第十八話 絶望の鎧
ある日突然レナーテ砂漠に現れた超大型モンスター、ゴグマゴーグ。サンドワームの変異種であるその怪物は多くの客人の命を奪った。
巨体による蹂躙や疑似的な滑空能力など様々な脅威を見せたが、最大の特徴はダアトが有する砲撃すらものともしない防御力にある。特殊な体液を纏いあらゆる攻撃を滑らせるという厄介な生態もあれど、純粋な皮膚の硬さも鉱物か金属の域に達しているのだから手に負えない。
そんなとんでもない存在に圭介が勝利できたのは何故か。
言ってしまえばいくつもの条件が重なった結果であって、彼一人の実力ではなかった。
ゴグマゴーグ自身の栄養失調、他の客人によってつけられた数多の傷、フィオナから賜ったクロネッカー、カレンの修行を通して獲得した【ハイドロキネシス】、アズマの結界と知恵、ユーから受けた剣の指導。
そのどれか一つでも欠けていればあの場で圭介は死んでいただろう。
だからこそ、圭介とユーの抱く危機感はエリカとミアのそれより強い。
「ユーフェミアはともかくとして、アンタにバレるとは思っちゃいなかったよ。よくもまあ叩いた時の感触なんて覚えてたもんだ。……ふんっ」
言いながらジェリーは腕に巻きついた【パーマネントペタル】を膂力で強引に引き千切る。エルフの身にありながらドラゴノイドをも凌駕しかねない身体能力が為し得る芸当だった。
「エリカ、ミア。もうわかってるだろうけどアレの硬さを普通の鎧と思っちゃ駄目だ。城壁防衛戦で戦った“インディゴトゥレイト”みたいなのを相手してるくらいに思った方がいい」
「そのレベルで……!?」
「素手でも強いのに剣の免許皆伝持ってて、魔術使わなくても強いのに第三魔術位階使いやがるようなのがんなもんまで着込んでんのかよ」
そしてこういった相手に有用な攻撃手段である圭介の必殺技、“デンジャラスフリーフォール”も通用するかというと怪しいところだ。
仮に外から調達した木々を【テレキネシス】で浮かび上がらせジェリーを取り囲んだとしても、次の圧し潰す段階に入る前に念動力ごと細切れにされる未来しか見えない。
「せっかく当ててもらったところ悪いんだけど、入手経路についちゃ何も言えないねえ。ケースケだってそこんとこ期待してねーだろォ?」
「…………」
「ただ、さ」
薄紫に輝く“ウィールドセイバー”の切っ先が圭介に向く。
「この鎧に関する情報、バレちゃまずいんだわ。だからここで全員ブチ殺さないといけなくなっちまった。ごめんよ」
「元々そのつもりだろ人殺しが」
「見逃される可能性が消えたくらいには思っといておくれよ。……【漣】」
言いながら全身から雪のように細かな魔力の刃、【漣】を噴出し始める。圭介の【テレキネシス】による拘束を一切受けないためだ。
そこを弁えて圭介も今回、そのような搦め手はしない。
そして遠慮も容赦もしない。
「どりゃあああ!!」
後の事など考えず床に“アクチュアリティトレイター”の先端を突き立てる。衝撃と共に部屋中に【サイコキネシス】が迸り、既に【雪崩】の余波で崩れかけていた避難用スペースにとどめを刺した。
砕け散る木材の破片や椅子、机の残骸を全て念動力で掻っ攫い、まとめて一斉にジェリー目がけて撃ち放つ。一つの砲弾と化したそれの質量は【漣】をかき集めたところで防げるものではない。
「【首刈り狐・双牙】!」
当然、実戦経験を豊富に有するジェリーは即座に対処した。
集積の中心に吸い寄せられるようにして二つの斬撃が別々の角度から木材の塊に叩き込まれる。的確に断たれた念動力の繋がりは一気に秩序を失い、鎧に通用するかしないかを試すより早い段階で罅と切り傷に彩られた床の上へとばら撒かれた。
本来であれば【首刈り狐】自体は今の圭介の攻撃に応戦できるような威力を発揮しない。
しかしジェリーの扱うそれは通常とは比べ物にならない攻撃力を有し、同時に秀でた観察眼によって見抜かれた弱点へと寸分違わず飛んでいく。
「んっのやろ!」
『【鏃】!』
現状で発揮できる限り最大の攻撃手段が通じず焦る圭介の背後から魔力の矢が数本、ジェリー目がけて飛んでいく。頭部に向かうもののみが“ウィールドセイバー”で叩き落され、それ以外は鎧によって防がれた。
背後から不揃いに響く足音がその声の主を、何より戦力の追加を示唆している。
「ジェリー・ジンデルぅぅぅぅ!!」
咆哮するのは自警団団長、バーナード。彼の前には【鏃】を射出したのだろうエルフが複数名しゃがみ込んでいた。
「ははははは、いよいよ懐かしい顔も勢揃いってトコかぁ!? だけどこりゃお茶しながら駄弁ろうって雰囲気じゃあなさそうだ!」
