第六話 エルフの森自警団
サンダーバードの低空通過予測地点には既に二十数名の同じ服を着たエルフ達と十数名の鎧を纏った騎士が揃っていた。自警団は騎士団のように武装型グリモアーツを持っていないのか、それぞれ異なる形状のグリモアーツを既に【解放】させて待機している。
招集クエストと言えども他に冒険者らしき影は見当たらない。
それがどこか圭介達の存在を浮き彫りにしているようにも見えて、居心地の悪さに繋がる。
この土地に限って騎士団の立場は自警団より低いのか、双方の集団を前にして作戦らしき説明をしているのは自警団団長を担うエルフの巨漢だ。身長二メートルに達するだろう彼は頼りがいのある精悍な顔つきに自信と責任感を宿らせ、簡潔ながらも的確な言葉選びでもって部下と騎士団に戦闘の流れを伝えている。
「……と、ここまでが大まかな概要だ。何か質問は?」
「あの、一つよろしいですか」
金属鎧ひしめく騎士団の中から、一本の腕が上がる。
集まっている騎士の中では一番若い男性の騎士だ。
「何だ」
「先ほどの説明通りの配置だと、自警団側に負担がかかる事になりませんか。流石に正面からの迎撃を貴方達にほぼ完全に任せる形となってしまうのはどうかと」
「……ああなるほど。君はこちらの騎士団に配属されてからまだ三ヶ月程度だったな」
自警団長が短く息を吐く。それを自警団に属するエルフの面々は呆れも混在する嘲笑、騎士団の面々は憮然とした無表情をそれぞれ浮かべながら眺めていた。
「は、はい。自警団との連携は今回が初参加です」
「では知らないのも無理はあるまい。いいか、このエルフの森第七森林居住区において騎士団の主な業務は自警団の補佐だ。主な役割は常に我々自警団がこなす」
「えっ?」
「今回の場合は先の説明通り、積乱雲からの落雷や暴風に備えて防御術式を展開したまま後方にて待機。それ以外は何もするんじゃないぞ。君の先輩方がそうしてきたようにな」
「なっ、そうなん、ですか?」
若き騎士が両隣りに立つ他の騎士を見回す。そんな話は初耳だと、態度が雄弁に語っていた。
地元の騎士団からしてみれば民間の自警団に国家公務員が鎖で繋がれている事実など、率先して語りたい内容でもあるまい。しかし若手への説明を怠った事に違いはなく、その事実はエルフ達から向けられる侮蔑の視線を強めるに至った。
「……すごいな。エルフの森の自警団ってそんな権力あるのか」
『種族的戦闘能力を鑑みるに妥当な判断と言えば言えるでしょう。積み重ねた技巧と状況への対策の手札はエルフ達の方が圧倒的に多いでしょうから』
「まあそれに騎士の体裁とかって、この都心から離れた場所ではあまり意味ないから……」
「でもいざという時の連携でミスるだろ絶対。それにめっちゃ凹んでんじゃねえかあの兄ちゃん」
エリカの視線の先では先ほど質問を投げかけていた青年が、誰が見てもわかる程度に肩を落としている。
当然かもしれない。騎士団学校などという施設がある以上、騎士と呼ばれる者達は何かしらの高い志を持ってその立場に就いたのだろう。
その成果が民間自警団の下っ端というのも報われない話だった。
と、圭介達が騎士団に憐憫の情を向けている間に作戦会議は終わったようである。
エリカが掲示板から抜き取ってきたという紙に書かれていた内容を見るに、招集クエストの内容は立ち位置的にほぼ騎士団と変わらない。
つまり自警団の活躍を後ろから見守りつつ、戦闘の余波を防御術式で受け止める役割だ。
見返してやる、と意気込んでいた圭介としては最悪の肩透かしでもあった。いっそ長老なりローレンなりの私情で危険なポジションにでも宛がわれた方がまだ挽回の余地はある。
「つまりよっぽどの事が無ければ自警団だけで解決しますってか。見てるだけで報酬くれるなんて太っ腹な連中だぜ。サンダーバードなんて速い上にろくに触れねえような奴は相手するのもだるいしな」
「僕にとっては腹立つ話だけどね。エルフの森ってそんな金持ってんの?」
「まあ昔はどうだったか知らないけど、今の時代だとエルフの長老は領地持ちの貴族って扱いになるから。それに場合によっては人員の貸し出しとかもやってて、下手すると騎士団よりお金もらってるとは思うよ」
有能揃いの人材派遣会社のようなものだろうか、と考えている内に何となく[エイベル警備保障]のユーインの顔を思い出した。能力の高さだけを見るというのも考え物である。
「……あれ、ユーフェミア来たんだ。てっきり気まずくなって来ないもんだと思ってたよー」
