第二十二話 君と並んで歩く強さを
この場に立つ三人、揃って魔力の残量はそう多くない。特に圭介は重量のある“アクチュアリティトレイター”を振るうため常に【テレキネシス】を強いられている状態だ。
「【水よ来たれ】【滞留せよ】!」
それを踏まえた上で彼は出し惜しみを捨てる。
盾殺しとも言えるショーテルの横薙ぎを左手に持った水の剣で弾き、生じた隙を見逃さず右手のグリモアーツを胴体に押し当てた。
巨大な鉄板の表面を螺旋状に束ねられた念動力が包み込む。
「“スパイラルピック”!」
「ちぃっ」
そうなると先に予測していたのだろう。ジェリーは水の剣が形成された時点で体を後方へと移動させ、見えざる力の直撃を避けた。
しかしそれでも発生した運動量に吹き飛ばされ、その背中に今度はローレンが迫る。
「【穿】!」
革鎧の隙間に勢いよく刺された“イノセントピアース”が栗皮色の光を纏い、強化術式を施されたジェリーの肉体に刃を突き立てる。これだけなら傷がつくほどのダメージとはならない。
しかしレイピアの強みは防御の隙間に滑り込む事だ。ほんの一寸ほどもなさそうな僅かな網目の空白に先端を埋めて、鋭い先端を肌に触れさせる。
「【鏃】!」
「ぐぁあああ!」
触れたのは右脇腹付近。既に大きな動作で回避行動を済ませてしまっているジェリーは、魔力の消耗による倦怠感も相まって今度こそ回避が間に合わない。
神経が集中している箇所への無慈悲な一撃に、苦痛よりも戦闘続行が困難となる事実への苛立ちから声が上がった。
即座に痛みを無視して浮かせた左足を急ぎ着地させ、攻撃を受けた際に傾いた重心をそのまま遠心力に任せて振り回す。結果、空中に残った右脚が回し蹴りとしてローレンの左肩付近に命中する。
「ぎぃっ、ぁ……」
突き出される槍の軌道すら変えてしまうような蹴りだ。生身で受ければいかに鍛えていると言えど少女の骨は容易に折れる。力が抜けた手から“イノセントピアース”が抜け落ち、ローレンも蹴られた部位を押さえながらその場に崩れ落ちた。
(死なせてたまるか)
限界が近いジェリーは相手が負傷しているからと見逃すだけの余裕などあるまい。特に実戦において弱った相手から始末するのが効率的であるという話は、圭介もビーレフェルト大陸に来るより以前から知識として覚えていた事だ。
革鎧からはみ出された頭部目がけて“アクチュアリティトレイター”を横に振るう。ジェリーはそれをしゃがんで避けつつ圭介に近い方の左足を浮かせ、曲がった膝を瞬時に伸ばし低空で跳躍した。このまま彼女が“ウィールドセイバー”を薙げば圭介の両足が断たれるだろう。
その攻撃を【サイコキネシス】で体を持ち上げ回避する。白兵戦の常識を覆す動きに対応しきれなかったのか、ジェリーが着地した際に大きな隙が生じた。
そこで圭介がやった事は追撃ではなく、ユーやローレンの前に移動して敵の攻撃を妨げる位置に立つ事であった。
「……そいつらの盾にでもなったつもりかい? 勇敢なこった」
振り返ると同時、曲剣を構える。
対する圭介も急な攻撃に対応できるよう、巨大な金属板を斜めに掲げた。
「ここまでの動きを見てきてわかったよ。アンタ、ユーフェミアに剣を教えてもらったろ」
「だったら何だよ」
「わかるはずだ。これは殺すための技術だってね」
殺気とはまた別の何かを含んだ不敵な笑みが圭介を見つめる。
「この鎧の材料になったゴグマゴーグだってその技があったから殺せたんだろう? ならそんなもんを嬉々として受け入れて、斬り合いに躊躇しないそいつがその辺歩いてる奴らと致命的に違うって事くらい言うまでもないわなぁ?」
「何が言いたいんださっきから」
「そこの馬鹿弟子は友達とか仲間とかそういうの向いちゃいないんだよ」
歪んだ切っ先がピッと圭介の後方へ向けられた。その先にいるユーは嘗ての師を睨みつけたまま座り込んでいる。
「無理にここまで合わせてきたんだか知らないけどね。せっかく剣筋は冴えてきてるってのにさっきから何だい、見捨ててりゃあ負わずに済んだ怪我して挙句にグリモアーツへし折りやがって。おまけに寂しい思いするくらいならそんな強さいらないと来たもんだ」
