第十五話 混戦
無造作に振るわれる大木。
一見して雑にも思えるその一閃は脇と腰、腕に存在する各関節部位の駆動を利用した体術によって印象以上の速度を持つ。速度はそのまま重さと鋭さに繋がり、重さと鋭さは純粋な破壊力となる。
「ぐっ、ぅう!」
「うわぁ!?」
ベラが攻撃を受け止めながら筋力の差に勝てず吹き飛ばされると、折悪く部屋から脱出しようとしていた騎士の背中にぶつかった。
飛ばされるベラと逃げようとする騎士、双方の動きが止まっている合間にもグランドオーガは止まらない。
振り抜いた先端を少し床に下げれば、破壊された壁の残骸が落ちている。そこからまるで箒で塵を掃くように大木を払う事によって、細かな欠片が散弾よろしく放たれた。
「舐、めんなぁ!」
叫ぶ勢いのまま索敵用に分散していた【漣】を全て前方へと集約。埒外な膂力から繰り出される直接的な一撃ならまだしも、破片の霰程度ならこれで防げる。
そして同時に隙も生じた。武器として振るわれる大木は今、再度振るうに適さない位置まで振り抜かれている。ここを逃す手はない。
「【穿】!」
グランドオーガが次の構えに入るより速く、ローレンの魔力を帯びた刃が他の部位と比べると柔らかい左脇腹に突き込まれた。細い刀身からは意外なほどの威力が発揮され、彼女の倍は体重があろうかという巨体を通路側に叩き出す。
レイピア型のグリモアーツ“イノセントピアース”の先端で栗皮色に輝く魔力は、極めて高い密度を誇る。「体術によって第四魔術位階相当の攻撃を実現する」というアポミナリアの本懐を遂げる一撃であった。
「グォアアア!!」
損傷こそ小さいものの神経が集中した部位が傷つき、見上げるほどの巨体がドアの向こうでのた打ち回る。しばらくは戦うどころか起き上がる事もままなるまい。
「そこの騎士! 邪魔だから下がってて!」
「ちょ、ローレンちゃん言い方……」
「ちゃん付けしてんな鬱陶しい!」
吐き捨てながらユーを庇うように後退する。まだジェリーという最大の脅威が姿を見せていない現状、一定以上の強さを見せるとはいえモンスター相手に深追いはしたくない。
ベラもすっかり戦意を喪失した様子の騎士を誘導しつつグランドオーガから距離を取る。二人一組で位置が分かれ、各々の立ち位置は謀らずも正三角形の形を描いた。
「……逆にここで下手に動かれても困るでしょ、ローレン。この人の話を聞いた限りじゃー外に似たようなのが何体かいるんだし、三番と四番の合流を待つのが賢明じゃないかなあ」
「結局そうなるんじゃないですか。まあ、わかってましたけど」
言外で騎士団を批判しながらも警戒は緩めない。
モンスターに技を仕込む、という芸は昔からあらゆる国のあらゆる地域で見られた。しかし狂暴且つ低知能で知られるグランドオーガに武芸を覚えさせるなど常識で考えれば不可能と言える。
それを無理やりにでも実現できたのは覚えさせたのがグランドオーガ以上に狂暴なジェリーだからであり、実現する必要があったという事は襲撃の際に意味がある行動という事だ。
「ユーフェミア、もうちょっと壁から離れて。下手したら【漣】使わずにいきなり来てもおかしくない」
「う、うん……。あの、私もせめて【解放】しといた方が」
「るっさい黙ってろ。あんた自分の立場わかってんの? まだあの殺人鬼と繋がってないとも言い切れないような奴に無闇に武装させたくない」
「言い合ってる場合じゃーないなぁ」
二人の会話にベラが割り込む。
その理由は前を向いていた彼女らにもわかった。
「増援、来たみたいだね。グランドオーガの方が先に」
聴こえてくるのは壁や床を破砕しながら何かが向かってくる音。一体だけのものとは到底思えない、群れの気配漂う音だった。
ローレンに脇を突かれてしばらく立てないまま悶絶していた個体も、荒い息を吐きながら体を起こしつつある。
「……ユーフェミア、【解放】しといて」
「ちょっ、ベラさん何言って」
「【解放“レギンレイヴ”】」
ローレンの制止を無視してユーは自身のグリモアーツ“レギンレイヴ”を【解放】した。透き通る水色の刀身が眩いブロードソードを構えて、切っ先を通路側に向ける。
「増援が来るまで持ち堪えればいいんですね?」
「頼んだー。一体二体ならまだわかんないけどさー、四体も来られた日にゃあんた抜きで勝てねーわ」
「んなっ……くっそ!」
