第十七話 剣には殺意を、柄には覚悟を
本日は十七話、十八話を同時に投稿しました。
また余裕があれば今回のように二話同時投稿をする機会もあるかと思いますので、よろしくお願い申し上げます。
乱暴に振るわれる大木と水晶の如く透き通った刃が交差する。
鍔迫り合いになれば太さと重量で劣る剣の方に勝ち目はない。軌道を逸らして急所へのダメージを避けるため、刀身のみではなく体躯の重心ごと大きく横に動かして受け流した。
「【乱れ大蛇】」
潜り込むようにしゃがんだユーの口が魔術の名を紡ぐと同時、“レギンレイヴ”の刀身から群青色の帯が屈折を繰り返しながら斜め上へと伸びる。
「がっ……」
その先端がグランドオーガの喉元に突き刺さって血を滲ませた。それでも内出血程度で済んでしまうのがこのモンスターの恐ろしいところだが、ユーとて一撃で仕留めようとは思っていない。
狙いは怯ませる事。もっと言えば激痛を繰り返し与えて動きを鈍らせる事にあった。
先ほど受け流されて床に先端を埋め込んだ大木の上へ跳躍し、“レギンレイヴ”の先端をそっと大鬼の耳に添える。涙を滲ませる目はつぶられていて狙いづらいので、一瞬の判断の中で妥協した結果だ。
「【鏃】」
グランドオーガの耳の奥に魔力の矢が突き進む。鼓膜まで皮膚と同様に頑丈だったらこれをもう片方の耳にも繰り返そうとユーは思っていたが、無事【鏃】は脳にまで届いたようだ。
青い魔力の残滓と共に血と脳漿を顔中の穴という穴から噴き出して巨体が倒れる。その動きに伴って次の相手を殺すべく彼女は再度肉塊の上で跳躍した。似たような相手が複数いるのだから油断はできない。
しかしその必要はないと気付いて、天井から電灯ごとぶら下がる配電コードを掴み空中に留まった。
「……護衛する意味あんのか疑うわ、あんた」
眼下には“イノセントピアース”に付着した血を振り払うローレンと、直剣のグリモアーツをグランドオーガの腰から引き抜くベラの姿。
ついさっきまで怯えていた騎士も“シルバーソード”を杖代わりにして何とか生き残っている。
彼女らも彼女らで、脳や背骨を損壊させる事で硬い皮膚の守りを突破したようだった。
「とにかく正面玄関に向かおっかー。今頃団長達もジェリーと戦ってるだろうしさ」
ベラの声はいつも通り呑気なものだったが、旗色は未だ悪い。
ジェリーがユーのいる場所に来ていないのならバーナードの方に出向いていると考えるのが順当なのだ。急いで戦力を増すのは判断として正しいだろう。
いかに強力なエルフの戦闘集団と言っても、そのエルフの中で更に秀でた才能を持つあまりにも強烈な個の力。その脅威は単純に力を振り回すだけの客人よりも厄介とさえ言われているのだから油断ならない。
しかしユーはこの状況に、決して小さくない違和感を覚えていた。
(本当に団長と戦う事が目的なら最初からあの人が直接来るはず……なのにわざわざこんな面倒な下準備をしたのはどうして?)
ジェリー・ジンデルという殺人鬼の人物像について、元弟子であるユーも完璧に把握しているわけではない。ただ好んで面倒な手順を踏むほど酔狂でもなかったはずだと記憶している。
つまり彼女の狙いはバーナードとも自分とも別の要素としてあると考えられるのだ。それが何であるか頭の中で情報を整理して、一つの可能性に辿り着いた。
(ケースケ君……?)