歓喜に震える言葉と同時に“ウィールドセイバー”が振り上げられ、薄紫色の燐光が刀身に集中していく。
第三魔術位階、【雪崩】の構え。
だが光は収束する前に四散し、刀身は上段から中段へと位置を変えた。
「わかってたよぉ!」
「くっ」
急に下がった曲刀はジェリーの首筋目がけて振るわれた“レギンレイヴ”を受け止めいなす。大規模な魔術を行使しようとして隙が生じたところへ飛び込んできた、蛮勇極まるユーの一閃は防がれてしまう形となった。
しかし同時に【雪崩】の発動を防いだのも確かだ。即座にジェリーの膝を蹴飛ばして後方に下がりつつ、次の隙を見逃すまいと神経を研ぎ澄ます。
「やっぱここまで人数揃うと壮観だね。表のグランドオーガ共は全部やられちまったか」
「不本意だが非戦闘員であるはずの民間の方々が手伝ってくれたお蔭でな。結局再度の避難誘導を余儀なくされたせいでここまで来るのが遅れたが」
その言葉は外部から来た圭介達を一時的にでも放置したという意味も含んだ。
彼らもジェリー・ジンデルという最凶の殺人鬼を前にして、より多くの命を護ろうと考え悩んだのだろう。だがそれはそれとして、護る事を放棄された圭介としては怖気の走る話であった。
「おう、戦いながら【漣】で感知してたさ。美しい絆を見せてくれてあんがとさん。しかし参ったな、流石にアタイ一人で皆殺しにするには不安の残る面子だ。増援が来てくれりゃあ御の字なんだが」
「わかっているでしょう。裏口側から来たグランドオーガも既に全て殺しました。後はジェリー先生、あなた一人です」
群青の刃がジェリーに向けられる。しかし明らかな数的不利の最中にあって、尚も彼女はへらへらと笑っていた。
「グランドオーガっても大したこたぁなかったねえ。まあ仕方ないさ、所詮は芸一つ教えるにしても大半が憶え切れねー落ちこぼれのブタ共だ。そもそもあんたら相手に勝ってくれるとも期待しちゃいなかったけどな。……さて」
笑いながら“ウィールドセイバー”を再度構える。
今度は先ほどと異なり、刀身を横向きに。
「せっかく雁首揃えて生き残ってくれたわけだし、それなり全力で殺しにかかってやんよ。なぁに当たらなければ死にゃしないからゆっくりしていきな」
同時、濃密な殺意の爆発がその場にいた全ての生物に危険信号を送った。
声色にも表情にも目立った変化はない。それでいて、ジェリーの何かが確実に変わったのだ。
先ほどまで見せていた全ては戯れに過ぎなかったのだと嫌でも思い知らされる。
全員が怯んだ瞬間、彼女の口は既に動いていた。
「【首刈り狐・大輪ノ花】」
全身を一回転させて振るわれる刃から魔力の斬撃が無数に迸る。
まさしく大輪の花の如く、扇状に拡がる魔力の刃が四方八方に向けて波打つように放たれた。
このような大仰な術式はアポミナリア一刀流に存在しない。【首刈り狐】という既存の魔術にジェリーが手を加えたものだろう。
「防げ! 上にも下にも避けようとするな!」
バーナードの一声により、回避行動を試みようとしていた自警団の面々が【肉剃り襖】を展開する。圭介とミアも“アクチュアリティトレイター”と“イントレランスグローリー”を壁代わりにして仲間達の前に立った。
「はい一人目ぇ!」
「ぐぇっ」
視界を一瞬遮るグリモアーツの向こうで、ジェリーの声と共に誰かの断末魔が聞こえた。彼らは与り知らぬ事だが、斬られたのは恐怖から指示を無視して地面に伏せてしまった若手の自警団員だ。
当たり前な話、伏せた状態で動くには相応の訓練が必要となる。回避行動を充分に取れなくなった彼は、頸椎から脳天までをばっさりと割るように斬られて絶命した。
「まぁだまだあ!」
「う、うわあああぁぁぁぁ!」
死体を踏み越え駆け抜けるジェリーは振るわれる刃を風に舞う紙のように避け、あるいは鎧で受け止めながら自警団員達を斬り伏せていく。適切な回避行動をとった者に限れば致命傷は避けられているのが不幸中の幸いと言えた。
いくら腕の立つエルフとはいえ魔力の量は無尽蔵ではない。加えて今のジェリーは自警団長のバーナード、元弟子であるユー、念動力魔術を操る圭介という厄介な面子を全員この場で殺そうとしているのだ。それ以外の有象無象に無駄な魔力など使いたくはないのだろう。
逆を言えば、持ち前の魔力だけでその三人を殺せる程度の自信があるという事でもあった。
「ケースケ君! 念動力で足止めとか……」
「これまで何度かやろうとして全部振り払われてる! クッソふざけんな物理も魔術も通じねえのに自分はどっちも反則気味に強いとか存在自体がチートかあの女!」
