第十三話 意識の乖離
詰所の一画、どちらかと言えば自警団より民間人の避難場所に程近い位置にある喫煙所。そこに数人の騎士が集まって煙草を吸っている。
極めて危険度の高い指名手配犯の来訪を受けて尚、騎士団は戦闘ではなく民間人の護衛と建物内の警備をするように自警団から言い渡されていた。遠回しな戦力外通告とも言えよう。
流石にそこまでの扱いを受けて熱心に働こうという騎士は多くない。加えてこれまで自警団からの扱いに不満を抱いてきた者の中には、忙しなく動き回るエルフ達を見ながら紫煙を燻らせる時間に仄暗い優越感すら覚えている始末だ。
「なあ聞いたか? ジェリー・ジンデルがこっちに来てるって話」
「聞いた聞いた。連中、三人も殺されたんだっけか」
エルフの森に長らくいる者もそうでない者もジェリーの名前は知っていた。元々有名なアポミナリア一刀流の剣士であり、それが転じて大量殺人鬼となった大犯罪者だ。
例えエルフの森自警団が戦闘のエキスパートで固められていたとしても、迂闊に相手できる存在ではない。
「しかしあいつら馬鹿なのか? 俺らもいくらか正面の迎撃作戦に人員割いてやるっつってんのに何断ってんだ。意地になってもしゃあねえだろこんな時に」
「それなぁ。なんでわざわざ俺ら全員に館内の警備なんざやらせてるんだか。いくら殺し過ぎで指名手配されてるっつっても相手は一人だろ?」
「人員余ってるおかげでこうして優雅に煙草吸えるのはありがてぇけどな」
「ははっ、違いない。じゃあこうしようぜ」
「うん?」
普段お調子者で知られる騎士の一人が、浮かれた様子で提案した。
「あいつらが七、八人くらい死んだら命令を無視して助けに行ってやろう。気品のお高くあらせられるエルフの森自警団の皆々様に立場ってもんをわからせてやれるし、ジェリーの首を土産にすりゃあ王城組だって俺らの活躍を無視できねえ。これから先、少しは動きやすくなるってもんさ」
「なるほどそいつぁおもしれえ!」
「そんときゃついでに大喰らいどもの食費もいくらか俺らに回してもらわんとなあ! 連中だってこの件で人数減らすだろうし丁度良いってもんだ!」
男達の哄笑が狭い喫煙室に響き渡る。
自警団長のバーナードが犯した数少ないミスの一つは、常日頃から騎士団を下がらせ過ぎた事だ。
可能な限り協調して事に当たるべきだったのだが、自分達の種族特性に対する過信と生育過程で培われた固定観念がそれを許さなかった。
彼ら自警団に属するエルフの多くは騎士団を見下しているわけではなく、純粋に後方支援担当として見ている節がある。それがまた彼らへの侮辱に繋がっているなどとは知らず、ただ日々の積み重ねによって亀裂だけが大きくなっていく。
今回の事件はきっかけに過ぎない。
いつかは壊れる形の繋がりだったのだ。
「ちょっと待て。せっかくだしエルフ共が最終的に何人死ぬか賭けようぜ。実際の数字から一番遠かった奴が一番近かった奴に今度奢るってのはどうだ」
「いいね。俺さっき言った七人で」
「十人くらい死ぬだろ。相手が相手だし」
「それ絶対お前の願望入ってんじゃん。流石に二桁はねぇわ」
「いやそんくらい届くって! ジェリーが頑張ってくれれば!」
「コイツ土壇場で死人の数調整しようとしてねえだろうな」
「案外粘るんじゃね? 二人で」
「お、攻めるねぇ」
とうとう自警団の命をテーブルに載せた賭け事まで始まった。一応は身近な場所にいるはずの相手をゲーム感覚で貶めている辺り、相当溜まり込んでいたのだろう。
そんなやり取りをうんざりした表情で聞いているのは、優れた聴覚の持ち主であるミアだ。喫煙所は民間用の避難スペースから程近く、そこから漏れる声は一部の獣人であれば容易に聞き取れる。
コツ、と板張りの床をつま先で蹴って気分を誤魔化そうとしたが気持ちは一向に晴れない。
「どうしたミアちゃんえらい不機嫌だな。あの日はまだだろ確か」
「まあちょっとね……待て、なんであんたが私のを把握してんだ。気持ち悪っ」
「ていうか男子の僕もいんだよ。変な発言すんな」
息をするように敢行されたエリカからのセクハラに戦慄する彼女は、引く一方で比較的落ち着いた様子の友人達を見ながら内心安堵していた。少なくともこの非常時に表立った軋轢が生じていなければ御の字である。
午後十六時十五分現在、ユーを除いたパーティ三人とメレディスは床に敷かれたブルーシートの上で夕食を済ませていた。
地元の食材を優先して消費しているからか、果物や野菜が多く含まれている関係でそこまで重くはない。量もバイキング形式だからある程度は自分で調整できる。
『ユーフェミア嬢はどちらへ?』
「護衛役の自警団員の人達と一緒に奥の方に入っていったよ。昨日クエストの終わりに報酬の話してた人と、まあ、昔のお知り合い的なのの二人」
