第二十一話 紫電一閃
「ぐべぇっ」
エルフの師弟が睨み合っている頃。
上空に連れ去られていた圭介は、浄水場近くの車両出入口と思しきスペースへと乱暴に投げ捨てられていた。
投げ捨てた方のサンダーバードはまたぞろ元の場所に戻ろうとしないか心配しているらしく、浮遊しながら未だ放り出した圭介を見つめている。
恩を仇で返されたような気分に染まりつつ、圭介は四肢に感覚が戻りつつあるのを感じながら起き上がった。むずむずとした不愉快な疼きに顔を顰めるも弱音を吐いていられない。
「……んにゃろ、どうしても行かせないってか。ならこっちにだって考えがあんだぞ」
今の彼の手元にグリモアーツはない。体に電気を流された際、アズマと一緒に途中で落としてきてしまったから。
しかしまだクロネッカーがある。腰に下げた柄からそれを抜いて、刃先を命の恩人ならぬ恩鳥に向けた。
戦おうという意志を察知したのか、サンダーバードの両翼が震える。どうやら戸惑いを覚えているらしい。
妖精の社会に感謝という概念が存在するのか不明だが、助けた相手に敵意を向けられるこの状況を予期していなかったのは間違いなさそうだ。
「戦いたくないなら頼むからどいてくれよ。僕だって君を傷つけたくないし、ぶっちゃけ勝ち目あるかどうかもわからないんだ」
言いつつ圭介は全く勝てない相手というわけでもないだろうと踏んでいた。
仮に目の前の妖精が電撃で構築されているとした場合、物理攻撃では太刀打ちできない。もし“アクチュアリティトレイター”を持って殴りにいっても受け流されるばかりか、感電して自分一人がダメージを負うだろう。
だがクロネッカーは対象が何であれその場に無理やり留めるという並外れた性能を持つ魔道具だ。この術式で刃先に電撃を留めたまま腕を振り抜けば、疑似的にサンダーバードを“斬る”事が可能となる。
つまるところこれは直接触れれば負けというルールが設けられた、巨大な鳥との白兵戦。ユーに叩き込まれた技術さえあれば勝てない相手ではないと圭介は認識していた。
(つってもこれにビビって帰ってもらうのが一番楽なんだけど。こいつ、刃物なんかで逃げてくれるかな……)
やはり命を救ってくれた相手だ。傷つけるのは気が引けるし、そもそも痺れが抜けきらず本調子には程遠いこの状態で戦いたくない。
「ピュァア!」
躊躇いが出てしまった圭介とは対照的に、サンダーバードが動き出す。再び肩を掴もうとしたのか、飛び上がり両足を前方へと向けてきた。
「どぅああ!」
しゃがむのでは間に合わない。体を後ろに傾けて倒れ込み、急ぎ丸めた体を前方へとでんぐり返しさせながらすれ違う事でやり過ごす。
サンダーバードも空中で直進してからの急旋回は物理的に無理があるようで、圭介の方に方向転換するための減速を余儀なくされている。逃げるなら今だ、とすぐさま起きて走り出した。
(“アクチュアリティトレイター”の反応が遠い……せめてもう少し近づかないと)
グリモアーツの【解放】が維持されているのは感覚で理解できる。ただ念動力で自分の方に引き寄せるには距離が足りない。
いくら最近走る習慣があるとはいえ圭介の足ではサンダーバードの飛行速度に及ばないだろう。干渉可能な距離まで近づく前に捕まっては元も子もないのだ。
「ピュァァ」
背後から鳴き声が聴こえた。このままでは間違いなく追いつかれる。
ならばどうするか、と考えたところで思わぬヒントが舞い降りた。
([プロージットタイム]でヨーゼフに追いつけなかった時は、確か……)
直進するだけでは追いつけなかった不規則な動き。あの時はアズマがいなければ逃げ切られていただろう。
(確かジグザグに動いてたな)
目の前に続く道は田舎だからか障害物が少なく、人もいない関係で幅が広い。
条件は揃っている。結果的な移動速度は落ちるだろうが試してみる価値はあった。
