第二話 改札を抜ければ
車窓の外側に広がる景色は既にビル街から田畑と山々に姿を変え、トンネルも幾度か過ぎた。
現在圭介らパーティメンバー四名が乗っているのは、メティスから片道二時間半程度でエルフの森第七森林居住区に向かう新幹線“オリオン”。ゆったりと風景が移り変わるのは、速度よりも旅の心地よさを追求した結果生まれた享楽文化の賜物であろう。
「意外と乗客にはあんまエルフいないね。夏休みシーズンなのに帰ったりってしないのかな」
車内販売されていたチキンカツサンドを頬張りながら、圭介が呟く。それに応じたのは隣りの席に座るエリカだった。
「エルフは仕事とか用事がなけりゃあんま森林居住区から出ないんだってよ。別に昔みたいに交流するのを嫌がってるってわけじゃなくて、今の時代わざわざ森の外に出なくても大体のもんは揃うからだろうけど」
『となると輸送会社などが定期的に出入りしているのでしょうか?』
「うん、私の家も食糧は定期便で買ってるよ。……だからネットのやり方くらいは覚えた方が良いのに、お母さんったら」
圭介と向かい合う位置に座るユーが文句ありげな表情を浮かべる。彼女がこんな顔をするのも珍しい。
しかしそれ以上に、ネット通販のやり方を覚えていない彼女の母親への不安感が芽生える。インフラ整備が行き届いたこの異世界においてはなかなかに致命的な価値観ではなかろうか。
「あと、元々森の中と外を行き来するエルフが少ないのもあるかな」
『何故です?』
「エルフの森が外との交流をしてなかった時代にも、若いエルフが森から脱走して外で家族を作るってケースは何度もあったみたいでね。その末裔がいわゆる街エルフって呼ばれる人達になるんだけど」
まだ森と街の繋がりが断たれていた当時、森に住まうエルフ達による街エルフへの差別意識の激しさは相当なものだったらしい。今ではそれも歴史書に記されるほどの昔話となったが、外で生まれ育ったエルフ達にとって森は近寄り難い場所として見られていた。
「だからユー以外のエルフを見かけなかったのか……」
「まあでも、私達と同年代なら行き来はあると思うよ。ただやっぱりこれも世代の問題で、お年寄りの人達はあまりいい顔しないだろうね」
治安についての懸念は払拭されたものの偏屈な老人に噛みつかれる可能性を思うといまいち安心もしきれない。ああいった手合いは理不尽の権化であり、会話というものが成立しないのだ。
小学生時代に道端で下級生の女子とぶつかってしまった時、互いに謝罪して終わったところに突っ込んできてやたらと圭介だけを責め立ててきた老婆の存在を思い出す。土下座して周囲の注目を集めたら急いで逃げていったが。
(つってもエルフは見た目で年寄りかどうか判断できなさそうだしなあ……)
そして不安な点はもう一つある。
ユーからは事前に「二泊する予定だから着替えを持ってくるように」と聞かされていた。聞けば彼女の家はパーティ一つくらいなら寝泊まりできる程度のスペースがあるそうだが、この場合果たして圭介はどこで寝る羽目になるのだろうか。
「そういやケースケの寝床どうする? あたしらと同じ部屋でもいいんか?」
と、いう不安を察したわけでもなかろうが、エリカがそこに言及した。圭介としてはこれに同意するわけにもいかない。
「いくら同じパーティだからって男女一緒はまずいんじゃ……」
「どうだろうね。私はそんなに気にならないけど、一応男女別にしといた方がいいかな」
「ユーちゃんの家ならどこかしらスペースありそうだけどねぇ」
一応その辺りは考慮してくれているのか、ユーとミアは別の場所で寝ることを念頭に置いてくれている。さしずめファーストコンタクトで女子更衣室に転移した後の態度が悪くなかったのが功を奏したのだろう。
二人の意見を聞いてエリカも神妙そうに頷く。