フルーツサンドを頬張りながら圭介が部屋の隅にあるドアを見つめる。その先にあるのは民間人が避難している現在地と、自警団の詰所が組み込まれている別の棟とを繋げている渡り廊下だ。
帰省を目的として来た関係でクエストの際に着用しているジャケットは学生寮に置いてきてしまったユーだったが、一応グリモアーツの持参は許可されている。最低限自衛できるようにというバーナードの配慮であった。
「んでも、よく武装の許可してくれたな。ジジイ共が反対してたって聞いたけど」
「自警団長が話のわかる人だったからね」
エリカの言う通り、今の状況は長老を始めとした高齢のエルフ達にとってあまり面白くないものでもある。
ジェリー・ジンデルは一時期など第七森林居住区一帯に外出禁止令なども出さざるを得なくなったほどの、王国全体に名を轟かす凶悪な殺人鬼である。そんな相手に師事していたユーを疑う声は絶えず、今回の護衛も半ばバーナードが異論を出されるより先に動いた結果として発生したものに過ぎない。
当然、反対意見を持つエルフらも冷静な部分ではそれが最適解であるとわかっているだろう。
それがわかっていても、流れた血を忘れられるほど、そして八つ当たりを自重できるほど彼らは呑気でも寛容でもないのだ。
「クエストが発注される様子もなさそうだし、事が終わるまで僕らは待機か。まあ、全部自警団で解決してくれるならその方がいいんだろうけど……仲間の命を預けるって何か変な不安あるな」
「そうは言いましても、皆さん騎士団学校の生徒とはいえまだ学生さんですし。こういう時くらいは大人に任せるものですよ」
メレディスの言い分はこの厄介事が多い異世界においてもそれなり常識的なものと言える。公的機関とそれすら顎で使うような集団が既に動いているのなら、いかに各所で名を轟かす圭介とて出る幕はない。
だが、これまで自分達の身を自分達で守ってきた圭介としてはここで自警団にユーの命運を託すのも尻の座りが悪いように思えてしまう。
(……まあ、いざとなったら勝手に動くか)
そこで「仕方がない」と受け入れない辺り、彼も大概不寛容だった。
* * * * * *
一方でユーはというと、自警団詰所の奥にある来客用の部屋に閉じ込められていた。
半ば軟禁のような形となったのは意見を通し損ねた老人達の溜飲を下げる意図もあるが、やはりこの部屋が最も防衛しやすい建物の中央に位置する事も関係している。
「すみません、二人とも。ご迷惑かけてしまって……」
「謝るくらいならその手を止めなさいよ」
右手のレーズンパンと左手のフランクフルトを交互に食べながら謝罪するユーに、ローレンが呆れ気味に応じた。師に当たる人物から殺害予告を受け、それが実行される時刻が近づいている割に食が細くなる様子も見えない。
もう一人いる護衛役のベラは、その食欲を前に呵呵と笑う。
「あっはっは、まあそのくらい肝っ玉据わってるくらいがらしいわあんた。つっても実際ここにいる限りは安心だと思うけどね」
「そうなんですか?」
「舐めんな。腕が立つって言っても相手は所詮一人しかいないし、“大陸洗浄”終わったばっかの頃と比べてこっち人員もちょっとは増えた。いくらジェリーが強いって言っても戦力差があんのよ」
棘のある言い方ではあるものの、ローレンの言い分は自警団全体に浸透している共通認識の代弁でもあった。
騎士団の存在すら軽んじる彼らの実力は確かなものである。先のサンダーバードとの戦闘においても、通常であれば最初のダウンバーストの時点で陣営は壊滅的被害を受けていたはずなのだ。それを耐え抜き圭介達の動きを観察しつつ次の動きの準備を済ませていたタフネスと機敏さは、抱えられるものなら王城すら声をかけずにはいられまい。
とはいえ、よほどの後進国でもない限りどこの国でもエルフは国家との間に溝を作るものだ。時代が進むごとに態度の軟化も見られる一方で、寿命の長さから頑迷な老人達がいつまでも退かないという厄介な一面もある。
ローレンもベラも、そういった背景から多少の慢心があったのだろう。
その慢心を『致命的な隙になり得る』とユーが心中不安に思ったのは、彼女が外の世界に触れてきたが故だ。
(大丈夫かな……ジェリー先生の事、甘く見てないかな)
モンスターのように獰猛でありながら、単純ではない。
一般人のように市井に溶け込みながら、優しくもない。
スイッチの入れ替えを要するような人員しかいないのであれば、常在戦場の意識を持つジェリー相手には不利に働く。ただ囲んで叩けば倒せるような相手ならとっくの昔に捕縛できているだろう。
彼女らがどこか軽んじている殺人鬼には、目には見えない何かがある。
「私から言うような事じゃないとは思うけど、一応――」
「失礼する!」