次の瞬間、圭介は地面を蹴り飛ばして左へと跳躍していた。
「ピュッ」
右手の指先にぴりりとした感触が走り、頬を風が撫でる。すぐ横にはサンダーバードの爪が見えた。
「【滞留せよ】!」
圭介を捕まえ損なって動きを止めたその足にクロネッカーを当て、足の電気を滞留させる。肌の表面で火花が弾けるような感触が少しだけ弱まった。
その隙に追い抜いて先の道をまた不規則に曲がりくねりながら進む。避けられた事実と止められた事実、二つの経験から学習したのかサンダーバードは先ほどまでと比べて慎重な動きで圭介を追跡しようとする。必然的に速度も落ちる。
だが遅くなった時点で圭介の勝ちが決まった。
相手が接近に躊躇している間にも圭介と“アクチュアリティトレイター”の間隔は狭まっていき、ある程度進んだところで干渉可能な範囲に達する。
「【焦熱を此処に】!」
「ピュアッ!?」
小さな火を灯す第六魔術位階【トーチ】の短い詠唱と同時、圭介の周囲に炎が巻き上がった。念動力魔術の一つである【パイロキネシス】が小さな火を膨らませた結果だ。
熱によって動きが良くなった念動力で体を包み込み、全力で走り出す。同時に“アクチュアリティトレイター”も一気に自分の方へと引き寄せた。
激しい運動をした上に急な温度の上昇と大量の発汗も加わって圭介の視界がぼやけるも、立ち止まるわけにはいかない。復活した【サイコキネシス】の索敵網でサンダーバードの位置を確認しつつクロネッカーで牽制しながらひた走る。
屈曲する動きを維持しながら進むと、見慣れた影が見えた。
「アズマ!」
『お疲れ様です。動けるようになったんですね』
「正直まだむずむずしてっけどな!」
正面から飛来したアズマが圭介の頭をがっしりと掴む。既に結界を使ってしまっているとはいえ、ここで味方が増えるのは心強い。
安堵する間もなく、圭介の頭上を雷光が通過する。
「!?」
『回り込まれましたよ、マスター』
相手も妖精とはいえ馬鹿じゃない。命の恩人の区別がつく程度には知能を有しているのだ。
移動速度で優位にあるのだから前方に回り込めばいい、と判断するには充分な時間が経過していたようである。
だが、少し遅かった。
「構うもんかい突っ込むぞ!」
『正気で……いやなるほど』
動きを直進に変える。迎えるサンダーバードは双翼を広げて道を塞ぎ、左右への回避を許さない。
これで圭介に残された選択肢は正面衝突による自滅とクロネッカーによる攻撃。
と、もう一つ。
「はい嘘ォ!」
「ピュァア!?」
【パイロキネシス】で強化された念動力は“アクチュアリティトレイター”に乗らずとも圭介を飛行させるに充分な力を有する。
左右と正面を塞がれようとも圭介には上への移動手段があったのだ。
飛び上がった圭介の右手に巨大な鉄板が飛び込む。【パイロキネシス】の熱で強化された念動力があればわざわざ乗る必要もないので、空中での白兵武器として大いに活用できるだろう。
「ピュアッ!」
いよいよ圭介が元の場所に戻るための条件を揃えつつあると悟ったらしく、サンダーバードが全身に電気を纏った状態で突進をしかける。普通に防げば妖精としての肉体はともかく雷撃に触れればただでは済むまい。
だが避けた場合、サンダーバードはまた圭介の前へと位置を変える。これ以上追って追われてを繰り返すのは時間がない圭介にとって望ましくなかった。
「【滞留せよ】!」
「ピュガッ」
なので“アクチュアリティトレイター”で一旦受け止め、クロネッカーの刃を寝かせた状態でサンダーバードの翼に当てる。キーワードを口にしたと同時、流れる電流が短剣の先に球となってまとまり始めた。
念動力でどうにもならない力も例外なく滞留させるこの力が、今の圭介にとってはこの上なく頼もしい。
(これ、上手くやれば……!)
