星空、赫く染まって
暗い円蓋の空間には小さな輝きがそこかしこに映し出され、見る者に満天の星空を見せつける。
バラウル共和国の郊外に設置されているテルミドール星座館は、地域住民が都心部に誇る大型プラネタリウムだ。
星々の動きを再現するこの施設は、嘗て大陸で宇宙学の研究が進められた時代の残り香として存在する。客人の話を鵜呑みにして宇宙などという新天地へと旅立った者達がフロンティア現象によって消失して以来、星々に関する学問は全てオカルトの分野へと移されてしまった。
だが当時の学界において学術的意義を持っていたとされるプラネタリウムは、時代を変えれば娯楽施設としての役割を果たす。
星の輝きと軌道を模した映像はその美しさからデートスポットや小中学生の社会科見学に活用され、同時に領主たる貴族の収入源として充分な活躍を見せていた。
そんな偽りの夜空に一つ、黒い空隙が存在している。
まるで齧り取られたかのように歪なそれは、客席からでも目を凝らせば正体を掴める程度にわかりやすい形状をしていた。周囲の輝きから逸脱している分、ある意味では悪目立ちとさえ言えるだろう。
照らされて浮かび上がる形は大の字に広がる人間のそれであり、そこからぽつぽつと滴る雫は赤黒い。
鉄の杭に頭と四肢を貫かれ天蓋に縫い付けられた男の死体。
群がる光を遮っていたのは、そんなつまらない存在だった。
「言われた通り一昔前の昆虫標本みてーにしといたぜ。これでいいんだろ?」
星座の説明をするナレーションすら聞こえない静寂の中、少年の声が響く。
「ええ。後は杭に施された術式が無事に起動するのを見守るだけです。わざわざ天井に縫い付ける必要性はありませんでしたが」
応じたのは平坦な少女の声。
星を眺めず男の亡骸に目もくれず、刺さった鉄杭の様子だけを眺める影が二つあった。
ダグラス・ホーキーとララ・サリスの二人である。
隣り合った席に座り語り合う彼らは、傍から見るとカップルのように見えなくもない。
そして彼らの素性を知る者が見れば、絶対にそのような見方をすることもないだろう。
「退屈してんだよこちとら。少しくらい遊ばせろ。で、外の様子は?」
「索敵も継続しています。半径二ケセル圏内に気になる動きはありません。昨日も遅くまで働いていたと聞きましたし、少し寝ても構いませんよ」
「眠くはねえがあくびは出らぁな。ったく、心底下らねえ仕事だった」
彼らが今回任された仕事は、テルミドール星座館館長カルメロ・プエンテの殺害。
つまるところ客人の暗殺である。
カルメロは特に黒い噂もなければ聖人君子で通っているわけでもない極めて凡庸な男だった。しかしビーレフェルト大陸と地球、二つの異なる世界から観測される映像にいくつか共通する天体が存在すると知ってしまったのが良くなかったのだろう。
彼が学会で発表する論文を完成させるより先に、排斥派の暗部が刃を抜いたのが今回の経緯及び結果となる。
新たな発見による学問の躍進は、いとも容易く闇に葬られた。
「星なんざどれも同じだろうになぁ。ああいや、ババアが星を見て方角と時間を正確に当てたりはしてたか」
「ご自分の指導者に随分な言いようですね」
「指導っても何度か殺されかけただけだっつの。それで俺が色々覚えられたのは最後まで死ななかった俺が元から強かったからだ。……んで、そのババアはどうしたよ? 今日はこっちに来るはずだったろうが」
目深に被さったフードの奥にしまわれているダグラスの目はいかにも不服そうだ。
それもそうだろう。彼が名前まで憶えた現状唯一の客人である東郷圭介の殺害許可は未だ下りず、どころか無関係なはずのゴードンには依頼が回っていたのだから。
まさか死にかけの老人には負けまいと見込んでいたし事実死んでいないが、殺されかけたと聞いた時には思わず舌打ちをしたほどである。
早く殺させろと眼差しで告げてくる彼に対して、ララの返事はいつも通り冷淡だった。
「『蒔いた種がそろそろ芽吹く』と言って生まれ故郷に足を運びましたよ。今回の任務には我々だけで対応可能と見たのか、あの人もそれを了承しました」