「……何なら居間に布団敷いて寝ればいいか」
圭介は敷き布団が存在するという事実に雲行きの怪しさを感じつつも、まだ見ぬエルフの森に思いを馳せて車窓の外を眺めるのだった。
* * * * * *
時刻は十四時五十分。
“エルフの森”という名称の駅に辿り着いた一行は、まず改札を抜けた先にある休憩所に足を運んだ。
ユー曰く、彼女の母親が車で出迎えてくれるらしい。それまでは中途半端な時間を手持ち無沙汰な状態で待つ事となるが、圭介としては周囲を見渡すので忙しかった。
予想以上の壮観な景色が待ち受けていた、というわけではない。
どちらかというとその感覚は、初めて“たばこや”を訪れた時のそれである。
「ここに来るのも一年ぶりだなあ。おいケースケ、どうだい初めてのエルフの森は」
「日本じゃん」
「あ? ニホン?」
高層ビルや百貨店、駐車場などであればメティスでもとっくに見慣れていたので何とも思わなかっただろう。看板に日本語で文字が書かれていても「客人の影響を受けたんだろう」とどうにか流せたはずだ。
だが流石に瓦屋根は想定外である。
まず駅舎は木造建築で、「へ」の字型の瓦屋根が左右に重なったような造形と太い柱がどこか頼もしい。圭介達がいる休憩所も同じく木を組んで作られたもので、ところどころに金属部品は見受けられるものの植物の強さへの信頼が垣間見えた。
駅前の開けた空間は地面がアスファルトで舗装されているものの、横断歩道や信号機の類は一切見当たらない。辛うじて空中にいくつか標識が浮いている程度である。
線路と駅舎以外には見覚えのないコンビニエンスストアとラーメン屋があるのみ。ラーメン屋はエルフ向けなのか、看板に信じ難い量の肉と野菜が載せられた丼の写真を看板に掲げている。それも劣化が進んで色褪せていたが。
そして少し奥に視線を向ければ更地更地更地からの、森を経て山。
若いエルフが逃げ出す前はこれより酷かったのかと思うと何とも言えない。
「いやーしかし相変わらずクソほど何もねぇな」
何とでも言える存在がいたのを失念していた。「お前もそう思うだろう」と言わんばかりに半笑いで見つめられたので、とりあえず笑い返す。
「駅前にコンビニがあるだけでも大分変わったけどねぇ……。あと昔はあそこの空き地にお土産屋さんがあったんだよ」
『まずエルフすら足を運ばないような場所で土産物が売れるんですか』
「売れなかったから空き地になってんだろ空気読め」
「何ならあのコンビニも売れてるのか若干怪しいよね。来年の今頃になっても残ってるかどうか」
もはやミアまで容赦ない。とはいえアガルタ国民はそういうものである。
ユーはそれらに対して特に何も思っていない様子で、スマートフォンを見ながら時間を確認していた。
「あと十分もないくらいかな。そうだ、ちょっと私、駅で買いたいものあるから……」
「あ、じゃあ私も行っとこうかな。一緒に行くよユーちゃん」
「いってらー。便器詰まらせるんじゃねえぞ」
「あんたは色々考えて発言しろ!」
どうやら買い物というのは口実で、トイレに行こうとしていたらしい。そしてそれを示唆するエリカの発言はアガルタ国民から見てもモラルが欠けていたようだ。
顔を赤らめて溜息を漏らしながら二人が駅舎に入るのを確認し、エリカは汗を拭いてバッグから取り出したスポーツドリンクを口に運ぶ。
「エリカはトイレ行かなくていいの?」
「新幹線で済ませた。オメーこそ大丈夫かよ、ってああ男は女より尿道が長いからしょんべん我慢できるって保健体育の先生が言ってたっけか」
「今日は最低な発言多めだな。どしたん」
別に、とペットボトルのキャップを締めるエリカの表情には先ほどまでの明るさがない。どころか少しくたびれているようにも見えた。
どうしたのかを問いながらも圭介には彼女の心情がわかる。
厳密には心情ではなく、事情と言うべきかもしれないが。