たった十秒程度前、クロネッカーを足に当てた時の相手の減速を思い起こす。
雷の妖精であるサンダーバードが纏った電気を滞留させるという事は、人間で例えるなら血液の滞留に近いのではないか。
脳を有する通常の生命体と比べるべきではないのかもしれないが、動き回るために必要な要素だとしたらこれを制御してしまえば死なせずに鎮静化するのも不可能ではないだろう。
「ピ、ィ……」
体の表面から迸っていた電気を一ヶ所にまとめ上げられたサンダーバードは全体の輝きを損なっていく。妖精の生態について無知とはいえ死なせないための措置なのだ。殺すわけにはいかない。
大きな体がよろめいたところで圭介はクロネッカーを離し、盾代わりとしていた“アクチュアリティトレイター”を足元に移動させて周囲の炎を消す。すっ、と体感温度が下がった。
さほど高くもない位置から地面に落ちたサンダーバードを見て、圭介が申し訳なさそうな表情を浮かべる。
「死んでない、よね」
『妖精が死んだ場合死体は残りません。全て純粋な魔力として大気中に拡散されて消滅します』
「そっか」
気がかりではあるものの時間がない。死にそうな場面で助けてくれたサンダーバードには悪いと思いながらも、ここで寝ていてもらう必要があった。
(急がないと。またあの極太ビーム飛ばされたらかなわない)
相手は第三魔術位階を使う免許皆伝持ちの殺人鬼。しかもゴグマゴーグの革鎧を着込んでいるというおまけつきだ。
死ぬかもしれないという恐怖よりも、戦力にならなければという義務感が今の圭介を満たしていた。
* * * * * *
斬撃の波と波が衝突するも、実力と魔術位階の差はどうしても出る。
眩く輝く【漣・怒濤】は徐々にジェリーの【雪崩】に押し返され始めた。
第三魔術位階を相手取ってすぐに飲み込まれずに済んでいるのだから、本来であれば充分に健闘していると言えるだろう。しかし今ここでそんな評価に意味は無い。
「ぐぅうううう!!」
かかる負荷の大きさにへし折れそうな“レギンレイヴ”を握り締め、尚も持ち堪える。
じわじわと迫る薄紫色の絶望を前にして剣の柄を離さないユーは、それでも視線をまっすぐ前へと向けていた。
ハリオットに組み込まれた自動回復術式は何も単純に傷を癒すばかりではない。魔力と肉体が密接に繋がっているが故に、魔術を行使し続ける中でかかる負荷を軽減するという効果もあった。
それ即ち魔力の大量放出を要因とする昏倒や極度の疲労状態を緩和するための機構でもある。これによりユーは魔力の放出をしながら魔力操作に集中し続けるだけの持久力を確保できたのだ。
だからと覆る力量差ではなかった。
術式の綻びが生んだ隙間から薄紫の飛沫が漏れ、ユーの左頬を傷つける。皮膚の表層に施した【鉄地蔵・金剛】も、魔術位階の差には抗えない。
(このままじゃ駄目だ)
その最中にあって、まだユーは勝利を諦めていなかった。
脳裏にあるのは第三魔術位階に相当するであろうゴグマゴーグの突進を迎撃した圭介の姿。鋭く疾く美しいあの一閃を再現できれば、第四魔術位階でもこの【雪崩】を突破できるだろうと見越しての判断である。
彼に剣を教えた立場ならば再現してみせなければ恰好がつかない。
あらゆる関節の歯車を総動員してこの一撃に力を集中させる。
吐き出しきった息や渇き始めた目の苦しみを脳から遮断する。
砕けた地面の不安定さは恐ろしく邪魔だが、意地で体幹のバランスを調整した。
(【雪崩】を破ったその先まで斬撃を飛ばして、あの鎧ごとジェリー先生を斬る――!)
