第十九話 罠
「くっそ……これ小学生の頃から使ってたから愛着あるんだけどなぁ」
午後の授業が始まる時間まであと少しとなった時間帯。圭介は焼却炉裏の広場で、覚悟を決めた表情を浮かべながら自分の折り畳み傘を意図的に壊していた。
傍から見れば異常な行動だが、彼なりの考えあってのことである。
へし折った傘の骨組みを分解して、周囲に群生する木々の狭間に骨組みの残骸を仕込む。
ついでに焼却炉の隣りに置かれていた灰かき棒も二本あった内の一本を失敬して、取り外し可能な先端部分を外すと背筋に沿わせる形で制服の背中の方に潜り込ませるように挿し込んだ。
更にビーレフェルトでは使い道のない日本の硬貨も、ポケットに裸の状態で何枚か入れておくのを忘れない。
「で、こっちの木の枝には石ころ詰めたビニール袋も引っかけて、と。葉っぱじゃ隠せる範囲に限界あるな、傘の布の部分被せるか。暗いしわかんないだろ多分」
思えば異世界に来てからというもの、彼は彼自身が自覚しないままに大人しくなっていた。
己の意志でもなくただ巻き込まれたとはいえ異世界への関与に対して幾分神経質になり、不必要な遠慮を繰り返したように思う。
初対面のウォルトに絡まれた時もわけのわからない脅迫紛いの手紙を送りつけられた時も、どこか受動的になってしまっていた。
転移する前までの圭介であればモンタギューやレイチェルに逐一相談などしなかっただろう。
法律的にどうなるかはこの際考えず、自分で決めたルールに違反しない範囲で最大限の嫌がらせを実行したはずだ。そして何だかんだ、和解まで持っていこうとしたはずだ。
しかし現実を見ればウォルトとの間にある溝は未だ深まるばかり、手紙の送り主に至っては正体すら掴めていない。
「今までがサボり過ぎてたんだ。次は僕から動かないと」
そう決めてしまえば話は早かった。
本調子になるのが少し遅れた関係で午後の授業に出る時間を犠牲にしてしまう形となったが、今進めている作業が間に合わないわけではない。
彼がしているのは、現在用意できる限り全ての武器を用いた罠の設置である。
作業の合間に便箋の内容を心中で反芻する。
エリカの家庭事情に踏み込み、自分の手を汚す事なく残念な先輩をけしかけるという卑劣極まる交渉術で圭介を呼び出そうとする何者かがいる。
別に情報をすっぱ抜いて気に入らない相手を追い詰めようという気質自体を否定するわけではない。
圭介自身小学生の頃、いじめ問題を隠蔽しようとした教師の発言を録音して色々なタイミングで交渉材料にしたりもしていたからか、手紙の送り主の下衆な人間性については共感すら覚えた。
「出入りする道はここしかないから、この辺には特に小石とかゴミとか敷き詰めておこう」
圭介の正直な意見を述べるなら、仮に今回の呼び出しを無視したとしてもエリカの立場についての心配はそれほどない。
これは昨日の夕方にユーに向けて発言した通りで、薄情や無関心とは異なる感覚の下に「そこまで心配するほどの事案でもない」とどこか確信すらしている。
多少エリカの社会的な立場が弱くなった程度で圭介は借りを返し切れていない相手を見捨てようとは思わなかったし、そもそも国家的風土の話になるがアガルタに住まう人々は総じて自分の意見を恥じるということがない。
彼女を快く思わない勢力は、きっと多数決に敗北してからもその主張を隠さない。同様に、多勢に無勢を恐れて少数派に当たる彼女の味方が意見を自重するという事態は日本より生じにくいだろう、という予測もある。
ウォルトに付きまとわれていちいち鬱陶しいやり取りを強要されるのはストレスになるだろうが、その時には容赦せずレイチェルに申告して彼の父親を呼び出せば解決する問題だ。
卑怯でも何でも、確実な方法があるならそれを優先すべきである。
「よっし、こんなもんでどうだい」
可能な限りの罠は張った。
罠、とは言うものの実際には鋭利な棘状の物体や小石などをそこかしこに挟んだり引っかけたり浅く埋めたりした程度である。それだけなら罠どころか躓きそうな地面の起伏にも劣る障害でしかない。
だが圭介の扱う魔術【テレキネシス】があれば、三六〇度に散りばめられたそれら全てが弾丸として機能する。
一見して「罠としての役割すら果たせていない」のがこの場合重要なのだ。気にも留めないような些細な存在によってこそ真に不意を突けるというものである。
加えて天候と立地による天然のサポートもあった。普段は木漏れ日があるおかげで一定の明るさを保持出来ているこの空間だが、今現在暗雲に覆われた空は一切の光を齎さない。天気予報と現実との食い違いを圭介は内心大いに歓迎していた。
「……さぁーて、どんなのが来るかな」
ここで一つ、重要な事項がある。
圭介はエリカの立場については心配していない。その理由もそれなりに根拠と自信を持って主張できる。