ほぼ確信に近い予感を抱いたその時、そう遠くない距離で平手打ちのような炸裂音が響く。
その音をユーは知っている。エリカの魔力弾が連続して何かに衝突、破裂する音だ。
「うわっ!!」
「ちょっ、なんなの!?」
驚く騎士、戸惑うローレン。その二人を置いて真っ先に飛び出したのは比較的冷静なベラだった。
「三人は後ろからついてきて! 今の音、正面玄関より手前だった!」
それが意味するのは避難用スペースから聴こえたという事実。
つまりエリカが何者か――恐らくはジェリーと交戦している。
ユーは自身の考えが現実となったのだと理解し、彼女の背中を追う。背後で鳴る一人分の足音はローレンのものだろう。三人が向かう先に誰が来ているのかを悟った騎士は、その場から動かず残る道を選んだようだった。
別に構わない。今の彼がジェリーの前に立ったとして、物言わぬ死体になるだけだ。
「ユーフェミア、あんた勝手に先行ってんじゃないわよ!」
「ごめん。後で怒って」
「……っ! こんのっ」
反論しようとするもそれこそ無駄だと判断したのか、憤りを携えながらローレンが走る速度を上げて横に並ぶ。
(言い方を考えるべきだった……。怒ってるよね、ごめんねローレンちゃん)
隣りにいる幼馴染の顔をちらりと見て、ユーは戦場での連携に支障が出る可能性を考慮した。最悪協力はできなくても良かったがお互い邪魔になる事態だけは避けたいところだ。
仲違いを抱え込みながらも三人は避難スペースの扉の前に来た。
ベラが神妙そうに二人の顔を見る。
「……開けるよ」
「はい」
「お願いします」
彼女らの位置も【漣】によって特定されているだろう。開けた途端に攻撃が飛んできてもおかしくない。
覚悟を決めたベラが扉のノブに手をかけて――
「【雪崩】」
「えっ……」
少し離れた位置から届いた声と同時。
薄紫色に輝く斬撃の洪水が、扉も壁もベラの上半身も瞬時にまとめて粉砕した。
「【螺旋】っ!!」
「あ、あ」
位置関係が『三人全員の死亡』という最悪の事態を防ぐ。
半歩ほど後方にいてそれを見たユーはすぐに危険を察知、ベラの死を知覚するより速くローレンの襟を掴んで無理やり引っ張り真横に跳んだ。バネで射程圏外まで跳ね飛ぶ二人の顔の前を、刃の波が通過する。
まとめて倒れ込んだところで生存を確認したユーは、波が過ぎた後に残るベラの残骸を見ないようにしながら呆ける友人を抱え起こした。
「ベラ、さん……」
「ローレンちゃん、落ち着いて」
元より有名な殺人鬼との戦闘という時点で、ユーほど修羅場を知らない彼女は多大なストレスを受けていたはずだ。その中で嘗て自分を痛めつけた幼馴染の護衛任務に当たり、且つ親しかった先輩が目の前であまりにも唐突に殺された。
落ち着くように言って聞かせたところで落ち着くはずもないだろう。しかし、だからと声掛けを放棄できるような薄情者になれそうもない。
まずユーは現時点でローレンを戦力から外したかった。
これ以上戦いを強いるのはあまりにも酷だし、はっきり言ってこんな精神状態でジェリーと戦えるとも思えない。彼女の矜持は痛く傷つくかもしれないが、死ぬだけに終わるくらいなら無様にでも生き延びてもらう方がまだ救いもある。
贖罪を気取るつもりもない。しかしこれは傷つけた相手を護れる機会なのだ。
だったら護らなければ一生後悔するだろうと、ユーはどこか確信していた。
「落ち着けって、あ、あんた」
「逃げて」
「は?」
「今すぐ裏口に向かって走って。あの人は魔術の射程圏内にいる内は必ず殺しに来る」
“レギンレイヴ”の柄を改めて握り直す。追撃が来ない事とあの程度の跳躍で圏外に逃げ切れた事から察するに、先ほどの【雪崩】はユー達三人を直接的に標的としたものではない。
恐怖もあったがそれ以上に、狙われた可能性がある仲間と母親の安否が気になった。
「あ、ああああんた、まだ……まだ、戦うつもりでいんの?」
感情が混濁して浮かんだ笑み。その引きつった口から紡がれた声と今にも泣きだしそうな目には、明確に怯えが含まれている。
