第十六話 気まずい疲労
「……何ですか先輩。私達これから用事あるんですけど」
咄嗟の事態を前にしてトラブルを回避し得る虚言を吐いたのは、圭介とウォルトとの間に割り込むような位置に立つミアだった。もしもの時、ウォルトから何らかの攻撃を受けた場合に防げるように。
情けない話ではあるものの圭介は現在自身のグリモアーツを【解放】することも出来ない段階にある。最悪排斥派たる彼が本気になれば息をするように大怪我を負わせることが可能となるだろう。
そこまで愚かではないと思いたいところだが、先日のアドラステア山での愚挙を思えば信頼も油断も出来る相手ではなかった。
しかしウォルトは呆れたような表情と動作で警戒する一同を笑う。
「ハハハ、確かにそこの役に立たねぇ金食い虫にはいち早く消えてもらいたいとこだけどよ。今日わざわざ会いに来てやったのはソイツ目当てじゃねーんだわ」
小馬鹿にする態度を隠そうともせず、ウォルトは静かに歩み寄った。
圭介の隣りで「おーすげー」と木陰に隠れた猫の交尾を眺める、エリカに。
「よう校長の姪っ子ちゃん、ちょっくら話があんだけど」
「わり、今ちょっと生命の神秘に触れてっからまた明日なパイセン」
「ちゃんと返事してあげてよ、ウォルト先輩若干哀しげな表情になっちゃったよ」
「わり、今ちょっと生命の神秘に触れてっからまた明日なケースケ」
「今のメチャクチャ傷ついたぞちょっと! なんで僕にまでパイセンと同じ対応すんだよ馬鹿にするのも大概にしろ!」
そのツッコミによってますますウォルトの表情は落ち込んでいったが、気を取り直して再度声をかけてきた。
「ま、まあいい。姪っ子ちゃんよ、俺ら[羅針盤の集い]に入る気はねぇか」
「ハァ?」
流石に突飛過ぎて反応しないわけにいかなくなったのか、さしものエリカも目を見開いてウォルトの方を見る。
圭介も同様に不可解なものを見る目になっていたが、ミアとユーは静かに警戒の度合いを増していた。
「そっちも客人にはムカついてんだろうから、俺らの仲間になってくれりゃあソイツとっちめてやるっつってんだよ」
「いやいやいやいや、どうしてそうなった? 客人とパーティ組んでる相手に排斥派の勧誘するとか脳味噌膿んでるにしたって悪い冗談だろ。まさか変なクスリでも拾い食いしたんじゃねーだろーな」
「色々と失礼だな……っつーかさぁ、それだって客人をハメるための演技なんだろ? いいよ別に俺達が全力でこの客人野郎のことはどうにかするから、そんなんしなくても」
やけに断定的な口調は聞く者を苛立たせる。一同の眉間に少しずつ皺が寄り始めた。
「だからさっきからハメるだの演技だの、ケースケ相手にあたしがムカつくとか意味わかんねえよ。何が言いたいんだアンタは」
エリカの言動に舌打ちが混じり始めた頃合い、ウォルトは何の衒いもなくあっけらかんと爆弾を落とした。
「だってお前の父親と母親、“大陸洗浄”で客人に殺されたんだろ?」
その瞬間、四人が硬直した。
「………………ッ!?」
まず当の本人のエリカは目を見開いて口をきゅっと引き結んだ。その唇から伝播するように少しずつ全身が震え出し、握りこぶしは爪を掌に強く食い込ませる様子が傍から見て取れた。
その表情は驚愕のみならず悲哀に憤激、恐怖などあらゆる感情がない交ぜになっている。
次いでミアとユーの二人だが、こちらは一瞬ぎょっとしたように見えたもののすぐに持ち直した。話の内容よりも仲間の精神状態を優先してのことである。
圭介はただ呆けるばかりだ。初めて聞く話というのもあったが、それ以上にエリカがこれまでに見なかったような表情になったことへの驚きも含まれていた。
「…………オイ、どこでンな話を……」
「ハァ? なんでそんなことお前に教えなくちゃいけねンだよ、別にどーでもいいじゃん。つかさ、親殺されたなんて事情あんのに慣れ合ってんだったらソレ演技でしょ普通恨むし。それよか俺のおかげで手っ取り早く復讐できるのがわかって今ちょっと心揺れてんじゃね? こっちは結構人数多いし、親の仇相手に仲良しごっこするよかよっぽど……」
「黙りなさい」
「っぐ……!?」
静かな怒気を孕んだ声が響く。その声は無表情ながらも明確な敵意を発するユーのものだった。
「貴方がどのような手段で得たいかなる情報だろうと、それが私達の友人を貶めるもの、増して物理的にまで傷つけるものであるならば到底許せるものではありません。それ以上他人のプライバシーをひけらかすようであれば然るべき場所へ訴えることも……」