力量不足を認めるベラの発言に憤慨を示しつつ、やはりローレンも現状の不利を悟っていたらしい。
苛立ちを隠さず、それでいて“イノセントピアース”の鋭利な先端は起き上がるグランドオーガに向けたままだ。
「じゃあ他の個体が来る前にまずあの一体を確実に殺しましょう。奴はこちらの戦力をある程度知ってしまっています。できる頭があるかわかりませんが、万が一仲間達と情報共有などされても困りますから」
「あんた簡単に言うけどねぇ!」
「できんの?」
感情的なローレンと状況判断に集中するベラ。その後ろで震えながら“シルバーソード”を構える騎士も、ユーの方を見ながら各々の視線で判断を問う。
中型モンスターの中でも特に防御力の高いグランドオーガ。加えて大木を用いた疑似的な棒術まで扱うとなれば容易い相手ではない。
三人分の疑念を受け止めながら、ユーは全身を前へと傾ける。
そして振り上げた“レギンレイヴ”の先端が群青色に輝くと同時、大きく踏み込んでグランドオーガに接敵。脚の動きと連なるように突き出された右腕は吸い込まれるようにして自身を睨みつける目へと向かう。
「ギャッ!」
剣がグランドオーガの目に刺さったその瞬間、
「【鏃】」
魔力の矢が剣から放たれた。
眼窩の奥で青い燐光が頭蓋と脳と肉を巻き込んで破裂するのを確認したユーは、間髪入れず左右を見回しつつ浴びる返り血と脳漿を無視して向き直る。
「こちら出て左側から視認しただけで四体、来ます!」
砕けた頭部から刀身を離し、付着した肉片と血を腕の一振りで大雑把に払いつつ後退しながら報告を入れた。
「え……あ、ああ。耐えるよローレン、それとそこの騎士さんも!」
「は、はい!」
「何だよ今の……」
グリモアーツから魔力の矢を放つアポミナリアの初歩的な魔術、【鏃】。
自警団での連携を前提として扱う者の大半はこれを中距離用の攻撃手段と見なす。しかし森の外に出て術式にアレンジを加える事を覚えた者達の場合、相手の体内に潜り込ませた武器から追撃として放つという使い道も見い出せるのだ。
今の時代は昔と異なり情報の流れが早い。だから当然その程度の知識は自警団に属する多くのエルフも得ていた。
いたのだが、実戦ですぐに思いついて即座に使えるかとなると話は変わる。
外の刺激に触れたか触れずにいたかの僅かな差が表れた瞬間であった。
「さっきの音から察するに、多分三番隊も足止め……っ」
懸念を提示する途中でベラの言葉が途切れる。
その理由はユーにもローレンにもわかった。
空間内に充満させていた【漣】の感覚が消えたのだ。
「ベラさん!」
「今……来るってーのか、あの殺人鬼が」
忌々しげなベラの声をかき消すように、頭の上半分を損なった死体が蹴り飛ばされてどかされる。
同時に壁と天井がどす黒い筋肉に引き裂かれ、目の前の部屋が半分ほど部屋とは呼べない有様になった。
* * * * * *
時は少し遡る。
「思ったよりやるじゃないかえーと……ホフマンちのあー、アレだドミニクの息子だ。バで始まるのは憶えてるんだが」
林に身を隠して詰所入口の様子を見ているのは、まだグリモアーツを【解放】していない状態のジェリーだった。
彼女の視線は部下に指示を飛ばしながらグランドオーガに槍を振るう大男、バーナードの姿を捉えている。思い出ではなく知識として残っている情報をかき集めるも、性格が変質してからの彼女は以前と比べて他者への興味関心が薄い。
結局どんな名前だったか思い出す事も放棄しながら一枚のカードを取り出した。
勇猛なる角を有する獣のシンボル。嘗ての彼女が強さのみならず、誇りと優しさを胸に剣の腕を磨いていただろうその残滓。
それが薄紫色の燐光を放つより先に、ジェリーは未解放状態のグリモアーツを鎧の隙間に挿し込んだ。
「【解放“ウィールドセイバー”】」
刹那、薄紫色の燐光が迸る……かに思えた。
しかし実際には鎧の隙間からほんの僅か光が漏れるのみ。結果として彼女の【解放】が外にいる自警団の面々に観測される事はない。
隙間から引き抜かれたグリモアーツ“ウィールドセイバー”は外に出るまで刃を飛び出させたりはせず、不可思議なまでに持ち主の安全を保ちつつゆっくりと湾曲した刀身を現した。
「んじゃそろそろ頃合いだし、行こうかね」
【解放】を終えてほぼ勝手に全身から噴き出してくる【漣】に包まれ、彼女は戦局を舐めるようにじっくりと確かめた。
