第十七話 忌まわしき技術
「そいやっさ!」
「おわっ」
目的地である湿地林に辿り着いたフェルディナントが圭介を放り投げる。投げられた方の圭介も【サイコキネシス】によるクッションで安全に着地しながら、“アクチュアリティトレイター”を急ぎ構え直した。
「こんっの……!」
「ああ待て待て無意味だからやめろ。そら、貴様の仲間がもうすぐ追いつくぞ」
圭介に背中を向けて仮面の男は駆け抜けてきた道の方を向く。ピンと背筋を張った後ろ姿には一切の隙がない。
ユーとの鍛錬を通して体幹と重心の位置をある程度測れるようになった今、フェルディナントが油断しているわけではないとわかった。【テレキネシス】で周囲の石を一斉に投擲したとしても全て避けられてしまうだろう。
歯噛みしながら動けずにいる圭介の視界に、エリカ達が飛び込んでくる。
「ケースケ無事か!? よし無事そうだな!」
「確認はえぇな一応無事だけども。……おい、それで結局お前何がしたいんだよ」
圭介のみならず、一同がフェルディナントに怪訝そうな視線をぶつけた。
当然の反応ではある。わざわざ移動速度を遅くしてまで敵対的な相手を誘い出す理由が見えないのだ。罠の可能性も考えられたが、【サイコキネシス】の索敵網にはそれらしき反応がない。
ただ、巨大な岩とその後方に隠れている洞穴、そして藪の中に複数人倒れている人間の気配が気になるところだ。
呼吸と思しき動作が確認されたので死んでいないのはわかった。とはいえ人に手を出しているのがわかった以上、目の前の怪盗に気を許す気には到底なれない。
クロネッカーを鞘から抜き出し刃先を向けるも、フェルディナントは飄々としている。
「何、あの肉人形に関するあれこれも含めて事の真相を貴様らに教えてやろうと思ってな。吾輩が目的を達成するためにも情報の開示とこの場にいる全員の協調は必要になってくる」
「僕らがお前と協力……?」
「感情的な問題は今だけでも捨て置け。あの肉の塊をどうにかしたいのだろう? ここで押し問答をしているだけの時間は無いぞ」
そう言うと黒衣を漂わせながら洞穴の中に向かう。どこか余裕のない振る舞いに疑念を抱きつつ、五人は警戒しながら追いかける事にした。
狭い通路では邪魔になる関係で“アクチュアリティトレイター”をカード形態に戻し、先へ進む。
索敵網の範囲を知覚するとよくわかるが、この先に続くのはカイルの屋敷の敷地内である。とはいえフレッシュゴーレムが出現した座標からやや外れた位置で、真上にある屋敷の一部と思しき建物は庇のような場所らしい。
通路に照明器具の類は見当たらない。トラロックのように発光するコケ類もなさそうな岩壁は、しかし煌々と淡い光を宿している。
その奇妙さに戸惑う圭介の後ろで、エリカがぼそりと呟いた。
「またえらいマイナーな術式使ってやがる。こんなのあたしでも覚える気しねぇや」
「エリカ、何かわかるの?」
「【グリーム】っつー明かりを確保するための魔術、なんだが……これ結構昔の魔術だぞ。照明として使う第六魔術位階なら他にいくらでもあらぁな。もっと明るいのも目に優しいのも、多分ケースケだって覚えるのに半日いらねえぜ」
話を聞いてから改めて見てみると確かに光量は充分と言い難く、それでいて輝きの鋭さから眼球に微妙なくすぐったさを感じる。中途半端に視界が確保されているせいで目が闇に慣れるのにも時間がかかりそうだ。
そのやり取りを聞いていたらしいフェルディナントが呵々と笑う。
「この場所を作った男が相応の年配者だったものでな。最近の魔術と比べれば多少は古臭いだろうが、まあ勘弁してやれ。……さあ着いたぞ」
着いたとは言うが彼らの前にあるのはどう見ても単なる行き止まりだ。扉らしきものはおろか、亀裂の一つも見当たらない。
【サイコキネシス】の索敵網がユーの物騒な動きを捉えた。騙し討ちをされるより先に斬り伏せようとする構えだ。流石こういう局面では迷いを見せない。
ただ情報があまりにも足りないため、もう少し様子見をすべきだと圭介は判断した。