ジェリーの存在やベラの死への恐怖もあるだろう。
しかしその中には、尚も戦おうとするユーの精神性への畏怖も間違いなくあるのだ。
「……うん」
「ね、ねえ。あんたもさ、い、一緒に逃げようよ。無理だって、あんなの、絶対無理……。だ、第三魔術位階でしょ、さっきの。勝ち目なんて、なかったんだって。逃げてもそんな、誰も何も言わないって……逃げ、逃げようよぉ……」
「ごめん、それはできない」
「なん、なんで!? なんでまだ逃げないの!?」
「仲間がいるから」
その応答に呆けたローレンを置き去りに、ユーが削れた壁の方へと疾駆する。
摩耗しきった廊下の先、ケースケ達がいるであろう避難用スペースへと。
(初撃はきっと防がれる。もし誰も生き残ってなければあの人と一対一、正面玄関からの援軍がすぐに来ない限り間違いなく私は死ぬ)
走る中で既に攻撃の準備を整えておく。“レギンレイヴ”の先端に群青色の光が宿った。
(エリカちゃん、死んだら校長先生が悲しむだろうな。ミアちゃんなんて家族いっぱいいるって話だったから、もっと辛いだろうな)
第三魔術位階【雪崩】。あれではいくら頑強さに定評のあるミアの“イントレランスグローリー”と言えど防ぎきれまい。
受ければ死ぬ。それでいて範囲の広さから避けられない。
そんな攻撃が、恐らくは親しい仲間に向けて放たれた。
(ケースケ君は……ご家族は、こっちにいないけど。でも、死なれたくないな)
ユーに剣を教えた人が今回命を狙っているのは、奇しくもユーが剣を教えた人だ。
戦いなんて知らない内にプロの殺し屋に勝った人。
剣の稽古で何度大怪我を負っても諦めなかった人。
その結果として超大型モンスターを斬り殺した人。
元の世界に帰ろうと努力してる人。
たまに容赦なくセクハラしてくる人。
強いくせに弱くて、弱いくせに強い人。
見知らぬ誰かの死を悼んで涙を流せる人。
最近、二人一緒にいると何となく楽しい人。
(死なれるのは、いやだなあ)
大きく開いた壁から避難用スペースに入る。
エリカがいた。圭介もいた。
笑みを浮かべて歪曲した剣を振り切った姿勢のジェリーもいた。
(ミアちゃん……?)
三人が三人揃って、ユーから見て右の方向に体と顔を向けている。
まさかと思いユーも視線の先を追って確かめた。
その、先には。
『間に合いましたね』
「は、ははは……死んじゃうかと、思った…………」
力なく屈んだまま笑うミアと、彼女の前で両翼を広げるアズマの姿があった。
「第三魔術位階相当の結界が仕込まれた空飛ぶ自律機械、かぁ……。とんでもない隠し玉持ってんじゃないかケースケ。さっきのは完全に殺すつもりでぶっ放したんだけどな」
「【水よ来たれ】【滞留せよ】!」
ケタケタと面白そうに笑っている隙に、クロネッカーから生じた水の刃が奔る。その後ろからは回転しながら突き進む楕円状の魔力弾も。
ジェリーはまず水の刃を手甲で弾き、魔力弾は【漣】の竜巻に巻き込んで外側へと飛ばした。とはいえ流石に変則的過ぎたのか、いくらか受け切れなかった分の水の刃が黒い革鎧に極めて浅い傷をつける。
「っとぉ。オイオイお話もできないのかい。全く余裕が無い奴らだよ」
「マジで何なんだよあの鎧は!?」
エリカが冷静さを欠くのも無理はない。ユーとてジェリーが装備しているその鎧は初めて見た。
いかなる魔術が組み込まれていれば圭介の【ハイドロキネシス】を防ぎきれるものか。
だが今は動きを止めたジェリーへの追撃が最優先されるべきだろう。
「【首刈り狐・双牙】!」
既に【漣】で位置は露見している。不意打ちが成り立たないのなら、必要なのは手数だ。
二つの魔力の刃がジェリーに迫り、鎧で隠しきれていない頭部を別々の角度から狙う。
「甘いよユーフェミア」
しかし斬撃が二つという事は、一筋の線でまとめて打ち払えるという事でもあった。
