものの、即興で組み上げた作戦においては一円玉を用いるべきと判断したためである。数百円分の損失を惜しむ気持ちもあったが。
(『いじめる側』をげんなりさせる事に関しちゃ、こちとらベテランだぜっ!)
まず指先にある硬貨ではなく、ウォルトを挟む形で草むらに潜ませてある分解された折り畳み傘の骨組みに意識を向ける。次に【テレキネシス】によって対象となる物品に自分の意思を反映させ、宙に浮かび上がらせた。
そしてその小さな投槍は、ウォルトの手元にあるグリモアーツへと向かって撃ち放たれる。
「うわぁっ!?」
流石に精密射撃の技術は持ち合わせていないので多少のズレは生じたものの、ウォルトの右手に命中した。浅くだが刺さったのだろう、手の甲にあるその鉄の針は落ちることなくぶら下がっていた。
だが、グリモアーツを取り落とすほどの威力ではない。
当然と言えば当然である。今の一撃は単なる囮、圭介の本命となる攻撃は次の一円玉なのだから。
「て、てんっめぇ何しやが、カッ!?」
案の定大口を開けて怒号を飛ばすその瞬間こそ、真の狙い。
「おぼ、おごっこおこぉお!?」
「何しやがるも何もないでしょ。これだけやっといて自分は反撃されないとか思ってたんすか、んなわきゃねーっすわ僕だって痛いの嫌だもんよ!」
聞いているかわからないが、地べたをのた打ち回るウォルトに向けて怒鳴り返す。
圭介の狙いはウォルトを敢えて激高させ、怒鳴りつける相手の口に見えない位置から取り出した一円玉を放り込むというものだった。
グリモアーツを【解放】するためにはグリモアーツの固有名と共に宣言するか、そうでなければ専用の術式が必要となることはミアやユーから既に教わっている。
即ち予め術式の準備をしていない相手に声を出させないようにしてしまえば、実力差がどうであれ未開放の状態で勝負を続行できるのである。
そのために圭介は幼子でさえも誤飲してしまう一円玉を、ウォルトの喉元に侵入させて飲み込まれない位置に留めたままクルクルと回転させたのだ。
最早【解放】がどうのという段階を超越した地獄の責め苦を受けて悶絶する姿を見ながらそれでも一切の慈悲を捨て、近くの木の枝に布切れで簡単に隠された状態で引っかけられた石ころ入りのビニール袋を千切るように手で外す。
そのまま持った袋を上段に持ち上げると、圭介は唾液と涙と鼻水で汚れたウォルトの顔面に向けて盛大に叩き落とした。
「ぎゃぶっ!」
常人であれば殺人の可能性も考慮して躊躇する場面だろう。
が、暴力を振るうという行為に不慣れな圭介にとって力加減の参考となるものが余りにも少な過ぎたために、一切の遠慮容赦が機能しない。
喧嘩慣れしていない子供が仲裁者も介さずに喧嘩に及んだ結果である。
とりあえず母親の鉄拳と比べれば優しい方だろうとさえ思っていたが、嗚咽とも悲鳴ともつかない雄叫びを上げつつ必死に喉から一円玉を取り出そうともがく姿を見たことによりさしもの圭介も想定外の非人道的攻撃手段に及んでしまったらしいと察した。
「えっと先輩、大丈夫っすか?」
「おげご、え、っべえぇぇ!」
「すんませんでも取り出すと先輩【解放】するでしょ!? とりまこのまま保健室行きましょうよ、そしたら僕もこれ以上酷いことしませんから」
ほら、と圭介が差し伸べた手は振り払われた。もちろん彼も気を悪くはしたが、連れて行かなければ死んでしまうかもしれないという心配の方がこの場合は勝る。
眉を顰めながら再び手を差し出そうとした、その時であった。
「あっ、ぐかか、ぁっあああああ」
暫しウォルトは体を丸めるようにして地面に寝転がると、一際大きく口を開けた。
何を、と圭介が警戒するのも既に遅い。
「おっぇぇぇええええ」
ウォルトの口から一円玉と一緒に、先ほどまで圭介を襲っていたものと同種と思われる黒い靄がどろりと吐き出された。
「うーっわ先輩どっからナニを出してんすかちょっとぉ! あれ、ゲボじゃない」
「かはっ、げはっ……テメ、ぶっ殺す…………殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す殺す」
連なる怨嗟の声に突き動かされるように、ウォルトの体がゆっくりと起き上がる。同時に手に持って離さずにいたグリモアーツを顔の前に掲げた。
「っ、やべ!」
「【解放“アナマルザレア”】!!」
叫びと同時に黒い瞬きを放って、ウォルトは自身のグリモアーツを【解放】させた。
闇色の靄が晴れると同時に出現したのは、ウォルトの顔に貼り付いたのっぺらぼうな楕円型の仮面。
何らかの生物の骨か、あるいはそれを模した素材で構成されているのかははっきりとしない。
わかっているのは極めて不穏な気配が漂っているということのみである。
「クソが、この野郎テメェ、もう容赦しねえ! 全身八つ裂きにして殺してやるうぅぁあ!」
怒号に呼応するように、ウォルトを中心とした周囲の地面から先ほどの靄が大量に湧き出した。
濃厚な密度の殺意と敵意と害意を向けられたことでとうとう圭介の脳裏に死の予感が滲み出る。
(こりゃあまずいぞ……)
有利だったはずの戦局が一転して、危機的状況となってしまった。が、だからと引き下がれるわけでもない。唯一の出入り口はウォルトの背後にあり、脱出したその先にも敵の仲間が待機している。
ここからが正念場だ、と自分に言い聞かせながら圭介は再度懐から取り出した小銭を力強く握りしめた。