ジェリーとて手を抜いているわけではないだろう。【漣・怒濤】もユーもローレンも、まとめて押し流すつもりで攻撃しているはずだ。
逆に言えばこれを突破する事で相手の戦力は大きく削がれる。空中にいる圭介を狙っての【噴泉】が外れた際の焦りを見れば、相手にも余裕がないのは理解できた。
それだけにここでの敗北は避けなければならない。
圭介が連れ去られた今、仮にユーとローレンが殺されれば残るのは瀕死の仲間達と自警団だけ。となればジェリーはわざわざ魔術など使わなくとも皆殺しにできてしまう。最悪の場合でも今この場で魔力切れ寸前まで相手を弱らせなければ死は免れない。
ジェリーの第三魔術位階もこれで三度目。加えて【弦月】や【鏃・五月雨】などの魔力消費が激しい魔術まで既に披露している。
相手も余裕が残っているわけではないはず。ここで勝負を決められるかどうか。
(尽きろ途絶えろ終われ出し切れそれで斬れる斬れる斬れる斬る斬る斬る斬る)
みしり、と限界を告げる音が“レギンレイヴ”から聴こえた。
これを単なる危機としてではなく己の技巧不足と捉え、尚もユーは全身の力と意識を一本の線になぞらせるように集中する。
少しずつ【漣・怒濤】の幅が狭まり、それに伴って先端が【雪崩】の奥へと食い込んでいく。
それでも、柄を通して伝わってくる愛剣の悲鳴は治まらなかった。
(折れないで……お願いだから、折れないで……!)
ユーの両肘が曲がり始め、群青の帳に薄紫の小さな穴がぽつぽつと増え始める。
剣と持ち主双方に限界が近いのは誰から見ても明らかだった。
(駄目――!)
いよいよ“レギンレイヴ”がへし折れるかと思われた、その時。
「ぬがぁあぁぁぁあぁああ!!」
横から聴こえた怒鳴り声と共に【雪崩】が途切れる。
薄紫の大波が尽きたその先には、左頬を揺るがしながら横へと顔を向けるジェリーの姿があった。
「ぷへぇっ」
横っ面に飛んできた一撃の正体はすぐにわかる。
赤銅色に輝く魔力の残滓が着弾した箇所で散っていたから。
(エリカちゃん!?)
魔力切れ寸前だったはずだ。最初にジェリーと接触した時点で倒せると確信して乱射したというし、魔力のみならず集中力も要する楕円形の回転式魔力弾もここまでで何発か撃っている。
見れば“レッドラム”の銃口をジェリーに向けた状態で倒れ込むところだった。
(……ありがとう!)
心中で感謝を述べながら走り出す。何はともあれ第三魔術位階【雪崩】の中断により命は繋がったのだ。加えて相手をほんの僅かにでも怯ませてくれている。
ここが最後の好機と見たユーは、右手に握った“レギンレイヴ”の柄を自身より後ろの方へと引く。そこから更に身を屈ませつつ左手を刀身に添えた。
動きを止めたからといって防具の性能は未だ健在である。加えてジェリーほどの使い手ならばここから体勢を整えて回避行動に移るまであまり時間がかからない。
そこで彼女が狙ったのは太腿の内側。排泄行為と重要な関節の駆動がある関係でその周囲の防御は薄く、回避行動を取るにしても上半身と比べて位置的に挙動が遅れる。大腿動脈に傷をつければ機動力を削ぐばかりに留まらず失血死まで見込めるのだから攻撃しておいて損はしないだろう。
(向こうの魔力も限界に近いはず。ここで確実に)
放つのは精密な技巧によるピンポイントへの刺突。万が一回避されないためにも至近距離で充分な威力を見込めるよう剣を引き、直前での微調整を可能とするために左手を添えた。
始点と終点がある薙ぎや振り下ろしと異なり、突きは一つの点に終始する攻撃だ。さしもの達人とて距離、体勢、反応速度と複数の条件が揃ってしまえば避けきれない。
(殺す!)