「ああもう、外野がうるさいな! まぁ今回は顔見せっつーか軽い挨拶みたいなもんだからさ。俺ら明日は用事あるから、今日中に返事くれよな」
気迫に圧されたのか言うだけ言って自分の都合を押し付けると、ウォルトは青ざめた顔でへらへらと笑いながらその場を去って行った。
後に残るのは気まずさに包まれた四人のみ。
「……いやー、相変わらずムカつく先輩だよねー! マッジ、もういきなり家族のこと言ってくるとかないんだけど! 普通そんなん他の人がいる前で言うかっつーの! ねえ!?」
その雰囲気を払拭しようとミアが務めて明るい声を上げるも、効果は薄い。目に見えて消沈した様子のエリカが何時になく力の込められていない手で圭介の背中をポンと叩く。
「……おうケースケ、聞いてたよな。パイセンの言ってたこと」
「う、ん。聞いてたよ」
「まあ、事実は事実なんだけども。けどあたしはそういうの気にしてねーからさ。だから、えぇ、何だ? お前がへこむ必要はないよ、うん」
「大丈夫。僕もそういうの、いや気にしてないってのも違う気がするな。……あー、ゴメン」
「何謝ってんだよ……」
圭介の謝罪を口元と鼻息だけで笑い飛ばし、エリカはがしがしと頭を掻いた。
「とりま伯母ちゃんにさっきのパイセンの件、チクってくるわ。ケースケに何かするようなこと言ってたし、ほっとくとやべぇかもしれねえ」
「ん、どうも。じゃあ僕は部屋に戻るから、また……明日」
「ああ、また明日な。もしもに備えてミアちゃんとユーちゃんはケースケを送ってやって」
「う、うん!」
「はーい」
他人の家族、それも戦争での死が関わるからかどうしても気まずさが先に立つ。「行きましょうか」と促すユーの笑顔まで普段通りを演じているようで余計に気を遣った。
思えば圭介と彼女らは交流を持ってからまだ半月も経っていない。
周囲の親切心とエリカの気安さから錯覚しがちではあったが、圭介自身も心のどこかでそれを理解していた。増してや文字通りの意味で住む世界が違う相手同士、価値観や認識に生じる差異は小さくない。
そんな条件下で『地球から来た自分の同胞に両親を殺された少女』なるものにどう接するのが正解なのか。一介の高校生に過ぎない圭介に答えを出すのは難しかった。
エリカが校内に入るのを見送ってから再び帰路につく三人はしばらく沈黙を保っていたが、ふとユーがその空気を破る。
「私、知りませんでした。エリカちゃんがご両親を失っていたことも、その死因が“大陸洗浄”での戦いだったことも」
「私も……でも私達の親の世代ってそういう人も多いって聞くよね」
続くミアの声にはいまいちいつも通りの覇気が無い。消沈しているというよりもウォルトに対する憤懣が行き場を失ってムズムズしているように見えた。
「ケースケさんのご両親はどのようなお方だったのですか?」
「ウチの親? 父さんは優しいけどちょっと頼りなくて、母さんは色々と強かったかな。レッドキャップくらいなら素手で殺せそうなくらい」
「こわっ。そっちの世界って魔術とか使えないんだよね? なのにモンスター相手に勝てそうなの? 一般人が?」
「いや元レディース……要はチンピラ出身みたいだったから喧嘩は強いんだ。本気出したらどこまで強いのかってとこまでは知らんけど」
元の世界に戻ったら母親の過去の話でも聞いてみようか、と以前の自分なら考えそうもないことを考えてみる。こういった思考活動は徐々に交友関係に愛着を抱き始めている圭介にとって、帰還に向けてのモチベーションにも繋がっていた。
やがて三人は圭介が寝泊まりする宿泊施設のすぐ近くに到着した。ここまでで良い、と断って圭介は部屋のドアノブに手をかける。
するとミアがおずおずと声をかけてきた。
「あのさ、ケースケ君」
「ん? 何?」
「エリカとちょっと気まずいかもだけど、せめて元の世界に戻るまでにはまた仲良く話せるようにしたげて」
言いながら彼女は誰よりも気まずそうな面持ちで懇願する。
元々の仲間であるエリカに対する気遣いもあろうが、圭介が今後の生活を送る上で少しでもしこりとなる要素を除こうという配慮も垣間見えた。それがわからないほど圭介も愚かではない。