「あの、これはどういう――」
「通行認証番号:692808、入力」
問いかけを済ませる前にフェルディナントが奇妙な数字を口走る。
何を、と疑問に思うも一瞬。
硬い岩の壁がまるで水面よろしく波打ち、くわっと大きな穴を開けた。
「……おおぉ?」
「この先だ。……やあやあやあお三方、相も変わらず陰鬱な事だ! 少しばかり部屋を荒らすがなぁにどうせ今日限りで捨てると思えば問題あるまい! 許せ!」
ずかずかと中に踏み入るフェルディナントに続いて他の面々も壁の向こう側に踏み込む。
内部は二十四畳ほどの広いスペース。ヘラで整えられたような美しい平面の壁、床、天井が四方に広がる立方体型の空間を象っている。壁紙や板張りを一切用いず素材となる岩が剥き出しにされているからか、実際の広さとは無関係に視覚的印象として狭苦しい。
殺風景ながらも端の方に机と椅子、本棚が置かれている事から辛うじてそれが誰かのために使われている部屋なのだと理解できた。
そして、その空間の中央に直立する三つの影。
真っ赤な三角帽子と白く長い髪らしき触手が伸びる姿、室内に充満する甘ったるい腐臭を認めた瞬間に圭介は思わず仰け反ってしまう。
「レッドキャップ……!?」
以前、ミアが第三メノウ街道で討伐していたモンスター。死肉を縫い繋げて人を模す陸生刺胞動物。
咄嗟に各々武器を構えてしまうが、すぐにその三体の様子がおかしい事に気付く。
「また来たのですか。前回の発言が本当ならこれで最後になるという話でしたが」
一番背の低い個体が言葉を紡いだ瞬間、違和感ははっきりとした驚愕と疑念に変化した。あのユーさえ呆気にとられたのか“レギンレイヴ”の切っ先を地面に下ろす。
「しゃ、しゃべっ!?」
「ああそうだとも。今宵を限りに吾輩はこの部屋を二度と訪れなくなる。選ぶ道によっては貴様らもまた同様にな。……が、その前に済ませるべき事柄を済ませるとしよう」
動揺する一同を尻目にフェルディナントが本棚に近づく。その様子を三体のレッドキャップはただ眺めていた。
棚からファイルを抜き取りそこから更に書類を引き抜きながら、彼はその場にいる全員に向けて語りかける。
「ここはとある実験のために設けられた部屋だ。そこの彼らもあの肉塊も、その過程で生まれた」
「実験……」
「この秘匿されし実験の目的は“死者の復活”だった。まあ誰を蘇らせようとしていたのかは今関係ない。これを見ろ」
彼は一枚のプリントをぱらりと取り出し見せつけてきた。
アガルタ文字で書かれたそれの主題が圭介の目に入る。
プロジェクト・ヤルダバオート。
「七年前。この屋敷を所持していたゴドウィン・キサックという老人が、とある排斥派との接触を契機に死者蘇生魔術の開発を開始している。そしてこの資料の中にはレッドキャップを用いた人体実験の記録があるのだ」
「レッドキャップ……まさかそこの三人って」
「その通り。元は人間である」
圭介達の視線が三体のレッドキャップに集う。
一同に見つめられながらも、彼らは特に気にしていないようだった。
「こいつらを人に被せたら何が起きるのか、知る者は少なかろう。何せ大陸全土で禁止されている上に生きた状態で捕獲するのが極めて困難なモンスターだ」
それは圭介も聞いた話だ。一応実行した国もあったらしいが、その結果どうなるのかは公表されていない。
「実態はこのように、明確な意志と知性を得る。加えて簡単にだが元の肉体が有していた魔術も模倣できる事が確認されていてな」
聞いて、何となく察してしまう。
死者蘇生までは叶わずとも、死者の魔術を復元する方法。
もっと言えば、グリモアーツの復元。
その結果と思しきものを圭介は知っていたから。
「倫理的な抑制があった頃はホムンクルスや身内の死体で試していたようだが、とある時期から生きた人間を調達して被験体としているのがわかる。挙げ句の果てにそれらを継ぎ接ぎにくっつけて、出来上がったのがあの肉塊よ」
「……おえっ」
気分が悪くなって思わず吐き気を覚える。後ろではレオも口元を押さえていた。