刹那と呼べるだけの時間もあったかどうか。
群青の刃は紺色のインナーに包まれたジェリーの足へと突き立てられた。
――だが、血飛沫が上がらない。
「!?」
「ぐっ、く……惜し、かったねえ」
ユーの手に伝わった感触は刃が肉に突き刺さった時のそれではなかった。
何か頑丈なものに引っかかったような、刺突の衝撃が拡がるようにして散らばったような。
そこでようやく見逃していた違和感に気付く。
顔面にエリカの魔力弾を受けたのだ。本来ならその一撃で気絶していて然るべきである。
だというのにジェリーは倒れるどころか踏ん張って耐えた。そして今、“レギンレイヴ”の刺突を受けて血の一滴も見せていない。
防御力を上げるという、従来のアポミナリアにはない発想。
「【鉄地蔵】……!」
「おうともさ。ちょっくらさっきのやつ、盗ませてもらったよ」
言いながらジェリーが“ウィールドセイバー”を横一文字に薙ぐ。始点と終点を意識する間もない神速の一閃によって、ユーの体が弾き飛ばされた。
もし先ほどの【鉄地蔵・金剛】が少しでも持続していなければ体を上下に分割されていたに違いない。
精神が状況に追いつけないまま、ユーは地面の上にしゃがみ込んだ体勢でジェリーを見上げた。
「見た、だけで……」
「それくらいはしてみせるさ。でなけりゃこの狭いようで広い世界、上の方にゃあ行けないからねえ」
少なくとも【鉄地蔵】という魔術そのものはそこまで難易度の高い魔術でもない。名前が異なるだけで似たような効果の術式は大陸中を探せばいくらでも出てくるだろう。
問題はその模倣が大陸中を駆け回っていた殺人鬼によって容易く実行されたという点である。現時点で一体どれだけの手札を持っているものやら、三ヶ所しか巡らなかった遠方訪問でさえ国内の広さを実感させられてきたユーにとっては想像するのも難しい。
「いやしかしお見事だ。あんたのお仲間、最後の最後に根性見せたじゃないか」
ニヤニヤとほくそ笑みながらジェリーが左頬を撫でる。口の端すら切れていないのを見るに、大して痛んでもいないのだろう。
極限まで追い詰められたとはいえエリカの魔力弾は高い威力を誇る。ユーとて魔術の恩恵だけで耐え切るのは厳しいと判断できるほどのものである。
それを防いだ上で笑い飛ばせてしまうのがジェリー・ジンデルという女なのだ。
「まあ後であいつも殺すとして。どうだい、立てないだろ?」
「……っ!」
「魔力の流れを鋭く変化させて【雪崩】を受け流しつつ反撃の機を窺うってのは発想としちゃあ悪かない。ただねえ」
振り上げられる歪曲した刃は、もう魔力の輝きを宿していない。
魔術すら必要なく殺せると判断された証左である。
「アポミナリアの基本は身体の駆動に合わせて魔力を操るってなもんだ。その点で言やあ、あんたアタイに体の強さで勝ててないだろうに」
それは嘗て彼女が圭介に言って聞かせた事もある、自身の戦闘を支える根幹となる要素だった。
前提として肉体と武器の動きがある。そこに魔力を注ぎ込めば斬撃の拡幅や加速、障壁の形成などあらゆる応用が可能となる。
魔術位階や魔力量とはまた別の強さ。アポミナリアのあらゆる形態に共通する信念こそ、師弟の間に存在する埋めがたい差の正体であった。
「まあつまるところ鍛え足りてないって事さね。もう何もかも手遅れだけど」
無造作に振り下ろされた“ウィールドセイバー”を“レギンレイヴ”で受け止める。
威力どころか殺意すらおぼろげな一撃だったはずなのに、受け止めた両腕が酷く軋む。そして遂に群青の刀身に罅が走った。
薄紫の刃の向こうで、ジェリーが薄く微笑む。
「魔力切れだけが魔力の限界じゃない。でかい魔術を弱い魔術で受け止め続けるってのはね、今こうしているように腕っ節の弱い奴が強い奴と力比べするようなもんさ」
剣との距離はそのままに夜空と穏やかな笑みが遠のく。力負けによってユーの体勢が崩れたからだ。