「別に何も悪くねえだろ」
「いや悪いだろ。教わりたいって言うから教えたのにそれ捨てやがったんだぞ」
平坦な声から滲み出る憤怒を圭介は感じ取った。
どうにも強い弱いというだけの問題ではなさそうだ。殺人鬼にそのような感情があるというのも意外な話だが、愛弟子の体たらくに対する失望もジェリーの中にはあるのだろう。
彼女は適当な自警団員の死体を踏みつけ、煽るようにして言う。
「なあ、ユーフェミア。協力だの連携だのとおためごかしに頼り切ったこいつらのザマぁ見てみなよ。これがアンタの末路だって言われて納得できるのかい? 生き残ってピンピンしてるアタイがこいつらよりも弱く見えるってのかい?」
「……私は、それでも一人になれません。貴女の強さは強さじゃない」
「そうかい、残念だ。なら仕方ないな」
踏みつけた死体がぶちゅりと踏み潰され、
「じゃあ仲良く死ね」
左手で“ウィールドセイバー”を振り上げた状態でジェリーが駆け出し、しなやかな筋肉を搭載した両腕で振るう。
既に防御の準備を済ませていた圭介は“アクチュアリティトレイター”でその一撃を受け止めた。
「ぐうっ……」
「どけえええええええ!!」
ずしりと全身を苛む重みはジェリー本来の力か。念動力を用いていくらか軽減した威力だけでも充分過ぎる。
ほんの一寸、一分ですら力にズレが生じればこの拮抗は終わりを迎えるだろう。かといってただ防ぎ続けているだけでは体力的に持たない。
敗北を回避するために圭介の脳がフル回転を始めた。
直近の記憶を呼び起こすと、僅かな勝機が脳裏に浮かぶ。
それは雷撃を伴うクロネッカーの存在。
(あの時、コイツはダメージを受けていた……!)
薄紫色の刃が金属板に食い込んだところで、防御以外の働きが圭介の体内で発生した。
先刻外部から流し込まれたものと同等のそれが今も彼の中にある。
魔力と共に存在する魔力と異なる力。地球にいた頃から存在していたそれを、ここに至って念動力が知覚した。
それ即ち、電気。
水や炎のように柔軟な動きができないそれは、しかし速さという点において何より勝る。ほぼ密着しているに等しいこの状態でならさしものジェリーも避けきれないだろう。
(ここしか勝ち目はない。体の中に流し込まれた時を思い出せ!)
再現するのはその逆。内部から外部へと向けた流れの調節。
『動かす』事に特化した念動力魔術を用いれば、それは決して不可能ではない。
手から柄へ。
柄から金属板へ。
金属板から薄紫の刃へ。
刃から、ジェリーの手へと流れるイメージ。
「……………………」
腕の力に微かな緩みすら許してはならない状況下で新たな力を振るう。それは針の穴に糸を通すが如き繊細な作業だ。
圭介の世界から不必要な情報が削除される。視界からは色が抜け、頬撫でる風の感触を失い、呼吸と瞬きを忘れた。
やがて念動力の道筋が腕から手のひらへと伸び始める。魔力で作られた疑似的な回路は体内に仕込まれているため、ジェリーの【漣】でも索敵できない。
準備は整った。
「…………――――」
それは未だ圭介にとって充分に理解できているとも言い難いもの。
しかし今この場において、水よりも炎よりも頼りになる最速の力。
第四魔術位階【エレクトロキネシス】。
電気を操る念動力魔術が、グリモアーツからグリモアーツへと流し込まれる。
「がっ」
実行してしまえばそれは一瞬の出来事。
渾身の力で“ウィールドセイバー”を振り下ろしていたジェリーが、全身をびくりと震わせて動きを止めた。固まった血に閉じられていた両目がばりっと開く。
負荷が一気に軽くなったところで圭介が刃を払いのけ、がら空きとなった腹部に“アクチュアリティトレイター”の先端を押し当てる。
「お前がどんだけユーに押し付けてきたのか知らないけど、今の彼女は僕らにとって掛け替えのない存在だ」
ジェリーは何も言い返さない。そも意識が残っているのかどうかさえ疑問である。
何となれば電撃をその身に受けて、倒れず立ち続けているのが奇跡とすら言えた。
