第十一話 辛苦と狂喜
「もうすぐ着くわよ。団長待たせちゃってるから急いで」
ベラの後を追って圭介とユーが到着したのは大型木造建築の三階建て。
五人並んでも余裕を持って入れるだろうアーチ状の広い出入り口が迎えるそれは、ケーキのような二等辺三角形の三角柱が二つ互い違いになるよう配置されている。俯瞰して見れば二つの鈍角を線で結んだ平行四辺形に見えなくもない。
詰所と聞いていたが呼び名の割に立派な風情の建物に見えた。恐らく他の用途にも使われている施設の中に、詰所として機能する部分が組み込まれているのだろう。
玄関を通過して上履きに履き替え、中に入ってしばらく案内に沿いながら進む。その先には“団長室”とアガルタ文字で書かれた立札がある部屋が見えた。
ベラがその部屋の扉をコンコンと叩く。
「……構わん、入れ」
「失礼します。ユーフェミアを連れてきました」
扉を開けた先には、昨日少し会話を交わした自警団長が出入り口と向かい合う位置に座っていた。
過去の情報をまとめていたのか作業机の上には何枚もの書類と写真とメモ書きが無造作に置いてあり、紙で出来たテーブルクロスのような状態になっている。心なしサンダーバードを空に帰した直後と比べて覇気がない。
「それと、彼女と共に行動していた彼も……あーその、私の不手際で例の件について話してしまって」
「…………そうか。今後は気を付けるように」
そう言うと団長は立ち上がり、圭介とユーの前に立つ。
「昨日は名乗る時間も確保できずすまなかったな。自警団長のバーナードだ。ユーフェミアの嘗ての兄弟子でもある」
「……東郷圭介です。あの、ユーが狙われてるってどういう事ですか」
問われて自警団長――バーナードは噛みしめる歯の隙間から息を吐いた。
垣間見えた感情は呆れではなく、悲嘆。
「……まずは、現場を見た方が早いだろう。この際彼女の仲間である君にも見せておきたいから来てくれ」
そう言って歩き出すバーナードと続くベラを追う形で、圭介達は入ったばかりの詰所からまたすぐに出た。忙しないが事が事だけに億劫さより緊張感の方が強い。
山の方へしばらく進んだ先にあったのは、森の中にある広いスペース。街中の公園よりやや余裕があるその空間に自警団員が何人か行き来している様子が窺えた。
「見て欲しいのはアレだ」
バーナードの指し示す方向には一本の樹木があり、その枝から紐でぐるぐる巻きにされた何かが垂れ下がっている。
それが支柱を切断され元あった場所から運ばれた掲示板であると理解するのは一瞬で済んだ。
「あれって……」
「ユーフェミアに向けて作成されたと思われる文書が貼られていた掲示板だ。その文書を一旦回収し、コピーしたものがこれになる」
言葉と共に突き出されたA4用紙には、簡潔なメッセージが綴られている。
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可愛いユーフェミアへ
今日の夜、何人か殺す
よければ殺り合おうぜ
ジェリー・ジンデル
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モノクロに印刷したものだとわかりづらいものの、その文字は明らかにペンで書かれたものではない。
粘性の濃い色を有する液体が付着した指先で、丁寧にじっくりとなぞられたものだった。
「これは、血、ですか」
「そうだ。既に回収したからわからないだろうが、この場所にはつい数十分前まで仲間の亡骸が三つ転がっていた」
「三人も……!」
一度にそれだけの人数を相手取る事、全員殺害した後もその血でメモ書きを残す余裕。
何より一連の作業の中にほんの僅か程も罪悪感を見せない異常性。
連続殺人鬼が持つ精神の在り方をまざまざと見せつけられて、圭介は臓腑が冷え込む感覚に見舞われながら戦慄した。
慣れつつあった濃密な悪意はエルフの森でも避けられない。それを思い知らされたのである。
「ジェリー・ジンデルとユーフェミアに接点があったという話は知らなかったが……何か心当たりは?」
ともすれば共犯者、そうでなくとも殺人鬼の同類とユーが疑われても仕方のない状況下で、バーナードの問いかけは極めて冷静なものだったと言えよう。
あるいは元兄弟子として彼女を疑いたくないという気持ちもあったのか。
問われたユーはというと、目を閉じて深呼吸をしてから顔を上げて応じた。
「……もう終わった話になってしまいますが」
「構わない。今は少しでも情報が欲しいからな」
薄々圭介も察しつつある。
昨日聞いた話。さっき聞いた話。それらを束ねて見えてくる一つの筋道。
「私、まだ道場にいた頃にとある方から剣を教わってた事があったんです。道場では決して教わらないような実戦的な技術、細かな技巧、精神面の鍛錬も」
「ほう」
「ユー、それって」
彼女は以前、有名なアポミナリア一刀流免許皆伝の持ち主から指導を受けた時期があったと言っていた。
そしてつい最近になって圭介は同じ免許皆伝を持つ人物の名を聞いている。
だからこそ先を聞く事に忌避感があった。
彼女はその思い出話をする時、「その人の名前は忘れた」と言っていたのだから。
「ジェリー・ジンデルは私に剣を教えていた時期があります。こうして私の名前を憶えているのなら、きっとその時には既に殺人鬼としての性格変質が終わっていたか終わりかけていたのでしょう」
「…………なる、ほど。よく話してくれた」
妹弟子が稀代の殺人鬼から剣を教わっていたという事実。メッセージの内容から推察するに、ジェリーはユーの在り方――彼女曰く「熊から逃げる時の動き」――に自らと共通する何かを見たのだ。
それを受けても、バーナードは冷静な態度を崩さず維持した。ここは自警団長としての矜持、兄弟子としての意地もある。
ただ冷静でいられる者ばかりではない。
「ユー……どうして」
「ごめん、ケースケ君。でもね」
事実を述べた時の無機質なそれと異なり、返ってきたのは申し訳なさそうな声。
「嫌でしょ。友達が殺人鬼の弟子だなんて」
圭介の方へ向き直った彼女の表情は、悲哀を帯びている。
ただ知られたくなかった、事情としては本当にそれだけだったのだろう。
しかし今はあまりにも時期が悪かった。
(どうして、こんな時に……!)