警戒をもう一段階進めるように言おうとした矢先、部屋のドアが乱暴に開かれた。
入ってきたのは自警団団長のバーナードだ。
「わっ、ど、どうも団長。どうかされましたか」
「すまん緊急事態だ、移動するぞ!」
「えぇ!?」
「そ、それってどういう……」
「歩きながら説明する、急げ!」
突然の来訪に戸惑う女性陣を余所に、大柄な男の体が入ったばかりの部屋を出ていく。急ぎ後を追う三人に、彼は振り返りもせずはきはきとした声で喋り出した。
「先ほど正面出入り口から半ケセル先の地点に、こちらへ向かって進行中の一〇体を超える巨大な反応があったと索敵部隊から連絡があった。大きさと今朝確認した殺人現場の状況から考えるに恐らくグランドオーガの群れだろう」
「グランドオーガの群れ!?」
ローレンが素っ頓狂な声でオウム返しする。怖れよりも驚きの方が大きいといった風情の表情だった。
無理からぬ話だ。“大陸洗浄”以前の時代ならいざ知らず、昨今の居住区域周辺における中型から大型モンスターの発見件数は年々下がってきている。そんな時代にエルフの森付近でグランドオーガが一〇体を超える群れを形成し、更に自警団詰所へと向かってきているなど普通に考えればあり得ない。
そう、普通に考えるならば。
「タイミングも現象そのものも不自然極まる。少々非現実的な部分もあれど、念のためこれをジェリーによるものと思い作戦に少々変更を加えてから行動する事にした」
「確かに偶然と片付けるには違和感がありますが……という事は、そのグランドオーガ達は」
「どうやって従えているのかわからんが、陽動の可能性が高い。少なくとも俺はそう判断し裏口付近に騎士団の余剰人員を配置しておいた。その上でユーフェミアには一旦別の空き部屋に移動してもらう」
今でこそ離れているとはいえジェリーも元はこの森出身だ。詰所の見取り図などを見た事もあるだろうし、その上でどの部屋が最も防衛に適しているのかも把握されていると考えるべきである。
グランドオーガの相手も骨の折れる仕事だが、油断さえしなければ自警団が負けるような相手ではない。危険性の高さで言えばジェリーの方が上なのだから、バーナードの咄嗟の判断は間違っていなかった。
「少し外れた場所に行くぞ。場所こそ変わるがもしジェリーが来たとしても作戦通り迂回して正面側に辿り着き、複数名で囲み込めばそれでいい。こちらも混戦状態にならないようグランドオーガとジェリーとの戦いを分断すると約束する」
「はいはーい」
「……了解しました」
ベラもローレンも応答しながら索敵用魔術【漣】を維持している。ユーも同様に先ほどから展開し続けているので、彼女らの警戒心の持続を察する事ができた。
しかし、それでもまだ不安が残る。
(ジェリー先生が来たら私達の【漣】なんて簡単に吹き飛ばされる。おまけにこのくらいの建物、あの人はあくびをしながらでも壁を壊して横腹を突くように侵入できるはず)
加えて森林居住区の外で実戦を積んだのであれば、ユーがそうであるように間違いなく独自のアレンジをアポミナリア一刀流に組み込んでいるだろう。それがどんなものであるかわからない以上手出しできず、確認するためには何人かの犠牲を余儀なくされる。
(だったら、先手必勝だ)
何かされる前に殺すしかない。
自警団も多少の犠牲は仕方ないと認識しながらも、それを前提とした動きを見せるはずだ。
まだ【漣】が維持されているという事はジェリーが到着していないという事でもある。あるいは索敵を捨てて突貫してくる可能性もあり得るが、それなら三人分の索敵網を突破できない。
周囲に漂う魔力を別の何かに塗り潰されてからが本番だとユーは認識した。
(魔術だけが索敵じゃない。それを教えてくれたのも、あの人だった)
先頭を歩くバーナードと左右にいるベラ、ローレン。彼女にとって馴染みのある顔ぶれに囲まれながら、彼女は一度たりとも周囲に向けての警戒を解いたりはしなかった。
ユーの在り方は例えるなら自身に向けられた殺気を感じ取るために構造を作り変えられたセンサーだ。【漣】はあくまでもその補助に過ぎず、下手に上から更に強力な【漣】で塗り潰せば寧ろ位置の逆算に繋がる。
ジェリーの指導を受けたからこそ、彼女は性格改変より早い段階でこうなった。
大人しいエルフの少女から、自動迎撃機能を搭載した殺戮機械へと。
(これでいい。これで殺せる)
師匠殺しに罪悪を抱えられるほど甘い関係性ではない。懐にしまってあるグリモアーツの位置を爪先で確かめて、準備万端と相成った。
間違いなく彼女の迎撃態勢は完璧だ。
ジェリーと言えども完全に攻撃を悟られず仕掛けるとなると難しいだろう。
そしてそんな彼女の殺意とは無関係に事態が動く。
正面玄関に配置された人員とグランドオーガ一〇体が接敵するまで、あと三分。