「そりゃ何もかも完璧ってわけじゃない。稽古つけてもらった時とか容赦なさ過ぎて軽く引くレベルだったし、外食に行くと店潰すつもりじゃないかってくらいの勢いで食いまくって店員さん泣かせるし。あと極限までお腹減るとたまに友達に齧りつこうとするってエリカから聞いた」
そもそも聞こえているのかどうかすら怪しいところだが、圭介の言葉は止まらない。
ユーフェミア・パートリッジという人物がどれほど大切な相手か、どうしても彼女の在り方を蔑ろにする彼女の師に伝えてやりたかったから。
「でも異世界に来たばかりで右も左もわかんねえ僕にグリモアーツの事とか色々教えてくれたし、強くなりたいから鍛えてくれって頼んだら引き受けてくれた。ゴグマゴーグと戦った時もあんなおっかねえ化け物相手に一緒に戦ってくれた」
螺旋状に渦巻く念動力が“アクチュアリティトレイター”に纏わりつく。
ゼロ距離での“スパイラルピック”の準備がここに整った。
「それに、さ」
【サイコキネシス】の索敵網が背後にいるユーの様子を伝えてくる。
グリモアーツを破壊されて座り込んでいたはずの彼女は、立ち上がっていた。
「最初は敬語で話してたのがタメ口になった時、ちょっと嬉しかったりもしたんだぜ」
言うと同時、巻きついていた念動力が先端へと収束していく。
それに応じるかのように、“ウィールドセイバー”の刀身がぐらりと動いた。
「…………戯言はそれで終わりかぁ!!」
余力を、それこそ生命力すら全て注ぎ込んでいるのか。ジェリーのグリモアーツはこれまで見てきた中でも最大の輝きを見せる。もはや索敵用の【漣】さえ残してはいまい。
繰り出そうとしているのは第三魔術位階だろう。【雪崩】か【噴泉】か、いずれにしても規格外の執念と言えた。
(対応、したのか。あの速度に)
いかに最速の念動力とはいえ【エレクトロキネシス】も魔術である事に違いはない。流し込まれた電気もまた魔力を起源とするものであるならば、体内に侵入してきたそれを魔力で緩和させるという手段もあるにはある。
が、そのための魔力をまだ持っていたというのが圭介には意外だった。
恐らくジェリーの種族が魔力の総量に恵まれたエルフでなければ。あるいは鍛え抜かれた肉体を持っていなければ、今とは違う結果になっただろう。
しかし現実はこうなった。その結果が全てなのだ。
楼閣一つ程度なら簡単に粉砕できるであろう魔力の収束を前に、場数を踏んできた圭介でさえ怯んでしまう。
ほんの少し生じたその隙こそが勝負の分かれ目になると、誰よりジェリーが弁えていた。
振るわれる薄紫の曲剣。
爆裂する膨大な魔力。
そして。
「【雪――」
「【鏃】!」
圭介の頬を掠めて飛ばされた魔力の矢が、ジェリーの左目に命中した。
「――ぐ、ぁあああ!?」
【漣】による広域索敵の弱点が二つある。
一つ、近距離で発生する素早い動作にはほぼ意味を為さない。
二つ、処理すべき情報量が多いため想定外の要素一つで全体が崩れる。
聞こえた声は腕を使い物にならなくしたはずのローレンのものだ。
索敵に引っかかったのはグリモアーツを破壊されたはずのユーだ。
即ち、それが意味するところ。
「ありがとう、ローレンちゃん。無理させちゃったね」
「あんたにやられた時は全身ギタギタにされたのよ。肩一つくらいどうって事ないわ」
残った右目の視界に映るは“イノセントピアース”を握るユーの姿。その傍らには顔中を脂汗で濡らしているローレンが立っている。
片方が体を、もう片方が武器を預け合っての一撃。それがジェリーの全身全霊を妨げた。
他者と繋がる力が殺人鬼の語る一個の強さを否定したのだ。
「ぶっ飛べぇぇぇぇ!!」
「お、おおおおおぉぉぉァァァァァアアア!!」
収束する念動力が漆黒の革鎧に叩き込まれる。脇腹を痛めて右腕が使えず左腕を使おうにも左目が潰れた今、防ぐ手立てなどあろうはずもない。
言葉にならない叫びを上げながら剣を振るう暇さえなく、アポミナリア免許皆伝を持つ殺人鬼は夜空の果てへと吹き飛んでいく。
――そして遠く見える山の一つに、圭介達のいる場所からも見える大量の土埃が舞い上がった。




