第八話 滑走路から夏空へ
メティスからユビラトリックスまでの距離は長い。故に長時間の移動を見越して早朝から出立する必要があった。
事前にそのように伝えられていたとはいえ、やはり午前四時という集合時間に不慣れな者もいる。
果てに拡がる雲海から陽光が僅か顔を覗かせ始めた頃合い、ハディアによって浮遊島の上へと移動した面々はセシリアの飛空艇が置かれている艇庫に集合していた。
コンクリートで包み込まれた空間は各種配管と配線が剥き出しになっている事もあって、見る者にどこか無骨な印象を抱かせる。わかりやすい目印も見当たらない場所に不慣れな学生達は、薄い眠気も手伝って軽く方向感覚を失いつつあった。
「全員揃ったな。……まあお前達の場合、普段こんな時間帯に起きるという事も稀だろう。船内でシートベルトをつけたら寝た方がいい」
「あーい……」
「うーい……」
気遣うセシリアの声にやる気のない声で応じたのはエリカとレオの二人。ミアとユーの二人は遠方訪問で早起きの習慣をつけたらしく平然としており、ここ数日不規則な睡眠を繰り返してきた圭介はあくびを噛み殺しながら頭上のアズマの位置を調整している。
「到着までどのくらい時間かかるもんっすかね?」
「陸より行動範囲の広い空路とはいえ、夏休みシーズンというのもあっていくらか混雑するだろう。休憩を挟む事も考慮するなら、最悪五時間以上は覚悟した方がいいだろうな」
『カップ麺一〇〇個分ですね』
「やめろ馬鹿、そう考えると余計に長く感じるだろ」
「一応ユーちゃん用にお菓子買っといて良かったぜ」
「ありがと、エリカちゃん……正直ちょっと今心が折れそうになった」
どちらかというと空腹に喘いだユーに発狂される方が厄介であると判断したのだろうが、エリカがそれを口に出す事はない。
飛空艇の中間部分は運転席と助手席が並ぶスペースの狭さに反して存外広く、圭介ら五人の少年少女を乗せてもまだ充分な空間的余裕がある。観光バスとまではいかないにしても通常のパーティ二組程度なら入るだろう。
一同が乗り込んだところ、圭介の左右の席にエリカとユーが座った。最近座る時になるとこの二人に左右から挟まれる機会が増えたようにも思える。
片や軽度の人間不信からなるちょっとした依存心、片や師匠というのもあって愛着でも持たれたのかと内心奇妙な優越感を覚えた。前者はあまり望ましいものではないが。
「王城騎士ともなるとこんな飛空艇も個人で所有できるんですねえ」
嫌味ではなく純粋な感心が込められたミアの言葉に、セシリアが苦笑しながら応じる。
「まあ、な。自慢ではないが立場が立場だ。給料も相応の金額になるさ」
敢えて不必要な謙遜を捨てて自慢したのだろうが、それにしては元気がない。現役の騎士が早起きで弱るなどとは考えにくく、何かあったのかと一同の視線が集中した。
それを察してか力ない笑顔が運転席から後ろの客席へと向けられる。
「すまん。昨日少し別部署の知人から小言を受けてな、寝不足というわけではないが少し落ち込んでいる」
「えぇ……セシリアさんを落ち込ませる小言って何ですか。どんな奴ですかそいつ」
「今回の件に関して言えば非はこちらにある。まあ仕事の話だ。体調は問題ないのだから、お前達は気にするな」
運転手の体調不良など陸路でも恐ろしいというのに、今回は空路である。
奇妙な緊張感が少年少女らの間に走った。
「ケースケ、いざという時は念動力でこの船支えてくれよな」
「あいよ」
「怖い事言わないで欲しいっす……」
言う間にも船体がガタガタと揺れて浮き上がり少しずつ移動を始めた。そのまま艇庫から外部へと進んでいけば、空港の滑走路に出る。
ここから空へと旅立つのは飛空艇だけではない。エルフの森でユーの母親であるメレディスが運転していたランボ○ギーニ・ウラッコP111のように、飛行術式とそれに伴い必要とされる機構が組み込まれた車も多く存在する。