と、話し込んでいる内に軽薄な声が届く。近づいてきたのは案の定ローレンだった。
その顔を見た途端にユーは委縮し、エリカは眉尻を吊り上げる。
「もしかして掲示板の招集クエスト見て来たの? そんなにお金無かったんだーへー。ていうか去年のちっこいのも一緒じゃん。すげー全然変わってねえ! ちっさいまんまじゃんちゃんと食べてんの? ねえねえねえ」
相変わらず他人を煽る時の輝きが凄まじい少女である。
どう返すものやらと女同士の罵り合いを予感して圭介が戦々恐々としていると、エリカがローレンの脇腹を軽く擦った。
「え、ちょっと何」
「そういうお前は去年よりデブになったな」
「あぁ!?」
雑ながらも確実なダメージには繋がったのか、ローレンの表情から余裕が失せる。
「見た目が駄目になった時点で終わりだからマジで気ぃつけろよ。お前みたいな女って若い間は可愛がられるけどその分一人の男を選べないまま歳とって、行き遅れ間近になってから焦って旦那候補探して結局ろくな男を捕まえられずに一生独身コース突っ走るからな。ソースはウチの伯母ちゃん」
「ふざけんなし! 長老の娘が一生独身なわけねーだろ!」
「じゃあ尚の事早く痩せとけって。お前一年でこんだけ太るとか一緒に生活してれば普通にわかるレベルだからな。立場が立場だしガキこさえなきゃならないから若い内に何発もヤるだろ? 回数重ねてく内に気付かれて、ヤってる最中に肉摘ままれながら『もしかして太った?』とか言われるぞ」
「こ、この、マジ、こいつ、こいつぅ!」
「おい見ろよ、この反応見る限りだと確実に処女だぜこのデブ。股間は保守的な生き方を選んでるんだなあ。腹回りとはえらい違いだ」
「そろそろかわいそうに思えてきたからやめたれ」
『猛烈な勢いでセクシャルハラスメントを働いていますね』
流石にこの手の喧嘩はエリカの方が上手だ。
何の自慢にもならない能力だが。
「と、とにかくもうすぐこっちの仕事始まるから! 邪魔だけはすんなよ! わかった!?」
「はいはいわかったってそんな怒るなよ。顔真っ赤だぞ処女デブ」
「誰が処女デブだゴラァ!」
「落ち着いてローレンちゃん! あっちで男の人達が見てるから!」
「ちゃん付けやめろクルァ!」
先ほどまで厭味ったらしい態度だったのがすっかり崩れてしまい見る影もない。ここまで言いたいだけ言い合っているのだから、見ようによってはあまり険悪な関係に見えないだろう。
そこに、急に強い風が吹きつけた。
全身を撫でるその風は微かにピリリとした痺れも運び込む。
その心当たりについては考えるまでもない。まだ圭介達のいる場所からは目視もできない存在が、離れた場所から来訪の予兆を告げているのだ。
「サンダーバードの姿を確認! 総員、戦闘態勢!」
目元に何らかの魔術円を展開している自警団の一人が声を上げた。恐らく視力を底上げするための術式が使われているのだろう。
エルフ達が各々のグリモアーツを構えて迎撃の準備に入る。先ほどまでユーとエリカを煽ろうとして失敗していたローレンも、腰に下げた細剣を握って自警団の集合地点に向き直った。
「……じゃ、ホントに遊んでる暇じゃなくなったから。また後でね」
暗に共闘の可能性を否定しながら彼女は走っていく。そこにふざけた態度や挑発的な言動が介在する余地はなかった。騎士団や依頼を受けた部外者に出しゃばらせないという彼らの主張は、決して余裕や過信から来るものではないらしい。
その背中を見送りながらユーが“レギンレイヴ”を構えた。
「一応、こっちも防ぐ準備はしとこう。多分サンダーバードくらいなら本当に私達の出る幕は無いだろうから」
「あいよー」
「わかった。アズマも一応準備だけしといてね」
『了解しました』
圭介も“アクチュアリティトレイター”を障壁代わりに突き立てて【サイコキネシス】を纏わせる。エリカは二十六門の魔術円を盾のように前面にまとめて展開した。それでどう防ぐつもりなのか、まだ彼女の攻撃する場面しか見ていない圭介にはわからない。
『高密度の魔力反応が接近しています。目視可能範囲に入るまで残り約十五秒です』
「今言われてもどうしようもないやつじゃんそれ」
「索敵もスピードある相手にはあんま意味ねぇからなあ」
【マッピング】を使うエリカが言うと妙な説得力がある。
「…………そろそろ来るね」
ユーが呟くと同時、彼方から紫電を纏った巨大な鳥が近づいてくるのが見えた。
目視可能な位置にまで来たかと思えば、次の瞬間には既に三〇メートルほど近くにまで接近している。流石は妖精の一種とされている存在か、通常の鳥類が真似できる速度ではない。
