第十八話 伯母と姪
『相談事があるので昼休みに少しお尋ねしてもいいですか』
『構いませんよ』
スマートフォンの画面に映るのは、圭介がモンタギューと一旦別れてから間を置かずレイチェルとやり取りしたショートメール上での会話文である。
放課後までに学生が作り出せる時間となると限られていて、話の性質から時間が相応にかかるものと予測した彼は、昼食の時間帯に校長室にお邪魔することにしたのだ。
しかしいざ校長室の前に立つと、幾ばくかの緊張感が生まれる。
今回相談する話の内容には圭介以上にエリカのプライベートが深く関わる。
そして相談先の相手はエリカの伯母に当たる人物であることから、同時に二人の過去を詮索することになりかねない事への拭い難い申し訳なさが生じていた。
「うーん、エリカ相手にするより気まずい」
かといってこのまま校長室の前でいつまでも立ちっぱなしというわけにはいかない。時間はいつまでも有限である。
「……す、すいませーん」
控えめな声かけと控えめなノックだったが、中にはしっかりと伝わったらしい。「どうぞ」という入室を促す声が扉の向こう側から聞こえた。相変わらずあのエリカの身内とは思えない落ち着きようである。
「失礼します……一応確認しますけど、今大丈夫ですかね?」
「ええ、構いません。どうぞそちらにおかけになって下さい」
おっかなびっくり室内に入ると、レイチェルは紅茶の準備をしているところだった。一学生を相手に随分な歓迎である。
既に始まっている準備に介入はできず、圭介は手頃な位置に浮いていたケサランパサランを優しく撫でつつ来客用のソファに座った。
「それで、相談事とは何でしょう」
二人分のティーカップをテーブルに置くと、レイチェルは圭介と向かい合う位置のソファに腰を下ろす。
「あの、結構プライバシーに関わるっていうかデリケートな話になるんですけど……これを見て下さい」
懐から件の便箋を取り出し、卓上に置く。それを手に取って内容を確認していく内に、レイチェルの表情が徐々に険しくなっていくのがわかった。
「これは……?」
「今朝、僕の下駄箱に入っていたものです。多分エリカから報告があったと思うんですけど、昨日クエストを終えた帰りにウォルト先輩に意味不明な勧誘を受けたことまで書かれてます。多分つい最近書かれたものだと思います」
「ええ、昨日の夕方にエリカからその話は聞きましたが……この、秘密の場所とは?」
一度レイチェルにこっぴどく叱られたヴィンスから教えてもらった手前、彼の名前は出しづらい。
なので場所に関する情報だけ伝えることにした。
「焼却炉の裏にある広い空間です。多分簡単には見つからないんじゃないでしょうかね、草に覆われた入り口なんてほとんど壁と区別つきませんし」
「ほう、そんな場所が。それでこの事を知っているのは貴方だけですか?」
「いえ、一緒に手紙を見つけたモンタギュー君も知ってます」
ヴィンスはともかくモンタギューは名前を出しても構わないだろう。
事実、彼に対する評価はレイチェルの中で高いようだった。得心した様子で一度姿勢を正す。
「ふむ。彼ならまぁ、口の堅さは信用できますね。……では、このような手紙を書きそうな相手に心当たりは?」
「手紙の送り主が否定してますけど、思いつくのはウォルト先輩くらいですね。もし先輩以外の話したこともない相手だとすると見当もつきません」
その言葉を受けて今にも頭を抱えそうな表情になったレイチェルは、長く大きな溜息を吐くと改めて圭介に向き直った。
「最後の質問です。貴方はエリカに関する話を、誰からどこまで聞いていますか?」
「ぶっちゃけご両親が客人に殺害された、としか聞いてないですね。それだって本人からじゃありませんし」
「なるほど、わかりました」
確認を終えて納得したように頷くレイチェルを圭介が怪訝そうに見ていると、
「まだ昼休みが終わるまでに少し時間があります。あの子が自主的に仲良くなろうとしていて、実際に友好的な関係を築けている客人の貴方だからこそお話ししましょう。あの子の両親……アルジャーノン・バロウズと、私の妹でもあったディアナ・バロウズについて」
圭介が知る限り、初めて本当に辛そうな表情を浮かべつつ血を吐くように話し始めた。
* * * * * *