「そして望まぬ形で成果が出る。レッドキャップの生態を明らかにしていく中で対象者のグリモアーツを復元する技術を確立した事により、協力者だった排斥派が資金提供を断ったのだ。恐らく初めからその結果だけが目的だったのだろう」
ゴドウィン――カイルの祖父にとってそんなものは、あくまでも副産物に過ぎなかったはずだ。結局死んだ人間を蘇らせるなどできていない。
しかし語るも悍ましい禁忌の術式に手を出した彼を、排斥派は利用するだけ利用して切り捨てた。
そしてフェルディナントの話を聞いて、圭介はこれまで出会ってきた排斥派達を思い出す。
ダグラス・ホーキー。
ララ・サリス。
ゴードン・ホルバイン。
死んだ他人のグリモアーツを我が物とする規格外の力。それらの起源はこんな、偶然訪れただけの辺境に秘匿されていたのだ。
(…………いや本当に偶然なのか? 流石に、これは、何と言うか。何かおかしいぞ)
口の中に広がる嫌な酸味に耐えながら、極めて破滅的な、考えたくもない可能性に辿り着きそうになる。
だがその思考は続く説明に意識が向く事で霧散した。
「残されたのは三体の言葉を解するレッドキャップとフレッシュゴーレム。前者はともかく後者の隠蔽に苦労したらしく、様々な魔術と魔道具を用いた形跡が見受けられる。最終的に彼が使ったのは、これだ」
無表情のまま見つめるレッドキャップをフェルディナントが指し示す。直後その指先に魔術円が浮かび上がった。
「三体のレッドキャップにそれぞれフレッシュゴーレムのコアとなる術式を埋め込む。これによりこの三体が無事でさえいれば、向こうで暴れている肉塊がいくら攻撃を受けようとも自動的に修復するのだ」
「でもそれってあくまでも活動維持の目的で組み込まれた術式だよな。あのデカブツを世間様から隠すのとなんか関係あんのか?」
顔を顰めつつも冷静さを維持しているエリカが問うと、ペストマスクがゆらりと揺れた。小さくだが頷いたらしい。
「このコアはフレッシュゴーレムの活動抑制術式も兼ねた、例えるなら寝ている子供にとっての掛け布団のような存在だ。ゆえに一定範囲内に彼らが存在していれば奴は休眠状態に入る」
「詳しい話聞かないと何とも言えないっすけど、それきっと禁術指定のオンパレードっすよね」
「死体の山を動かすために生きてる人間、それも見た感じどこぞの一家を丸ごとリモコンに魔改造したって話だろ? 多分これに使われてる魔術をあたしらが使ったらセシリアさんに泣きながら殴られるぞ」
人道の“じ”の字すらない話であった。
「あの、さ」
と、そこで何か気付きたくない事実に気付いてしまったかのようなバツの悪い顔でミアが切り出した。
その目線はフェルディナントに向けられている。
「どうした獣人の少女よ。サインならすまんがまだ納得いく仕上がりになっていないのでな、あと三ヶ月ほど待ってもらいたい」
「いやあんたのサインとか興味ないから。……あの、違くて。今の話聞いた限りだと、コア代わりの術式ってあんまりあの化け物から離したらまずそうっていうか」
ちらり、と無感情な顔のまま直立しているレッドキャップ達の方も見つつ。
「もしかするとフレッシュゴーレムが動き出したのって、あんたがその、三人? を、一回遠くまで引き剥がしたからだったりすんの?」
「その通り!」
「【首刈り狐】」
控えめなミアの声にフェルディナントは元気よく応じた。直後ユーの【首刈り狐】が飛んでくるも、これをさらりと避ける。
命を狙われたはずの立場で、彼は一切怯まずはっきりと言った。
「今更何を激昂している。吾輩の望みなど最初から彼らの解放及び奪取に過ぎんわ!」
「そういやコイツただの悪人だった!」
「だがこのままでは彼らの命がいつまでも騎士団に狙われ続けるだろう! ゆえにこそここに貴様らを呼び出し、彼らを生かしたままフレッシュゴーレムのみを無力化するために情報を開示したのだ! 東郷圭介の念動力魔術さえあれば大半の問題はどうにかなるからな!」