「第一陣“猪食み川”! 行け!」
自警団団長の声を受け、最前列にいた六、七人ほどのエルフ達がグリモアーツの切っ先をサンダーバードに向けた。武装型グリモアーツと異なり個人のものが多いせいか、刃の形状や大きさには個々の違いがある。
『【鳥籠・羽根毟り】!』
彼らが使ったのはユーと同じアポミナリアの術式。網目状に斬撃を編んだ半球型の障壁である【鳥籠】を、投網の如く相手に口を向けた状態で射出する応用技であった。
射程の異なる武器が同時に発射した事で斬撃の籠は綺麗に並ばず、不規則な列を成して空中の敵へと向かう。
高速で近づくサンダーバードにとってこの不規則性は寧ろ避けづらさに繋がった。一度掻い潜れば突破できるというものでもなく、右に避けても左に避けても目の前にまた籠が現れるのだ。
自らの速度もあってかその巨体では結局避けきれず、一つの【鳥籠】に雷撃の体が衝突する。
当然、だからと安堵するほど甘い自警団ではなかった。
「第二陣“雨粒”!」
間髪入れぬ指示と共に最前列と入れ替わったのは十人が横一列に並んだ陣形。その中には真剣な面持ちのローレンもいる。
彼ら彼女らは空中で一時的に動きを止めたサンダーバードにグリモアーツの切っ先を各々向けた。
「行けェ!」
『【鏃・五月雨】!』
アポミナリア特有の短い詠唱により魔力の鏃が無数に飛ばされる。ユーが使う【首刈り狐】と異なり刺突に特化したそれらは、【鳥籠】の網目の隙間を的確に突いてサンダーバードに命中していった。
第一陣と第二陣のここまでの流れを見ただけで、自警団の連携がどれほど優れているのかが窺い知れる。
「洗練されてるなあ……。流石だね」
「けどこのままじゃ本当に何もしないまま終わりそうだな。ぐぬぬ、何とかして見返してやりたかったのに」
「さっきから何そんな対抗意識燃やしてんだケースケは。あの処女デブに何か言われたんか?」
「まあ言われたっちゃ言われたけどエリカが彼女に吐いた暴言ほどではなかったから怒りは治まってるわ」
とはいえユーの実力を見せつけてやりたいという多少子供っぽい理由でのモチベーションは持て余すところだ。
何とかならないものか、と圭介は頭を抱えた。
同時に一抹の違和感が迸る。
(ん? 何だこの感触)
魔力で構成された無数の矢を受けたはずのサンダーバードがいる方向からは、相変わらずピリピリとした感触を伴う風が吹きすさぶ。思えば鳥の姿をしているその存在はここまで一度も鳴き声を上げていない。
しかし奇妙な感覚の正体はそれではない。その根本はサンダーバードより上の方、積乱雲の方にあった。
(……索敵網に何か異常があったのか? あの[プロージットタイム]の時みたいに)
【ハイドロキネシス】を持つ今の圭介は水の扱いも多少だが心得ている。
自主練習を通して鋭くなった魔力操作の技巧が、【サイコキネシス】の索敵網を経由して「あの雲は何かがおかしい」と伝えてきた。
ただその詳細を掴めずやきもきしている内に戦いが次の段階へと進む。
「第三陣、“重ね鎚”!」
『【乱れ大蛇】!』
第二陣までの自警団員達が作戦を進めている間に、左右からサンダーバードの背後に回り込んだ四人のエルフがグリモアーツを振るう。幾度も屈折しながら目標を見誤らないそれらが、紫電の双翼に叩き込まれた。
まだ千切れたりはしていないものの弱体化は進んだだろう。このまま戦いが進めば飛べなくなるのも時間の問題だった。
それだけのダメージが入っても、サンダーバードは悲鳴の一つすら上げない。
更に言えば、圭介にまとわりつく違和感も拭えないままだ。
(……まだこの変な感触は続いたままだ。あのサンダーバードが原因ってわけじゃないのか?)
考えて考えて、その果てに明確な正体こそ掴めないまでも一つの可能性が浮上した。
天空を駆ける稲妻の鳥がどうしてこのような低い位置まで来ているのか。ついさっき聞いた話が脳裏を過ぎる。
サンダーバードが下りてくる理由は主に体調不良。
その際には大気と水分を操る魔力が暴走している。
それらの情報を踏まえた上で、圭介の索敵網が感じている積乱雲に対する違和感。
「原因は他にあるのか?」
「んあ?」
「何が? あのサンダーバードと何か関係ある事?」
「いや、それが――」
何かがおかしい。警戒すべきだ。
そう伝えるより先に、索敵網にかかる負荷が急速に増幅する。
「――え」
直後。
その場にいた全員の視界が白く染まり、強い衝撃に吹き飛ばされた。