エリカ・バロウズは八年前、森の中で拾われた記憶喪失の捨て子だった。
当時騎士団に属していたディアナ・オルグレンと一介の冒険者に過ぎなかったアルジャーノン・バロウズが何の手違いか夫婦となって数年が経過した頃。
メティス城壁付近の森林で巡回中のディアナに発見されたのが彼女だったという。
アガルタ王国も含む大陸三大国家の王族達が客人側を代表する一人の青年との会談に赴くために入念な準備が進められていた、“大陸洗浄”の幕引きを数年後に控えた時分の事である。
どこから教育を受けたものかわからないが、発見された時点で言葉を理解し一般的な常識も心得ていてコミュニケーションも取れていたという。
同時にあの性格なので真面目な性分のディアナとは軽く喧嘩になりかけたらしい。
ただ厄介な事に、彼女にはエリカという名前以外の自身にまつわる記憶がなかった。
自分が誰の子供なのか、今いる場所がどこなのか、どうしてここにいるのか、今が何月何日なのかもわからずに呆然と立っていたのだと言う。
「手がかり探してくる」と森の奥に消えようとした小さな背中を、常識ある大人であるディアナは必死になって静止した。
グリモアーツを持っているわけでもない彼女が王都に近い場所とはいえ城壁外部に放置されているという状況をよく思わなかったディアナは、不信感を隠そうともしないエリカを保護という名目で拘束した後そのまま連れ帰り、なし崩し的に諸々の手続きを終えて戸籍上の娘にしてしまった。
レイチェルがエリカの存在を知った時、彼女は既にバロウズ家の一員になっていたものだからその早さたるや事前に用意していたかのようだったとレイチェルは語る。
エリカが二人の子供になってからのおよそ一年半。
アーヴィング国立騎士団学校小等部にエリカが中途入学したり、家族旅行中にディアナがレンタカーを逆に難しいんじゃないかと思えるレベルで廃車にして貯金が吹き飛んだり、アルジャーノンが居酒屋で絡んできた酔っ払いと意気投合して深夜に帰宅した結果酔っ払い共々真冬の道路に正座してディアナに説教されたりと、忙しない生活が続いた。
その間、喧嘩の絶えない親子関係が続いていたそうだが同時に三人の笑顔も絶えなかったというのが面白い所である。
身寄りのない子供とそれを保護する若夫婦の間には上下関係なるものが介在せず、仲の良い友人同士のようにざっかけない家庭を築いていた。
性格の凹凸が上手く噛み合ったのだろう。ディアナもアルジャーノンもエリカも、その幸福がいつまでも続くものと疑わずにいた。
そんな彼らの安寧は“大陸洗浄”最後の戦いとして今も語られる大戦、“セルウィン腐敗戦線”にて呆気なく散った。
該当戦線区域となったセルウィンという村は代々、村長一族の汚職による背任行為や証拠隠滅などを中心とした情報操作で数々の越権行為を隠蔽してきた。
しかし、文明の発達と同時に管理体制が杜撰になったことが災いして、これら薄汚れた真実はとある客人のハッキングによって白日の下に晒されることとなる。
このことを契機として客人側三十人が村に押し寄せ、迎え撃とうとした村の駐在騎士団と自治団体が見る影もなく蹂躙されたことから始まった戦がこの戦いである。
当時メティスに住まいを移していたバロウズ夫妻も騎士団に名を連ねる者として、国の面目を保つための戦いに身を投じることとなった。
とはいえ手練れの二人が揃って同じ戦場に出るのであれば万が一もあるまいと、エリカだけでなくレイチェルも油断していた。
まさか二人を同時に相手取って勝利を収める相手が存在するなどと、一度でも考えたことがなかったのである。
二人が棺の中で花に包まれながら無言の帰宅を果たしたのは送り出した翌日の夕方だった。
その時のエリカの荒れようは凄まじく、今にも戦線に殴り込んで仇討ちをせんとばかりに暴れ回ったそうだ。レイチェルの
「二人をほったらかして腐らせる気か。あんたがいなけりゃ二人の葬式も挙げられないじゃないの」
という一言でようやく最低限葬式に参加できる程度にまでは落ち着いたが、幼い彼女の鬼哭は今もレイチェルの耳朶に貼り付いていて想起すればいつでも再生できるというのだから圭介にとっては未知の領域である。