「エリカちゃんの魔力弾は?」
「悪い。さっき調子乗って撃ちまくったからもういくらも撃てねえ」
『詰みですね』
アズマが縁起でもない事を口走る間に、薄紫の剣が光を宿す。ジェリーの目はバーナードの方を向いていた。
圭介の中でこれまでの経験が叫び声を上げる。
こういう時、目線の先にいる相手だけが狙われるとは限らない。
「【鏃】」
果たして一振りの剣ほどはあろうかという長大な【鏃】が圭介に向けて飛ばされた。
事前に防御態勢に入っていたためどうにか“アクチュアリティトレイター”で防げたものの、想定以上の威力に体がよろける。
「【刀路】」
当然その隙を見逃してくれる相手ではない。
先ほどの圭介を真似るように“ウィールドセイバー”の先端が土に刺さる。そこに注ぎ込まれた魔力が剣となって地面から無数に突き出された。
まるで草のように地面を砕いて生え続けるそれは、やや蛇行しながらも圭介の方へと向かっている。白兵戦とも射撃戦とも異なる独特な動きは咄嗟の判断を許さない。
「ちょっ、これ、どうしろって……どわああ!!」
真下からの刺突という常識的な白兵戦闘ではあり得ない動きに惑わされ、盾代わりにした“アクチュアリティトレイター”ごと圭介が空中へと吹き飛ばされる。
直接的なダメージは免れたものの大きな隙が生じた。
(あ、これは)
目の前から離れていく地面と仲間。木に遮られていた夕陽の光が横から照らしてくるのがわかる。
この恐怖と虚脱感が同時に襲いかかってくる感覚を、圭介は知っていた。
以前メティスでダグラスにグリモアーツを破壊された時。
レナーテ砂漠でゴグマゴーグの突進を真正面から受けた時。
あの時と同じ、死の予感。
(――まだだ!)
その予感がこれまでよりも早い段階で脳裏を過ぎる。つまるところ、脳が生き残るための最善策を模索しているという事。
絶望を前に呆けるのではなく抗うための精神的余裕が生じたと捉えられる程度には、彼も強くなった。
(あの【雪崩】っていう第三魔術位階は見た限り名前通り雪崩みたいなもんだ。横に流れる動きをする分、上には撃ちづらいはず)
最大の脅威を可能性の一つから除外。次に現実的な想定を進める。
(なら空中にいる僕に向けて飛ばされるのは【鏃】か【首刈り狐】辺り。最悪でもそれの派生術式かアレンジのどっちか、それなら全力で急げば避けられなくもないはず)
となると弾き飛ばされて浮かされているというこの状況は、今まで飛ぶ素振りを見せなかったジェリー相手にある意味有利にも働く。思考に引っ張られるように全身がいつでも動ける体勢を整えた。
「防ぎきれる」「相殺できる」などと油断はできない。飛べると思っていなかったのに飛んでみせた化け物が、嘗て灼熱の砂漠にいたのだ。
(今僕にできるのは、アイツが飛ばしてくる魔術から何としても生き残る事だ)
加えて極力大きな動作を誘発し、ジェリーの動きを少しでも鈍らせる事。そうして周囲がいつでも攻撃できる機会を作らなければ大抵の魔術は防がれてしまう。
(んっのアマぁ、ちょっと強いくらいの攻撃ならこちとら砂漠やら洞窟やらで……)
覚悟を決めてジェリーの動きに意識を集中。
ほんの一瞬の間彼女の全てに目を向けたからか、見えたものがあった。
ジェリーの口角が上がっている。
(ちょっと強いくらいの攻撃なら……)
噴き上がる薄紫の魔力。
膨れ上がる強大な殺気。
湧き上がる恐怖と疑念。
何か致命的な誤算が生じてしまったのではないか。
自分の想定は見当外れなものだったのではないか。
(【雪崩】は上に向けて撃つには不向き、なはず)
刹那の間、心中で弁明するかのように呟くも既に遅い。
「【噴泉】」
短い言葉と共に放たれたのは、膨大な量の【漣】が織り成す薄紫色に輝いた巨大な奔流。
間欠泉よろしく空中にいる圭介へと直進するそれは、【雪崩】と同じく第三魔術位階相当の威力を誇るのが見ただけでわかる。
(いやふざけっ、マジかお前)
防御体勢に入ろうにも間に合わない。そも防げるものかどうか怪しいところだ。
【パイロキネシス】で多少は動かしやすくなった念動力に体を移動させようと試みるも、攻撃範囲から出るにはやはりタイミングが遅かった。
アズマの結界はミアを守るために使用済み。それ以外に第三魔術位階などという埒外の魔術を防ぐ手立てはない。
(どうする、何か無いか、何か――)
焦燥感を覚える余裕すらなく。
収束された膨大な魔力の波動たる第三魔術位階【噴泉】は、遥か上空で夕映えに照らされていた青紫色の雲を穿った。