「もういっそ殺しちゃおうかなクソババアがよ。これ以上何も教わる必要ねーし。……おっ」
「始まりましたね」
気だるげな声を吐き出しながら呆れ果てるその視線の先で、鉄杭に仕組まれていた術式が起動する。
刺さった四肢と頭部はぶくぶくと膨れ上がり、かといって破裂するでもなく肥大化した肉のまま重力に従ってだらりと天井から垂れ下がった。明るい場所で見ればさぞかし奇怪な光景だっただろうが、僅かな光しか差し込んでいないこの状況下では像が形を変えただけにしか見えない。
「あれで俺の残留魔力や死亡推定時刻がごちゃごちゃになったのか。こりゃこっちの騎士団も面食らうぜ、錬金術ってのは便利なもんだな」
「バイロン・モーティマーのそれを他の錬金術師のものと比較することに意味は無いでしょう。彼は私達と同じく異端の技術を有しています」
「あーはいはい、例のプロジェクトってやつな。わかりきってる話を繰り返しやがって相変わらずつまんねえ女だ」
やがて膨れた肉塊となったカルメロの死体が落下した。ぼとりと着地したそれから杭のみを抜き取って、事前に用意しておいた皮袋にしまっていく。
残されたそれを見て元がカルメロだと初見で気付ける者はいないだろう。はち切れた衣服の切れ端がなければ人間の死体としてすら認識できるか怪しい。
「客人の殺害は貴方にとって享楽的な意味合いを含んでいたのではないのですか? 随分と退屈そうにしていますね」
「ったりめーだろ退屈だ退屈だ。何せコイツ、何もできやしなかった」
足元の死体に向けて、ダグラスが無遠慮な侮蔑の視線を向ける。
「今までの任務でも何もさせずに殺害してきたでしょう?」
「俺ぁよ、ケースケみてえなのと殺り合いたいんだわ」
それはララも何度か聞いた。
あるいは何度も聞いた。
「蹴たぐってもいちいち痛がらねえ、殺気を向けられてもビビりながら反撃する。何より手段を選ばねえのが最高だ。騎士団巻き込んでまで人数揃えやがるし、かといってテメェだけ奥に引っ込むわけでもない。通ると思えば刃物持って突っ込んでくるだけの度胸がある」
カルメロにはそれがない、と言いたいのだろう。地方にある遊楽施設の管理人程度に求める条件ではないだろうが。
「この歳になってようやくババアの気持ちがわかったぜ。殺し合いって楽しいんだな」
張り切っているのは理解できるが、だからと向かわせてやるほど闇の世界は甘くなかった。
「貴方の魔術は一度トーゴー・ケースケに看破されています。加えてあの力も片鱗とはいえ見せてしまっているでしょう。そういう意味でも他の者を向かわせた方が効率的です。あの人でなくともそのように判断するのは……」
「いつになく喋りやがるな。俺が退屈そうにしてるのがそんなに目障りだったか」
意外そうな様子のダグラスから悪態をつかれてララが黙り込む。事実、警戒する必要性がない状況とはいえ、仕事中にここまで多弁になるのは彼女の反応として不自然であった。
このような不自然さは今回が初めてではない。数日前も彼がババアと呼んだ相手、同じ雇い主を持つ排斥派の一人に指摘された部分だ。
いつから始まったものか、とララが記憶を探っていくと一つの顔に思い至る。
無邪気な笑顔で話しかけてくる顔と、呆然としながら自分を見つめる顔。
二種類に分けられた同じ人物の顔が交互に入り乱れて忙しなかった。
「……そうですね。出過ぎた真似をしました」
「あん? いや、おう……」
そこからは静かな時間が続いた。死体への簡単な確認作業、改めて館内全体への索敵。必要に応じて呼びかけなどはするも、それ以上の会話は一切しない。
やがて二人はプラネタリウムの外に出る。
時刻は正午に差し掛かった辺り。夏の陽光を浴びる石造りの白い塀と灰色の石畳はどちらもどことなく無機質で、元がシンプルな研究施設であった名残を見せていた。植えられた植物なども総じて虫や野鳥の類が嫌う品種ばかりで癒しなど求められていない。
いつもは愚痴を零しているダグラスも付き合わされるように黙り込んでいたが、やがて限界を迎えたのか舌打ちと共に喋り出した。