目にも留まらぬ“ウィールドセイバー”での斬撃。アポミナリアの術式すら付与されていない一閃で、ユーの【首刈り狐・双牙】はどちらもガラスの如く砕け散る。
「ユーちゃん、来てくれたか! つーかアイツマジで硬いんだけど師匠昔っからあんなだったのか!?」
「いや、あんな鎧は初めて見たよ。エリカちゃんの魔力弾にケースケ君の水の剣まで通らないなんて、強化術式を何重にかけてるのか知らないけど……」
「ハハハ、丁度いい。ユーフェミアにも見せてやりたかったんだ」
とにかく容易に攻撃が通る相手ではない。それだけは理解できた。
ユーが警戒しながら剣の切っ先を向けても、ジェリーは嬉しそうに笑みを浮かべるばかり。
「まあこの鎧に関しちゃあ間違いなく特別さ。レア中のレア物、自慢の一品なんだ。どんどん試してみてくれよ」
「随分と侮ってくれますね。ならお望み通り斬られてみますか?」
「やってみな。“レギンレイヴ”なんぞでどうなるもんでもない」
よほど防御力に信頼を置いているのだろう。仮にそれが無くとも攻撃が通用するかどうか怪しい相手ではあるが、攻撃を打ち払われるのと単純に通用しないのとでは絶望の密度が大きく異なる。
そんな装備品の自慢話に続けて聞こえたのは、圭介の声だった。
「……そりゃそうだ。いくらエルフの魔力が客人並みだって言っても簡単に通用するわけない」
絶望的な力の差を表す言葉の割に彼は冷静さを保っている。幾度も命のやり取りを潜り抜けてきた彼が手に入れた、場数による慣れだろう。
だから気付かずにいられた方が良いような事実にも行き着いてしまう。
「ただ一つどうしてもわからない事がある。お前、それをどこで手に入れた?」
「あぁん? ルートをわざわざ教えてやる義理なんざないよ、御託はいいからかかってきな」
「質問の仕方が悪かったかもしれないから言い直すけどよ」
充分に警戒心を維持した状態で、圭介が“アクチュアリティトレイター”をジェリーに向ける。
「どっちだ?」
「は? どっちって何がだい」
「ダアトと騎士団。お前が繋がってんのはどっちだって訊いてんだよ」
退屈そうに受け答えをしていたジェリーの表情が、その質問によって硬直した。
「ケースケ、君……?」
「おいケースケ。そりゃどういうこった」
「騎士団とダアトが何か関係あんの?」
「ある」
仲間達からの疑問に対し、圭介は一言で応じる。
その中でも強い戸惑いを見せるユーに一瞬だけ目を合わせた。
「さっきその鎧を叩いた時の感触に違和感があった。そんで今、何の工夫もしてない【ハイドロキネシス】を防がれて思い出した」
「【鏃】」
答え合わせより先に魔力の矢が飛んでくる。ユーが放つものより一回り大きく速いそれを、圭介は念動力と【アクセル】による加速で回避した。
「ユー!」
「【螺旋】!」
避けながら彼は叫ぶ。しかし言われるまでもなく彼女の剣は【螺旋】の跳躍によって、鎧に包まれた嘗ての師の胴へと届いていた。
攻撃動作を最小限に抑えたジェリーだったが、迎え撃とうと振り上げた腕に何かが絡みついて迅速な対応を妨げられる。
「何だい、こりゃあ!」
右腕に巻きつくのは山吹色の花弁が織り成す鎖。ミアがバベッジによって無詠唱のまま発動した【パーマネントペタル】であった。
とはいえ“レギンレイヴ”の斬撃は表面に薄い傷すらつけられない。やはり着ている本人の言う通り、普通に攻撃した程度では通用しないのだろう。
だからこそ、ユーは圭介と同じ答えを導き出せた。
「…………ケースケ君、これって」
「そうだよ。これはただの鎧じゃない」
動揺を隠せないまま急ぎ後退して剣の先を見つめる。
衝撃を通じて手に伝わった鎧の感触を、ユーは違う場所で知っていたから。
思い起こされるのは灼熱の砂漠。入道雲のように巨大な闇。
エルフである自分、王城騎士のセシリア、そして圭介を含めた何人もの客人が力を合わせてようやく勝利に至った超大型モンスター。
「あいつが着ている鎧の素材は、ゴグマゴーグだ」
それは少なくとも、指名手配犯の手に渡っていて良い代物ではないのだ。




