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足跡まみれの異世界で  作者: 馬込巣立@Vtuber
第七章 エルフの森帰郷編

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第八話 青い月を見上げて

 地上に戻った圭介を最初に出迎えたのは、意外にも自警団の面々だった。


「……まずは礼を言っておく。君のおかげでサンダーバードは去った。魔術円が仕込まれた奇妙な雲もない。しばらくは付近の索敵と並行して上空への警戒も続行するつもりだが、まあもう一度あの鳥が降りてくるような事もあるまい。よく、やってくれた」


 自警団団長の大男は言葉とは裏腹に苦々しい表情を浮かべている。

 外に出た嘗ての同胞が連れてきた客人、知名度や活躍の内容はどうあれまだ転移から半年も経過していないような少年が彼らを一掃したモンスターを退けたのだ。それも討伐ではなく和解に近い形で。

 加えて自警団側にとって普段から蔑ろにしている騎士団の目もある。今回の失態は気まずいものがあったのだろう。


「ただその上で言う。君には後方支援に徹していて欲しかった。今回はサンダーバードもそこまで獰猛な個体ではなかったものの、事によっては怪我では済まない。そういう危険を請け負うために我々は前に出ていたんだ。……せめて少しは口出しの一つでもして負担を分けろ。多少なりとも利用してくれればこちらも恰好がつく」

「す、すみません」


 圭介としては「仲間の力もあっての成果だ」と言いたいところだったが、団長の対応が想定していたものと異なり割と誠実なものであったため毒気が抜かれた。思わず謝罪の言葉が漏れる。

 しかし護る仕事に就く人間とは、本来こういうものなのかもしれない。

 そしてこういうところに憧れたのだというのなら、ユーの追いかけた夢は確かに実のあるものだったのだろう。


 彼は薄く微笑んで圭介の肩をぽん、と叩くと他の団員達の方に体を向けた。


「ベラ、お前は彼らにクエスト報酬を。他の団員は常に空模様に気を配りながら周辺の散策! あの魔術円の主を必ず見つけ出すんだ、徹夜してでも森中虱潰しに探すぞ!」

『はい!』


 ダメージの残る肉体を無理やり立ち上がらせて自警団の団員達が声を揃える。この後も続く彼らの苦労を思えば確かに少しでも動きについて相談するべきだったか、と圭介は胸を痛めた。

 歩いていく騎士団の中にはローレンの背中もあったが、彼女は振り返ったりせずに歩き続ける。状況が始まる前にあれだけ挑発した手前もあって目が合わせづらいのかもしれない。


「んじゃトーゴー・ケースケさん、それにエリカ・バロウズさんとユーフェミアもね。三人はこっちに来て、今回の報酬を渡すからさー」


 団長にクエスト報酬の受け渡しを任されたベラなる人物は、二十代ほどのエルフの女性だった。赤い縁の眼鏡に夕映えを薄く反射させながら、青みを帯びた長い黒髪をたなびかせている。その外見年齢もどこまで信用できるものかわからないが。


 彼女は間延びした声で三人を呼ぶ。少し離れた場所で圭介と自警団のやり取りを見ていたエリカとユーも駆け寄ってきた。


「ベラさん、どうも。今回は私達で勝手な行動をしてしまいすみませんでした」

「あーいいのいいの目的は達成したんだし。しっかしあんたもなかなかイケてる仲間捕まえたわねー。っていうかさっきの吹雪みたいなの、もしかして【漣】のアレンジ? 凄かったよーホントに」

「あはは、まあ魔力の消費も激しいのですが……三発も撃てば倒れてしまいます」


 どうやらベラはユーと知り合いらしく、気兼ねなく会話している。彼女の態度からは嫌悪も忌避も見受けられず、それが圭介にとっては少し有り難かった。


「一人三二〇シリカ。安くて悪いんだけど田舎のクエストじゃこんなもんになっちゃうのよ、ごめんねー。今回の働きを見るにもっと払いたいくらい。とはいえ、後方の勢力に救われるなんて思いもしないで先に値段決めちゃったからねー。……それでも追加報酬は設定しとくべきだったなー」