時期的にどうしても混雑するとは聞いていたものの、やはりこの時点で渋滞は発生してしまっていた。
「うっわすごいなこりゃ。もうここから飛ぶまでの間だけでも三〇分はかかるんじゃないの」
「うげ……ちょっとごめん、気持ち悪くなってきたからイヤホンつける」
周囲に車両やら船体やらがぞろりと並んでいるせいか、並外れた聴覚を持つミアが猫耳に少し大きめのイヤホンをつけた。恐らく耳栓のような用途で所有しているのだろう。
圭介も圭介でミアのような直接的被害は受けていないものの、遅々として進まない光景にはうんざりし始めていた。
「なあ、ただ待ってるのも退屈だしトランプしようぜトランプ。あたしババ抜きしか知らねーけど」
「おーいいねぇ……いやトランプ? ああいや、そっかあっても不思議じゃないのか……」
エリカが持参したそれを見て一瞬「何故異世界にトランプが」と思ってしまった圭介だったが、客人が持ち込んだと考えれば違和感もない。彼が小説を書く上で参考にした作品でもボードゲームを異世界に持ち込んだりしていたし、その類と思う事にした。
何故かトランプの持ち主であるエリカが三連敗した辺りでようやく船体が少しずつ前進し始めた。途中までは車も飛空艇も同じ滑走路を進んでいたものの途中で種類ごとに分断されているらしく、飛空艇用の道は車のそれと比べてかなり空いている。
『ようやく移動できそうですね』
「本当にやっとだな。やっぱ車と飛空艇じゃ飛空艇の方が数少ないんだね」
「値段からして違うから仕方ないよ。中古の飛空艇と最新の乗用車が同じくらいだって聞くし」
そんな乗り物を個人で所持している辺り、セシリアも稼ぎを誇れるだけの収入があるのだろう。しかし圭介からしてみれば、代償としてあの第一王女と定期的に顔を合わせなければならないのならばあまり羨ましくない。
しばらくゆっくりと前進するばかりだった飛空艇だったが、ある程度滑走路の末端に近づくと速度が上がった。
空中に固定された標識を見るとわかる事実の一つに、魔術と乗り物の空域区分なるものが存在する。メティスでは魔術での飛行が可能な高度と乗り物で移動可能な高度が異なるのだ。
例えば圭介が“アクチュアリティトレイター”に乗って飛行する場合、都内では浮遊島より上の高度に移動する事を一切禁じられている。逆に飛空艇などの乗り物は空中から王都に入った場合、何らかの緊急事態を除き空港より下の高度に侵入してはならないとされている。
これらは肉体を剥き出しにして飛行している者と車両の衝突を防ぐための措置として小学校の段階で教え込まれる、アガルタ王国での一般常識であった。
「そろそろ飛ぶぞ。改めて確認するが、シートベルトはちゃんと締めたか?」
「オッケーっす」
「大丈夫でーす」
「よし。疲れている者はもう寝た方がいい。ここから長くなるからな」
「あいよー……」
「うぃーっす……」
各々の返答を聞いてセシリアがギアを上げる。重力が全身に覆い被さる感覚とともに、飛空艇が空へと飛び立った。
目を瞑る寸前、圭介は今回のクエストの概要をふと思い出す。
(しかしまあ、よくわからん泥棒の客人対策か……)
一見して排斥派とは何ら関係なさそうなこの依頼内容に対して、彼は経験則からとある思いを抱き始めていた。
飛び出てくるのが泥棒だけで済むなら御の字だ、と。
* * * * * *
「ふぅむ、どうやらまだ色よい返事はもらえないらしい。いやはや残念だ至極残念だハチャメチャに残念だ! 私としては君達を青空の下に解き放ちたいところなのだが」
暗く無機質な部屋の中、ただ土くれらしきものがそこいらに放置されているだけの空間。
そこに黒き衣服を全身に纏った怪しげなペストマスクの男――自称・稀代の大怪盗であるフェルディナント・グルントマンが顎に手を添えながらぼやく。
彼の視線の先にいるのは三体のレッドキャップ。
