プロローグ 見知らぬ家族
気付いた時、三人いた。
薄明かりに照らされる空間はそれなり広いはずなのに窮屈を覚える。目立ったものは何も置かれておらず、見える範囲には自分達だけ。
しばらくして一人の男がその空間に入ってきた。
男は三人に名を授けた。一人を“父”、一人を“母”、一人を“子”と。
定義上、ここで三人は家族となるらしい。互いにその事実に対して「どうでもいい」と考えているのが手に取るようにわかる。
三人は男からその空間を“部屋”と呼ぶのだと教わったが、あまり役に立つ情報ではなさそうだ。彼ら全員は揃って知識よりも自由が欲しかったのだから。
そして当然のように自由などありはせず、次第にそれを求める心も死んでいった。
男は三人に食事と寝床を提供する代わり、実験と称してあらゆる行為に及んだ。
様々な色の板切れを見せられては何色に見えるかと問われた。
知りもしないし興味も湧かない文字の読み書きを叩き込まれた。
食事に至っても肉だけ、野菜だけ、虫だけと極端なものが続いた。
男はそれらの結果を見ては満足そうに頷いたり、顔を顰めたりしていた。
また三人はそれぞれ違う力を持っていた。
一人は壁を作れる。
一人は壁を壊せる。
一人は壁を直せる。
部屋の中で三人は、男がいない時間の退屈しのぎに壁を作ってはその中に入ったり壊したりして遊んでいた。
男も部屋の壁を壊さないのなら、と三人のストレス解消を見逃していた。
三人家族は部屋の中。外の世界を知らずに朽ち果ててゆく。
「やあやあやあ! これはこれは見苦しいお三方、こんな場所で壁など作って壊して直して何が楽しいのやら!!」
やかましい何者かが部屋に入ってくるまで、そうなるはずだったのだ。
黒い帽子に黒いマント、黒い衣服に黒い革靴。
全身が黒い中で手袋とシャツ、顔に貼りついたペストマスクの白が際立つ。
文句のつけようもない、完全無欠の怪人であった。
怪人は問うた。「自分達が誰なのか知りたくないか?」と。
家族は答えた。「自分達が誰であろうとどうでもいい」と。
「ハッ、ハハハハ! おっと失敬、先に聞いていた通りの答えだったもので思わず笑ってしまった!」
怪人は身をのけ反らせて笑い、次いで問うた。
「外の世界に行きたくはないか?」と。
もちろん家族三人も、先と同じ調子で答えた。
「外の世界などどうでもいいのだ」と。
二度目の応答を受けて怪人は肩をすくめる。
「いやはや全く何とも救いようのない事よ! まさか己の閉塞を自覚できないとは!」
黒いマントを翻し、怪人は背を向けた。
そのままドアに向かう彼を、一家三人は止めない。止める理由が特にない。
「ではまた次の夜に会おう! そして自由が欲しくばいつでも遠慮せず言うがいい! その時は貴様ら三人をこの場所から華麗に盗み出すと約束しようではないか!」
何を言っているのかわからなかったが、どうやら彼は三人をその部屋から出したいようだった。
外など知ろうともしていない家族にとって部屋の向こう側などどうでもいい。ただ、どうしても気になる事がある。
「吾輩の名はフェルディナント・グルントマン! 都の夜空を駆け巡る一羽の啼鳥にして、黄金と宝石を愛する稀代の大怪盗である!」
名乗りを聞いてもよくわからないこいつは結局何者なんだと。