圭介の脳裏を過ぎるのは明るくふざけているように振る舞いながら、仲間すら信じ切れていない一人の少女。
それでも時間の経過と共に以前よりは回復してきたこのタイミングでの、ユーの過去。
彼女の言葉は単純に圭介に対する弁解というだけではなく、もっと重大な意味をも含めている。
何故なら嘗ての話をしたであろうユーの友達は、圭介一人ではないのだから。
(隠し事するな、なんて僕が言える立場じゃねえけどさ……!)
ただ、その点に関して言えば圭介も大差なかった。
ヴィンスの死。帰りたい理由の一端。言わずにいる事実はある。
問題は露見する瞬間だ。この事実をエリカに知られるのはよろしくない。
否、仲間なら後々の摩擦をこそ避けていっそ正直に打ち明けるべきか。
悶々とする圭介を置いて事態は進む。バーナードはぶら下がる掲示板を見ながら、今後の動きを説明し始めた。
「すまないが今日一日、ユーフェミアにはご家族にも説明した上でこちらから数名護衛をつける。事態を重く受け止め周辺住民には詰所への避難を勧告し、夕方までにはジェリー・ジンデルを迎え撃つ準備も済ませなければならない」
護衛などと言葉を着飾らせても込められた意味の半分以上は監視だ。
強者と見れば殺しにかかるジェリーの精神性を思えば、弱者に剣を教えるなど例外中の例外である。疑念の段階とはいえユーにも殺人鬼としての適性があるかもしれないのなら、ただ護るだけでは不安も大きかろう。
「全面的に協力します。……ごめんねケースケ君。変な事になっちゃったね」
「それはっ…………」
構わないけど、とは続けられなかった。
自分と同じく殺人鬼に目をつけられたユー。
信じていた相手から裏切られ傷ついたエリカ。
穏やかな日々になると思っていた旅行先に忍び寄る、凶悪な影。
(どうすりゃいいんだよ)
すぐに答えが出るはずもない。
考える事の数に反してできる事があまりにも少ない。
ただ珍しい魔術を扱えるだけの有名人では、限界があった。
* * * * * *
生い茂る枝葉の狭間、その向こう。
第七森林居住区から二ケセルほど離れた森の中に、ジェリー・ジンデルは立っていた。
「いやあ思った通り、自警団は今頃山狩りどころじゃなくなってるようだねえ。まあアタイなら見つかっちまったところで返り討ちにしてやれるんだが」
既に【解放】済みの“ウィールドセイバー”は先ほど隠れ住んでいたゴブリンの巣穴を襲撃した際に血を吸っており、ひん曲がった刀身の先端からぽたぽたと赤い雫を落としている。
彼女からしてみれば退屈しのぎとしても低劣な時間だったが。
「それでもねえ。あんたが見つかっちまったら困っちまうだろうと思ってさ。これでも気ぃ遣ったんだよ?」
『光栄、とでも言うと思ったか』
木漏れ日の限りが齎す日中の闇、その向こう。
薄らと浮かび上がる影がジェリーの声に反応した。
『仕事を放り出して何をするのかと思えば……』
「だぁって、戦いもせずただ殺すだけの仕事だったじゃないのさ。実際お子ちゃま達だけで済ませたんだろ?“大陸洗浄”時代の猛者とかならまだしも、ただ星ばっか眺めてるだけの腑抜け野郎なんざ殺したって楽しかないよ」
『ちっ、所詮は牙自慢の狂犬か。繋げた鎖も噛み千切るとあってはいよいよ始末に負えん』
悪態に舌打ちも添えて吐き捨てる影は不機嫌さを隠そうともしていない。それを受けて尚、ジェリーの方はへらへらと笑っていた。
「そんな怒んなって。実際のところアンタらには感謝してんだよ? 楽しく殺せて寝床と食いもんも出てくるなんて、こんな恵まれたお仕事ないじゃないか」
『そう思うのなら実績で示してもらいたいものだ。お前のそれとて決して安い技術の産物ではないと知れ』
「はいはいご自慢の計画とやらの説明は結構。耳にタコができちまうよ、ったく」
反省した様子を微塵も見せない態度に、影も呆れ果てたのか頭を抱えながら俯く。
が、すぐに顔を上げた。