「いや、そんな」

「ってわけで明日ユーフェミアの家にお邪魔するわー。ウチで採れた果物を籠いっぱいに持ってくから、お母さんによろしくねー」

「わあ、ありがとうございます! 母も喜ぶと思います。今の季節だとリンゴが美味しいですよね」


 こういったところで融通を利かせられるのも閉鎖された環境特有のものか。そして以前の圭介の予想通り、少なくとも果樹園に近いものがこの地域には存在するようだった。


 それと異世界生活に慣れてきた圭介にとって、夏休み中にリンゴの収穫時期が訪れるというのも未だ奇妙な感覚がある。


 この異世界でのリンゴと地球でのリンゴは全く異なる。メティスで食べた事のあるそれは、リンゴと呼ばれているだけの別の果物だった。食感は硬めのバナナに近く、皮が予想外に厚い。そして味は砂糖菓子のように甘ったるかった。

 直接齧りついて食べるものではなく、最初に口にした時にはげんなりしたものである。


 そんな風に異世界リンゴの味を思い出していると、後ろからエリカに袖を引かれた。


「なあ、報酬は受け取ったんだし帰ろうぜ。腹減っちまったよ」

「お前一番体動かしてなかっただろ。じゃあベラさん、僕ら戻りますね」

「また明日お待ちしてます」

「あいよー。よく食ってよく育つんだぞ少年少女ー」


 どこか眠たげな挨拶と共にベラと別れ、ユーの実家に向かう。

 もう少し時間がかかるかと思っていたものの、案外早い時間にクエストが終わってしまった。戻ったら戻ったで夕飯の準備の手伝いが待っているだろう。


 先ほど逃がしたサンダーバードの事を思い出しつつ雲が散った夏の夕空を見上げる。


(今頃あいつも空の上で仲間と一緒にいるのかな)


 そうだといいな、と誰に聞かせるでもなく呟く表情は、どこか清々しかった。


   *     *     *     *     *     *  


 その日の夜。

 食事も入浴も済ませてあとは寝るだけとなった夜の二十一時、圭介は寝間着姿のままパートリッジ家の屋根の上で夜空に浮かぶ月を見上げていた。

 他の面子はガールズトークに夢中になっている頃だろう。先ほどまでリビングでボードゲームに興じたりもしていたものの、少し休憩を入れたくなった圭介はクールダウンのために一人で外に出る事にしたのである。


 エルフの森で見る月はメティスで見てきたそれと比較すると大きく青い。モンタギュー曰く地域によっては月が青く見える月青点(げっせいてん)というオカルト現象の一種らしく、原理の解明はまだ出来ていないという。

 青白い月光に照らされる景色の中には瓦屋根の木造建築が散見される。不思議な光景だった。


『風邪には気をつけてください』

「ん、わかってる」


 元から夏場だというのにさほど暑くもないエルフの森は、夜ともなるといよいよ涼しいくらいだ。薄着のまま長居するには向かない。

 アズマの一言に頷いた圭介は、持参した手のひら大の機械を【テレキネシス】で浮かび上がらせ手動で電源を入れた。セシリアに購入を勧められた無線ルーターだ。


(念のため、今回のサンダーバードの事をセシリアさんとレオに報告しておくか)


 自警団を翻弄する程度には脅威となる存在がいる。

 それは軽視していい問題ではないように思えた。


 スマートフォンの電源を入れて、簡潔な文章のメールを送る。アガルタ文字の読み書きができるようになったとはいえ、まだ口語的な表現を用いられるほどではない。


「ん?」


 そうしてメールを送信した直後か。【サイコキネシス】の索敵網が奇妙な動きを捉えた。


 家の裏口から出て物置小屋に入り、しばらくすると何か大きなものを抱え込んで戻ってくる。

 その大きな何かが脚立であるとわかったのは持ち主が圭介の背後でそれを設置し始めた辺りだ。


(誰だ?)