ヒューマンの男、エルフの女、そしてハーフエルフの子供の姿をしたそれらはいずれも簡素な衣服を身に纏い、本体である赤い帽子から頭髪を模した無数の白い触手を伸ばしている。漂う甘い香りは腐臭の一種であり、灰色の肌は骸に貼りつく死肉である。
画一的にも見える外見を背丈と体つきが差別化していて、どこか似た者親子という印象を抱かせていた。
「あなたについていく意味が我々にはありません」
その中の一体、男の姿を有するレッドキャップが声を上げる。
モンスターに詳しい者が見れば卒倒するような光景だろう。レッドキャップはあらゆる生物に擬態するが、それは結局不格好な真似事でしかないというのが世間の共通認識だ。会話能力など当然ありはせず、簡単な挨拶などを継ぎ接ぎの声帯で不器用に再現する程度しかできない。
即ち彼らはモンスターとして定義されるには度を超えた知能を有しているという事になる。
「この部屋の中で今まで通りに過ごす事。それを手放す理由がないです」
「ハハハ、それはそうだ間違いあるまい! ただ安穏と生きていければ楽だろうしそうできるならばそうするのはヒトの理であろうよ! なるほど君達はまたヒトに近づいたわけだ、結構結構」
見ようによっては怠惰にも思える思考放棄を、フェルディナントは「それもまた人間の性」と笑い飛ばす。仮面の奥の表情は見えないのに不思議とどんな感情を抱いているのかは呆れるほど伝わる男であった。
「だが以前にも言った通り、君達とてこの場所にいつまでもいられるわけではない。少し込み入った……というような複雑な事情でもないが、まあこちらにも色々あるのだ」
「はあ」
「なのでこの場で部屋と共に朽ちて死ぬか、吾輩に拾われて外の世界の中で少しでも長く生き延びるかの二択しか残された道はない。いやはや我ながらこれではまるで三下が口走る脅迫のようだな! 愉快愉快、ハッハハハハハハ!!」
言葉だけ見れば間違いなく脅迫だ。しかしあまり切迫した様子を見せていない辺り、拾われるつもりなくこのまま死んでいく事も容認しているように見える。
あるいは、先の展開を知るがゆえの余裕とも。
「では諸君、また来るよ」
「あの、あと何回来るつもりですか」
今度は子供の姿をしたレッドキャップが問いかける。そこに厭気も期待も見受けられず、ただ疑問が生じたからとりあえず訊くだけ訊いたといった風情であった。
それを感じ取ってか否か、フェルディナントは振り返らずに答える。
「この部屋を訪れるのは次回で最後にするつもりだ。時間も差し迫っていてね、ここに来るのもそろそろ難しい」
「そうですか」
「何とも思っていないのだなわかるとも吾輩ならば! はてさて次に私が君達に顔を見せる時、それが君達三人にとって生涯最大の分岐点となるだろう。それだけは憶えておきたまえよ」
部屋の出入り口であるドアの向こう、室内しか知らないレッドキャップ達には何があるとも知れない世界。
その闇へ身を投じる怪人は、どこか寂しそうに少しだけ三人の方へと顔を傾けた。
「これから少々厄介な相手が来るのでね。彼の存在が君達という存在にどう作用するか、そして君達を見て彼が何を思うか。吾輩はそれを見届けなければならない」
三つ並んだ赤い三角帽子は、各々を寄せ合う形で顔を見合わせた。
レッドキャップ達とフェルディナントの交流はこれまで何度か行われてきたのだ。短い付き合い、情緒貧しい彼らとて仮面の男が漏らした声色と言葉選びに思うところはある。
三人の共通認識はただ一つ。
今の彼は彼らしくない。
「あなたは、我々がどうなるか知っているのですか」
女エルフのレッドキャップが疑問を飛ばす。今度もそこまで関心があるようには見えない態度だが、問う必要性のない問いかけとも言えるそれは態度以上に心情を物語っていた。
その声にフェルディナントはフッと息を漏らして。
「さて、どうだろうな」
カチャリ、と腰に下げたサーベルの柄を軽く叩く。
「知っているのはただ一人。――我らが道化くらいのものだろうよ」