幾度か排斥派に傾きそうになったりもした当時のエリカを思い返せば確かに、ウォルト程度の交渉能力でも靡かせることはできただろう。
そういった手合いが近寄らないように、レイチェルは激務の中でも必死の思いで亡き二人の忘れ形見を護り続けた。
やがてセルウィン腐敗戦線での決着がついてから間もなく戦争は大陸と客人との和解によって終結し、伯母と姪っ子の二人にも幾ばくかの余裕が生まれた。
エリカは徐々に明るさを取り戻し、レイチェルも嘗ての二人のように悪態を吐き出し合いながら彼女と共に過ごす時間を大切にしようと生きてきた。
そうしてエリカが高等部に上がって半年も経たない時期に、圭介がやって来たのであった。
* * * * * *
「……ですから当初、エリカが貴方をパーティに迎えると聞いた時には正直なところ不安だったんですよ」
語る中で振り返りながら悲しみを呼び起こしてしまったのか、レイチェルの表情には悲哀の色が濃く表れている。
「一時はあれほどまでに客人という存在を憎悪していたあの子が、あくまでも普段他の生徒に向けているものと変わらない態度で貴方に真摯且つ親切に接していたというのが逆に怖かった。もしかしたら虎視眈々と、貴方を殺そうと計画しているんじゃないかと……」
一連の話を聞き終えた圭介は神妙な表情をしながら頷いた。
「エグい」
「なんつー素直な感想を……」
思わず素が出たレイチェルは一旦無視して進める。
「エリカの過去についてはまあ、わかりましたよ。僕が本来なら彼女の負担になりかねないのも、その上で何故か彼女が僕に気を遣ってくれてることも。でもどうして僕にそんな話を?」
当然の反応ではある。
圭介はそもそもエリカの過去を知るという何者かから送られた手紙の概要を伝え、どのように対応すべきか相談しに来ただけに過ぎない。
その結果としてエリカ本人も与り知らぬところで身内とはいえ彼女の過去を知る人間から詳細な情報を提供されても、手に余るというのが本音だった。
「そうですね……」
一拍置いて。
「その手紙に応じるのはエリカにとっての安全であり、貴方にとっての危険です。そして無視するのは貴方にとっての安全となり、エリカにとっては危険となるでしょう」
「え、あ、はい。すみません、ぶっちゃけ僕には選べなくて」
「いいえ、貴方にしか選べません」
ハッキリと言われ過ぎて一瞬幻聴すら疑った。
凛とした声に思わず圭介はいつの間にか俯きかけていた顔を上げる。真正面から、自分を見据える青い瞳が揺れていた。
「アーヴィング国立騎士団学校校長としては行くべきではないと思いますし、エリカの伯母という立場からは正直なところ彼女を巻き込まずに一人で行って欲しいと思います。ですが」
紡ぐ言葉に嘘は無い。そう聞く者に確信させる何かを、レイチェルの声は孕んでいる。
同時に今、静かに叱責を受けているのだと思い知った。
「私としては、今の話を聞いた上で貴方自身が判断するべきだと思いますよ。エリカのお友達の、トーゴー・ケースケ君」
敵わないな、と観念させられる笑顔だった。
彼女の言う通り、校長としての責務を優先するなら止めるべきだろう。伯母として姪を守ろうとするなら所詮はつい一週間ほど前まで他人だった相手、行かせてしまうのも悪くない。
そのどちらかを当の本人である圭介が「自分では決められないから決めてくれ」と要請するのであれば、コントロールできる立場を活かした方がどちらにせよレイチェル側に利がある。
それでも圭介が時分で決めるべきと彼女は言う。
答えは明言せず、ただ判断材料だけを与えて。
「まあ、結局は今の話も所詮過去の話に過ぎません。大勢に露見した場合の対処なら、貴方がこちらに転移するより遥か早くに準備していますので最悪の場合もご安心下さい」
おまけに逃げ道まで提示されてしまっては圭介も困ってしまう。おかげで退路が断たれてしまった。
ここまで厳しく、そして優しい人が自分の母親以外にいたという事実が嬉しかったのもある。
「ありがとうございました校長先生。僕、午後の授業は欠席しますので」
「わかりました。ヴィンス先生には私から連絡入れておきます。体調不良とでも伝えましょうか」
「ちょっくら海賊船に積まれた美女と黄金を盗み出そうと……」
「体調不良と伝えておきますね」
優しいだけでノリは悪かった。
 