「勝てねえ相手に無理して勝とうと欲張りゃあ一秒で筋肉が悲鳴を上げて、二秒か三秒で骨が泣き出す。魔力の場合、同じ事が腕二本に留まらず全身で起きるのさ。まあアンタはインチキでそこんとこ上手く誤魔化してたようだが、それだって限界がある」
膝が折れて中腰の状態となってもまだユーは柄を離さない。彼女が諦めないと知っていたかのように“ウィールドセイバー”がより強く押し込まれる。
罅割れの音がまた鳴ると同時、斜めに傾く刀身が首筋近くまで迫った。
「呼吸を止めたのも気持ちはわかるけどあの状況じゃあ不正解。集中力を多少割いて少しでも吸って吐いてをしておくべきだった」
少しずつ接近する刃がとうとう首筋に触れる。魔力の帷子があるお蔭でまだ血は出ていないが、術式ごと切り裂かれるのも時間の問題だろう。
「息ってね、余裕がある時に意識してないだけで決して楽な作業じゃないんだよ。止めれば一時的にとはいえ動きも多少良くなるが、酸素の供給が途絶えた体は長持ちしない。結局こうして我慢しきれずまた呼吸を始めたあんたはどうしようもなく体力と魔力を削られてる」
膝を屈したこの姿勢では下がる際と横転する際につま先が邪魔となる。そのつま先を動かすための動きが、ジェリーとの鍔迫り合いに封じられている形だ。
ぱきりぽきり、と致命的な音が連続して“レギンレイヴ”から聴こえる。
「全部一度は教えたはずなんだけどなあ。お友達見捨てて短期決着、ってのが理想なはずなのにそれを捨てた結果がこれさ。ここぞというこのタイミングであんたは戦い方を間違えた」
「……っぜぇい!」
「おっ!?」
大人しくしていたかのように見えたユーが、ここで動いた。
刀身が完全にへし折れた“レギンレイヴ”の柄の部分を手首のスナップによって半回転させ、“ウィールドセイバー”ではなくジェリーの手首に当てながら横に受け流す。同時に反対方向に上半身を傾けて、片方のつま先を持ち上げる。
結果としてジェリーの斬撃は隣りの地面に食い込み、ユーの体は両足を折り曲げながらの横転で反対方向に転がった。
ようやく脱出はできた。が、それによって事態が解決したわけでもない。
「まだ戦う気でいるのかい? 気持ちは嬉しいがそうなっちゃあ実質死んでるようなもんだろう」
ユーの手に握られている柄と短くなった刀身がカードの形態へと戻る。圭介がダグラスに殺されかけた時と同じ、グリモアーツの破損によって生じる現象だった。
「私、は」
「ん?」
「私は、それでも認めません。一人でいれば勝てた戦いだとしても、護れなかった弱さは変わらない」
「…………おい」
今度こそ目が覚めただろう、と予測していたらしい。
まだ一人で戦う強さを認めまいとするユーの姿にいよいよジェリーが怒りを見せ始める。
「この期に及んでわからねえか。ならもういい、説教は終わりだ」
「ええ、そう、ですね」
曲剣がユーに向けられる。既にグリモアーツが破壊されてしまったユーに戦闘能力はない。
身を守る【鉄地蔵・金剛】も既に効果を失ってしまっている。斬れば死ぬ、あまりにも儚い無防備な状態で彼女は仁王立ちしていた。
背後のローレンは現時点で攻撃する必要性が薄い。彼女も破壊されたわけではないにしても、グリモアーツが手の届かない位置まで離れてしまっていた。はっきり言ってしまえば戦力外だ。
戦力外、だったはずだ。
「……………………」
「……? 来ないの、ですか?」
ローレンはいつの間にか立ち上がり、ぽかんとした様子のユーの背後でジェリーに向けて殺意を放っている。
その手にはレイピアのグリモアーツ“イノセントピアース”。つい先ほど叩き飛ばしたはずの彼女の武器が握られていた。
そこでようやくジェリーは、【漣】による索敵をおろそかにしていたと気付く。
(まさかあの戦いを横切って剣を取りに行ったってのか? だからって油断したにしてもアタイが見逃すはず……いや、違うそうじゃない!)