 一応の警戒はしつつそちらに顔を向ける。

 やがて屋根の縁から現れたのは、パーティメンバーの中の誰でもなかった。


「こんばんわ~」

『どうも』

「……ユーのお母さん?」


 どこぞの王女と異なり裏を感じさせない微笑みを浮かべながら登ってきたのは、部屋着と思しき薄手のシャツと紺色のジャージに身を包んだメレディスである。


「ケースケさんが娘達の部屋にいらっしゃらなかったもので、少し気になってしまって。あ、お隣失礼しますね」

「え、あぁどうぞ」


 言いながら彼女は圭介の隣りに腰を下ろす。知人の母親とはいえ見目麗しい美女、それも外見年齢は二十代前半のそれだ。男子高校生としては多少以上に緊張してしまう。


「お月見ですか。風情があっていいですねぇ」

「やあどうも……。体冷やす前には戻りますんで、心配しないでください」

「そうですか」


 暫しの沈黙。気まずさを覚える圭介の立場からするとメレディスの行動原理がわからず、不思議な居心地の悪さがあった。

 耐えかねて何か用事があるのか問おうとしたところで、相手が先に口を開く。


「やっぱり、客人さんからは私達って変に映るのかしら」

「えっ?」

「エルフの性格が変わる原理について説明した時、微妙に納得されていないように見えたので」


 仮にも異世界に存在する種族の一つ、それが有する特徴だ。強く拒絶しては差別意識の芽生えに繋がるだろうし、それは今この家にいる誰もが望むまい。そこまでは知らなかったと言っていたミアでさえすぐに受け入れていたように思う。

 しかし圭介は十数年という年月を地球で過ごしてきた客人であり、同時にユーとの交流を深めた仲である。こうだから、と説明されただけでパーソナリティの切り替えを行う種族に一切戸惑わずにいられるだけの胆力は無かった。


「そ、それはまあ、ちょっとびっくりしたっていうか。だって記憶を失って性格も変わるって、それじゃ本当の自分はどこに行ってしまうんですか。僕には死ぬのと同じに思えちゃって……ああすみません、そんな言い方をするつもりは」

「ふふふ」


 動揺する圭介の様子が面白かったのか、メレディスは喉を鳴らして笑う。そこに切り込んだのはアズマだった。


『通常であれば個人の意志や価値観が消失するという事態は忌避されるものと思われますが。奥方はあまりそこに拘りがあるように見受けられません』

「ご尤もなお話です。もちろんそれを一つの死として認識しているエルフも一定数いますよ」


 圭介とアズマの主張を受けてメレディスは特に気にした風でもなく応じる。普段から学生を相手にしている仕事に就いている関係で、そういった意見のやり取りに慣れているのかもしれない。


『では貴女がパーソナリティの消失に対して前向きな姿勢を保っていられる理由とは何でしょう』

「そうですね……アトキンズの切り株という心理学用語をご存知ですか? 私が性格の変化を恐れない最大の理由なのですが」


 暫し考えてから出てきたのは、圭介にとって初めて聞く言葉だった。


「ビーレフェルト大陸でしか使われていない心理学用語ですから、ご存じないのも無理はありません。厳密には異なりますが客人の世界にも白紙(タブラ・ラサ)という似たような意味の言葉があるらしいんですけどね」

「は、はあ。それがユーのお母さんにとっては重要だと」


 高校に入学して間もない内に異世界転移を果たした身としては、唐突に心理学用語など聞かされても何がなんだかわからない。

 よくわからないがそれが理由なんだな、と流そうとするも大学教授の説明癖からは逃げ切れなかった。


「アトキンズの切り株とは、簡単に説明するなら“本当の自分”の否定です」

「……それは、また。心理学の用語なのに心の存在そのものを否定してませんかそれ?」

「そういうわけでもありませんよ。心理学における心の定義は――まあ、今は割愛します。まずはイラストでも現実のものでも構いませんので、頭の中で切り株の断面を想像してみてください」


