第五話 エレクトロ・コントロール
「っつーわけですんません、またしばらくバイト休みます」
「相変わらず大変そうだなケースケ」
校長室を退室してから六時間後。
大衆向け酒場[ハチドリの宝物]の厨房奥にて、申し訳なさそうな顔の圭介が店長に頭を下げていた。
エルフの森に旅行に行ったかと思えばまたクエストの関係で遠出してしまう。その事に少なからず罪悪感を覚えた彼は、報告もそこそこに深く頭を下げる。
対する店長はというと寧ろ圭介に同情的だった。
「ま、こちとらお前のおかげで繁盛してる身だ。どっちかってぇと仕事辞めずに残ってくれてる事の方がありがたいくらいさ」
「やー、そう言ってもらえると助かりますわ」
「ただ気をつけろよ。ユビラトリックスつったら王都と比べて治安が悪い。特にお前なんかはやべえ連中に目ぇつけられてんだ、あの騎士のねーちゃんや客人の坊主からなるべく離れないようにしとけ」
「ははは、肝に銘じときます」
その二人に対して若干信用しきれないところがある、とは言えない。
「あ、それと一つお願いがあるんですけど」
「何でぇ? 言っておくがウチのジェシカはまだやらねえぞ。あと十年待て」
「“まだ”じゃねえだろ何言ってんだ。じゃなくて、裏口んとこに廃棄する予定のフォークとかスプーンとか置いてあるじゃないですか。あれってもらっちゃっても大丈夫ですかね」
「……あん? いや、まあ構わねえけどよ。何に使うんだそんなもん」
「護身用っす」
元の世界から持ってきた硬貨もそろそろ五十円玉と百円玉ばかりになってきた。これまで一円玉や十円玉を念動力で飛ばしたりしてきた圭介だが、流石にこの辺りの金額になると心情的に投げづらい。
そこで目をつけたのが[ハチドリの宝物]で毎月出るナイフ、フォーク、スプーンといった器具の廃棄品だ。
この店ではコスト削減のためにアデラニウムという特殊な金属で作られた大量生産品を用いている。アデラニウムは軽く柔らかい金属であるためか加工が容易であり、食器以外でも様々な場所で使われている優れものだ。
元々軽金属であるアルミニウムの一円玉を投擲してきた圭介にとっては、ある意味使いやすい武器でもあった。
そして、ただ念動力で投げ飛ばす以外にも使い道はある。
「まあユビラトリックスじゃなくてもお前の周りは今大変らしいからなァ。んじゃ勝手に持っていっていいぜ。つってもそんなドサッと置いてあるわけじゃねえからよ、足りなければ言えよな」
「あざっす。じゃあ僕はこれで」
「おう、お疲れさん」
店長に挨拶して荷物をまとめ、アズマを頭頂部に載せながら裏口から出る。元々今日は休日だったが、このためだけに一度店に立ち寄ったのだ。
出口から見て右方向、路地裏の壁に貼りつくようにして置かれた薄い物置。その鍵の部分にパスワードを入力すると、がらりと戸がスライドした。
中にあるナイフやフォーク数本をごっそりまとめて掴むと、圭介はその場でカード状態のグリモアーツを懐から取り出す。
角の部分にスプーンを当てて電流を流してから手を離すと、ある程度予測していた通り地面に落ちずぶら下がった。そのスプーンに更にフォーク、ナイフと続けて繋げていく。
エルフの森から帰ってきてからずっと【エレクトロキネシス】の活用法について考えてきた圭介は、あらゆる活用法を試している段階だ。
異世界の軽金属であるアデラニウムはアルミニウムと異なり磁力を帯びやすい。その特性をインターネットの力で知ってからこの店の廃棄品には目をつけており、こうして電磁力操作の練習に使えるのではないかと活用している。
『前回の針金は無駄に終わりましたが今回は良好な結果が得られそうですね』
「針金だって無駄じゃねえわい。あれはあれで一つの成果なの」
因みにこの前日、業務用の針金を磁力で自由自在に操ろうとしたところ上手くいかなかった。操作しづらい上に無理に動かすと熱的負荷がかかってすぐ折れてしまうのだ。
しばらく針金を折り続けながら最終的に「【テレキネシス】で鎖を操った方がまだ効率的だ」という結論に至り、圭介の部屋には残された業務用ワイヤーが放置されている。
少なくとも現段階での【エレクトロキネシス】は接触した状態でなければ真っ当な攻撃手段として使えない。どうにか命中させるための術として相手を拘束する手段か新たな遠距離攻撃が必要とされているのだが、これがなかなか難航していた。
ジェリーとの戦いで【テレキネシス】での拘束はある程度対策されてしまう事が判明している。いつまでも一つの手段に頼っていられないというのが圭介の判断だった。