だとしてもわざわざユーの背後に戻る必要性がない。しかし、それならどうやって離れた位置のグリモアーツを回収したのか。
その疑問の答えは既に近くまで来ていた。
「うおらあああぁ!!」
「あっぶな、テメェ!」
厳密には頭上から、金属板による落下も伴って。
索敵でそれを感じ取ったジェリーが慌てて“アクチュアリティトレイター”の一撃を避ける。足元にある地面が一気に吹き飛び、砂埃が舞い散った。
茶色い粉塵の奥から声と光が飛ぶ。
「ぶっ飛べぇ!」
投擲された光の矢。その正体はサンダーバードの電撃を先端に滞留させたクロネッカーである。
念動力による加速がついたそれをジェリーは反射的に“ウィールドセイバー”で叩き落とす。魔力の残量が心許ない状態で圭介を相手取らなければならない今、前後から挟まれている中で索敵用の【漣】を防御に回すのは悪手と見たからだ。
結果的にそれは誤りだったが。
「ぐぅあああああぁぁ――ッ!!」
無理やり一ヶ所に留められていた電撃に刃が触れた事で電気の逃げ道が発生し、刀身から柄、柄から腕へと衝撃が伝わる。
本来であれば革鎧に付属するインナーで遮断できただろう。電気のみならず高熱、凍結にも対応する優れものだ。ゴグマゴーグの鎧ほどではないにしても希少な素材を惜しみなく使った高級品である。
しかしジェリーはつい先ほど、ローレンを振り払うために“イノセントピアース”を掴み強引に振りほどく過程で手に浅い傷を負ってしまっていた。体表ではなく体内に流れる電撃は鎧や魔術の防御力など一切関係なく彼女を苛む。
「がっは……」
常人であれば倒れ伏すどころか死んでもおかしくないダメージを体内の魔力による抵抗で抑え込み、【漣】で知覚できる範囲を頼りに曲剣を構えた。ちかちかと明滅する視界はもう当てにならない。
「【鏃】!」
直後、額に容赦なくローレンの【鏃】が飛ばされた。電撃を受けて【鉄地蔵】の防御に綻びが生じた瞬間だったために完全には防ぎきれず、ガツンという衝撃が頭部に走る。
皮膚が薄い箇所を攻撃されたせいで自身の血液が目を覆う。今度こそ本当に視界が機能しなくなり、魔力を節約したいこの場面でジェリーは【漣】による索敵を最後まで強いられる事となった。
彼女の“イノセントピアース”を拾い上げたのは圭介の念動力だったのだろう。トチ狂って突貫してきた弱者としかローレンを見ていなかったジェリーに反して、彼は立派な戦力に数えていたのだ。
そしてその判断は間違ってなどいない。
手と額、二つの傷。
思えばこれらは誰につけられたものであったか。
自分が戦力外と断じた、臆病者ではなかったか。
「こい、つらァ」
ここに来てからユーのグリモアーツを破壊したところまで、第三魔術位階を無駄に撃ってしまった事さえ除けば順調だった。
だが気付けばほぼ無傷の敵が二人。結果的に自身に手傷を負わせたローレン、殺せたはずだったのに殺せなかった圭介。
視界は塞がれ四肢は痺れ、もう第三魔術位階など撃てそうもない魔力を索敵に割き続けるという不利な状況。
「は、ははっ……」
いつもなら気分が高揚してもおかしくない極限状態の戦いだが、この状況だけは笑い飛ばそうにも上手くいかない。
何故ならその最大の要因は相手の強さだけでなく、自分自身の油断と慢心によるものなのだ。相手を侮り楽しみを損なった自らの不誠実を恥じるのみである。
最後に残った矜持は、全ての力を二人にぶつけて勝利する事。
「いい、ぜ……かかって、こいよぉ!」
「やったるわいこのクソババア!」
「上等よぶった斬ってやる!」
前方から細剣、後方から巨大な金属板が迫る。
この戦いで残った者達の魂の咆哮を、ユーだけが聞いていた。