 メレディスの言う通り、薄ぼんやりとイメージを固める。

 無数の丸が重なる茶色い模様。おおよそ地球でも異世界でも変わらない。


「そして切り株の中心にぽこりと穴を開けます。それがアトキンズの切り株だと思ってください」

「えーと、これが何か……?」


 バウムクーヘンの如きそれが“本当の自分”の否定にどう繋がるのか。


「まず知的生命体である私達人間が生まれた瞬間の心の在り方、それが中央の空白です。そこに種族、身体的特徴、生まれた時の周囲の環境などによって空白の周りに最初の小さな年輪が生じます」

「ふむふむ」

「そこから大人達の教え、友人との交流、自分を取り巻く環境などから様々な欲求や知識を獲得していく事で年輪は増えていきます。こうして切り株としての体裁を成していくんですね。つまり世界との関わりの中で私達を私達足らしめるもの、自我と名付けられている要素が構築されていくわけです」


 伝えたい事は何となくわかる。


 環境との関係も学びの機会と定義するのならば、呼吸一つすら世界との関わりが生んだパーソナリティの一つと言えるだろう。

 逆を言うなら何物にも侵されていない自分というものは世界から孤立した存在に過ぎず、そこに実体は無い。それは果たして“本当の自分”と定義できるものなのか。


「だからこそ“本当の自分”など本質的には存在しません。極論を言ってしまえば自我とは全て世界から受けた影響を材料にして作り上げた創作物です」


 壮大に思える話だが、考えようによってはコンパクトにまとまった話だ。

 生まれてから世界と関わりを持たない人間などおらず、故に無から生じた自己もまた存在しない。それがアトキンズの切り株という言葉に込められた意味なのだろう。


「ですから私は次の私になったとしても年輪の中に生き続けるんです。夫の存在が今も私の年輪に生き続けているように」


 外見の若さとは別に、その時のメレディスは確かに恋する十代の少女の顔をしていた。


 彼女は既に普通の感性とは異なる角度から生命を観測しているのかもしれない。心理学者なる人々は哲学と倫理学を外せないものであり、この大陸では失われた宗教のそれに似ている価値観もあるのだろう。

 つまるところ彼女は圭介が思う以上に、芯の強い女性だった。


「その、ありがとうございます。ユーのお母さんが凄くしっかりした人だってわかりました。それに、勉強にもなりましたし」

「そうですか。それは何よりです」

『心理学にせよ何にせよ専門的知識に関する話題は恒常的に得られるとも限りません。有意義な時間をいただけた事を感謝します。ありがとうございました』

「ふふ、それほどでも」


 夜風に冷える前に戻るためすっと立ち上がる。せっかくだし脚立の片づけも手伝おうかと思いながら、もう一度青い月を見上げた。


(僕がこうして帰りたがったり異世界のあれこれに驚かされたりするのも、元の世界での生活ありきなんだよな)


 不意に思い出すのは変わり者揃いでいつも賑やかな家族。

 何かと互いを犠牲にしようとしつつも結局離れずにいた友人。

 そしてとある少女の悍ましいくらいに純粋な笑顔を思い浮かべる。


 なるほど確かに間違いなく、彼ら彼女らの影響を受けて東郷圭介という個人は構成されているのだろう。


(戻れるか戻れないかも正直今はわからないけど、どっちの世界で得た経験も消えるわけじゃない)


 帰れなかったらどうしよう、という恐怖は常に心のどこかで抱えていた。

 それがほんの少しだけ軽くなったような気がする。


(……最悪、戻れなかった時の生き方も考えておくか)


 小さいようで大きな心境の変化が生じたこの日の夜。

 彼の年輪が一本増えた。

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