そこで新たな遠距離攻撃の開発に乗り切ったものの、仮に磁力で金属を投擲するしかできなければそれこそ【テレキネシス】と大差ない。
「意味あるかわからないけど、帰ったらレールガンの仕組みとか調べてみるか……」
『より緻密な魔力操作と勉強が必要になるかと思われますが』
「まあまだ一日あるし、明日は適当に色々な店を回ってみよう。もしかすると何かしら使える道具を見つけられるかもしれない」
言いながら一人と一羽は路地裏から出る。
出てからふと思い出した。
(そういやダグラスに絡まれたのも、こうやって路地裏で何かやってた時だったな)
今の圭介なら全く抵抗もできないわけではないだろう。索敵できる関係で不意打ちには対応が可能であり、抵抗力操作の魔術も知っている。白兵戦においてもユーからの指導を受けた今なら互角以上に戦える自信があった。
気になる点としては、あの青白い光と回復魔術。厄介な防衛手段を持ちながら傷を負わせてもすぐ治ってしまっては意味がない。
(やっぱ回復させる暇もなく、一撃で殺すしかないのかなあ)
平和に生きていきたいと願う圭介もそろそろ意識し始める。
殺すか、殺されるか。
「嫌だねどーも物騒なのは……ん?」
嘆息する圭介のスマートフォンが震え出す。
画面を見てみると、そこにはエリカの名前があった。
「なんだろ、その辺の道端に珍しい動物の死体かウンコでも落ちてたのかな」
『マスターはあの娘をどういう目で見ているのですか』
「えっ、男子小学生だけど」
本人にそれを聴かれていれば、間違いなく脛を蹴り飛ばされていた。
* * * * * *
排斥派と一言に言ってもその中身は様々だ。
例外なく抹殺すべしとする犯罪者紛いの者もいれば、不平等に異を唱える活動家もいる。ただ何となく気に入らないから距離をおく、というささやかなものも広い意味では排斥派と言えなくもない。
犯罪歴のある排斥派がセーフティハウスとして用いるスラムの安宿などは、元々それらの方向性が異なる排斥派同士による会議場として作られたものだった。
一枚岩とはいかない彼らも客人に対抗するため割り切ったのだろう。客人の不遇を改善するという目的で始まった“大陸洗浄”が、結果的には排斥派の絆を深める事に繋がってしまったのは何とも皮肉な話である。
そんな宿にある無機質な部屋の中、フードを脱いで白い頭髪と狼の耳を晒した状態のダグラスが旧式の携帯端末で通話していた。既に基地局も閉鎖したはずのそれを使えるのは、偉大なる排斥派の先輩方が遺した違法技術の賜物である。
これならば通信を傍受される心配もない。
「……で、ババアはどうした? 死んだ?」
『既にオーガ種やワーム種複数体と戦える程度には回復していますよ。今はバイロンの指導に従う形でリハビリ中ですが、以前よりモチベーションが高まっているようですね』
古ぼけた端末の向こうから聴こえるのはララの声。一応は仲間に含まれるであろう人物が瀕死の怪我を乗り越えた、という事実に対して特に感動などは無いらしい。
それはダグラスも同様だった。
「仕事サボって勝手に動いた挙句に先走りやがった時にゃァ殺してやろうかと思ったもんだが。ま、ケースケの餌になってくれたんならご苦労な事だ」
『喜ばしい話ではないでしょう。転移から四ヶ月も経過していない現段階で、既にあの客人は第四魔術位階を四つも取得しています。次の段階に至るまでそう時間はありません』
「それで」
声にはつまらなさげな色が混じる。
「それでアイツの時間稼ぎしてんのかよ。下らねえ」
『モチベーションを維持する努力をしてください。作戦決行当日は貴方にも重要な役割が任されているのですから』
「やるこたタダのお散歩じゃねえか。俺ぁもうちょっとこう、お楽しみが欲しいんだよ」
肩と頬で挟み込んだ端末越しに言葉を交わしながら、ダグラスは手元にある霊符を指定された番号順に床の上で並べていた。
霊符に組み込まれているのは第六魔術位階【マッピング】。まだ開発されてから半年も経っていない術式ながらも、その望ましくないほどに高い汎用性から近々国で規制されかねない魔術だ。
大量の魔力光が発生してしまうために敵地などでの活動には不向きだが、隔壁の存在を無視して周辺の地図を構築するばかりか生命体の座標まで表示してしまうのだから破格の性能と言えるだろう。
犯罪者にとってこれほどありがたい魔術もそう多くあるまい。この術式を考案した人物は未だ表に顔や名前を出していないが、相当悪辣な性格をしているかあるいは純粋な思いを抱えた馬鹿か。