周辺一帯及び詰所内への索敵網を展開し、内部の情報まで的確に把握する。同時に【漣】を使って索敵を試みていた全ての自警団員がジェリーの来訪に勘付いただろう。
当然、彼女の愛弟子も。
「さぁてまずは前菜から済ませるか、それとも感動の再会を果たすか」
グランドオーガとの戦闘を続けながらジェリーの姿を焦った様子で探している自警団。
武器の扱いを叩き込んでおいた見込みのある個体数匹と交戦する詰所内の四人。
彼女が選んだのは、
「メインディッシュから行っちまおう!」
どちらがいる場所でもなく、その中間地点にある避難用スペースの壁。
木材を組んで作られたそれはジェリーの右腕が一瞬だけ描いた動きの通りに切れ目を走らせ、ガラリと情けない音をたてて破片をこぼす。
木の屑で構成された粉塵が舞うその先に、彼女が目当てとしていた人物がいるのを感じた。昂った勢いか、漂う【漣】がしゃりしゃりとそこら中の壁や床を引っ掻いている。
今夜の彼女にとって最大の脅威、最高のご馳走。
それは自警団団長でもなければ愛弟子でもない。
世にも希少な念動力魔術を操る、化け物殺しの客人である。
「やぁっと会えたなあケースケくぅ――」
ジェリーは舌を出しながら大喜びして中へと入った。
そして気付く。
「――んんん?」
切り抜いた壁の破片が全て大きく旋回し、自分に向けて飛来している事に。
充分な勢いをつけたそれは、生身で受ければ打撲に至る程度の威力を持つだろう。
「ハッハァ!」
その程度の攻撃、索敵網を展開し丈夫な革鎧に身を包んだ今となっては不意打ちにもならない。ただ相手に戦意があると知って楽しげな声を出すジェリーの声と同時、索敵用に拡がっていた【漣】が一瞬収束し渦巻いてそれらを全て弾き飛ばす。
東郷圭介なる客人が索敵魔術の類を会得しているという情報は事前にバイロンから聞かされていた。ならば侵入と同時に外へ逃げるかと思っていたが、どうやら戦う道を選んだようだ。
しかもこの咄嗟の動きは前もってジェリーが来ると見越していなければできない。即ち彼は指名手配までされている最強最悪の殺人鬼と戦うつもりで罠を張っていたという事になる。
「戦る気あんのは嬉しいねェ、上等上等」
「【ホーリーフレイム】!」
喜悦の声を滲ませながら細かな刃の渦が治まろうとしたタイミングで、今度は光の矢が飛び出す。見れば盾を構える猫の獣人がいるのに気付いた。
(ありゃあ、ユーフェミアのお友達かねぇ)
防御の隙間を潜り抜けて迫る第四魔術位階を前にしながら、それでもジェリーは至極落ち着いた様子で思考を巡らせる。
【ホーリーフレイム】の軌道を読んで剣を振るい、あろう事か真っ二つに両断してしまった。左右に分かれた光の矢は、それぞれ左右後方にある壁にぶつかって炸裂する。
「うっそぉ!?」
もはや魔術でも何でもない単なる一閃で必殺の魔術を斬られた事実に、術を放った本人が硬直した。
それを見逃すジェリーではない。
「【首刈り】……」
「はい雑魚乙ゥ!」
と、湾曲した剣を掲げたところに今度は赤銅色の魔力弾が降り注いだ。
ジェリーにとっての視界外にして【漣】の認識範囲外、天井と床と壁に貼りつくようにして存在する二十六の魔術円から。
今度は【漣】による防御も迎撃も間に合わず、全弾を全身にくまなく叩き込まれる。
「……っ!」
「オラオラさっきみてぇに渦巻かせて防いでみろやできる暇あんならなァ!」
魔力弾の乱射によってジェリーの体が一瞬浮いた。少しでもダメージを緩和しながら移動するために後方へと跳躍したようだが、それは彼女にとっても予想外の威力が発揮されたという証左でもある。
二丁拳銃を構える小さな存在。鎧越しにも伝わる衝撃。
顔を庇う両腕の中、ジェリーは笑いを抑え切れなかった。
楽しみにしていたご馳走が目の前で量を増したのだ。この戦いでなら死んでもいいと思えるくらい、嬉しくて楽しくて仕方がない。
知らずその笑いは大きな声となって森中に響き渡る。
「ヒャハハハハハハハハハ!!」
「元気あんじゃねえか老いぼれゴラァ! ハチの巣にするならそんくれえ跳ねっ返ってくれてねえと張り合いがねぇわなあ!」
「このバカ完全に言葉選びがチンピラのそれなんだけど何かあったの?」
「最近ストレス溜まってたんだよ。申し訳ないけど僕一人じゃフォローしきれなかった」
「ああ、そう……」
一方、笑い声で聞こえずに終わった溜息もあった。