では何故、彼は約束の場所に赴いたのか。
罠の準備を進めるために午後の授業を欠席し、愛用の傘を破壊して仮入居している自室に戻りビニール袋とプラスチックの使い捨て用フォークにスプーン等を持参し、両手を土まみれにしながら鼻息荒くあちらこちらにあれやこれやを設置した。
そこまで彼がする理由。
手紙の送り主の事が気に入らなかっただけである。
彼にとって恩人であるエリカを社会的に貶めようとしている。これが許せない。
既に他界しているエリカの両親までも侮辱しようとしている。これが許せない。
自分の手を汚さず他人を駒代わりにけしかけようとしている。これが許せない。
「これだけやればノコノコ出てくるだろう」という圭介もエリカもウォルトもまとめて舐め腐った態度が、一番許せない。
日本にいた頃に「やられっぱなし」と友人から揶揄された人間の逆鱗に、あの手紙の主は触れた。
ここまでされては平和的解決など彼自身の方から投げ捨てる勢いである。
やられる前にやらかす。
おっかなければ引っ叩く。
にこやかな顔で近づく悪党にはただ銃口を突きつけても足りない。ロケットに縛り付けて成層圏ギリギリの高さでパージするくらいで丁度良い。
それで懲りてくれれば陰湿なその誰かしらにも責任を取らせる形で異世界脱出の手伝いをさせてやろう、とほくそ笑む。
徹底抗戦の攻撃態勢がここに成された。
「つっても勝算とかないけどね! ワハハハハハ!」
自嘲気味にしては爽やかな大笑が、その声に似つかわしくない鬱蒼とした空間に響いた。
* * * * * *
「ケースケどしたん? なぁなぁどしたん? 昼休み食堂来なかったけどどしたん?」
「あんたが不用意に落ち込むから気ぃ遣って距離置いてんでしょーが。さっきこのまま帰るってメールが……やめ、袖引っ張るのは許すけどスカート引っ張るのはやめろ!」
一日のカリキュラムを終えた放課後。ホームルームも終了し、チャイムの音が響く教室の中でエリカ、ミア、ユーの三人娘が一角に集合する。
因みに危うくミアの下着を露出させかけたエリカには拳骨の制裁が与えられた。手に持った鞄の角で殴られなかっただけ温情措置である。
この日、エリカは誰が見てもわかる程度には挙動不審になっていた。
授業中は消しカスを集めて不気味な人形を作ることなくせっせとノートを取り、教師から質問されても珍解答はせずまともに正解し、大声で「先生! ウンコ!」とは言わず「あのすみません、ちょっとお手洗いに」と挙手する。
本日エリカのクラスに訪れた教師達はその光景に耐え切れず、全員が体調不良を訴えて早退していった。
クラスメイト達に至っては普段話さない生徒も含めて精神に作用する何らかの違法な魔術が施されていないか、あるいは他人が魔術によって変装しているのではないかと心配しながら体調をチェックする始末である。
普段厄介者扱いされていると思いきや存外慕われていたことが判明したのは怪我の功名と言えるが。
「エリカちゃん、今日はちょっと休んだ方がいいよ。昨日の事もあってケースケ君も顔合わせ辛いだろうからさ」
「マジで? アイツそんな理由であたしのこと避けてんの? うっわぁマジかよ転移して間もない客人にメンタルの心配されちゃったよ~やっぱこっちの接し方が悪かったのかな? なあミアちゃんどう思う?」
「なんで会社で新人にミス指摘された嫌な上司みたいな反応してんの」
いつになくボケの方向性が迷子になっている友人の様子に呆れつつ、ミアはスマートフォンを取り出して画面に幾度か指を滑らせる。
「ほら、今日はクエストも受けてないしケースケ君も帰ったみたいだしさ。久し振りに遊びに行こうよ」
「つい最近マゲラン通りに新しいスイーツ店が開いたみたいだよ。特に提携してる牧場から取り寄せた牛乳から作った生クリームが絶品で、食べた人の大半が常連客になるって評判なんだから」
「ふーん……じゃあ行こうぜ」
「ダメだ、真っ当な反応しちゃってるよ。こりゃ重症だわ」
「ミアちゃんの中であたしの評価がどうなってんのか気になるところだな」
「元気な時だったら『脂質と糖分って強い依存性あるもんな、畜生から搾り取った合法ドラッグ撒き散らして飯の種にしてんだからいいご身分だぜ』くらい言うよね」
「ユーちゃんの中では相当トチ狂った人間扱いされてんだなあたし、よくわかったよ……おっ」
交友関係に少量の疑念を抱き始めたエリカの視界の隅で、モンタギューが教室を出ようとしていた。
「おうモンタギュー、ケースケ知らね? 昼休みから顔見てねーんだけど、あの野郎生意気にも一人でどっか行きやがったみてぇでさ」
「だぁから、先に帰ったっつってんでしょうが」
帰り際に突然投げかけられた声に振り向いたモンタギューは、口に人参のスティックを咥えたままじろりとエリカの表情を眺めた。
「さあな、知らねーわ」
「即答かよ案外仲良くねえなお前らな」