やがて順序良く並べられた霊符は一つの正方形を象った。枕より一回り程度大きいそれの中心にダグラスが手をかざすと、青白い魔力が迸り空中に図形の集合が浮かび上がる。
多少わかりづらいもののそれは王都メティスの地図に相違ない。そして街を織り成す図形の合間を縫うように、翠色の線がするするとダグラスの巡回ルートを描きながら伸びていく。
それはララの魔力の色。即ち事前から霊符に仕込まれていたものだ。
『確認が済んだら霊符は焼却処分しておいてください』
「ああハイハイ。ご丁寧にどーも」
『それと、バイロンから言伝を預かっています』
「は? このタイミングでなんだよ」
怪訝そうにしながらもダグラスの狼耳がゆっくりと垂れ下がる。
『我らが目的を見誤るな、と。ジェリー・ジンデル同様に貴方も仕事を放棄してトーゴー・ケースケを追うのではないかと疑っているようでした』
「……………………しねぇよ、んなこと」
言葉の割にたっぷりと間が空いた。
実際、ダグラスの鬱憤は相当なものだ。歯ごたえのある客人なるものとはそうぶつかるものではない。圭介以前にも二人ほど凄まじい相手とぶつかった事はあったが、抵抗力を操るという魔術の方向性が見破られない限り出会ったその場で殺害できていた。
圭介はその中でも例外的に術式を看破して生存したパターンである。是非ともまた戦いたいという個人的な楽しみもあれば、手の内を知る者に対する警戒心もある。早く殺すに越した事はない。
しかし手の内が露見したからこそ戦わせてなどもらえない。
確実に計画を進めるためとわかっていても、苛立ちは治まらなかった。
そんな胸中の澱を追い出そうとしているかのように、大きな溜息を吐き出してからダグラスは窓の外を見る。とはいえそこからは街も山々も見えはしない。
無機質なコンクリートの壁。隣接するビルはセーフティハウスに喧嘩を売るようにして建てられていた。
「つうかさぁ」
『何でしょうか』
「俺が見回りする必要がそもそもなくね? どうせ当日はバイロンさんが本気出すんだろ。だったら別に」
『騎士団との衝突なども見越した上での作戦です。何より変更すべき理由もありません』
悪あがきとしか形容できない反論に冷徹な声がぴしゃりと返す。
(直接顔を合わせるときゃあここまで無愛想でもねえだろうに)
嘆息しながらも「わーったよクソが死ね」と罵倒も交えつつ返し、未解放のグリモアーツを霊符に押し当てる。【マッピング】によって描かれた図を自身の手元に記録、保存するための動きだ。
『それでは私もこちらの現場が終わり次第、メティスに向かいます。貴方は今どちらに?』
「クラウンナッツ王国の第七十七区。あの窓からビルの壁しか見えねえトコ」
『わかりました。距離的に近いようですから、少し休んでいかれてはどうでしょう』
「ふざけんな。こっちにゃ客人もいねぇし退屈で死にそうなんだぞ」
『死ねるものならどうぞ。それでは』
プツリと音が鳴った。携帯端末からはもう声が聞こえない。
それを舌打ちとともにベッドへ投げつけると、ダグラスは再度大きく溜息を吐き出した。
「……時間稼ぎとしちゃあ悪くねえが」
圭介がメティスを離れるという情報を彼は既に得ていた。
それが彼ら言うところの“あの人”の策略だという事も。
プロジェクト・ヤルダバオート。
それを実行する上での不安要素を取り除くため、あの風変わりな客人は王都から離れた場所へと送られたのだ。
「ま、どうせ来るだろ」
全て知った上で白狼の少年は呟く。
相手は何をどうしたところで生還してきた客人だ。いかなる手段を用いるか知らないが、作戦を実行する当日に必ずダグラスの前に現れるという根拠も何もない確信があった。
床から自分へと働く抵抗力の強さと方向性を調整し、寝たままの体勢を維持しながら弾き飛ばされるようにベッドへ落ちる。
抵抗力を強める第五魔術位階【リジェクト】とその方向性を変える第四魔術位階【ベクトル】。嘗ての彼であればこれら魔術を同時に使うために【解放】を要しただろう。
しかし今では呼吸をするようにこの程度の芸当はできるようになった。客人にも見劣りしない実力をつけ、考えるのは目当ての人物とその殺し方。
強くならなければならなかったのだ。
全ては東郷圭介に勝つために。
「…………かてぇ」
決意や努力はともかくとして。
彼が寝そべるベッドは薄く硬い。
壁しか見えない窓の向こうから、飛空艇や自動車の音がひっきりなしに聴こえる。
安眠はできそうもなかった。




