第三話 サンダーバード
「あ、お母さん来たんだ。丁度良かったね」
古ぼけた車体の着地とほぼ同時に背後から聞こえてきたのはユーの声。
ミアと二人で菓子箱が入ったビニール袋を手に持って歩いている。夏場というのもあってか、透けた袋から見えるパッケージにはチョコレートなどの溶けやすい商品類が見受けられない。
「相変わらず凄い音だった……。初めて聴いた時には正直乗るのすら躊躇ったなぁ」
出迎えの車を胡乱げな目で見つめるミアが懐かしそうに言う。
猫の獣人である彼女の聴覚は人間のそれを上回る。ならば確かにあの音は危機感を煽るものだっただろう。
そうこうしている内に、車の扉がばたんと開かれた。
「こんにちは~。皆さんお揃いかしら」
現れたのはユーと同じ銀色の長い髪を遊ばせる妙齢の美女。純白のチューブトップが過剰なほどに豊満な胸を強調しており、青いジーンズも脚線美と臀部の肉付きを殊更に見せつけている。
端正な顔立ちはユーの姉と言われても納得し得る若さを保ち、尖った耳も相まってエルフなる種族の特徴をわかりやすく示していた。
「うぃーっす。久しぶりっすねおばさん」
「こんにちはー」
「こ、こんにちは」
『初めまして』
パーティメンバーの母親の胸を凝視してしまいそうになり、圭介は意識的に視線を上下左右に逸らしながら挨拶する。結果として挙動不審な態度となってしまったがこれは思春期の男子として正常な反応とも言えた。
「お母さん、まだ車買い替えてないんだ。壊れて事故起こす前に新しいのにした方がいいよ」
「といってもねえ。お金もかかるし」
「大学教授なんだからお金はあるでしょ!」
「大学教授って言っても結構ピンキリよ……? ああそれより、そちらのケースケさんとは初めてになりますね」
朗らかな笑顔を向けて圭介の方へと軽く会釈する。それだけで胸部がまたも強調される事に恐怖を感じながらも、圭介はどうにかこうにか会釈を返した。
「ユーフェミアの母、メレディス・パートリッジと申します。普段は大学で心理学の教鞭を振るっております。どうぞ、よろしくお願いしますね」
「どうも、どうも」
『よろしくお願いします』
「娘の手紙に書かれていた通りで驚きました。本当に猛禽類の形をした喋る魔道具を持っていて、本当に頭に載せているんですね」
「まあ、その辺は向こうでゆっくり話せればと」
「あらいけない。どうぞ皆さん、車の中へ」
メレディスとの会話を上手く進められず申し訳なくなったが、それ以上に視線の向きに気を遣う。あまり長く時間をかけるものでもないと判断し、立ち話を早々に切り上げた。
車内に入った途端、涼しい風が日光に焼かれた肌を撫でる。車は古いもののはずだがカビ臭さはない。
手入れはしっかりしているのかな、と腰の位置を調整していると隣りにどかりとエリカが飛び込んできた。
「ちょ、やめーや椅子壊れるだろ」
「じゃーかしい。ユーちゃんの母ちゃんをエロい目で見やがって、オラもっと詰めろやこのおっぱい星人が」
「何だよ友達の母親に嫉妬でもしてんのかペチャパイ星人が」
「おぉん!?」
人間不信に陥っている割には元気である。
暴力団組員めいた声を出しながらタックルし続けるエリカに肘で応戦しつつ、メレディスに問う。
「ここからどのくらいで着きますか? 車で来たってことはそれなり時間かかりますかね」
「空路を進めば徐行運転でも一時間かかりませんよ」
「今度は丁寧に着地してね……」
助手席に座るユーの念押しを「はいはい」と受け流しながらメレディスが手元にある何らかのバーを傾けると、車がゆっくりと浮かび上がった。ガタガタと強い振動が圭介達の臀部に走る。
「あの、これ大丈夫な揺れなんですか?」