「ダチ相手でも逐一予定確認したりしないだろ普通。それに俺だっていつもあいつと一緒ってわけじゃない、これからオカルト研究部の活動あんだよ。先週サボったからそろそろ顔出さなきゃ部長がるっせェんだわ」
言いつつ鞄とは別に所持している包みを少し開けて、中にびっしりと敷き詰められた書類の束を見せる。活字を好かないエリカは辟易した様子で舌を出しながら後退した。
「うっへえ。お前よくこんなん読めるな、素直に尊敬するわ」
「あんた今日は随分と大人しいな。いつもならこれ見て『こんだけ紙切れ集めたところで所詮オカルトなんざ何も原因わかっちゃいねえんだから友達作りに励んだ方が建設的だろ勉強のし過ぎで頭ぱーぷりんになったか根暗クソウサギ』くらい言いそうなもんだが」
「なんか、皆、ごめんな……あたし普段ひでぇこと言ってたんだな……」
「いや流石に普段でもそこまでは言ってないよ」
「今のはモンタギュー君の自虐も含まれてるから……」
落ち込むエリカと慰める他二人を見て何かしら思うところもあったのか。
モンタギューは耳元をぽりぽりと掻くと何かを諦めたように小声で何事か呟き始めた。
「……考えてみりゃあの場所が割れてる時点で俺も全くの無関係ってわけでもねぇし、事前に本人にあった事だけ伝えておけば味方が増えて俺の身の安全を守る為に必要な備えも出来る。特段口止めもされてないし、されるにしても口止め料も受け取ってないなら黙っておく理由もない、か」
「あ? 何ブツブツ言ってんだ」
「いやちょっとした計算だよ。…………うん、やっぱ保身のためにも言っちまった方がいいな。聞け凸凹トリオ」
「おう急にどうした」
気付けば末端まで齧っていたせいで一欠片になってしまった人参を口に放り、噛み潰しながらモンタギューは廊下の方へ顎を向けた。獣人とはいえウサギの宿命か、顎下にやや湿った様子が見られる。
「ケースケがどこにいんのか知らんが見当はつく。ここじゃ話しにくい場所なもんでな、ちょっくら場所変えるぞ」
「オカルト研究部はどうすんだ?」
「んなもん遅刻すりゃいい。休むなとは言われたが遅れるなとは言われてねェ」
「ていうか別に、私達は……」
「いや詳しい話は向こうでするが今アイツ厄介な事になってっからよ。手助けするつもりで聞いてくれや」
少し解せない顔をしながらも、ミアとユーも加えた四人が教室を出る。人の来ない空き教室に向かって歩くその組み合わせが珍しいのか、周りの生徒達は奇異の目を向けていた。
もしモンタギューが圭介の動向を知っていれば、ここまで呑気な動きにはなっていなかっただろう。
* * * * * *
放課後のチャイムが鳴り響いてから十分ほどが経過している。
無事では済まさんと興奮気味に意気込む圭介にとっては、アルバイトの労働時間に匹敵するほど長い時間に感じられた。にも拘らず未だ足音の一つも聴こえない。
(はったりだったのかな? だとしても悪質な悪戯するなあ)
このまま誰も来る事なく、何も起きないようなら圭介も手荒な真似は控えようと思っていた。
全力で犯人探しをした上で手荒ではない手段による報復はするだろうが、それも精々『圭介の靴の臭いを十秒間嗅ぎ続ける』だとかその程度で済ませる予定である(恐らく殴られた方が幾分マシな罰になりる)。
それはそれとして、多人数で来ようと相手が相当な手練れであろうと、例え実力差が開き過ぎていて負けて然るべき相手だとしても一生心に残る傷をつけてやろうというつもりで準備したので拍子抜けになってしまうのは心情的に残念ではあった。
(もし完全下校時刻になっても来なかったら諦めよ……お?)
木々に阻まれて聴き取りづらくはあるものの、圭介の注意を引いたのは間違いなく焼却炉方面からする数人分の足音だった。
厳密な人数はわからないが、大人数と呼べるほどでもない。三人から五人ほどと思われる。
(そりゃそうか、こんな所にぞろぞろ来たら悪目立ちすること請け合いだもんな。三、四人でも何してんだってことになりそうだけど)
直立不動の構えで隠れることなく仁王立ちする圭介だが、この時ばかりは意味もなく息を殺して様子を見ていた。これから喧嘩を売る相手に向けるには不釣り合いな緊張感が作用したのである。
と、足音が止むと同時にしばらくして、今度は一人分の足音がゆっくりと近づいてくる。
(あ、じゃあ残りは見張りか。こういう事しそうな相手ってなるとやっぱり――)
思案する間にも秘密の広場に、もう一人の人物が現れた。
茶髪のパーマに着崩した制服。成金趣味の腕時計が袖口からちらちらと顔を覗かせる中肉中背の男子生徒。
「やっぱあんたでしたか、ウォルト先輩。他に心当たりもなかったけど、も……?」
そこには。
極度の恐怖に晒されて、ぶるぶると震えながら怯えた表情で圭介を見つめる挙動不審なウォルト・ジェレマイアがいた。
 