「だークソ。ちょっと言われたくらいで気にしてんなよめんどくせーな。仕事中にお喋りしたっていいじゃねえか、俺なんざいつも退屈な時にはペラ回してっぜ」
「私の発言を不愉快に感じられたのではなかったのですか?」
「お前なら知ってるだろ。俺はムカついても数秒で許せる」
「……そうでしたね。感情的要因で判断力を下げるような相手ではありませんでした」
ララの発言は心意気に向けての評価ではない。
ダグラス・ホーキーという男は、本当に怒りや悲しみが持続しないのだ。
より厳密に言えば精神的ストレスを即座に取り除けてしまう。ある意味では最も寛容さから遠い位置にあるその在り方こそ、彼が有しているとある異端性の一部であった。
そうと再認識したからか、気まずげな空気は既にない。あるのは残された仕事の時間だけだ。
この件が片付けばダグラスは大陸西方、ララは南方にそれぞれ出向くこととなる。しばらくは顔も見なくなるだろう。
「しかし今は特に語るべき話もありません。念のため施設から離れるまでこれ以上の会話はやめておきましょう」
「わかった。ところで今日って他に客来てねえけど休館日か何かか?」
「私の話を聞いていたのですか……?」
因みにこの日は正式な休館日ではない。とあるオカルト関連の重鎮による宇宙とフロンティアの関連性についての講演会が開かれる関係で、午前中のみの営業となっていたのである。
当然この講演会も彼らの雇い主による仕込みであった。
円滑な暗殺のために人払いとして開き、事前に掌握しておいた個人情報を利用して孤立するようカルメロを誘導してから殺害。その後犯人特定の要となる残留魔力と死亡推定時刻を特定困難な状態にして、しばらくは疑いの目を今回の講演会参加者達に分散させる。
その後はダグラスと同じ背格好をさせたストリートチルドレンやホムンクルスを使い、改めて排斥派による犯行であると印象付ければ完全に任務完了だ。
と、そこまで聞いたダグラスは疑問を呈した立場とは思えないほどに興味なさげな態度を示した。
「そらぁ七面倒な話だ。俺がここで姿を見せるんじゃ駄目なのかね」
「騎士団に自らを追わせるのが貴方の仕事です。捕まることは業務に含まれていません」
「滅茶苦茶言いやがるな。まあいつもそんなもんか」
ケタケタと笑いながらダグラスがズボンのポケットに手を入れる。
自然な所作だが、その意図をララは察していた。
「……で、だ。周りに怪しげな動きはなかったっつー話だったが」
「ええ、そうですね」
振り向きこそしないものの、二人の意識は背後に向けられている。
「あれが怪しい動きじゃねえってのか」
「予定調和に過ぎません。ここで二つ目の仕事もこなすというだけの話です」
「最初から追って来るってわかってたんかよ。まあいいさ、やるこた変わらねえ」
するりとポケットから出てきた手には、黄土色のカード。頭頂部から股間にかけて真っ二つになった人間のシンボルが実に禍々しい。
常に最低二つは持ち歩いている、ダグラスのグリモアーツであった。
「恐らく私達を単独で追跡している騎士の一人です。客人ではない場合も考えられますので、極力殺さないようにしてください」
「はいよ。殺したら謝るわ」
「それと、くれぐれも気をつけて。所属によっては戦闘面で我々に匹敵する可能性もあります」
「アガルタ以外の騎士なんざ強めの冒険者と大差ねぇだろ。インチキ使える俺らに勝てるかよ」
「慢心は程々に」
「してねえ。それで取り逃がした獲物を知ってるからな」
愉快そうに口元を歪めながら、振り向く準備をする。
相手が客人であろうがなかろうが関係なかった。敵対するならせめてもの慰みに使うのみ。
客人とは別に、客人殺しを邪魔する大陸の人間にも刃は向けられる。
ダグラスからしてみれば所詮殺意も怒りや悲しみと同じだ。あまり持続しないからこそ、油断も慢心もせず一瞬で終わらせる必要がある。
「【解放“エクスキューショナー”】」
そうして普段からしているように彼は矛を振るう。
当然、数秒後には振るう瞬間に抱いたものなど忘れていた。