「大丈夫ですよ。この車で事故を起こした事は今のところ一度もありませんから」
「そら一発で何もかも終わるからな」
隣りのエリカから不穏な言葉が漏らされた。
「【君根ざす森は安寧の地 風は吹かず木こりもおらず】……」
「だからいざという時のためにミアちゃんにはこうして強めの強化魔術をかけてもらってんだ」
「さっきから会話に参加してこねえなと思ったら!」
ミアが詠唱している魔術は【クッションケージ】という衝撃緩和用の魔術で、主に車両や住宅に用いられる類の第五魔術位階である。
本来であればわざわざ用いずとも製品化の際に車体の何処かに備え付けられているはずの魔術だが、生憎この古ぼけた車はとっくの昔に術式が掠れてしまい使い物にならない。
因みにこの魔術、去年もこの車に乗って生命の危機を覚えたミアがユーの実家に滞在している内に急いで習得した魔術でもあるらしい。使う場面が限られ過ぎているせいか修練が足りず、精度はいまいちなようだ。
「ケースケ君は確か念動力魔術を使えるんでしたっけ。もしもの時にはお願いしますね」
「安全運転を心がけてください! 何なら事故起こす前に免許返上してください!」
圭介の叫びと同時にミアの強化を受けて微かに輝きながら、空飛ぶ70年代のスポーツカーなる奇抜な乗り物は発進する。
その際、圭介は窓の外に奇妙なものを見つけた。
山の向こうに揺れる入道雲の内部から黒い影が見え隠れしていたのだ。
かなり距離があるため影の正体は掴めないが、少なくとも自然現象と呼ぶには不自然過ぎる動きに見える。
「ねえねえエリカ。あそこの雲、何かおかしくね?」
「あ? どれどれ……うっわ」
身を乗り出して同じ方向に顔を向けるエリカが途端に嫌そうな顔を浮かべる。どうしたのか圭介が問おうとすると、彼女は反対側に座るミアの太ももを引っ叩いた。
「いった、何すんの」
「あだあっ、いやあっち、あっち見ろって」
お返しとばかりにエリカも太ももを引っ叩かれたが、どうにもそれどころではなさそうだ。
「何もう、めんどくさ……えぇ……」
つられてその雲の方に目を向けたミアの表情が、面倒そうな顔から物凄く面倒そうな顔に変わる。
どういう状況なのかわからない圭介に答えを齎したのは、助手席に座るユーだった。
「サンダーバードだね。こんな低いところまで下りてきてるなんて珍しい」
「目に見えるところまで来てるのならちょっと迂回しなきゃいけないわね。というわけで皆さん、ちょっとコースを変えますのでもうしばらくかかります。ごめんなさいね」
サンダーバード。
天を駆ける雷鳴と雲海の鳥。
地球でもその存在は架空の生物として知られているが、ビーレフェルト大陸においては雲の狭間から生まれて生涯の大半を上空で過ごす上級妖精の一種だ。
姿こそ鳥類のそれに酷似しているがケサランパサランやサスカッチと同様、死ねば亡骸を残さず消滅する。そして住まう場所が場所なだけにその一生が人の目に触れない場合も多々あるという。
彼らが地上に姿を現す様子を嘗ては災厄の訪れと認識していた時代もあったようだが、近代のオカルト研究によって単なるサンダーバード側の体調不良という事実が発覚している。
魔力の巡りが悪くなると高度を維持するための力が不足し、その際には大気と水分を操るための魔力が暴走するせいで急ごしらえの積乱雲を伴いながらゆっくりと下降するらしい。
「まあ夏場はどうしても入道雲が増えるからな。アイツもそれに引っかかってぶん回されて落ちてきたんじゃねえの」
『しかし周囲に発生している風は充分脅威になるかと』
「そうですねえ。なのでちょっと遠回りしましょ」
「ウチの古い車じゃ粉々にされちゃうよ……」