「あの子ったら最近はホーム……寮室でも君のことばっか話しててさ。見てるこっちまでつられて笑っちゃうくらいに、随分と楽しそうにしてたんだ。元々人懐っこいのにあの口の悪さのせいであんまし仲のいい相手がいないもんだからかな、多分受け入れてもらえるだけで嬉しいんだと思う」
口の悪さについては全面的に同意するところではあるが、想定以上に好ましく思われていたというのが圭介にとっては意外だった。
しかし確かに、と頷ける要素はある。
このアガルタ王国という国において特徴的なのが、自己主張の強い国民性である。
明け透けに口走るエリカや、他人の都合を考慮しないウォルトなど極端な例に触れる機会が多く目が眩んでいたが、思い返せば出会った人々は大なり小なり自分の意見を必ずと言っていいほど主張していた。
圭介としては相応に今後の生活を賭けてのものだった学校での自己紹介が容易に受け入れられたのも、この風土による恩恵が影響している。
然るに先ほどの圭介とエリカは普段と比べて歯切れの悪い会話をしていたように思う。他人をよく見て日本人ばりに気を遣うミアにとっては気になる点だったのだろう。
「まあ、少々過敏になり過ぎな気はしましたよ。エリカちゃんも一言『ゴメン』で済ませられる場面だったでしょうに、らしくもない」
反して存外冷静なのがユーだった。
初見では大人しく引っ込み思案な印象を受けた彼女だったが、しばらく共に過ごしてみると所々にこういったある種の達観した一面が見え隠れするのがわかる。
「とりあえず明日になっても素っ気ないようなら重症ですから、しばらく距離を置きつつ考えてみてはいかがでしょうか。デリケートな問題ですし、こちらでもエリカちゃんに何らかのアクションはしますから」
「ありがとう、助かるよ。ぶっちゃけ僕は何も気にしてないんだけど、あっちがすんごい勢いで落ち込んでたみたいだからさ」
強がりでもない事実だった。今回エリカの過去が他人の口から暴露された件について、圭介がエリカに対して思うことは何一つとしてない。
どちらかと言えば無神経極まるウォルトの発言に呆れと怒りを覚えた程度である。
その言葉を受けて安心したのだろう。二人が纏う空気が心なしか弛緩したようだった。
「じゃあここまでで。明日はクエストとか行かずに、一旦休んでみるよ」
「そっか。うん、わかった。じゃあね」
「また明日」
二人と別れて部屋に入り荷物を隅の方に置く。転移からしばらくの時間が経過して、何だかんだ室内には物品が充実してきた。
最初は教科書とノートと語学用の参考書しか無かった本棚には数冊ではあるが小説と漫画本が置かれ、クローゼットには財布の中身をやや寂しくして買った私服用の衣服も保管されている。
冷蔵庫の中にはいくらか食材も貯蓄されており、大半は鍋の具材として消費されていた。
(慣れつつあるな……)
一人になったことで自分の現状を顧みる余裕が生じる。そうして最初に実感したのが、環境に順応していく自身の適応力だった。
これまでの人生においては空想上の存在だった魔術の行使、現代日本に生きる高校生としては無縁だったはずの戦争、そして数々の親切と迫害。
それら異世界で得た経験は容赦なく圭介の精神にストレスを与え続けていたが、今では先ほどのような出来事に対しても若干の気まずさを覚えるに留まっている。
(もう吐かなくて済むのなら何よりか)
冷蔵庫からミネラルウォーターのペットボトルを取り出してラッパ飲みしつつ、冷凍食品のペペロンチーノを皿に盛って電子レンジに入れる。
この辺りの操作は日本でもしてきたことなので当たり前に出来た。同時に改めて魔術だのモンスターだのが存在する異世界のイメージには程遠い文明レベルを見せつけられる。
ふと、以前ヴィンスから聞かされた話を思い出す。
(この大陸は窮屈を必要としている……か。僕自身も含めて好き勝手する人が多いからかな、耳が痛いや)
結局圭介は今になってもウォルトを心から憎悪するということが出来ていない。
親から定期的にプロレス技をかけられている彼に共感を示しただとか、絵に描いたような頭の悪い不良少年なるものに同情しただとか、そういった要素を抜いて考えても彼に敵意を抱けない。
嘗て友人に「それではやられる一方だろう」とからかわれた悪癖である。
「……ま、当面の問題はエリカとの仲直りかな。先輩の件については校長先生に任せよう」
まるで励ましか慰めのように、声に応じるようなタイミングでレンジの電子音が鳴り響いた。