『しかしタイミングは良かった。喜べ、今回はお前好みの仕事をこのエルフの森で追加してやる』
「あぁん? オイオイ師匠と弟子の感動の再会に野暮な話を持ち込まんでおくれ。何だい、あの程度の仕事を蹴ったくらいでそんなに怒ってんのかい」
半笑いでの返答を無視して影の言葉は続いた。
『計画が佳境を迎えようとしているこの時期に、邪魔になりそうな客人が一人いる。それが今、丁度お前の故郷に来ているらしい』
「だから、アタイは――」
『トーゴー・ケースケ。王城とダアトが奪い合う程度には強力な客人だ。多様な念動力魔術を使う上に、まだ伸びる余地があると思われる』
名前が出た時点で、ジェリーの動作が一瞬停止する。
話を聞く体勢に入ったようだ。
『経歴は以前説明した通り。超大型変異種ゴグマゴーグを討伐し、ヴィンス・アスクウィスとゴードン・ホルバインを討ち破ったその腕は保障する。……断るというのなら構わんが』
「ははっ、ははははっははははははははは!!」
森中に響き渡るジェリーの哄笑は周囲の木々から小鳥達を追い払い、影の二度目となる舌打ちを誘った。
「いや、いやいやいやいや! そうか、そういや同じ学校にいるんだったっけか! ああそれなら一緒に来たのか、アハハハハなんて師匠孝行な弟子だよユーフェミアったらよぉ!」
『受けるのか受けないのか、はっきりしろ』
「受ける! 断る理由なんざ無いねえ、そんなご馳走を前にしてさ!」
圭介の名前はヴィンスを倒した時点で裏社会にもある程度通っている。それはもちろんジェリーの耳にも入ったし、彼がこれまで経験してきた戦いの数々もそのまま伝わっていた。
強者との肌がひりつくような戦いを望む彼女にとって、彼の存在は魅惑の高級食材に等しい。
「ああ、楽しみが増えた! 帰ってきて良かった! 今夜は素晴らしいひと時になりそうだ!」
両腕を広げて空を仰ぐ姿は、まるでこの世界に存在する全てに祝福を見い出したかのような歓喜に満ちている。
実際のところ本当に祝福を得られたつもりでいるのだろう。目尻には感動の涙すら滲ませながら、彼女は叫ぶ。
「ありがとう、バイロン! あんたらんトコで仕事始めたのは正解だったよ! お礼に今度抱かせてやろうか!?」
『お前のような犬畜生を抱く趣味はない。下賤な冗談を口走る暇があるならとっとと殺してこい』
「本気だったんだがなあ! ああそれともう一つ、頼みたい事があってねえ!」
『何だ』
うんざりした様子の影――バイロン・モーティマーの疑似人格が付与されたそれは、一応話を聞く程度の姿勢を整えた。
「追加の弁当を派遣しておくれよ! せっかくの高級食材が待ってるってんだ、盛大に騒ごうじゃないか!」
『私が用意してやったグランドオーガ共を弁当呼ばわりするのはやめろ。そもそも兵力を食べて減らすな』
「仕方ねーだろ腹減っちまったんだから!」
バイロンの苦言も虚しく、ジェリーはまだ殺して喰らうつもりでいるようだった。
しかし彼女の戦力に期待して用意したあれら雑兵とて、たかが安物のホムンクルスなれども膂力に関して言えば馬鹿にならない。
減らされた分の補充も兼ねて送り込むのは悪くない選択に思えた。
『わかった、あと一〇体までならくれてやる。まだそこから喰らうつもりなら二匹までにしておけよ』
「流石アタイの見込んだ男だ! 愛してるぜバイロン、抱いてくれ!」
『死ね』
たったそれだけの罵倒を吐いて影が消える。先ほどまで存在していたそれの足元には、小さな空のガラス瓶が土に埋め込まれていた。
その瓶をジェリーが周りの土ごと蹴り上げる。
「さってと。アタイの方も腹ごしらえと準備運動済ませとくか」
左手のひらにポンポンと“ウィールドセイバー”の刀身を当てながら、楽しげに呟く。
その目にはあらゆる感情が入り混じっていた。
現在時刻は午前六時。動き出す予定の時刻まで半日以上は焦らされる。
それに苛立ちと幸福を同時に覚えながら、森の殺人鬼はまた笑い声を上げた。