圭介の視点からは随分と物騒な現象に映ったが、他の異世界人一同にとっては落石事故の現場程度の扱いだ。メレディスの運転により長く付き合わされるという事への忌避感しか感じられない。
そんなものか、と圭介も認識を改めて周囲に判断を委ねる事にした。
二秒後、それを後悔する。
「……やっぱりちょっと急ぎましょうか。このままだと雨も降りそうだし。お腹も空いたし」
「えっ」
珍しく意表を突かれたと言わんばかりに気の抜けたユーの声に続いて、ガチャガチャと音が鳴る。
メレディスによるギアチェンジだ。
「そんなに急がなくても大丈夫だと思います」
エリカが冷静に丁寧な口調で意見を提示した事で、場の緊張感が一気に高まった。ミアの【クッションケージ】が気休めにもならない何かが起ころうとしている。
「エリカちゃんの言う通りだよお母さん。それなりに距離あるし、安全運転でゆっくり迂回しよう? ね?」
「やっぱ初めて来るケースケ君のためにも多少は景色を楽しむ余裕とか欲しいなって、私も思うんですよ」
『確かに距離は充分に確保できていますね。加えてサンダーバードの方もこちらに向かっているわけではないようですが』
「よくわからないけど僕も焦らなくても良いと思います、だから――」
「えいっ」
十代後半の娘を持つとは思えないほど可愛らしい掛け声と共に、がちゃりとレバーが倒された。
瞬間、四人の体に強烈な衝撃が走る。
車の急加速によって発生した負荷に苛まれているのだ。
「話を、聞かんかい…………ッ!」
圭介の弱々しい文句さえもが押し潰されて誰の耳にも届かない。
ふと彼の胸中に「抵抗力操れるダグラスが今だけは羨ましいな」などという考えが湧いて消えた。
* * * * * *
サンダーバードから離れて十分近くが経過した辺りで、肉体にかかる負荷が軽くなった。
やっと減速し始めたらしい。道路を走るわけではないので振動はそこまで激しくなかったものの、体にかかる力のせいでほぼ全員がグロッキー状態となっている。
「ここまで来れば大丈夫ですからね~」
そんな圭介達の疲労困憊が見えていないのか、メレディスは笑顔で言った。もちろん現時点で大丈夫ではない。
『大丈夫ですかマスター』
「んなわけあるかい。まだユーの家にも到着してないのにどっと疲れたわ」
「お母さん、今度からギアチェンジする時には事前に許可を得てから手を動かしてね」
「じゃあその時は私が思うように運転できるよう許可ちょうだいね」
「大人しい顔で無茶苦茶言うなこの人……」
そんなこんなで気付けば駅からそれなり離れた場所まで来ており、ちらほらと民家も見えるようになってきている。
「もうエルフの森に入った感じですかね」
「到着にはまだしばらくかかりますけど……ああ、見えてきました。あそこに家が集まっているでしょう。あれです、あれ」
見えやすくするためか、メレディスがハンドルを捻って車体の向きを変える。こういった操縦はきちんとこなす辺り、運転が下手というよりは暴走する悪癖があるようだ。
見えたその光景を前に、圭介はまた溜息を吐いた。
瓦屋根を備えた木造建築。
家々の合間合間に広がる何らかの畑。
奥の方に見える水辺は、アガルタ王国が内陸にある事を考えると湖か。
探せば日本でも見つかりそうな、凡庸な僻地の姿がそこにはあった。
「ほら、ね? ケータイの基地局とかそういう話どころじゃないでしょう、こんなの」
呆れたようなユーの声に首肯する。
とりあえず彼女らの家に着いたら、まずは「どうして瓦屋根なのか」を問いただそうと圭介は決意した。
大変申し訳ないのですが、活動報告にも記しました通りこれからは一週間に一度の投稿を目安に連載を続けていく所存です。
次の投稿は2019/06/02(日)AM11:00を予定しております。ご理解いただければ幸いです。