言う間にも真っ黒な全身が一瞬でかき消え、圭介の右隣りに瞬間移動する。回された腕が緊張で強張った肩をがっしり掴み込んだ。
「というわけで街の平和を守るため、貴様には共犯者になってもらうぞ! 三人をこの場で殺して事態の収集を図ろうなどとつまらん話はしてくれるなよ!」
「あー、あーくそっ、迂闊にはいともいいえとも言えない! あのフレッシュゴーレムとかいうやつもどこまで不死身なのかわかんないし!」
『そもそもこの話とあの資料がどこまで真実なのかもわかりませんよ』
「ややこしいなあこの変人!」
「あのぅ……」
怪盗がやんやと騒いでいるところに控えめな声がかかる。見ればレッドキャップの中の一体、男の姿をした個体が口を開いていた。
「ああそうだ当事者置いてけぼりにしてんじゃんか。えっと、何でしょう?」
モンスターとはいえフェルディナントの話を信用するなら、彼ら三人はこの件において何も悪くない。加えて会話が可能で且つ敵意もないとなると圭介も変に緊張してしまう。
相手はそんな様子を気にした風でもなく、淡々と話し始めた。
「我々はこの部屋で今のまま過ごし続けるつもりでいたのですが、そうもいかなくなったのでしょうか? 仲間達が何か皆様にご迷惑をおかけしたのであれば今から現場に向かって沈静化を……」
「その必要はない」
彼の言葉をきっぱりと切り捨てたのは、フェルディナントの冷ややかな声。
「あの肉塊はどうにかして貴様らに手出ししない形で葬る。その上でこの部屋に残るか吾輩に攫われるかを選べと言っているのだ」
「いやそこはこの人らの意見尊重するんかい」
「フハハ、泣き言を漏らす金銀財宝など最初からいらんわ」
倫理的に問題のある発言である。
だがレッドキャップ達の扱いはともかく、彼らを殺すまいとしての判断であると理解はできた。圭介としても意思疎通が可能ならモンスターと言えど殺したくない。
ここはフェルディナントの話だけでも聞くべきではないか、と思考の天秤が傾きかけたところに追撃が入る。
「それに東郷圭介。貴様が何故わざわざこのような遠方にまで出向いたのか、吾輩は知っている」
「あ?」
「客人の犯罪者、というただそれだけのか細い共通点に一縷の望みを託して来たのだろう。幸運とは言えないが我輩を頼ったのは正解だったな」
後ろにいる仲間達が、どういう事かと首を傾げているのがわかった。
そこにとんでもない爆弾発言が投下される。
「狙いは吾輩の上司、マティアス殿が書いた“客人再転移手続き”か」
マティアス。そして“客人再転移手続き”。
二つの言葉が仮面の奥から出た途端、肩に腕を回していたフェルディナントが壁に勢いよく叩きつけられた。同時に出入り口の外から無数の小石が弾丸の如き速度で室内に侵入してくる。
圭介の【テレキネシス】によって操られるそれらは全てがフェルディナントの目の前で静止した。
刃物の切っ先を突きつけるような威圧感を、しかし彼は浅い鼻息一つで受け流す。
「これはこれは、随分と手荒な真似をする」
「あの論文について何か知ってるのか?」
自身が思っている以上に低い声が出る。じり、と後退する足音が聴こえたのは後ろからだった。
「興味を抱いてもらえて何より。しかし今は優先すべき事柄があろうよ。話の続きを聞きたいのであれば、相応に働いてもらおうか」
「…………みんな、ごめん。僕は一旦コイツの話を聞かなくちゃならない」
怪盗を捕縛するクエストを受けながら、その怪盗と一時的とはいえ手を組む。そのような信頼を地の底まで叩き落とす蛮行、平時であれば許されるはずもない。
対話可能なレッドキャップや書類など、出てくる数々の情報も発信者が発信者だ。迂闊に信じてしまうわけにはいかなかった。
「あのデカブツは僕一人ででも叩き殺してくるよ。みんなは騎士団の人達と協力した方がいい。多分これから僕、相当行儀の悪い事しでかしてくるからさ」
それでも誰も何も言わない。何も言えない。
これまで見た事のない鬼気迫る顔を見て、言葉で止める術が無いのだと悟ってしまったから。