「あー、マジか。トラロックでパーティメンバーや騎士団の人らと色々一緒にやってきてたけど」
「まあそうよ。悪いな」
『どういう事でしょうか』
アズマと出会う前の話だ。彼に訊かれるのは仕方なかったが、圭介はそれに「ちょっとね」とだけ応じた。
脳裏を過ぎるのは瑠璃色の斧とエメラルドグリーンの双翼。
まだエリカは軽度の人間不信から脱し切れていない。
彼女にはヴィンスとララという、二人の人物に裏切られた過去がある。前者は恩師であり、後者は行きずりに知り合った他校の友人だった。
奇しくもその両方の現場に立ち会った圭介はそんな彼女に何をしてやれるものか考え、信じてもらえるかどうかを考えず一方的にエリカを信じると宣言したのだ。
その対応が正しかったのかどうかはこれから結論を出していくところだが、少なくともエリカは喜んだ。喜んでいるように見えた。
その後遠方訪問を終えて土産を持ってきたり、トラロックで仲間と協力していた様子から少しは改善されたものかと安心を得た。
事実、改善はされていたのだろう。ただまだ不充分というだけで。
「あー、あの二人は何も悪くねえのにな……自分に腹立つわくそったれが。こっちだって連れションしたかったっつーの」
「落ち込んでんのはわかったから男の前で気軽に下の話をするな」
ただ、エリカが落ち込むのも何となくわかる。
高校時代にレディースを率いていたという圭介の母曰く、女子同士でトイレに行く場合は用を足すよりも洗面台での会話で時間を使うらしい。母本人にそういった習慣はなかったそうだが。
そこを考えると女子にとってトイレに行くという行為は、割と重要な意味を持っているのかもしれない。
「っつーかそれこそ男子はどうなんだよ。漫画とか見た限りだとあれだろ、よくわからん形の便器の前で立ちながら用足すんだろ? しながら喋ったりしねえの?」
「大半の男子にとってトイレはトイレでしかねえわ」
そもそも友達と一緒にトイレに行くというのが圭介には考えられなかった。嫌悪感などより手前の問題として、必要性が感じられない。
トイレに入って用を足し、手を洗えば後は出ていくだけだ。
「男子だとそんなもんか。まあミアちゃんユーちゃんも今回は呑気にお喋りなんざしねぇだろ。車もそろそろ来ちまうし、買い物するって言った手前何かしら買ってくると思うし」
「その手前の部分をエリカがぶっ壊したんだけどね」
「ぶわはははは」
思春期の少女とは思えない下品な笑い声でエリカが笑う。
このくらいで丁度良いな、と圭介が今の時刻を確認しようとした、その時。
「あ、あれユーちゃんの母ちゃんの車じゃん」
エリカの声に思わず彼女の視線の向きを確認し、その先を目で追った。
追った瞬間、何故目線が上の方に向いているのかを疑問視した。
「あれ、が……」
それは空中に浮いていた。
ボディは空気を受け流すのに適した形をしていて、バナナにも似ている黄色が目を引く。ただし代償として積載できる荷物の量はそう多くなさそうに見えた。
四輪は全て木の枝ほどの細長い金属部品に支えられながら向きを変え、ホイールキャップが真下に来るように角度を調整されている。浮遊しているのはそこに施された術式によるものだろう。
エンジン音を響かせながら駅前広場に降りてくるそれの前面は、指で押し潰されたパンの切れ端が如く平べったい。
ランボ○ギーニ・ウラッコP111。
80年代の日本車が出回るアガルタ王国でも古い型とされている車両が、駅前の広場に着地した。
「あ、何か着地した途端やべぇ音したぞ」
「大丈夫か今の音」
因みにランボ○ギーニ・ウラッコはエンジン部分の信頼性の低さから売れ行きが芳しくなかった事で有名だったりもする。
エルフの森で彼らを出迎えたのは、そんな70年代の売れないスポーツカーだった。




